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現キリスト教は 愛の成長する秩序があるか?

1 :名無しさん@3周年:04/02/05 18:11
 教会の伝承に生きることによって、聖書の意味が明らかになると
カトリックが考えるのとは対照的に、プロテスタントは聖書から始め
ない信仰は偽りであるかのように主張する。しかし、聖書に向かう
アプローチの違いはキリスト教問題の本質ではない。
 カトリックであれば教会生活、プロテスタントであれば個人の
信仰生活に愛の成長する秩序が満ちているかどうかが問題なわけだ。
 神への愛と人への愛、その人格的な倫理の代わりに絶対他律的で
偽善的な律法倫理の実践を信徒に強要され、愛の成長において窒息
させられているような教会生活や信徒生活はないだろうか?今の
キリスト教に本当に愛の成長する秩序が、信徒を取り囲むすべてに
満ち溢れているだろうか?教会生活にあってそれはどうだろう?
信徒生活にあってそれはどうだろう?カトリック、プロテスタント
の別なく、忌憚のない意見交換がなされることを期待している。

66 :名無しさん@3周年:04/02/22 03:39
【106 一般的正義はどのようなことがらにかかわっているか?】
●一般的正義は実定法によって命ぜられることがら、ならびに(とくに)自然道徳律
が命ずることがらにかかわっている。

1 共同体の諸目的には二つの種類がある。第一の種類のものは人間本性に基づいて
いる。それらは人間そのもの、したがって人類そのものに固有である。すなわち、
それらは各人に、まさにかれが人間であるがゆえに属するところの義務である。
自然道徳律がこれらの義務をすべての人間にたいして要求する。
 第二の種類のものはそれぞれの具体的な(歴史的に形成された)共同体の特殊的な
性格に基づいている。それらは、或る共同体がいまここにおいて存在し活動しなければ
ならないがゆえに、直面するところの目的である。これらの目的は、公共福祉のために
いかなることをなすべきかを権威をもって確定し、命ずるところの、人間的−実定的
法律において表現されている(問27)。

67 :名無しさん@3周年:04/02/22 03:40
2 具体的な共同体目的は、けっして自然本性的な目的を無効にすることはできない
(問46−47)。とりわけ重要なのはつぎのことである。すなわち自然的な責務は
つねにいたるところにおいて妥当するのであって、実定法によって明確にくりかえされ
あらたに確認される以前においてもしかりである。いな、たといそれらが実定法に
よって疑問視され、(僭越なる権力をもって)非拘束的であると宣言されたとしても、
その効力にかわりはない(問72−76)。

3 ここからしてわれわれは一般的正義の二重の機能を区別することができる。
第一は、自然的もしくは自然法的なものである。これはすべての人間にとって、
各人が大いなる人類共同体の一員であるとの理由からして、確立さるべきものである。
第二は実定的もしくは実定法的なものである。これは当の共同体全体――個人
もしくは下位共同体は、それらの特殊な歴史的状況のゆえにこの共同体に属する――
の内部において確立さるべきものである。この第二のものは、正しい(人間的)
実定法にたいする服従を要求する。

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