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現キリスト教は 愛の成長する秩序があるか?

1 :名無しさん@3周年:04/02/05 18:11
 教会の伝承に生きることによって、聖書の意味が明らかになると
カトリックが考えるのとは対照的に、プロテスタントは聖書から始め
ない信仰は偽りであるかのように主張する。しかし、聖書に向かう
アプローチの違いはキリスト教問題の本質ではない。
 カトリックであれば教会生活、プロテスタントであれば個人の
信仰生活に愛の成長する秩序が満ちているかどうかが問題なわけだ。
 神への愛と人への愛、その人格的な倫理の代わりに絶対他律的で
偽善的な律法倫理の実践を信徒に強要され、愛の成長において窒息
させられているような教会生活や信徒生活はないだろうか?今の
キリスト教に本当に愛の成長する秩序が、信徒を取り囲むすべてに
満ち溢れているだろうか?教会生活にあってそれはどうだろう?
信徒生活にあってそれはどうだろう?カトリック、プロテスタント
の別なく、忌憚のない意見交換がなされることを期待している。

53 :名無しさん@3周年:04/02/21 06:37
【100 均等さを確立せよとの掟は配分正義の場合にもあてはまるか?】
●配分正義は真の、しかしながら比例的な均等さを確立する。
〔例〕(1) 或る家族の子供達は無差別的に平等ではなく、それぞれに適当な食事、
     衣服、教育を与えられ、ないしは保護される。これらすべては年令、
     性別、健康状態、才能、傾向、勤勉さ、などに応じて定められる。
     だが各々の子供は「かれのもの」つまり他の者との関係において
     かれに属するもの、を受取る。
   (2) 一万マルクの家族手当を十家族にそれぞれの必要に応じて配分する
     よう委任された者は、簡単に各家族に千マルクずつ渡すことはできない。
     かれはそれらの家族における困窮(必要)程度の違いを考慮に入れ
     なければならない。それは、たとえば、子供の数、父親の収入、
     健康か病気か、困窮期間の長さ、居住地における物価、などの
     諸条件に依存する。
      だが各家族はかれのもの、すなわち他との関係においてかれに帰す
     べきものを受取るのであって、各家族はその状態および配分さるべき
     総額に基づいて、右の「かれのもの」を要求できるのである。
   (3) 収益のわけまえは協力者の状態に応じて計算すべきである――つまり、
     収入の額、自らの過失による労働時間の不足、勤務年数、例外的な業績、
     など。この場合も、とにかく各人になにかが配分されるというのではなく、
     正しい形態における配分がなされるのである。
 右の例からしてつぎのことが言える。

54 :名無しさん@3周年:04/02/21 06:38
1 利益や負担の分けまえは個々の人間においてきわめて不等なものとなりうるが、
それらはお互いの比例においては均等である[※]。この比例は人々の不平等、つまり
全体によって制約されているところの諸メンバーにおける、お互いに等しくない
状態に基づくのである(問101)。ここからして比例的(幾何学的)均等という
ことが言われるがこれもまた真正の均等性の一種である。
2/5=4/10  A/3=B/9
というふうに、各々が自らに適合し、ふさわしいものを受取る。

※ たとえば或る人は百マルク、もう一人は二百マルクの税金を払い、しかも両者
ともその収入の三パーセント(つまり同率)を払うことになるという方法をとる
こともできるし、あるいはつぎのような方法をとることもできる。
  二千マルクの収入の者は……………………3%
  二千 ―― 五千マルク………………………5%
  五千 ―― 一万マルク………………………8%
というふうに、より大きな生産能力、およびすべての者に保護されている安定性が
より大きな意義を持ってくるに応じて(異なった率の)税金が負担されるのである。

55 :名無しさん@3周年:04/02/21 06:38
2 注意深く観察する者は、配分正義においては二重の事態が見出され、留意さる
べきことを認めるであろう。
 (a) 諸人格間の、もしくはかれらり働き、功績(もしくはかれらの仕事能力、
  才能)などの間の関係。
 (b) 諸人格との関係における、利益や負担などの割合、たとえば、四千マルクが
  均等に二つの家族に分けられるべきか、四つの家族に分配さるべきか、という
  ことは同じ問題ではない。第一の場合は、各家族は二千マルク、つまり半分を、
  第二の場合には千マルク、つまり四分の一を受取ることになる。

3 配分正義において決定的な意味を持つのは、或る特定の共同体のメンバーである
かぎりにおいての諸人格に特有な(かれらはそのようにメンバーたるかぎりにおいて
共同体にたいする要求と義務を有するのであるが)、かの性質ないし貢献である。
このように、ひとはまず共同体に属するものでなければならぬ。ところで問題になって
いるのが或る特定の課題への招きということであるなら、われわれはその共同体の
目的や性格またはその課題に適合するような素質を持っていなければならぬ。一言に
していえば、共同体が或る特定の機能や仕事について要求ないし必要とするところの、
かの諸条件をみたしていなければならぬ。かくしてつねに問題なのはつぎのことを
承知することである――すなわち、諸要求もしくは義務が、まさにこの共同体の
メンバーであるとの事実に基づいて提出され課されているのか、またどの程度まで
そうなのか、ということを。

56 :名無しさん@3周年:04/02/21 06:39
〔例〕 或るフットポール・チームのメンバーは、自分が高い職業の地位を占めて
  いるかとか、良い声を持っているという理由によってではなく、有能なフット
  ポール・プレイヤーとしてそのチームによる善い競技を保障できるとの理由で、
  或る試合に参加することを要求しうるのである。官職への任命は、それぞれの
  官職にむいているかどうかとの尺度に基づいてなさるべきである。家族手当は
  子供の数や年令、収入の充分さ、不充分さなどに基づくものである。勲章は
  仕事や功績に応じて与えられる。

4 配分正義における比例的均等は、多くの場合交換正義の純粋に算数的な均等性
よりも確定し難い。その理由は明白である。すなわち、事物と事物、働きと働きとを
直接に比べることはできず、諸メンバーが全体に対してどのような関係に立つもので
あるかを考慮に入れなければならず(つまり、かれらが他の者と比べて、全体の
ためにどのような仕事をしており、もしくはなしうるかということを)、また全体
との関係においてお互いにどのように異なっているかを考慮しなければならない。
その後にはじめてなにが各人に属すべきものであるかを(できるだけ数字をもって)
厳密に確定ないしは算定できよう。にもかかわらす゜、配分正義は理性に基づく
中道のみならず、事物に基づく中道を有する(問92)。なぜなら、それは客観的
に現存する事態について評価するものであるから(たとえば、特定の人が現実に
共通善のためにどのようなことをしたか?だれが事実上適任か?いずこにおいて
困窮はより大か、ここにおいてか、それともかしこにおいてか?)。

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