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☆★仏教2☆☆

1 :名無しさん@3周年:04/09/05 10:08 ID:R+5zpMgr
前スレ
☆★仏教☆☆
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091776873/

2 :名無しさん@3周年:04/09/05 10:08 ID:R+5zpMgr
2

3 :けちゃっぷ:04/09/05 12:14 ID:yJ7MYGHm
新スレ建て、ありがとうございます。

4 :名無しさん@3周年:04/09/05 14:20 ID:KIVfVqP8
けちゃっぷたんが ぼくは阿弥陀仏好きだもん。
         だって阿弥陀仏が好きだなんだもん。
         だから阿弥陀仏に救われたんだもん。  
         コップも、お箸も、テレビも、机も、ボールペンもみんなみんな阿弥陀仏になったんだもん。
         だからだから阿弥陀仏は大好きなんだもん。
と告白するスレはここですか。



5 :名無しさん@3周年:04/09/05 14:33 ID:+ybkit/h
>>4 違います。

6 :名無しさん@3周年:04/09/05 14:37 ID:awDgib9h
葬式やるときにロウソクと線香を使いますよね?
あれは、どういう意味があるんでしょうか?

また、どうして葬式をする必要があるのでしょうか。

7 :名無しさん@3周年:04/09/05 15:25 ID:Iyf37hAr
>>6
昔蛍光灯がなかったからじゃないの?ロウソクは、遺体の臭いを消すためとか聞いたことある。
葬儀は、死者を丁重に扱うことにより、生きている人をも尊重することになる。
「あれ死んだか」で終わり、火葬するだけじゃ生きてることの尊厳も失われる。
葬儀には決まりないし。各家庭の考えによって小さく済ましたいなら、小さく行えばよい。




8 :名無しさん@3周年:04/09/05 15:52 ID:RG8cPizO
阿弥陀仏告白ですか。みんなそれぞれの信じているものを告白して、救われた
と喜びを人に話す。それを信じたら、世の中の見る目が変ってきて、心のゆとり
ができてきた。その人だけの信仰の喜びにすればいいと思う。
阿弥陀仏だって、信じることにより負担になる人だっているかもしれないし。
やれ、布施だの、宗教の会合に出席しないとダメだの、そんなことを負担に思い、
信仰が喜びより、愚痴の原因になる人だっているハズ。
まあ、葬式仏教が一番でしょう。今の世の中、お釈迦様の時代と違って平和だし。
如来は時代の堕落の時に来る。奪い、奪われ、殺し、殺される、怠け者は睡眠に耽り、
ろくに働こうともしなかった。人々が、本能を喜ばすことを重点に生きていた時代だ
ろう。また、おかしな宗教があり、宗教論争も耐えなかった。人を切断する宗教だっ
てあったらしいし。現代の良識は、お釈迦様の教えに従っているんだろうと思う。


9 :名無しさん@3周年:04/09/05 15:54 ID:awDgib9h
>>7 サンクス

10 :名無しさん@3周年:04/09/05 16:40 ID:4CUxH631
>>8

けちゃっぷさんの阿弥陀仏信仰には、一種の歪みがあるんですよ。
自分自身の信仰告白だけでは簡潔しない。彼は、僧侶だから、それがそのまま
商売に直結する。イエスが看破した通り、宗教と商売は両立しない。宗教は、
利益のあるなしに関わらず、「かくのごとく生きるべし」という指針を与える
のが使命です。商売とは、すべてを利益のあるなしで評価する考え方です。

葬式仏教というのは、商売の論理に立っている。前スレの議論にもありました
が、「死者を供養することで、残された者の苦痛を慰める」というのが仏教の
使命だとすれば、いかに聞こえがよくとも、それは商売の論理であって、宗教
ではない。

けちゃっぷさんが、葬式仏教に対する批判に晒される度に、歯切れのよくない
常套句で逃げに回るのは、実は彼自身が、阿弥陀仏を介して、表(宗教)と
裏(商売)の二面に引き裂かれているからです。

11 :名無しさん@3周年:04/09/05 16:41 ID:4CUxH631
簡潔-->完結でした。

12 :名無しさん@3周年:04/09/05 18:02 ID:4CUxH631
釈尊の時代、出家者は生産活動に就くことを禁じられました。それは、生産
すれば余剰ができ、それを富として蓄積すると、欲望の対象になってしまう
からです。つまり釈迦は、一切のビジネスを禁じたのです。

ところが、近代の仏教は、生産活動をしないという部分だけを継承して、
葬式を通じて金を貰うようになった。もちろん、余剰の蓄積も許される。
だから、仏教という教えだけが伝わって、法そのものが滅びてしまい、遠の
昔に末法の世になってしまっているのです。今残っている仏教教団は、その
残骸にすぎません。

このような矛盾の只中で、「南無阿弥陀仏」を唱えても、ただ空しいばかり
だと思います。けちゃっぷさんがいくら信仰告白しても、言い知れようのない
白々しさを感じてしまって、素直には受け取れない。

13 :けちゃっぷ:04/09/05 18:03 ID:yJ7MYGHm
>10 では逆に、念仏者が、葬式仏教について問われた場合は何と答えれば納得してもらえるのですか?1)念仏者というだけで許せない、2)僧侶というだけで許せない、という偏見をぬきでお願いします。

14 :けちゃっぷ:04/09/05 18:07 ID:yJ7MYGHm
実は僕は信仰を広めるためなら葬式仏教をなくしてもいいと考えてるんですが。それを言ったら違う方面から批判されます。暇な方は、「お寺の儲かるしくみ」スレを御覧ください。

15 :名無しさん@3周年:04/09/05 18:12 ID:4CUxH631
>>13
「葬式仏教は一切やめます」しか答えようがないでしょう。
迷信に囚われて、鎌倉時代と同様に、「来迎図」にあるように、実在する
阿弥陀仏が自分を助けてくれ、僧侶がその取次ぎをするのだ、と信じている
人がいたら、それが嘘であることを正直に告白するべきだと思う。

葬式をやめたら食えないと言うかもしれない。実際には逆で、仏教が葬式で
食うようになったから、自縄自縛になっているのです。例えば、非行少年の
更生とか、宗教が果たすべき仕事はいくらでもありますよ。本当に社会の役に
立つという認識が広がれば、運動資金も集まるでしょう。収入は減るかもしれ
ないが、大伽藍を作ったり、上のお偉いさんの懐に入る金をカットできるの
だから、その分楽になるはずです。まずは、腐りきった仏教教団のピラミッド
を最後の石ひとつまで崩してしまうことです。

16 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/05 18:21 ID:LeA/57j2
「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どう
か、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的
に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。」


正しい目的のために努力せよ―仏教の修行僧は、自分の修養につとめることだけをせよ。
葬儀などをやるな、という思想は原始仏典にまま散見するが、ここにも現れているので
ある。またブッダの遺骨崇拝も世俗人のやることであり、出家修行僧の従事することで
はないと考えていたことが、ここでも知られる。

我々でも、大きな葬儀を行うことが、仏教を行ったということではないでしょう。しか
し、死者を粗末に扱わないということは非常に大事なことだと思うし、小さな葬儀をや
ったとしても、誰にも(仏教的に)非難を受けることはない。
また、死者の供養については、仏典では見かけない。中には書いてある経典があるかも
しれないが、死者の供養を重要視することが仏教ということでもない。

17 :名無しさん@3周年:04/09/05 18:24 ID:4CUxH631
誰かが書いてましたよね。宗教に金がかかること自体がおかしいと。
全くその通りだと思います。
今の仏教教団に金がかかるのは、宗教のためではなくて、教団の運営を
維持するのにかかるのです。だから、不本意ながら(中には嬉々として
やっている坊主もいるかもしれないが)ビジネスに徹するしかない。
そうやって、宗教で一番大切な「生命」と切り売りしてきた。

美衣を売り払いたくなくて、女の体の中心を売るような行為です...

18 :けちゃっぷ:04/09/05 18:27 ID:yJ7MYGHm
ニルヴァーナを見たさん、現代の日本の状況で、住職が生活のために兼業することについては、どう思われますか?今の僧侶(お寺)は「拝み屋」と兼業してます。拝み屋は仏教というより日本の先祖崇拝文化ですね

19 :名無しさん@3周年:04/09/05 18:28 ID:PsK0PmcU
葬式仏教といいますが
それにより、意義のあることもありますよ
それより、葬式を取りやめて、どういった良い方法があるのか
私は知りたいです。

今の時代は、本当の仏教の目的がバラバラで見失われているのでは
ないかと思う次第です。
お寺がどういう運営方法であろうとも、その目的こそが
ベースで引かれているのならイイのではないかと思うくらいです
僧侶がその目的を自覚しているのなら、なんだっていいって。

自分で本当の目的はこれだと思う事があるのですが
思い付きだろと言われたらそれまでですので、だんまりしてますがね
どこをどうとっても、その思うことが100%ならば、
世直しをしたいと、野望を抱いたりしてますが。。。

20 :けちゃっぷ:04/09/05 18:34 ID:yJ7MYGHm
信仰にお金はかからないけれど、お寺(教会)運営には多少お金がかかります。が、実際はそれ以上に葬式やお墓にお金をかけてるんでは?葬式・お墓の費用を信仰費用とごちゃまぜにしてませんか?

21 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/05 18:37 ID:LeA/57j2
仏界は、― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―
に最も通じるものとブッダは説かれ、世の中の平和、人々の幸福、安穏な暮らし、安楽
であることを望み行う人は、仏界に通じる。

仏教が、非行少年の更生などに努めるならば、それが正しい道だと思う。
なぜなら、自分のことばかり考える欲望を少なくするのが、修行のひとつの目的でしょう。
見返りを求めず、世間の幸福を願う人々は、仏に近い。


22 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:09 ID:awDgib9h
釈尊の話にこういうものがあったと思います。

ある人が釈尊に質問しました。

葬式をするとき、ものすごく派手に、豪勢にやったほうが良いのでしょうか?
そうすれば、地獄のようなところにいくことを避けられるでしょうか?

釈尊は答えたそうです。

もし、生前の行いが極めて悪く、
盗み、殺人、強姦などを平然とやってきたものが、
死んで、豪勢な葬式を行ったとして、
その人は地獄にいくことを避けられるでしょうか?



23 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:19 ID:4CUxH631
そう。葬式をド派手にやっても、地獄へ堕ちる人間を救うことはできない。
それでも、少しでも故人の追善に、と豪勢な葬式をやってあげたとしましょう。
これも慈悲心だということで。そうすると、貧乏な連中はこう考えるでしょう。
「金持ちはいいね。生前に俺達から散々搾取しておいて、いざ地獄へ堕ちる
という段になると、金で坊主や阿弥陀仏を買収する。人間、悪いことしてでも
金持ちにならなきゃダメだ」

こうやって、どんどん仏教の教えに反する方向へ行き、世の中がどんどん悪く
なっていく。>>19さんの意見には同意しかねます。

24 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:21 ID:4CUxH631
いくら遺族のためとはいえ、追善供養のためにという名目で葬式を
やること自体が、釈迦の教えに反するのだということを、この際
はっきりさせておきましょう。

25 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:27 ID:Z28tO1aV
葬式仏教でも、人を殺さないだけ、一神教よりもはるかにマシ。

26 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:35 ID:4CUxH631
>>25
葬式仏教では、生きているうちに釈尊の教えで救われたかもしれない
人を見殺しにして、その葬式で儲けているわけだから、一神教と
どっこいどっこいだろうよ。

27 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:42 ID:Z28tO1aV
>>26
「救われる」とは具体的にどういう意味?他者との係わり合いの中に
「今ここ」をひたむきに生きることが救いではないのか。

28 :名無しさん@3周年:04/09/05 19:50 ID:4CUxH631
>>27
それでよいと思いますよ。ところが、普通の人は「今ここ」に徹することが
できない。例えば、車2台が狭い道で鉢合わせする。どちらかが譲ればお互い
に通ることができる。それなのに、どっちが早かっただの、どっちが社会的
に上だので、つまらないことで喧嘩して、両方共損失を被る。そういう場合に、
法句経の「恨みは恨みをやむことによってのみやむ」とかいう釈尊の言葉を
思い出せば、そういう無益な争いから自由になる。そういうのが「救い」だと
思いますよ。

29 :■1将軍(鈴木公一)3悪人韓国逃亡計画10月11日福岡空港より■:04/09/05 20:02 ID:webcxUkc
証拠隠滅で削除された鈴木公一のホームページ(奇跡を呼び込むS氏の能力開発
北海道札幌市手稲区前田9条12丁目4−15

http://66.102.7.104/search?q=cache:wnr-5c1HwqcJ:www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi%3Fm%3D48+&hl=ja
http://66.102.7.104/search?q=cache:wnr-5c1HwqcJ:www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi%3Fm%3D48+&hl=ja
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30 :名無しさん@3周年:04/09/05 20:14 ID:3YZKwf40
>>28
べつに釈尊の教えなどなくても、「人間は一人では生存できない」という
大原則を自覚してれば容易に解決可能でしょう。一般に、苦しみは自己中
心主義から生じ、他者へ視点を移すことにより解消する。

31 ::04/09/05 20:20 ID:8uAb5rAJ
前スレの1です。
いつまでも1じゃおかしいので名前をつけなきゃ
と思いつつ。スレ立てありがとうございました。

32 :名無しさん@3周年:04/09/05 20:25 ID:4CUxH631
>>30
そうです。釈尊だけが説いているわけではありませんからね。
しかし、その一番重要な教えですら、葬式仏教はそれを説くことすら怠って
いる。それが問題です。

葬式に金を注ぎ込んで、来世の福を買おうなんてのは、自己中心主義の最たる
ものだと思いませんか?


33 ::04/09/05 20:47 ID:8uAb5rAJ
>>16 ニルバーナを見たさん。

>「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どう
>か、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的
>に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。」

その続きがどんどんあるでしょう。
1.仏陀言う。仏陀に対して浄らかな信を起こしている人々が遺骨の供養と崇拝は行うであろう、、
2.しかしアーナンダはなおかつ遺骨の供養の仕方についてたずねる
3.仏陀はその方法を教える
4.アーナンダはその教えにしたがって在家の人たちを指導する

そして一番最後の文章は

眼あるヒトの遺骨は八斛ある。
七斛はインドで供養される。
最上の人(=ブッダ)の他の一斛(の遺骨)は、ラーマ村で諸々の竜王が供養する。
一つの歯は三十三天で供養され。
また一つの歯はガンラーラ市で供養される。
また一つの歯はカリンガシ王の国において供養される。
また一つの歯を諸々の竜王が供養している。
その威光によってこの豊かな大地は、
最上の供養物をもって飾られているのである。
このように、この眼ある人(=ブッダ)の遺骨は、
よく崇敬され、種々にいともよく崇敬されている。
天王(=神々の王)・諸々の竜王・人王に供養され、
最上の人々によってこのように供養されている。
合掌して、かれを礼拝せよ。
げにブッダは百劫にも会うこと難し。

大パリニッバーナ経 終る

34 :名無しさん@3周年:04/09/05 20:54 ID:awDgib9h
そう言えば、仏舎利を純金の塔で
囲った寺を見たことがあるよ。
海外だけどね。

35 :名無しさん@3周年:04/09/05 21:00 ID:4CUxH631
横レスでスマソ。

大パリニッバーナ経の「仏舎利供養」の話は、後世のつけたしという可能性は
ありませんか?
仏舎利供養が大流行した際に、お経の中に仏舎利供養を否定するような部分が
あってはまずい。それで、阿難が無理やりに仏舎利供養の仕方を釈尊に尋ねた
ように捏造したのではないか。話の流れを辿っていくと、どうもそういう風に
見えるのですけどね。

36 ::04/09/05 21:08 ID:8uAb5rAJ
>>32 お葬式は、1)遺体を何とかする 2)追善供養をする。
二つに分かれると思います。1)は業者に頼まないと何ともしようが
ないですよね。その業務に僧侶による経典読誦も含まれると思います。
2)は自分でやることもできると思いますけど。費用は見栄をはらな
ければあまりかからないのでは?一円も僧侶に払いたくなければ、
○○○会みたいに「友人葬」でやるしかないですよね。

37 :名無しさん@3周年:04/09/05 21:15 ID:awDgib9h
日本だと、葬式は、
なんつーか、故人を忍みたいな暗いイメージがありますけど、
海外のあるくにでは
お祭りのような感じらしいです。
飲めや歌えや、
死んで良かったね。ハッピーだね。
なんて感じらしいです。w

38 ::04/09/05 21:17 ID:8uAb5rAJ
>>35 そうかもしれませんよね。学者に聞いてみないと。
でも、私の場合はあまりにも表現が詳細でリアルなので信じています。
大乗仏教の経典、大般涅槃経とも矛盾しないらしいし。
さらには、現に経典の通りストゥーパが存在するんですよね。


39 :名無しさん@3周年:04/09/05 21:20 ID:4CUxH631
>>38
...つうか、大乗仏典は、大衆部の僧侶と、仏舎利等の管理者が共同で
作ったものだから、仏舎利信仰マンセーなのは当たり前だと思うのです。
彼等が、大パリニッバーナ経にも手を加えたとすれば、釈尊の教えとは
違う不純物がそこで入ってしまったことになる。

40 ::04/09/05 21:44 ID:8uAb5rAJ
>>39 学者に聞くわけにも行かないので「バウッダ、佛教、小学館」を
読んでみたのですが、経典に記載されているブッダの葬儀の模様は史実
として理解されている見たいですよ。ブッダのご葬儀ですから、それを
執り行ったのは、在家、出家を問わずブッダの直弟子ですよね。
ブッダの直弟子たちが、先を争ってブッダのご遺骨を礼拝供養するため
にそれを手に入れようと狂奔?したわけです。
なるべく経典をストレートに(とりあえずは)読んでいきたいですよね。

41 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/05 22:01 ID:7gfgyTov
「どのような道理によって、修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人については、
人々がかれのストゥーパをつくってかれを拝むべきであるのか?アーナンダよ。(これ
は、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人のストゥーパである)と思って、
多くの人は心が浄まる。かれらはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、
善いところ・天の世界に生まれる。」
―人々は、心が浄まることによって、善いところに生まれる。

マーガ青年がいった「福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげ、他人に飲食物を与え
る人が、祀りを実行するときには、何者にささげた供物が清らかとなるのでしょうか。」
「実に執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制した全き人がいる。―そのよ
うな人々にこそ適当な時に供物をささげよ―バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであ
るならば。〜〜かれは貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起こして、日夜つ
ねに怠らず、無量の慈しみの心をあらゆる方向にみなぎらせる。」
―供物をささげるなら、慈しみの心を起こせるように供物をささげること。森に住み、
 心静まり、無一物で、自己を制した人に供物をささげる者は、慈しみの心があると思
 われる。飲み食いを自由にしている人が、修行とはいえ、この世の楽しみを制してい
 る人に、少しは飲食物の楽しみを、自分が楽しんでいるようになされと思う心は慈し
 みではないか。

42 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/05 22:02 ID:7gfgyTov
「来世においては獲得しようとしているもののために、地獄や畜生の胎内やヤマの世界に
生まれ変わって、種々さまざまな苦難に遭うであろう。」「この世もかの世も望まない」
―自分の来世の有益なはからいを求めて、神仏に供養する人は、心が清まるだろうか。
「(神仏に)願い求める者には、欲念がある」欲念からではないだろうか。

「かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人の遺骨」であると思って、礼拝し心
が清まる。人々は霊的な大きな力の自らへのはからいを求めず、ブッダに尊敬の意をもっ
て礼拝することにより心が清まるということだろう。

「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、ブッダ
と真理の教えとに対して信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっている
ならば、かれらは天界に生まれて、そこで輝く。」

ブッダへの信仰と、尊敬心によって天界に生まれる。


43 :名無しさん@3周年:04/09/05 22:47 ID:F/SaloiN
>>40
> ブッダの直弟子たちが、先を争ってブッダのご遺骨を礼拝供養するため
> にそれを手に入れようと狂奔?したわけです。
直弟子ではなく、在家の人々でしょう。
しかも、遺骨を分けたのは、バラモンでしたね。

44 ::04/09/05 23:30 ID:8uAb5rAJ
>>43 在家の人たちも直弟子ですよ。出家だけが仏弟子じゃないと思うけど。
「ウバイ、ウバソク」(ウパーシカ、女性、ウパーサカ、男性)と言うんで
すよね。
初期仏典では「バラモン」という言葉は「よきブッダの教えの修行者」とい
う意味で使われたり、仏弟子の中の、王族、バラモン、商業者などとして使
われたりしていると思います。
「ブッダに対して浄らかな信仰を持つものたち」がご遺骨を分けたのです。
ブッダ以外の教えの聖職者(あなたの書かれた意味のバラモン)が仏陀のご
遺骨に関与するわけもありません。


45 :名無しさん@3周年:04/09/05 23:35 ID:8zQctmfu
10じゃないが。>>13
葬式仏教の文化継承者と自認して、その事を檀家にきちんと伝える事が必要かと。
ようは、料金体系を明確にして、説法法話は、フィクションであり、仏教を信じ無い
者に強制する事無いように、きちんと戒める。

ようは、家庭で罰が当たるとか、仏壇にせんこう挙げさせるとか、
墓参りに行かなかったら、酷い奴だとか、そーゆう事言わせないように、
坊主がきちんと戒める。
説法法話は方便で、信じられない者に対して無用に猜疑心とか、先祖が苦しむとか、
そーゆう事を家庭で言うのは、邪教も邪教じゃ程度は、毎回言えば良いんじゃないでしょうか?
証券会社や、不動産会社が、重要事項の説明をするような感じで。


で、念仏者としての自覚があり、信念が有るならそれはそれで、
個人の自由なので、好きにすれば良いでしょ。

最初にフィクションで有ると断った程度で、信者が信じられなくなる
程度の教えなら、仏教2500年の歴史は、詐欺だっと言う証明で有りますな。

>>43
言い訳にならないと思います。


46 :けちゃっぷ:04/09/05 23:44 ID:yJ7MYGHm
僕は、罰が当たるとか言ったことないです。僧侶というだけで偏見があるのでは?
料金体系というのが難しいんですよね。本来はサービスの代金じゃなく、お布施ですから。

47 :名無しさん@3周年:04/09/05 23:48 ID:8zQctmfu
>>46
だから、坊主が直接言わなくても、馬鹿な親戚縁者がそういうことを
言うんだって事、その結果親戚中から金集める事になる。

坊主が、自身の口で、そんな行為は仏の教えに反するから、
破門するって檀家に宣言すれば良い。

自分の手を汚してないから、自分は正しいってのは、麻原の
言い分だろ。

48 :けちゃっぷ:04/09/05 23:54 ID:yJ7MYGHm
先祖を大切にという儒教的な日本の慣習を各家庭が大事にする分には、僧侶が口出しする必要ないでしょう。本を足でまたいでも罰が当たるとか、昔はそんな教育だったし。

49 :けちゃっぷ:04/09/05 23:56 ID:yJ7MYGHm
でも、質問されたら、「仏教に忌みなし」が基本です。神道は、昔から血のケガレとかを気にして生理中の女性はお参りできないとかありましたが、仏教にはそんなのありません。日本文化としては各家庭の問題。

50 :名無しさん@3周年:04/09/05 23:59 ID:8zQctmfu
>>48-49
都合良い事には、無責任って事で、信者が勝手に人を殺しただけで、
そこまでは知らないと言い切ってしまうなら、麻原だよね。

不動産やとか、証券会社が、法律で重要事項を説明させられてるのは、
そーゆう麻原的な言い分を認めないって訳で。

51 :けちゃっぷ:04/09/06 00:04 ID:+yxZYOQu
葬式の時は神様と仏様がケンカしないよう神棚を紙で隠すとか、仏教的には何の根拠もないので、やらなくていいよと言いたいところですが、慣習として昔から継承されてるので、尊重すべき点もあります。

52 :マンゴー先生:04/09/06 00:35 ID:UHIY2N+1
>>49 >>51
そうですね。安心を与えるのが仏教者の務めかと思いますので。
これは仏の教えでないから駄目だと徹底的に否定ばかりしていては、原理主義に
陥ってしまいますからね。

53 :マンゴー先生:04/09/06 00:42 ID:UHIY2N+1
>>37
日本でも昔は飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだったようですよ。
死んで良かったねという意味ではなかったと思いますが。
それはおそらく、故人が不安で淋しくならないように慰めるためだったのだと思います。

54 :マンゴー先生:04/09/06 00:46 ID:UHIY2N+1
>>36
お葬式の重要な部分に引導がありますよね。これは友人葬では出来ない。
まあ、これは宗教体験を持たない僧侶が形だけやるなら、やらなくても同じでしょうが。

55 :マンゴー先生:04/09/06 00:49 ID:UHIY2N+1
>>32
葬式は故人の為にやるんですから、自己中心主義ではないでしょう。

56 :マンゴー先生:04/09/06 00:53 ID:UHIY2N+1
>>30
そうですね。その自覚を促すのが釈尊の教えです。
釈尊の教えを道徳とか金言だと思っている人は、新興宗教にハマるタイプですので
注意が必要です。

57 :名無しさん@3周年:04/09/06 01:48 ID:pr/49Mnb
>>56
釈尊の教えにも、問題点は多々ありますよ。神格化するのは釈尊の本意では
決してないでしょう。

58 :名無しさん@3周年:04/09/06 01:52 ID:XQDiaCFn
>>56-57
だから、フィクションで有ると断る必要が有るのでは?
と思うんだけどね。
新興宗教にはまるタイプをはまるに任せるのが、大乗なら、
君達の言い分には少しだけ、利が有る。

59 :コーク港:04/09/06 03:03 ID:Uo4/tY1V
私の回りの坊主は、檀家に気を使っているし、逆に腰が低いですよ、坊主が偉そうだとかは学会関連の会報以外では余り目にしませんよ。
まあ裕福な寺があるのは認める

60 :名無しさん@3周年:04/09/06 05:09 ID:BHJCvbAE
>>12

どんな宗教にもいえるんだけど、、
宗教的に勝っているんだという優越感に
とどまるよりは、他人のために生産活動をする方
がよっぽど人のためになっている。

宗教を他者のためにいかすことは、
なにも宗教説法である必要はないんじゃないかい。

61 :名無しさん@3周年:04/09/06 08:13 ID:dG8EVVFj
>>60

禿同です。いずれか一方しか許されないと思う。
A) 法のために、一切の物欲を捨てて、生産活動からも身をひく
B) 他人のために、生産活動で汗を流す

「法のため」と称して、やらずぼったくりで「お布施」を懐にするのは、
地獄逝き「火の車1号」の指定券特急券だと思ふ。


62 :61:04/09/06 08:16 ID:dG8EVVFj
ただ、A)をやる人がごく少数は必要でしょう。日常生活に埋没したら
人間は堕落するから、堕落を阻止するための「預言者」が、定期的に
警告することが必要。今の坊さんは、「預言者」の役目を果たしとらん
よね。

大多数の人間はB)の道を歩くべきだと思います。

63 :名無しさん@3周年:04/09/06 08:35 ID:pr/49Mnb
>>61
>日常生活に埋没したら人間は堕落するから、

おかしなこと言うなよ。「堕落」とは具体的にどんな意味で、誰が判断する?
日常生活を軽視して宗教などにうつつを抜かすことこそ、「堕落」ではないのか?


64 :61:04/09/06 08:42 ID:dG8EVVFj
>>63
「堕落したと感じない麻痺状態を堕落と呼ぶ」のだから、日常生活に埋没して
いる限り、誰も判断できませんよ。まわりにアル中しかいないところに居る
人に「酒は身体に悪い」と言っても理解されないのと同じ。

ただ、日常に埋没しながらも「これはいくら何でもあんまりじゃないか」と
いう出来事に出くわすのは確かで、それを「堕落」と考えるかどうかは、その
人の人生観によるでしょう。「堕落」という意識がない人には宗教など初めから
縁がないのです。

65 :61:04/09/06 08:45 ID:dG8EVVFj
宗教というのは、「できる、できない」という価値判断とは別に
「してもよい、してはいけない」という価値判断を与えるものです。
この組み合わせから
「できるけど、してはいけないからしない」という行動パターンが
生まれる。それが「勧善懲悪」です。「できることは、何でもやって
いい」というのが「堕落」だと言ってよい。

66 :名無しさん@3周年:04/09/06 08:47 ID:XQDiaCFn
>>61
日常生活してると、坊主の堕落ぶりが目に余るのですが、
これは、お前のかーちゃんでべそ、てな議論かと。

日常生活者が堕落してるとすると、その上がりを食うテル
坊主が生活出来てるのは、経済学上の不思議としか言えません。

67 :61:04/09/06 08:49 ID:dG8EVVFj
不思議でも何でもありません。
坊主自らが、堕落の片棒を担いでいるんだから。
今のシステムで坊主が食っていけるのは、坊主が堕落したから。

68 :61:04/09/06 08:52 ID:dG8EVVFj
本物の宗教家が、まったく堕落せずに、しかも堕落した世間に素手で
立ち向かったら、必ず殺されます。イエスキリストみたいに。


69 :名無しさん@3周年:04/09/06 08:54 ID:pr/49Mnb
>>64
「堕落したと感じない麻痺状態を堕落と呼ぶ」のなら、日常生活から離脱し、
観念の世界にのめりこんだ宗教こそ麻痺状態でしょう。「今ここ」をひたむきに
生きることこそ、佛教の窮極的な教えではないのでしょうか。あなたは佛教者で
はない。

70 :名無しさん@3周年:04/09/06 08:55 ID:XQDiaCFn
>>65
宗教でしか人は倫理観を養えないと言うのは、宗教家の驕りです。

>「できることは、何でもやっていい」というのが「堕落」だと言ってよい。
言える事ならなんだって言う宗教自体が堕落の始まりじゃないですか(w



71 :61:04/09/06 09:02 ID:dG8EVVFj
>>69
自分の「今ここ」で行っている生産活動に集中すればよいというのは正しい。
ところが、実際にそうはなってないのですよ。あいつはサボってばかりいる
のに、給料が同じなのは怪しからんとか、バーナス査定が近づいたから、
必死こいたふりをしておこうとか、自分から地獄の種を撒いている。

それを指摘するのは、日常生活の外にある人に限られると思います。なぜなら、
誰だって気付いたら「堕落」しているという危険があるから。誰でも生活が
かかっていますからね。

私は道元禅師を尊敬していますし、「今ここ」にひたむきに生きるということ
の重大さも理解しています。しかし、それだけでは個人で終わってしまう。
社会全体に広げるには、越後の山の中の永平寺にこもっているだけではダメで
しょう。だから命を的にする「預言者」が必要なのです。

72 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 09:03 ID:DvUHYyPu
>>68の方は、キリスト教の観点から見た、仏教界のことですね。

キリスト教における聖職者と、
仏教における坊主は、まったく違うかと思います。

73 :61:04/09/06 09:05 ID:dG8EVVFj
>>70
アンチテーゼを拒否することで、あなたは弁証論を否定されるわけだ。
それでは一歩も進みませんね。勝手に朽ち果ててしまってください。

74 :61:04/09/06 09:07 ID:dG8EVVFj
>>72
おや、現代仏教の堕落ぶりを象徴する狸親父の御登場だ。

75 :名無しさん@3周年:04/09/06 09:14 ID:XQDiaCFn
>>73
うーん。困りましたね。
弁証の彼方に、実態を伴った確信が出てくるのなら議論出来るのですが、
信じろ、信じられないに、行くとなれば、議論の方向を打ち切りたくなります。

倫理観は宗教によらないってのは、どうなんです?


76 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 09:16 ID:DvUHYyPu
>>71
>越後の山の中の永平寺にこもっているだけではダメで

永平寺は福井県で、越後は良寛かとおもいます。

77 :61:04/09/06 09:24 ID:dG8EVVFj
>>75
「信じろ、信じられない」の二極論へ行く前に、(個人差があるでしょうけど)
実体を伴った確信のかけら位はあると思います。俗に言う「良心」がそれでは
ないでしょうか。

釈迦は「悪いことをすれば、悪いことをする時に心を苛まれ、後でまた後悔して
心を苛まれる。だから、悪いことをするな」と言っています。宗教がなくても、
倫理はあるし、万人が良心の命じるままに生活できれば、もしかすると宗教など
いらないのかもしれない。

結局のところ、「死後の生活、ありやなしや」に帰着するのだと思います。
そこから先は、「信じろ、信じられない」の二極論になるでしょうね。ただ、
仮に「死後の裁き」なるものがあるとして、生前は死後の生活を否定しながら
も良心に従って生活した人は、ちゃんと裁きをパスするだろうと思います。

いずれにせよ、「信じる、信じない」で死後の運命が決まるなどというのは
ナンセンス以外の何ものでもないと思います。その種の迷信を武器にして、
なりふり構わず布教したことが宗教の堕落の始まりだと思います。

78 :61:04/09/06 09:33 ID:dG8EVVFj
>>76
うむ。越前の誤りでしたね。

79 :名無しさん@3周年:04/09/06 09:37 ID:XQDiaCFn
>>77
>その種の迷信を武器にして、なりふり構わず布教したことが宗教の堕落の始まりだと思います。
ハゲドウですな、そして現在に至るまで、この弊害ばかりがクローズアップされ、
信じる事が面倒くさい人間が、我欲におぼれて生きていくのを逆説的に助けてる
面もある訳です。

貴殿が何度か書かれているように、宗教を信じないから倫理観が無く、堕落してる。
となれば、堕落し、倫理を毀損したい人間とっては、宗教を信じてないから、
倫理観に従わず、堕落という指摘は、宗教家の戯言などと言うエクスキューズまで
与える始末です。
中には自分自身の内なる良心すら否定しまってる人なんかも見ますね。
#滅多にはいませんが…

あたしは、人の良心は宗教に頼らずとも個々個人が持ってると思いますよ。

80 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 09:41 ID:DvUHYyPu
仏門に入る。というのは、そもそもが世俗を捨てているから、
その時点で堕落?(キリスト教の原罪とは違う)
しているかとおもいます。

仏教徒というのは、キリスト教みたいな聖職者ではない。

現在の僧侶というのは、この出家者とは違う。
そこを明確にすれば迷うことはない。

81 :名無しさん@3周年:04/09/06 09:42 ID:dG8EVVFj
>>79
禿同の自乗です。

堕落した宗教によって、倫理そのものが骨抜きにされてしまった。さらに、
倫理が迷信化した宗教とともに、暗黒時代の遺物として打ち捨てられようと
している。盥の水を捨てようとして、中の赤子まで川に流してしまった図
ですね。

>あたしは、人の良心は宗教に頼らずとも個々個人が持ってると思いますよ。
これには異論ありません。

82 :名無しさん@3周年:04/09/06 09:46 ID:dG8EVVFj
>>80
あなたは、本気でそう書いているんでしょうね。釈尊の出家を貶めて
おいて、どの面下げて仏教徒なとど自称できるんだろう。厚顔無恥と
しか言いようがない。

>迷うことはない。
迷わず、さっさと無間地獄へ逝ってくれ。

83 :1:04/09/06 10:00 ID:4OVGRWmU
>>41 ニルバーナを見たさん。

>「実に執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制した
>全き人がいる。―そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ

「供養すべき人」の記述ですね。


84 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 10:11 ID:DvUHYyPu
>>82
出家する。というのは、ルンルン気分で出家するわけではない。
家族を捨て、国を捨て、その捨てた重い荷物を背負っているのが出家ということだよ。

出家には、そこに泣いている人間もいる。

発菩提心がなければ、そこまではできない。
これを乗り越えてこそ菩提心といえる。


85 :マンゴー先生:04/09/06 10:16 ID:h3pH8dmg
良心というのはまた難しい問題をはらんでいるんですよね。
すなわち時代や社会に「植えつけられた良心」の問題。
ですから本当に自分が良心に従って行動しているのか、それともただ操られている
だけなのかの判断はとても難しいのです。
だから釈尊は「自己を見つめなさい」とおっしゃったのですね。
徹底的に自己を観察しきったところに、自己実現がある。自己の存在意義が分かる。
大慈悲を感得して為すべきことが見えてくる。ここまできてようやく大いなる倫理につ
ながってきます。それが宗教。
宗教の裏づけのない倫理は単なる道徳です。

86 :マンゴー先生:04/09/06 10:21 ID:h3pH8dmg
仏教は信じる、信じないではないんですね。
これは前スレでも書きましたが、仏教における信とは信楽、すなわち体験による
実感、生かされているという大慈悲の確信なのです。


87 :1:04/09/06 10:24 ID:4OVGRWmU
>>80 机さんこんにちは。

>「実に執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制した
>全き人がいる。―そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ

「現在の僧侶というのは、この出家者とは違う」

現在の出家者がどういう生活形態を取るべきかはなかなか難しい
問題ですね。巨額の不動産を抱え、なおかつ蓄財に励む、なんて
いう出家者?はあり得ないですけど。

88 :名無しさん@3周年:04/09/06 10:27 ID:XQDiaCFn
>>86
>実感、生かされているという大慈悲の確信なのです。
ふむ、これも実は仏教の方法によらずとも得られるもんだと思うぞ。
仏教では体系化を試みた残滓が宗教となって残ってるが。

となると、仏教のやりかたを信じるか、信じないか、の問題になる。


89 :マンゴー先生:04/09/06 10:28 ID:h3pH8dmg
>>60
そのとおりですね。私たちは私たちができる範囲で人のために役に立とうと努力
すればよいのです。
そうした自覚を促すのが宗教の役割の一つ。

90 :マンゴー先生:04/09/06 10:33 ID:h3pH8dmg
>>58
法事と勉強会とで分けたらよいかと思います。
法事は非日常の場ですから、論理性や合理性を持ち出してはいけません。
けれども勉強会は日常の場ですから、阿弥陀様の話を通して経典の本当に言いたい
ことというのはこれこれこういうことなんですよ、ときちんと解説すればよいと思います。

91 :マンゴー先生:04/09/06 10:39 ID:h3pH8dmg
>>88
そうですね。その通りです。
仏教だけが世界を救えるとなってしまうと、世界中の人がキリスト教徒になれば
平和になるといって侵略戦争を繰り返す一神教の二の舞になってしまいますから。
どんな方法でもよい、ただ少なくとも釈尊の教えに従えば自己実現が果たせること
は間違いありませんよ、ということ。

92 :名無しさん@3周年:04/09/06 10:44 ID:XQDiaCFn
>>89
字が読めないのかなぁ…

>そうした自覚を促すのが宗教の役割の一つ。
その役割を果たしてない。という話なの。

>>91
>ただ少なくとも釈尊の教えに従えば自己実現が果たせること
>は間違いありませんよ、ということ。

「間違いない」事を信じる信じないを除いて論証してください、
って話です。論証が不可能なら、坊主見て有り得るなぁと
思えるか?って話なんですよ。

-------------------------------------------------
マンゴーさんも、議論蒸し返すのみが目的なら、机さんと
遊んでて欲しい物です。

93 :1:04/09/06 10:58 ID:4OVGRWmU
>>86 マンゴー先生。

>仏教における信とは信楽、すなわち体験による
>実感、生かされているという大慈悲の確信なのです。

これは仏陀の教えにはないですね。仏教ではありません。
仏陀における信とは、「ブッダ・ダルマ・サンガ」を受け
入れ学ぶことです。

94 :61:04/09/06 10:58 ID:dG8EVVFj
横レスですが...>>88

>体系化を試みた残滓が宗教となって残ってる

という表現が大変に気に入りました。既存宗教は、真理を持っているのでは
ない、真理の体系化の試案を持っているにすぎないのですね。だから、
本来釈迦が説いた教えは「信じる信じない」には関わらないと。

「阿弥陀仏を信じる信じない」というのも、残滓から出た迷信にすぎない。

95 :1:04/09/06 11:12 ID:4OVGRWmU
>>94 61さん、

仏教の真理 その1 「善因良果 悪因苦果」

ブッダは「良きことをすれば良き結果が得られ、悪しきことを行えば
悪しき果実を受け取ることになる」といわれるですが。いかがですか?

96 :61:04/09/06 11:19 ID:dG8EVVFj
ちょっとわかりにくいので、追加説明します。

[本来の信仰]
釈尊が説いた教え「自分の良心に忠実に生きろ。なぜなら、この世の自分
なんてかりそめの存在にすぎないのだから。」
-->日常生活への実践(信じる信じないに無関係。また、やるやらないは個人
の自発性に任される)

[実際の仏教信仰]
大衆は、釈尊の説いた教えではなく、仏舎利信仰へ走る
-->真理の体系化の試案として数多くの教典が書かれる
-->そのひとつに阿弥陀仏信仰が含まれていて、「信じれば救われる」と教えた
-->自発性ではなく、強制的な教えに変貌(「信じなければ救われない」)
-->葬式という儀式として、暗に義務化する
-->文献考証によって、阿弥陀仏はフィクションだということが明らかになる。
しかし、いまだに過去の残滓が迷信として残っている。

97 :61:04/09/06 11:24 ID:dG8EVVFj
>>95
文字通り解釈すると、バラモン教の輪廻思想を肯定しているように見えますね。
その場合には、輪廻に対して「信じる信じない」が問題になるでしょう。
しかし、「悪いことをすれば、良心が咎める」ないし、「悪いことを続ければ
最後には麻痺して、下劣な人格になってしまう」というのを「悪い果実」と
見なせば、「信じる信じない」によらず、真理だと思います。

98 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 11:29 ID:DvUHYyPu
>>87
>現在の出家者がどういう生活形態を取るべきかはなかなか難しい
>問題ですね。巨額の不動産を抱え、なおかつ蓄財に励む、なんて
>いう出家者?はあり得ないですけど。

出家者というても、なんらかしか世俗にパラサイトしなければ食べていけませんね。
乞食とかやって食べていくのが一番いいのでしょうけど、
この飽食の日本にあってはそういうことはできません。

檀家制度というのは、公式に世俗との接点を整備した。
という観点なら、功罪はあるにしても、まあどうにか現在までは持ち応えている。
これから先はどうなるかわかりませんが・・。

ああ、でもこういう僧侶の世界というのは、私には別世界ですね。
いわゆる宗派はそのまま【ブランド】になってますから、
市井の人間には無縁ですね(葬式以外は・・)。
そうでなくてはブランドの既得権は保持できない。
いわゆるこれが資本主義なんでしょうね。

上手に、しかも巧みにこのシステムを作ってしまった。
まあ、これが人の世というもんなんでしょう。




99 :マンゴー先生:04/09/06 11:30 ID:h3pH8dmg
>>92
随分と倫理感のないお言葉ですね…。
つまり貴方は、今の坊さんを見てたら仏教は信じられないから信じません、と
おっしゃりたいのでしょうか?
それでしたら、別に仏教を信じないから地獄行きってわけではありませんから
どうぞとしか言いようがないのですが。議論もなにもない。机さんと遊んでいる
方がましってもんです。
ちなみに今の坊さんのあり方が正しいとは私も思ってはいませんよ。
私はただの釈尊マニアですので。

少し落ち着いて自己をよく観察してみてください。
苦しみ悩みは確かに怒りや貪りから生まれるなぁと思いませんか?
怒りや貪りは自己中心性から生まれるなぁと思いませんか?
そうやって実際にやってみれば、仏教は信じる信じないの問題ではないことが
分かってくるかと思いますよ。



100 :61:04/09/06 11:42 ID:dG8EVVFj
>>99 横レス、スマソ。

結論は、
>仏教は信じる信じないの問題ではないことが分かってくるかと思いますよ。

だから、92さんと同じなわけですね。
それに、>>92のどこを指して倫理観がないのか、私には理解できませんが。



101 :1:04/09/06 11:43 ID:4OVGRWmU
>>96 61さん、

[この世の自分なんてかりそめの存在にすぎないのだから。」

「自分の良心に忠実に生きろ。」

こんな仏教はないですよ!

102 :マンゴー先生:04/09/06 11:43 ID:h3pH8dmg
>>93
それは信というより、三宝帰依かと思います。
帰依とは自己を全て投げ出すということ。

103 :1:04/09/06 11:47 ID:4OVGRWmU
>>97 61さん、すごく不思議な概念なんですよ

善因→良果  悪因→苦果 

これがどうつながっているのか。
良心がとがめるとか、人々に嫌われるとかそういう理屈で分かることではなく、
次元を超えてこのパターンがつながっていて、必ずその結果は出る。というのが、
仏教の第一?法則なんです。

104 :61:04/09/06 11:49 ID:dG8EVVFj
また舌足らずな文章になってしまった...

仏教が「信じる信じない」の問題ではないということについて、結論
が同じなのだから、マンゴー先生お得意のマズローあたりを引用して、
「他人から与えられた理想像をコピペしたり、阿弥陀仏のような偶像に
自分の自由を売り渡すことで自己実現はできない。自己実現の一歩とは、
自分が信じる善悪に忠実に生きることから始まる」とでもおっしゃれば
よいのですよ。

神秘では自己実現できないということはおわかりだと思いますが。

105 :マンゴー先生:04/09/06 11:51 ID:h3pH8dmg
>>100
>字が読めないのかなぁ…
などと人格非難をしたり、

>マンゴーさんも、議論蒸し返すのみが目的なら、机さんと 遊んでて欲しい物です。
などと存在否定をしたりするところですよ。

宗教の最も大事なところは、大慈悲の感得による大いなる倫理感の獲得かと思っています。

106 :61:04/09/06 11:53 ID:dG8EVVFj
>>103
法則というならば、それを統計的に実証する必要があります。
私も「善因→良果、悪因→苦果」という法則であってほしいとは思いますが、
仏教が説くように、「応報が来世に引き伸ばされる場合もある」などと言われる
と、証明不可能なものになってしまいます。

107 :1:04/09/06 11:55 ID:4OVGRWmU
>>98 机さん、私は新人の公務員程度の生活と宿舎でお坊様方が
満足されれば、世間も「ああ、あのお坊さんは正しい出家生活を
送っておられるな」と思うのではないかと考えるのですが。でも、
これは外野(在家のもの)がとやかく言うことではないですよね。
自らを律するのが出家というものですもの。

2500年前のように乞食生活をしなくても良いのではと思うんで
すよが。この前テレビで見たお坊さんは、お布施を握って近所の
取り巻き連中と焼肉屋さんに走ってましたね。

108 :61:04/09/06 11:55 ID:dG8EVVFj
>>105
それは誤解ですよ。どんどんと議論が進んでいくのに、マンゴー先生
は過去レス単発だけを見て単発的にレスされてますよね。だから、
真剣に議論している側から言うと、「議論の蒸し返しをやっている」
という批判になるのです。

正直言うと、私も同じような苛立ちを感じましたよ。

109 :名無しさん@3周年:04/09/06 12:00 ID:XQDiaCFn
>>94
>本来釈迦が説いた教えは「信じる信じない」には関わらないと。

ちょっとニュアンスが違う。
釈迦の解脱を信じてるはずの坊主や現存宗教が
信じてるとは思えない行動してるって事で。

ここが担保されて初めて、じゃあ仏教をどう捕らえるか?
釈迦の教えを信じてみるか、否か、の決断が出来るんですよ。

坊主自体が信じてない者を在家が信じられるか?
と言うとそりゃ無理ですがな。
で、有っても構わんか?と言えば害ばかり目に付くと。


110 :名無しさん@3周年:04/09/06 12:03 ID:XQDiaCFn
で、書いておくと、お釈迦様が悟りを得たと言うのは、
あながち嘘じゃないかもしれない。とは思ってますが。
それは失われてしまったと。(末法思想という訳じゃありません)
お釈迦様の悟りはお釈迦様の物。

111 :1:04/09/06 12:06 ID:4OVGRWmU
>>99 マンゴー先生
>苦しみ悩みは確かに怒りや貪りから生まれるなぁと思いませんか?
>怒りや貪りは自己中心性から生まれるなぁと思いませんか?

【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]

無明から→行が→行から→識が・・・・→そして生・老死が→
生・老死から→悲、愁、苦、悩 が起きるのです。
愛・取は貪りであり、思い通りにならないときに怒りが起きるのです。


112 :1:04/09/06 12:10 ID:4OVGRWmU
>>102 一生懸命阿弥陀様を念じて、とてもいい気持ちになって、
「ああ私は阿弥陀様の大慈大悲で生かされているんだ」と思い込むことは
仏教ではありません。
それは一生懸命働いて、自宅に帰ってお風呂に入り「ああ今日もよく働いた!」
と思うことと同じです。共に素晴らしい?ことではありますが。

113 :1:04/09/06 12:12 ID:4OVGRWmU
>>105
>宗教の最も大事なところは、大慈悲の感得による大いなる
>倫理感の獲得かと思っています。

これはあなたがそう思っているだけです。
裏づけとして仏陀の言葉の引用を出さないと、
仏教スレッドでは意味がないですよ。




114 :名無しさん@3周年:04/09/06 12:23 ID:dG8EVVFj
>>112
1さん、いいこと言うなあ。

その素晴らしい体験は、誰にでも与えられたもので、本来は名前が付いてない
のに、ある教団は「阿弥陀仏」というレッテルを貼り付けて、あとで請求書を
寄越しやがるんですよ。このやり口を「我田引水」とも言いますがね。

115 :1:04/09/06 12:34 ID:4OVGRWmU
>>106 61さん
>法則というならば、それを統計的に実証する必要があります。
>私も「善因→良果、悪因→苦果」という法則であってほしい
>とは思いますが

仏教の法則は統計学の範囲(範疇)を超えています。
ブッダ(ニルバーナを得た人)はもはや人間ではなく、その提示する
真理は人間の理解を超えているからです。

ですから仏教を学ぶ場合に、第一に決めなければならないことは
「仏陀の蚊帳の中に入るかどうかです」。仏陀の蚊帳の中に入るとは、
今までの自分の見解をすべて捨て去って、脳内を全く真っ白にして
仏陀の教えに耳を傾けるのです。
「善因良果、悪因苦果」もそうやって、とりあえずは受け入れる。

「私はブッダの蚊帳の中には入らないよ」とおっしゃる方は、蚊帳の
周辺でその教えの様子を窺うしかないんですね。

(もう少しかっこ良く言うと、仏教では「ブッダの言葉が公理」です。)


>仏教が説くように「応報が来世に引き伸ばされる場合もある」など
>と言われると、証明不可能なものになってしまいます。

上記の公理を使うと証明可能なんですね。(これは言葉の遊びですが)

116 :1:04/09/06 12:44 ID:4OVGRWmU
>>110 さん
>お釈迦様が悟りを得たと言うのは、
>あながち嘘じゃないかもしれない。

あの時代大勢の人が仏陀の教えの通り実行してニルバーナを
得ていますよね。方法があり結果があった。仏陀に続いて
最初に悟りを得たのはコンダンニャ。ブッダと一緒に苦行を
行った5人の仲間の一人。この人はブッダの話を聞くだけで
涅槃を得ることができた。

>お釈迦様の悟りはお釈迦様の物。
しかし、悟りへの登攀ルートはしっかり残されている。

117 :けちゃっぷ:04/09/06 12:52 ID:+yxZYOQu
四諦説を軸に考えると仏教がわかりやすい。弟子に性欲を制御させる時、釈尊は「美人も一皮剥けばクソ袋」だと説きます。普段から女性をクソ袋扱いするのじゃなく、性欲を制す必要がある時は、そう「みなす」。

118 :けちゃっぷ:04/09/06 12:55 ID:+yxZYOQu
何か苦悩に出会つて、不幸感に苛まれた時、不幸感を制御するには、自分が無条件に幸福であると「みなせ」ばいい。そのために、自分は救われてるんだと「みなす」修業が、念仏です。

119 :1:04/09/06 12:55 ID:4OVGRWmU
>>102 マンゴー先生
>>93
>それは信というより、三宝帰依かと思います。
>帰依とは自己を全て投げ出すということ

これが仏教の極意だと思います。
私も、さんざん勉強して、とことん理屈をこね回して、
最後の最後にたどり着いた結論がこれです。

120 :名無しさん@3周年:04/09/06 13:01 ID:dG8EVVFj
けちゃっぷさんは、>>109にどう答えるのでつか。

121 :名無しさん@3周年:04/09/06 13:02 ID:dG8EVVFj
そういう修行を積んだ坊さんが、「こんな体たらく」では、とても信じられ
ません、ということなんですけど。

122 :名無しさん@3周年:04/09/06 13:04 ID:pr/49Mnb
>>115
「ブッダの言葉が公理」などと言ったら誰も佛教など信じませんよ。
それでは悪名高いキリスト教福音派やイスラム原理主義と同じになって
しまう。根拠も定かでない大昔の言葉を誰が公理だなどと決めたのですか。
大体のところを人生の参考に利用するだけのものです。釈迦が本当に偉い
人なら、後世の人に「公理」などとして盲信されることは、決して彼の
本意ではない筈です。優れた教師にとっては、弟子が自立し、師を超えて
くれることこそ最大の喜びなのです。

123 :1:04/09/06 13:05 ID:4OVGRWmU
>>117 けちゃっぷさん、
四諦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』
四諦(したい、catvaari aaryasatyaani、चत्वारि आर्यसत्यानि)
四聖諦ともいわれる。聖諦とはサンスクリット語で「神聖なる真理」という
意味である。パーリ語では「アリヤ・サッチャーニ」(ariya-saccaani)とい
われる。
釈迦は成道の後、鹿野苑(ろくやおん、ベナレス)において、初めて五比丘の
ために法を説かれた(初転法輪)。この時、釈迦はこの四諦を説かれたといわ
れ、四諦は仏陀の根本教説であるといえる。
四つの真理とは、
人生は苦であるという真理と、
その苦の原因は人生の無常と人間の執着にあるという真理と、
この苦を滅した境地が悟りであるという真理と、
その悟りに到達する方法は八正道であるという真理である
であり、これを順に苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦と呼ぶ。

最後の八正道というのはちょっと疑問ですね。「道」は八正道
だけではないから。

美人の話は四諦とはちょっと違うかも。どんな美男でも美人でも素粒子の
集合に過ぎない。
無明→行→識→名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死、、
無明であるがゆえに、分子や原子の集まりに、美人という名色をつけ、
六入を通じて「触・受・愛・取」する。ああこれ凡夫なり。


124 :1:04/09/06 13:07 ID:4OVGRWmU
>>118 そんな事いうと「宗教は麻薬だ」と言われるよ。
阿弥陀信仰はモルヒネですか?

125 :名無しさん@3周年:04/09/06 13:12 ID:dG8EVVFj
>>124

けちゃっぷさんには悪いが、すでに彼自身が半分モルヒネ中毒にかかっている
んだと思うよ。なんと言うか、カルト宗教の信者と同じような雰囲気を感じる。

126 :1:04/09/06 13:17 ID:4OVGRWmU
>>122 公理は盲信するものじゃないですよ。
公理は取捨選択するものです。その公理系を取るか取らないか
決定するのはあなた自身。そのために勉強するんでしょう?

仏教には、仏陀によって提示された「真理」と呼ばれる証明不能
な命題群があり、それを前提に教えが構成されているということ
です。

(ここからは作り話)
ブッダに「そんないい加減なことでいいの」と迫ってみたところ、
お答えは「君も涅槃を得てみれば分かるよ」でした。
「涅槃はよきものなのですか?」と再度問い直すと。
「涅槃を得た人たちの様子を見なさい。輝いているでしょう」。



127 :1:04/09/06 13:22 ID:4OVGRWmU
>>125 さん。カルトの定義があって、

仏教系では「ブッダ、ダルマ、サンガ」に信を置いていないものは
カルトです。けちゃっぷさんは「帰依三宝」されていますので、カ
ルト患者ではないです。でも、けちゃっぷさん仏陀のことは忘れが
ちだよね。一回ちゃんとスッタニパータでも読みましょうよ!!!

128 :名無しさん@3周年:04/09/06 13:26 ID:dG8EVVFj
>>127
そうですか...
しかし、「三法」そのものが贋物の場合だってあるんじゃありませんか。
現に、>>109さんの論点は、現代の「三法」は、行動を見る限り贋物だという
批判ですよね。

129 :名無しさん@3周年:04/09/06 13:28 ID:dG8EVVFj
帰依仏:釈迦ではなくて架空の存在である阿弥陀仏
帰依法:釈迦の教えの実践ではなくて、念仏
帰依僧:釈迦の教えを実践するサンガでなくて、念仏集団

130 :マンゴー先生:04/09/06 13:58 ID:h3pH8dmg
>>108
私にとって興味があることは、僧侶がどうあるべきかではなくて、私たちはどう生きるのか
でありますので、皆様と論点がずれていたとしたらご容赦下さいませ。

131 :マンゴー先生:04/09/06 14:01 ID:h3pH8dmg
>>113
釈尊の言葉も大事ですが、釈尊の生き様も大事かと思います。
釈尊の最後の旅において「世界は美しいね」とおっしゃった釈尊の心境が
胸にこたえます。

132 :マンゴー先生:04/09/06 14:03 ID:h3pH8dmg
>>114
>その素晴らしい体験は、誰にでも与えられたもので、本来は名前が付いてない
まったくそのとおりですね。
その体験をなんとか言葉に表したい、形に表したい。芸術家に似ているかもしれません。

133 :マンゴー先生:04/09/06 14:05 ID:h3pH8dmg
>>116
>しかし、悟りへの登攀ルートはしっかり残されている

そのとおりですね。
そして実際に登ろうとしてみなければ、素晴らしい景色を見ることはできない。

134 :マンゴー先生:04/09/06 14:32 ID:h3pH8dmg
>>119
私も帰依・帰命こそが極意だと思います。
自我(自己中心性)を離れて依所(般若波羅蜜多・いのち)へ帰りましょう。


135 :けちゃっぷ:04/09/06 17:37 ID:+yxZYOQu
僕は大乗仏教の立場で釈尊を信じてますので、後の弟子や僧侶が説いた教えや修業法も含め、すべてを信じています。また、戒を授かり、守ろうと努めていますが、現実には守れていないのです。

136 :けちゃっぷ:04/09/06 17:40 ID:+yxZYOQu
たとえば、家でゴキブリをみつけても、ホウキとチリトリで捕まえて窓から逃がしています。でも、蚊取り線香は薫いてしまいます。噛まれるから。噛まれるままでも死にゃぁしないのに…。それが僕の弱さです。

137 :けちゃっぷ:04/09/06 17:46 ID:+yxZYOQu
>124 釈尊は悟る前から無我や無常の概念を知っていたでしょうか?僕は違うと思う。人生の苦悩の解決を求める心がまずあって、修業の後、苦の解決に有効な手段に気付き、説いたのです。

138 :けちゃっぷ:04/09/06 17:49 ID:+yxZYOQu
病の原因をみつけ、適切な薬を与えれば、治せます。性欲がなくなる境地に至るには時間がかかります。それまでの方便として、女体をクソ袋とみなせと説く。悟れば、クソが汚いという分別も空なはずなのに。

139 :けちゃっぷ:04/09/06 17:53 ID:+yxZYOQu
心の中の苦悩の原因をなくせば、苦悩がなくなる。これが滅すればかれが滅すという因果を利用するのです。空を悟って心にゴミが出ないようするには時間がかかる。それまでは汚れる度に掃除すればいいのです。

140 :1:04/09/06 18:29 ID:4OVGRWmU
>>138 けちゃっぷさん、それって四念処法の一つでしょう。
「この身は不浄なり」と観想するんですよね。

(検索してみました)
【四念処】しねんじょ [身・受・心・法]
【四正勤】ししょうごん [断断・律儀断・随護断・修断]
【四如意足】しにょいそく [欲・勤・心・観]
【五根】ごこん 〔1〕[眼・耳・鼻・舌・身];〔2〕[信・精進・念・定・慧]
【五力】ごりき [信・精進・念・定・慧]
【七覚支】しちかくし [択法・精進・喜・軽安・捨・定・念]
【八聖道】はっしょうどう [正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定]




141 :1:04/09/06 18:33 ID:4OVGRWmU
>>128 さん、
>「三法」そのものが贋物の場合だってあるんじゃありませんか。

三宝が本物かどうかがとても大切ですね。教えの根幹ですから。

(三法でなくて三宝でした)


142 :1:04/09/06 18:34 ID:4OVGRWmU
>>129 そうなると、もはや仏教ではなくなります。

143 :1:04/09/06 18:37 ID:4OVGRWmU
>>133 マンゴー先生。仏陀の教えは精緻な理論で組み立てられていますよ。

>そして実際に登ろうとしてみなければ、素晴らしい景色を見ることはできない。

ニルバーナへの登攀ルートとはどのような物ですか?
このスレッドに答えは書かれていますよ。


144 :けちゃっぷ:04/09/06 18:37 ID:+yxZYOQu
1さん、四念処でしょうね。心の無常の観察もあります。怒りや憎しみは必ず過ぎ去るので、怒りにまかせて殺人を犯せば、後で後悔して苦の原因になる。念仏は、怒りを感知すると追い出しに現れます。

145 :名無しさん@3周年:04/09/06 18:55 ID:dG8EVVFj
けちゃっぷさん、
いくら釈尊が残した修行法に忠実に精進したところで、片方の手で、阿弥陀仏
の威光を売って金儲けをしていては何の功徳もないと思うが。
あなたはそれに良心の痛みを感じないのか?

けちゃっぷさんの境涯を責めているわけではない。しかし、それを素直に罪だ
と認めない偽善性を責めているわけだよ。

我々は、凡夫(悪人)になりきれないから、身を投げ出すことができず、いつま
でたっても救われない。自分を繕ったり、隠したり、誤魔化したりして、素裸に
なれないからだよ。だから、けちゃっぷさんの修行は、残念ながら実を結ばない
だろう。

146 :けちゃっぷ:04/09/06 19:01 ID:+yxZYOQu
1さん、四念処も含め、苦悩の解決に役立つ思想・修業は、すべて八正道に、つまりは四諦に、通じるのではないでしょうか。人生の苦悩の解決に役立たねば、ただの哲学に終わってしまうのでは?

147 :けちゃっぷ:04/09/06 19:05 ID:+yxZYOQu
>145 念仏について言えば、すでに報われています。切符は手に入ってるから。時々ポケットの切符を確認すると、その幸せを改めて味わえる。それが念仏です。

148 :けちゃっぷ:04/09/06 19:09 ID:+yxZYOQu
あと、僕はお金儲けのために仏教をやってるのではありませんよ。兼業なので生活には困らないですし。
野球を楽しむための草野球チーム。僧侶も信者さんもチームメイトとして協力しあってます。田舎だから?

149 :1:04/09/06 19:15 ID:4OVGRWmU
>>146 四諦は何のために仏道に入るかという志望理由書。
あるいは仏道の存在理由書。

こは苦なり(人生って苦しいよ、あるいは本質的に苦を内在している)。
なぜなら、それを集めているから。その苦を滅ぼすことはできるよ。
ここに道があります。苦集滅道。

その道が、【三帰依】&
【四念処】しねんじょ [身・受・心・法]
【四正勤】ししょうごん [断断・律儀断・随護断・修断]
【四如意足】しにょいそく [欲・勤・心・観]
【五根】ごこん 〔1〕[眼・耳・鼻・舌・身];〔2〕[信・精進・念・定・慧]
【五力】ごりき [信・精進・念・定・慧]
【七覚支】しちかくし [択法・精進・喜・軽安・捨・定・念]
【八聖道】はっしょうどう [正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定]

【三帰依】は
「信じること、戒を守ること、施与すること、学ぶこと、保つこと、考えること、
離れないこと、自分のみならず他人にも教えてあげること」



150 :1:04/09/06 19:21 ID:4OVGRWmU
>>148 べつにお法事やお葬式の経典読誦は正業だと思いますよ。
ちゃんと正当な報酬いただけば良いと思うけど。

ただ経典に「僧侶でなくして僧侶の形(なり)をするものは人々
から憎まれる」という項目があります。

実体が出家でなくて、出家の格好をすれば(そして供養を受け取れば)
人々から憎まれることもあるということですね。それはそういう家に
生まれついたんだから、甘受するしかないのかもね。

151 :名無しさん@3周年:04/09/06 19:27 ID:V5tS/RmM
1さんは、三帰依の実践から行うんだよ。
四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八聖道の説明を、考えて
他人にも教えるべきだね。

このスレで、どれだけ聞けるか楽しみにしてます。

152 :1:04/09/06 19:28 ID:4OVGRWmU
「私は出家ではありません」
「在家の経典読誦業です」
「型どおりの10分間法話もいたします」
「お墓の世話もいたします」
「お寺も守っていきます」

料金はこれこれでいくらですよ。
お寺の維持費は檀家一人当たりこれしかじかお願いします。

これで会計を完全に透明にすれば、どこからも
文句は出ないと思う。

153 :1:04/09/06 19:31 ID:4OVGRWmU
>>151
三帰依以外は出家の修行法ですよ。
在家は三帰依だけで良いんです。

私は三帰依と八正道を実践しています。
それと檀家寺から貰った勤行式で、
毎朝欠かさず4時に起床して4時半から6時まで
勤行しています。それだけ。

154 :1:04/09/06 19:34 ID:4OVGRWmU
>>151 誤解があったので訂正しておきます。

【三帰依】は
「信じること、戒を守ること、施与すること、学ぶこと、保つこと、考えること、
離れないこと、(上記の方法を)自分のみならず他人にも教えてあげること」

(上記の方法を)が抜けてました。


155 :1:04/09/06 19:37 ID:4OVGRWmU
訂正、○檀那寺 ×檀家寺

156 :マンゴー先生:04/09/06 19:45 ID:C7JfCKbv
>>146
そうですね。そして知識は人生の苦悩の解決に直接的には役立たない。
しかし今は理解できずとも、心の片隅に残っている私の言葉が、その瞬間にすべて
つながっていくことでしょう。
道を求める人たちに、その瞬間が来ることを祈って、しばし語り続けてみようかと思
います。

157 :名無しさん@3周年:04/09/06 19:53 ID:vvltKzUQ
>>154 信じることは人に教えただろう。
戒も人に教えたのか。戒って何だ?まだ俺は1から聞いてない。
何を学ぶんだ。仏教全般か?
考えるとは、世間一般のことか、
仏教のことか。

158 :名無しさん@3周年:04/09/06 20:02 ID:vvltKzUQ
マンゴー先生の言葉って、心の片隅に残るものかな。>>130>>134のレス
見ても、心の片隅に残らないなあ。
しいて言えば、釈尊が「世界は美しいね」と言ったらしいということだ
けだよ。

もう少し心に残るようなこと言えよ。


159 :マンゴー先生:04/09/06 20:03 ID:C7JfCKbv
>>153
覚りを求めるならば、やはり観念修行法(瞑想)が必要かと思います。
ただ、釈尊が既に覚ってくれているのだから、苦悩の少ない人はわざわざ覚りを求める
必要はないかもしれませんね。
釈尊の生き様に従って、四無量心を持って自分の今ある環境の中で今ある能力を発揮
して一生懸命生きていれば、涅槃や菩提は得られずとも、幸せと共にあることができる
でしょう。

160 :マンゴー先生:04/09/06 20:08 ID:C7JfCKbv
>>158
>しいて言えば、釈尊が「世界は美しいね」と言ったらしいということだけだよ

それがあなたの心に残ってさえいれば、それだけであなたは大丈夫ですよ。

161 :1:04/09/06 20:13 ID:4OVGRWmU
>>157 また後でちゃんと書いておきます。

162 :名無しさん@3周年:04/09/06 20:13 ID:8hW5d4ku
>>126
公理は取捨選択するものです。その公理系を取るか取らないか
決定するのはあなた自身。そのために勉強するんでしょう?
仏教には、仏陀によって提示された「真理」と呼ばれる証明不能
な命題群があり、それを前提に教えが構成されているということ
です。

この証明不可能な命題群とは、何のことでしょうか?
ゴータマ・ブッダの教えにそのような命題群や公理などどこにもない
と思うのですが。出典をお示し下さい。
ブッダの教えは「まず証明できないことを信じろ。証明不能な神のような
存在や教義教条を信じることから始めよ」と迫る教えではないと思います。
誰もが思い当たり、心に抱える苦悩から出発して、それを克服する道でしょう。

163 :名無しさん@3周年:04/09/06 21:11 ID:+sGj0wGF
>>162

しかし、厳密に論理を組み立てていったとしても、最後は「証明不可能な命題群」に
突き当たらないものはないのでは。

釈迦の時代、六師外道がありましたが、どれも論理上で論破できない。だから
こそ、仏教徒から「外道」とさげすまれながらも生き残っていたのです。
たとえば、無神論を「証明不能な命題」と認めると、仏教の主張など単なる
まやかしにすぎなくなります。仏教徒からすれば、それは明らかに間違って
いるのだが、それを論破できない。それは、根本の「証明不能な命題」に
原因があるから、当然なのです。

164 :163:04/09/06 21:14 ID:+sGj0wGF
無神論というより、唯物論ですね。たとえば、人間は死ねば終わりで、
輪廻もなく、「善因善果、悪因悪果」のない、という考え方です。

165 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 21:25 ID:DvUHYyPu
唯物論とも違いますね。
いわゆる論理の構築そのものが無効になります。
禅における公案というのは、まさにこの論理性の破壊なんですね。

まずはこのことから始めませんと、無明は無明のまま。

じつに仏教は奥が深いかと思いまふ。

166 :けちゃっぷ:04/09/06 21:42 ID:+yxZYOQu
経験が知識を刻み、刻まれた知識が差別・偏見を生みます。我々の日常の思考・判断は、知識に操られ、差別・偏見に操られている。そこを一度リセットしたら、初めて本当に知識を使う側に回れるのでしょう。

167 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 21:46 ID:DvUHYyPu
>>166
そうですね。
私がたびたび言うておることですね。
知は方向性をもつ習性がある。
仏教とは、この方向性にはなじまない。

       <無学>

168 :けちゃっぷ:04/09/06 21:46 ID:+yxZYOQu
大学に行かねばならないから勉強しなきゃ…というのを一度リセットして、大学行くのは義務じゃないと気付く。その上で、大学行きたいから勉強したい…となれば、愚痴を言わずに勉強が楽しめる。

169 :名無しさん@3周年:04/09/06 21:51 ID:xP42UlN1
坐禅と見性第6章あめつちは書かざる経をくり返しつ
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/pc2nanmin/1094025701/


170 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 21:52 ID:DvUHYyPu
>>168
阿弥陀信仰もそのようなことかとおもいますね。
阿弥陀に帰依する。
そのことがいわゆる内省(内証)だと気づいてくる。

ここのとこ(内省)は、私の他力の推測ですが・・。

171 :名無しさん@3周年:04/09/06 22:03 ID:+sGj0wGF
>>168

そこに実は矛盾があるのです。
「大学へ行く行かない」というのは本人の自由意志ですよね。
そして、行くか行かないかを判断する時には、経験や知識を頼りにするしか
ない。差別や偏見を恐れて、一切の経験や知識を排除してしまうと、今度は
「行くのがよいことなのか、悪いことなのか」という判断ができなくなる。
「えい、ままよ」とサイコロ振って決めたとしたら、それはもはや自由意志
で決めたとは言えません。

私は、ともかく自由意志を最大限に利用して、どんどん知識も経験も積むべき
だと思う。それはやがて行き詰るでしょうけど、一旦行き詰った後に「捨てる」
ことに大きな意義がある。生悟りの人間が、負け惜しみに知識や経験を軽視する
のと全く意味が違いますよ。

172 :171:04/09/06 22:07 ID:+sGj0wGF
同じ理由で、禅などで精一杯自力を尽くした人間が、最後に「降参」
して、他力に救われることは多いと思います。しかし、逆はほとんど
ないでしょう。最初から他力というのは、人間に甘えがある。その甘え
は、自分に対する余裕なんですよ。余裕があるから「知識や経験など」
という傲慢な態度として出てしまう。

腹に百万巻の書物を収めた大学者が、「私がこれまで身につけた知識など
糞の役にも立たんかった」という言葉の重みは、百万巻の書物を実際に
読みこなした者だけに理解できるのです。読みもせずに、読まないことの
言い訳で自己弁護するような根性の腐った奴は、いつまで経っても悟れま
せんわい。

173 :けちゃっぷ:04/09/06 22:12 ID:+yxZYOQu
>171 そうですね。ですから、知識を消去するわけじゃない。分別に気付く。殺されたら不幸だというのは分別。どうせ死ぬのに。苦しみの原因になる知識は、眠らせていいのです。

174 :171:04/09/06 22:18 ID:+sGj0wGF
>>173
しかし、「どうせ死ぬ」という殺し文句を使えば、大学へ行く必要
どころじゃなくて、禁欲に徹するために、美食を感じる舌を抜く、
美人を見ないように眼を潰す、さらには、淫行に至らないように、
イチモツをちょんぎる、という風になりますわい。死ぬまで悪いことを
しないという一種の懲役刑ですな。これは辛い。
そうなると、仏教とは「よりよく生きるための教え」とは、かけ離れた
トンデモ思想になりませぬか。

175 :けちゃっぷ:04/09/06 22:20 ID:+yxZYOQu
念仏をとなえる時は、智者のふるまいをせず素直に。でも、「阿弥陀のみが絶対」とキリスト信者にケンカを売る念仏者を見たら、僕は「阿弥陀は実体じゃなく方便にすぎないよ」と言います。

176 :171:04/09/06 22:29 ID:+sGj0wGF
私は、釈尊ともあろう方が、未来永劫後悔するような妄説を後世に
残されたと思っています。それは「人生は苦なり」。

真相は、人生とは苦と楽が交互に来るもので、そのうねりに味わいが
あるのです。平和の方が楽でいいでしょうけど、退屈だというので、
テレビドラマでは毎週人が死にますわいの。そのうち、人を殺すと
どういう気持ちがするか知りたくてやった、というようなガキがでて
くる。

この恵まれた世の中で「人生は苦である」と、苦の一面だけを眺められる
人というのは、絶望的に精神が屈折しているでしょう。人生には苦も楽も
ある。庶民はそれに泣き笑いして人生を終える。それのどこが不幸か、と
考えてみる。「お釈迦さん、あんたは本当にへそまがりでしたな」と
悪口のひとつも言ってみます。

177 :けちゃっぷ:04/09/06 22:30 ID:+yxZYOQu
>174 そこにすでに分別があるのでは?そんな苦行をやりたい人は趣味だからやればいいけど、やりたくなきゃならなきゃいい。どちらでも、往生できます。だいじょうぶ、あるがまま、おたがいさま。

178 :名無しさん@3周年:04/09/06 22:35 ID:BU9cJA2U
>>172
釈尊の指導したことは瞑想。教えたことは、諸々の欲望からの離脱が主体。
瞑想しないといつまで経っても悟れないだろう。
それとも、釈尊の行ってきたことが愚かで間違いであったと言うのか。
彼らは、愚かで劣っているから、出家して修行を積まないと悟りに到達でき
なかったとでも言うのか。

我々は、悟れないが、信仰により死後に救われる可能性があるとするべきで
ある。



179 :名無しさん@3周年:04/09/06 22:36 ID:yKDSZ0Z1
「煩悩を棄てれば苦もなくなる」という釈迦の教えはあきらかに間違って
いますね。煩悩こそは人間が生きていることの証。釈迦は人間に生きた屍
になれと教えているのですか。苦があるからこそ、喜びも存在し得るのです。

あと「空」の思想も間違い。人間界は「空即是色」の世界です。すべて空かも
知れないが、色の世界こそ人間が生きるべき現実なのです。

もろもろの煩悩や色の世界を肯定しながら、しかも他者との係わり合いの
中で生きて行くことこそ、本当の教えではありませんか。

ただし、「縁起(個は他との関連においてのみ存在しうる)」の考えは卓見
ですね。こんなことを説いた西洋の思想家がいたでしょうか。

180 :けちゃっぷ:04/09/06 22:39 ID:+yxZYOQu
「苦」はコントロールできない。人生にいいとこ取りはありません。原因と結果。受験したいなら勉強せねば。人生に「苦」はつきものですけど、「苦」があるから不幸ではないんですよね。あたりまえをあるがままに。

181 :171:04/09/06 22:39 ID:+sGj0wGF
貴君は、原始仏教聖典をお読みになられましたか。
至る所に、身を楽しめるものは身を滅ぼす剣だ、みたいな恐ろしい
文句が並んでいますよ。
ご存知の通り、釈迦の教団の戒律は厳しかった。「苦行をやりたい人
は趣味だからやればいい」なんてとんでもない。お釈迦さん自体が
六年麻麦の行を完遂したという、とんでもないツワモノだったから、
そんな戒律など屁でもなかったのかもしれないが。

182 :名無しさん@3周年:04/09/06 22:45 ID:eoFcOjMu
>>176 >>179 凡夫は死ななきゃわからない、とお釈迦様が生きていたら
そう言われるだろうけど、あんたら死んだら大変なことになる、と言わ
れるかもしれん。
お釈迦様の教えが嫌いなら、離れればいい。それだけのことよ。
あんたら、そうしなさい。

183 :171:04/09/06 22:46 ID:+sGj0wGF
>>179
私もほぼ貴方と同じ意見ですね。
ちょっと話は飛びますが、あるグループで仕事をする時に和気藹々で
楽しくやろうとすると、かならずへそ曲がりが居て、それをぶっ潰す。
楽しむことに罪悪感があるのでしょうな。
想像ですが、地獄という場所があるとすれば、そういうへそ曲がりが
集まって、お互いにけなしあっているのだと思う。
映画を見る時も、面白い場面で笑い、悲しい場面で泣けるのが幸せな
鑑賞者で、それは人生全般についても同じ。「泣き笑い」こそが人生の
秘訣だと思うのです。

「人生は苦なり」と書いた手ぬぐいで鉢巻する、一種異様な集団には
あまり私には興味がわきませぬ。

>、「縁起(個は他との関連においてのみ存在しうる)」の考えは卓見
>ですね。こんなことを説いた西洋の思想家がいたでしょうか。

ヘーゲルが結構いいところまで肉薄していると思いますが。

184 :171:04/09/06 22:48 ID:+sGj0wGF
>>182
そりゃ、あなた、典型的なカルト信者の模範解答ですよ。

185 :けちゃっぷ:04/09/06 22:48 ID:+yxZYOQu
執着は苦悩・失望の原因だから、快楽主義は悩みの種になりますしね。しかし、本当にイチモツを切った弟子がいて、釈尊はかなり厳しく叱ったらしいです(ソース忘れて申し訳ないですが)。

186 :名無しさん@3周年:04/09/06 22:49 ID:yKDSZ0Z1
>>182
お釈迦様は批判も許さないような心の狭い人だったのですか。そうとは思え
ませんが。


187 :171:04/09/06 22:52 ID:+sGj0wGF
>>185
イチモツを切っちゃいけません。宿題が難しいからと言って、火にくべても
無駄です。諦めずに、なだめすかしつつ付き合っていくことで、「和解」
できる。それが悟りだと思います。

西洋では、オリゲネスという教父が実行しました。宗教馬鹿がやることは、
古今東西同じようなレベルです。

188 :マンゴー先生:04/09/06 22:52 ID:C7JfCKbv
>>171-172
そうですね。全くそのとおりです。
キーワードは「リセット」です。
徹底的に考え尽くして悩み尽くして、ふと無心になったときに「それ」は起こります。
仕事の解決策について考え続けていたがどうしても良いアイデアが思いつかない。
行き詰って、気晴らしに散歩にでもいくかとなった瞬間にひらめくといったことは、
多くの方の経験するところでしょう。

それによって知識が再構成される。知識がない人はあんまり変わらないが、知識の
多い人は新しい自分にそれはそれは驚くことでしょう。まさに生まれ変わりです。
法然さんは修行し尽くして「三学の器にあらず」と捨てさった。
けれども修行もせずに「凡夫」だなんだと法然さんの真似をしても駄目なのです。

189 :171:04/09/06 22:58 ID:+sGj0wGF
>>188

>法然さんは修行し尽くして「三学の器にあらず」と捨てさった。
>けれども修行もせずに「凡夫」だなんだと法然さんの真似をしても駄目なのです。

全くその通りです。一遍さんもそうですね。自力で悟りを開いた上で、敢えて
念仏を選んだ。表面上は同じでも、根っこの太さが全然違う。法然さんや、
一遍さんと同じ宗教体験を経た者だけが、念仏による救いを語る権利を持ちます。


190 :マンゴー先生:04/09/06 23:09 ID:C7JfCKbv
>>183
仏教は、徹底否定の絶対肯定、なんですよ。
ですから、自分は何の為に生きているのか、私は一体何者なのか、そういった苦悩の
深い人ほど覚りに近いと言えるでしょう。
さほど苦悩のない人には…>>159を参照のこと。


191 :名無しさん@3周年:04/09/06 23:23 ID:yKDSZ0Z1
>>190
精神的苦悩は、自己中心主義から生じる場合が圧倒的に多い。自分は何の為に生きる
とか、私は一体何者なのか、などと考えても仕方がないことを考えるより、自己中心
から他者、特に身近な他者に視点を移すことにより、苦悩は軽減、消滅する場合が
多い。自分の中に入り込んでしまうと、苦悩は却って増大する。共同体における悟り
とは、実はそういうことだと思う。

192 :名無しさん@3周年:04/09/06 23:23 ID:v9NUAJWn
>>171
ちょっと気になったんですが、
あなたにとっての悟りとは?

193 :名無しさん@3周年:04/09/06 23:27 ID:v9NUAJWn
>人生には苦も楽も
>ある。庶民はそれに泣き笑いして人生を終える。それのどこが不幸か
苦も楽も時間が経てば無くなります。
それは永遠ではありません。
永遠でないものは真実とは言えないです。

永遠でないものに執着する心の態度。
それが苦しみの本性です。

釈尊は言いました。
苦でもなく 楽でも無い通を進め。

194 :名無しさん@3周年:04/09/06 23:44 ID:yKDSZ0Z1
>>193
意味不明。苦も楽も死によって終わり、人間は永遠の平安を得る。死を越えた
永遠の苦楽とは何?人間の生以外の「真実」とは何?

195 :マンゴー先生:04/09/06 23:46 ID:C7JfCKbv
>>191
そうですね。その通りだと思います。
ところが、この他者に視点を移すことができない、考えても仕方がないことなのに
考えてしまう、からこそ苦悩なわけです。自己中心性は人間の本能なんですね。
ですから「自己を見つめなさい」「自らの心を観察し清めなさい」と釈尊は説かれる
のです。そして徹底的に自己を否定していった先に「それ」は起こります。
すなわち、視点の切り替わり、心理学用語でリフレーミングと呼ばれるものです。
それは全き「他力」なのです。

196 :マンゴー先生:04/09/06 23:50 ID:C7JfCKbv
>>191
大乗仏教の利他行は、あなたのおっしゃることの実践といえるかもしれませんね。

197 :名無しさん@3周年:04/09/06 23:58 ID:v9NUAJWn
>>194
それが空です。
禅で言われているところの。

そして、そこには苦と楽はありません。

苦と楽は人間がそのように認識することにより生まれます。
その認識から離れることが(もし本当にできたならば)
それは空です。そのとき自分の肉体的な感覚、
時間、などがまるで無いようにというか、無いんです。

198 :名無しさん@3周年:04/09/07 00:08 ID:p5/Whuvo
>苦も楽も死によって終わり、人間は永遠の平安を得る。
この見解が間違いであるかも知れない
という可能性は。。。

人間は自分が正しいと思いたがる癖を持ちます。
自分が間違っていると言う考えは悪である。
それは自分を否定するものだと。
そう教えられて来ました。

しかし、実際は、その人の考えにより否定が起こるんです。
全ては自身の問題です。心の態度の問題。



199 :マンゴー先生:04/09/07 00:14 ID:LSw0hKTC
>>198
この「自己正当化」もキーワードですね。
私とは何者かを知るための。

200 :名無しさん@3周年:04/09/07 00:20 ID:XCMNGquC
>>195
自己中心性は確かに人間の本能だが、一方、人間は独りでは生存できないことも
本能的に知っている。だから、自然の状態では、自他の死を恐れ、困っている
他者に対しては憐憫の情を生じる。井戸に落ちようとする子供に対して無意識に
手を差し伸べる。共同体性(利他性)は、究極の自己中心性だと思う。

201 :マンゴー先生:04/09/07 00:44 ID:LSw0hKTC
>>200
そうですね。
それが「情けは人の為ならず」の宗教的意味かもしれませんね。

202 :名無しさん@3周年:04/09/07 00:45 ID:XCMNGquC
>>199
「私とは何者か」などという言葉は、なんだかバター臭く、仏教的な感じがしません
ね。自己執着そのものではないですか。東洋哲学では、「我思う故に我あり」などと
いう間違った、そしてアホなことは言わないと思います。


203 :名無しさん@3周年:04/09/07 01:24 ID:jQq+F+hB
>>202
かっこいい物言いだけど、我思う故に我ありを論破して見ましょうや。


204 :名無しさん@3周年:04/09/07 01:26 ID:jQq+F+hB
>>197
>時間、などがまるで無いようにというか、無いんです。
口では言える言葉だが、飯食うんだよね。それが精進料理だとしても。


205 :171:04/09/07 08:43 ID:cF2mhs/W
>>191
その発想だと、一個人が他人のために犠牲になる行為が説明できませんね。
他人に親切にするのは、自分に身に返ってくる、という発想では、自分が
死んだら元も子もないわけで。あるいは、自分が信じる「正義」のために
拷問に耐え、敢えて死を選ぶという行為もありました。死後の「保障」が
期待できる信仰者に限りません。戦時中に獄死した社会主義者達はこういう
ケースでしょう。

206 :171:04/09/07 08:44 ID:cF2mhs/W
失礼!!上の>>191は、>>200の誤りでした。

207 :171:04/09/07 08:59 ID:cF2mhs/W
>>202
そこに仏教的な矛盾があるのですよ。
仏教では自己執着を徹底的に否定する。「自分なんていう存在はないのだ」と。
ところが、実際には寝起きして、飯も食い、泣いたり笑ったりして暮らしている。
自己執着の否定を簡単に言うと「寝るな、食うな、泣くな、笑うな」という
ことです。だから、それを実現するのは簡単なことで、感情の中枢を外科手術で
取り除けばいい。もっとも、廃人になりますけどね。
外科手術こそやらないものの、いろいろなマヤカシで「自分はないのだから、
執着を離れろ。執着ないんだから、お前には財産はいらんだろう、こっちへよこせ」
と散々悪用してきたのが既成宗教や新興宗教なわけです。

「自己執着」の意味を問い直すべきだと思います。人間は自由意志を持っている
が、その使い方がイビツなのです。ナイフが悪用されるから、ナイフの所持を禁止
するのは浅はかです。とりあえず、ナイフ所持を禁止した上で、きちんと講習会を
開いて正しいナイフの使い方を勉強し、また解禁すればよい。仏教は、自由意志を
悪用することを禁止しているので、自由意志そのものを否定しているわけではない。


208 :171:04/09/07 09:12 ID:cF2mhs/W
クリスチャンの方と話をすると、同じようなところで行き詰るのです。
曰く「アダムは知恵の木の実を口にしたために、楽園追放になった。だから、
人間は神の奴隷に帰るべきだ」。これは、形を変えた自己執着の否定なのです。

私はこう反論します。もっとも、納得されることはまずありませんが。
「神は人間に自由意志を与えた。現に、知恵の木の実を食うか食わないかという選択
を与えたではないか。だから、それは神の意思だ。また、一旦自由の味を知った
者は元の奴隷には戻れない。たとえ、それが呪われた神からの贈り物であろう
とも、自由なる放浪者として未来永劫、世界をさまよい続ける運命にある。
人間が神の元へ帰るか否かは、自由意志に任されている以上、個人の救済はいかん
ともしがたい。集団で神の奴隷になって救済されようという行為は、せっかく人間に
与えられた自由意志を神に返上し、動物に戻ることと同じで、神への冒涜以外の
何ものでもない」

209 :1:04/09/07 09:42 ID:aCBJSnGM
>>157 さん、こんにちは。
昨夜(9:30頃)はちょっとサーバーがおかしかったみたいですね。

>戒って何だ?まだ俺は1から聞いてない。何を学ぶんだ。
>仏教全般か?考えるとは、世間一般のことか、仏教のことか。

まず信じること。信じる対象は本当の如来。
戒は私の場合は在家の五戒です。
http://www.evam.com/evam2/book/bdk/term.html
仏教法数辞典
ごかい 【五戒】[不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒]
五戒を守りながら、本当の仏様を礼拝供養する。
そして供養と布施。供養には三種類ある。事物、行為、そして
教学の勉強や普及。そして仏陀釈尊の教えを学び、論じ、反芻し、考え、
理解し、忘れないようにする。上記全部を人にも勧める。

210 :1:04/09/07 09:47 ID:aCBJSnGM
>>158
>釈尊が「世界は美しいね」と言ったらしいということだ

出典は「最後の旅」だと思うのですが。
ニルバーナを得て三界(欲界、色界、無色界)を離れた目には美しい。
この世を離れる(無余涅槃に入る)末期の目には美しい。
仏陀最後の時を見守る諸天善神の満ちあふれた土地は美しい。
などの意味があったと思います。


211 :1:04/09/07 10:01 ID:aCBJSnGM
>>162 さん、こんにちは。
>この証明不可能な命題群とは、何のことでしょうか?
>ゴータマ・ブッダの教えにそのような命題群や公理などどこにもない
>と思うのですが。出典をお示し下さい。

1.まず「輪廻」。仏教の基礎は輪廻思想です。
  仏教は、仏陀が瞑想で見た人々や輪廻の様子が基本思想になっています。
  最終的な修行者は修行完成には三明六通を得て、同じ光景を見る必要が
  あります。
2.次に空の概念。縁起の概念。物事は因と縁によって生じている。
  仏陀と哲学者達の最初の議論が「断見、常見、空なる存在」。
  人の魂は死ねば無くなるというのが断見、魂は永遠に存在し続ける
  というのが常見。仏陀はどちらも間違いで、人の魂(生命)は
  条件によって生じ、条件によって滅する(空)であると語る。
  (これあればこれあり、これなければこれなし、これ生じればこれ生じ、
  これ滅すればこれ滅する)そのようなことを言われた。
  これはすべての「ことともの」に当てはまる。
3.礼拝供養。仏陀や仏弟子を礼拝し供養すれば福が授かる。
  仏陀を応供の仏と呼びます。「供養に応じるよ。福を授けるよ」。
4.善因良果、悪因苦果。良きことをすれば良き果実が得られ云々。
  自業自得の原理。

思いつくままに4つ書きましたが。これらの原理は証明可能でしょうか。
当たり前のように思っていますが革命的な法則だと思います。

212 :1:04/09/07 10:02 ID:aCBJSnGM
>>211 訂正、 人々や宇宙の輪廻の様子が

213 :名無しさん@3周年:04/09/07 10:04 ID:HSZH0rKt
>>205
共同体(特に身近な他者)のために自分の命を犠牲にすることは、共同体維持本能の
究極の態様かも知れません。そのような犠牲が必要な場合もありうるのです。広く
考えれば、それも自己を含む共同体維持のためです。必要な場合には、自己でなくと
も、成員の誰かがそれをやらなければ、共同体は維持できないからです。

しかし、他者のためではなく、自分の宗教やイデオロギーのために犠牲になることは、
この本能が観念によって変容・破壊されているとしか言いようがありません。宗教上の
殉教がその例です。自分の宗教か命かの二者択一を迫られた時、後者を優先するのが
自然の人間性でしょう。磔にされてもライオンに食わされても自分の信仰を棄てない
というのは、宗教によりもたらされた人間の狂気以外の何物でもなく、決して賞賛
されるべきことではありません。

214 :171:04/09/07 10:22 ID:cF2mhs/W
>>213
それは、社会科学的?な枠組みで人間を捉えているから、そういう結論
になるのでは。人間は決して合理的にふるまいません。また、人が求める
「幸福」を突き詰めていくと、「不合理」としか言えない領域に行き着いて
しまう。金を持つのが「幸福」だと信じる人は多いが、金持ちになって
幸福になった人はほとんどいないと思います。かえって、「持てば持つほど
欲しくなる」という罠にはまって、集金マシーンの権化になってしまう。
また、食い残しを捨てるのは、経済的には許容できるかもしれないが、
「一粒の米にも一年の汗が必要」という価値観から見れば許容されない。
不合理かもしれないが、もともと人間の心は不合理に出来ているから、
合理主義だけでは幸福になれないのです。

その不合理のひとつの現われが宗教なわけですけど。

215 :1:04/09/07 10:28 ID:aCBJSnGM
>>163 さん、私の言いたかったことを端的に書いていただいて
ありがとうございました。

216 :1:04/09/07 11:15 ID:aCBJSnGM
>>176
>私は、釈尊ともあろう方が、未来永劫後悔するような妄説を後世に
>残されたと思っています。それは「人生は苦なり」。

ちょっと「苦」のとらえかたが違うかも。

じゅうにいんねん 【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]
無明があり行があり→→→有・生・老死 →悲・愁・苦・悩

無明より始まる我々の存在は本質的に「苦」を内在する。という意味だと
思うんですよ。

きのう妹が子猫を貰ってきました。妹が無明なもので(これは冗談)。
「触・受・愛・取」は芽生えました。ニャンコは可愛いし楽しいですね。
でもその存在「有」は「生・老死]と「苦」を内在しているんですよね。


217 :名無しさん@3周年:04/09/07 11:38 ID:HSZH0rKt
>>214
未開の時代とは異なり、理性、特に自然科学が奇跡以上の発達を遂げた現代においては、
人間は基本的に合理で動いています。宗教だけが不合理の世界に留まるのは、もはや
許されないことです。平面的な合理ではなく、不合理を含めた合理の構築も考えられます。
超越的なものではなく、現実社会維持の智恵としての新しい道徳・倫理の確立が必要です。
この点、一神教とは異なり、仏教の視線が常に人間と現実に向けられていることは、
特筆すべきことだと思います。

しかし、人間は生物として、基本的には肉体的な存在です。肉体から精神も生まれます。
従って、肉体を無視して心ばかり強調することは、一神教やオウムのように観念の肥大を
招くので、警戒が必要です。

218 :1:04/09/07 11:51 ID:aCBJSnGM
>>172 さん。
>釈尊の指導したことは瞑想。教えたことは、諸々の欲望からの離脱が主体。
>瞑想しないといつまで経っても悟れないだろう。
>我々は、悟れないが、信仰により死後に救われる可能性があるとするべき
>である。

じゅうにいんねん 【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]
無明があり行があり→→→有・生・老死 →悲・愁・苦・悩

仏教の目的はこの無明を断つことですが。それには順番があって。

十結煩悩
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

この下のほうから順に切っていけばいいんですよ。
一番下の三結は「有身見・戒禁取・疑」
我見にとらわれて、他の教えに耽溺し、お釈迦様の教えに対して
疑い惑う。この三結煩悩を断てば、もう仏陀の世界の人間(預流)
なんですよね。

マンゴー先生なんかは、この「有身見・戒禁取・疑」が洋服着て
歩いているようなもんですよ。



219 :1:04/09/07 11:52 ID:aCBJSnGM
↑は >>178 でした。

220 :171:04/09/07 12:00 ID:cF2mhs/W
>>217
>肉体を無視して心ばかり強調することは、一神教やオウムのように観念の肥大を
>招くので、警戒が必要です。

禿同です。特にキリスト教は、性の問題を「原罪」と強く結び付けてきました。
人間は生まれつきスケベなので、性欲が「原罪」であるならば、誰もが罪人と
いう名の網にかかってしまうのです。それを「負い目」として巧みにキリスト教会
は利用し、魂の救済を担保にこの世での絶対服従を強いたのです。

>>183で書いたことと関連しますが、楽しいことを素直に楽しめないという
へそ曲がりな人がいます。気位が高くて、凡人と一緒にされるのが嫌なんで
しょうな。そういう人が禁欲を盾として、優位を保とうとする。禁欲を保つ
のはそう簡単ではないから、キリストの贖罪で代行しようとする。それで、
キリスト教会が大繁盛するわけです。その代償は何かと言うと、この世で
楽しい思いをする奴らは、地獄で苦しむという「彼ら固有の真理」を通じて、自分
達の優位を確認することです。それは、元を正せば、自分達が楽しめないこと
を嫉妬するルサンチマンにすぎないのです。

一神教やオウムなどのカルト宗教にのめりこむ人の心理を読み解くには、この
ルサンチマンから考えることが非常に参考になると思います。

221 :1:04/09/07 12:00 ID:aCBJSnGM
>>179 さん、
>「煩悩を棄てれば苦もなくなる」という釈迦の教えはあきらかに間違って
>いますね。煩悩こそは人間が生きていることの証。釈迦は人間に生きた屍
>になれと教えているのですか。苦があるからこそ、喜びも存在し得るのです。

煩悩の意味が違います。煩悩とは、
十結煩悩
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

あなたが思われている煩悩は【五下分結】の欲貪だけでしょう?
【五下分結】の欲貪を残したままでも、欲界の天には行けるんですよ。

>あと「空」の思想も間違い。人間界は「空即是色」の世界です。
>すべて空かも知れないが、色の世界こそ人間が生きるべき現実なのです。

仏陀もそういっています。
もろもろの条件下で人々は苦しんでいる。「空即是色」。そこが
人間の生きていく現実なのです。

「空即是色」には省略があります。受、想、行、識。
空即是  色、受、想、行、識。
「色、受、想、行、識」=五蘊。

色=あなたの物質部分、
受、想、行、識=あなたの精神部分

222 :1:04/09/07 12:04 ID:aCBJSnGM
>>181
>貴君は、原始仏教聖典をお読みになられましたか。
>至る所に、身を楽しめるものは身を滅ぼす剣だ、みたいな恐ろしい
>文句が並んでいますよ。
>ご存知の通り、釈迦の教団の戒律は厳しかった

出家と在家では指導が全く違います。仏陀の時代でも、出家修行者は
在家信徒の千分の1もいなかったのでは?
仏典を読むときは、在家向きと出家向き箇所を明確に区別しましょう。
意識して読めばはっきり分かるはずです。

仏陀は在家信徒には無理なことは言いませんよ。

223 :171:04/09/07 12:10 ID:cF2mhs/W
>>222
しかし、出家と在家の指導が全く180度違うなんてことはないでしょう。
ただ、その程度が違うだけで。
原始仏教の経典を読む限り、釈迦の言葉は禁欲に凝り固まっていますよね。
ということは、在家信徒にもそれなりの禁欲を勧めているということになり
ませんか?

224 :171:04/09/07 12:13 ID:cF2mhs/W
今、ちょっと気付いたが、1さんの仏教感というのは、以下のような
「二段構成」になっているんじゃなかろうか。

A) 出家:釈迦と同じ修行をすることで仏になる。禁欲主義。
B) 在家:仏になった出家に供養をすることで、その慈悲によって救われる。
だから、禁欲主義など守らなくてもよい。

私の考え方では、B)などありえないのです。釈迦は仏「道」を説いたので、
出家も在家も同じ道を歩む。ただ、その歩みの速さが違うだけだと思います。

225 :1:04/09/07 12:15 ID:aCBJSnGM
>>182 さん、
>凡夫は死ななきゃわからない、とお釈迦様が生きていたら
>そう言われるだろうけど

仏陀はそのようなことは言いません。凡夫は配偶者を娶って
幸せに生きなさい。仏陀と仏陀の法と仏陀の弟子達を信仰し、
尊敬し、礼拝し、供養して。在家の五戒くらいは守りましょう。
それで十分、三結煩悩を断つことができて、苦界から逃れる
ことができますよ。そうおっしゃってます。

226 :けちゃっぷ:04/09/07 12:21 ID:9ZDn+IMX
出家者は医者をめざし、在家信者は患者として医者の治療を受けるのでしょう。仏教には、「仏になるための教え」と「仏が(人生の苦悩を除くために)説いた教え」の二つがあります。

227 :1:04/09/07 12:22 ID:aCBJSnGM
>>207 さん

>仏教では自己執着を徹底的に否定する。「自分なんていう存在はないのだ」と。
>ところが、実際には寝起きして、飯も食い、泣いたり笑ったりして暮らしている。
>自己執着の否定を簡単に言うと「寝るな、食うな、泣くな、笑うな」という

仏教ではあなたの存在は「空」だとは言いますよ。
もろもろの条件下に(因と縁により)あなたはそこに存在しているのです。
空とはそういう意味で、無いという意味じゃない。「とりあえずは有る」
という意味です。


228 :けちゃっぷ:04/09/07 12:25 ID:9ZDn+IMX
治る病気でも、過度に不安に思ってパニクってる患者がいたとします。そういう人は、まず「お医者さんが来てくれたからもう大丈夫」と安心するのが大事。それが、仏への帰依です。

229 :171:04/09/07 12:26 ID:cF2mhs/W
>>226

それは全くおかしい。それだと在家信者は、出家者に寄生するだけですよね。
太郎さんが酒飲んで、次郎さんが酔っ払いますか?
仏が説こうが、ただの酔っ払いが説こうが、説かれた教えで苦を脱却できたなら、
その人はすでに仏ですよ。

230 :171:04/09/07 12:33 ID:cF2mhs/W
>>228

そんなことを続けていては、ちっとも自立できません。依存症患者が増える
ばかりです。アルコールや麻薬が、阿弥陀仏に置き換わっただけです。

231 :けちゃっぷ:04/09/07 12:44 ID:9ZDn+IMX
>230 医者にならなくても、健康に暮らすことはできるでしょう?自分が悟らないと人に救ってもらっても意味がないというのは、エリート思考のプライドに凝り固まってるのでは?

232 :1:04/09/07 12:48 ID:aCBJSnGM
>>223 そんなことはないです。在家に対しては全く苦禁欲主義
ではないですよ。もちろん放埓はだめですが。夫は妻に適切な
「宝飾品を買い与えなさい」なんていう指導もあるぐらいだし。
在家信者に関しては「奴婢」=使用人がいるという前提で話をして
いたりもして。「正しい使用人との関係」なんて指導もあります。


233 :けちゃっぷ:04/09/07 12:53 ID:9ZDn+IMX
無我って難しいですね。自分の肉体も心も、実は自分のものじゃない。自分でコントロールしてない。地震の振動の情報入力が、それに対する出力を導く。自分が情報をキャッチして自分で考えてるんじゃない。

234 :1:04/09/07 13:01 ID:aCBJSnGM
>>224 さん、出家修行者も在家信徒も、ニルバーナに向かって
進んでいくんです。その段階が十結煩悩ですね。

十結煩悩
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

これは階段だからこの順番に上っていくしかないのです。

まずは【五下分結】「有身見・戒禁取・疑」。
三結断じて預流になります。

次に【五下分結】「欲貪・瞋恚」=本能的欲望、怒り。
このあたりが薄らぎ、ほとんどなくなれば、七来、一来となります。

次に【五上分結】[色貪 =物質的なものに対する欲望
このあたりに取り掛かれる人が出家になるんですよ。
家も財産も何もかも片付けて人にあげられる人かどうか。

これだけ、心の中が違う人に同じ指導でいけるわけがないじゃないですか。

ただ共通点として
「仏弟子になり、いずれは涅槃を得たい。苦辺から逃れたい」という気持ち
はあるんですね。

235 :1:04/09/07 13:06 ID:aCBJSnGM
>>226 けちゃっぷさん、在家も出家も仏道修行の目標は全く一緒です。
在家は世間福と出世間福。出家は出世間福。(在家は世間福も求めますが)。

出世間福とはニルバーナ(涅槃)を得てブッダになることです。
言い換えれば六道輪廻から逃れること。

もしそうではないと思われるのなら、あなたの思想が仏教ではなかった
ということです。

236 :1:04/09/07 13:09 ID:aCBJSnGM
>>228 けちゃっぷさん、

六道輪廻の恐ろしさを知って、
「助けてください仏様。どうしたら逃れられますか」というのが
仏陀への帰依です。

237 :171:04/09/07 13:17 ID:cF2mhs/W
>>232

スッタニパータにはなかったですよね。
できれば、そのソースを教えてください。


238 :1:04/09/07 13:17 ID:aCBJSnGM
>>233 けちゃっぷさん、無我の意味は

すべての「もの・こと」が因により生じ縁により生じ、因縁所生の
物であるという意味です。
ただ単にすべての「もの・こと」の存在の法則にしか過ぎません。
しかし、
「苦は無我なるがゆえに滅することができる」という救いの言葉でも
あります。「苦は本質的な恒常物ではない」という意味ですね。

さんぼういん 【三法印】[諸行無常・諸法無我・涅槃寂静]


239 :1:04/09/07 13:23 ID:aCBJSnGM
>>237 さん、このスレッド1の最初のほうに、お互い文献を
引用しあっての議論は避けたいと書いたんですよ。煩雑だし、
時間がかかるしね。勝ち負けの議論じゃないから。
ということでソースは調べません。記憶だけで書いていますが
ご容赦ください。手元に本もないし。ということで、

でも、ちょっとネット検索はしてみます。(あればいいけど)

240 :名無しさん@3周年:04/09/07 13:37 ID:k5JOm2Pz
>>238

なぜ無我だと、苦がなくなるんでしょう?
またこの「苦を滅する」は「苦の感覚がなくなる」
ということではありませんよね?例えば病気
の苦しみがなくなるということではないですよね。

241 :名無しさん@3周年:04/09/07 13:47 ID:VUyQ4ZKr
無我とは、単に外的事象(もの・こと)の存在法則ではない。
そんな無前提な存在法則など、仏陀は説いていない。
だいたい(もの・こと)というのはいかにして知られるか?
目と耳と鼻と舌と身体と心の、六処によってである。
これら六処において視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思考の六識をとらえる。
これら六識と無関係な客観的・外的な(もの・こと)というのは説かれない。
我々が(もの・こと)と言ってる外的事象の一切も、結局のところこの六識によって
知られる経験であり、言い換えれば自己の内的な感覚ということである。
であるから無我といい、無常といい、何より心と体からなる自己のうえの
話であって、自己と切り離された客観的な存在法則などではありえない。

242 :1:04/09/07 13:51 ID:aCBJSnGM
>>240 苦がなるなるんじゃなくて、
この「苦」は永遠に続くわけじゃないよ。という意味だと思います。

病気に例えれば、病気には因も縁もあるから(病因)が在るから、
それを取り除けば治るよ。という意味ですが。あまり病気の人には
慰めにならないかも。

仏教に入る人は「永遠の輪廻」が怖くて入る場合が多い、というか
それが最も本質的入門理由なんですが、そういう人には「この輪廻は
永遠ではなくて出口があるよ」というのは大きな救いなんです。
その出口が「涅槃寂静」なんですが。

例え死ななければならない病気だとしても、仏縁を得て、死後は涅槃の
世界にいけると思うと少しは救いになるかも。
でも病気は今生で治りたいですよね。私は病気の叔母のために毎朝薬師
如来様にお祈りしています。(これは世間福を求めることになるんですね)。

243 :1:04/09/07 13:58 ID:aCBJSnGM
>>241 さん、こんにちは。
無我、無常でよく話題になるのは「法」ですよね。

仏陀の説いた「ダルマ」は恒常な実在なのかどうか。
それと如来の滅後の魂もそうだったかしら?

人間の認知できないものはどうなんでしょうかねえ。
ヒトが認知できなくても、如来は認知する場合はあるだろうし。
如来の認知の外のものは、我々の存在には関与しないんですかねえ。


244 :名無しさん@3周年:04/09/07 14:05 ID:VUyQ4ZKr
>>243
意味不明ですので、私にも納得できるような説明をお願いします。

245 :1:04/09/07 14:12 ID:aCBJSnGM
>>243 さん、「こと・もの」は
「ダルマ」「滅後の如来の魂」それ以外のもの、ただし、如来もしくは
ヒトが認知できるもの。と訂正さてていただきます。

246 :1:04/09/07 14:14 ID:aCBJSnGM
>>243 如来が認知できないものも、無常で無我なのかもしれないけど。
認知できないんだから確認もできませんよね。しかし確認できなくても
演繹・敷衍する考え方もあるし。(仏教でなくなりそうなのでやめましょう)。

247 :名無しさん@3周年:04/09/07 14:34 ID:k5JOm2Pz
>>242
死後も含めたカルマの中で、病苦もなくなっていく
という理解ですね。法則としてもカルマを前提とした
議論ですね。

>>241
無我を悟ることは一種の境地なのであって、病苦なども
苦ではあるけど、その捕らえ方が変わるのでそれで「苦も滅する」
という考えでしょうか?



248 :名無しさん@3周年:04/09/07 14:45 ID:jQq+F+hB
>>228
医療への信頼でしょ。坊さんが来て病気が治るなら仏教だけど。
日々の人の営みを横取りするなって。これがもし仏というなら、
坊主は金取るなって。信仰心を与えるのは、信者なので有って
坊主ではないんだよね〜。坊主ここが分かってない。

249 :名無しさん@3周年:04/09/07 15:18 ID:OC6rMq9e
>坊さんが来て病気が治るなら仏教だけど。

心の病を治すのが、僧侶の求められるところですかね
原始仏教でも医者の処方はうけていたような。

>日々の人の営みを横取りするなって。これがもし仏というなら、
>坊主は金取るなって。

布施を受けるのは、ほとけ・悟りを開いていなくても清らかな行をする人
と経典にあります。
坊主と揶揄される存在の人は、
ほとけの代わりにお金を預かる態度でないといけませんよね。

信仰心は誰が与えるべきだではなくて、清らかな三業が人に善根を
植えるものだと思っています。
信者達による折伏というのは、考えものだと思っちゃいます
不完全な人が、折伏をするのは、増上じゃないかな。
相でも悟りへの道を閉ざしているのは、信者というのか考えております。

250 :名無しさん@3周年:04/09/07 15:23 ID:OC6rMq9e
× 相
 ↓
○ 僧

251 :名無しさん@3周年:04/09/07 15:45 ID:VUyQ4ZKr
>>247
そもそも「病苦」というのは何でしょうか?

まずその瞬間、瞬間の、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚における痛み等が
あります。それで自分は病気なんだな、という判断が起こる。
そして医者に見てもらったりして、医者が「何々病です」というのを聞く。
まあ医者には診てもらえないかも知れない。
さらに視覚〜触覚における痛み等が、自分は苦しい、惨めだ、情けない、
不快だ、嫌だ、思い通りにならない、何故こんな事に、ああしておけばよかった、
等のあらゆる苦の思考を生み出します。

これが病苦でしょう。そこでこう言えると思います。
病苦の正体とは一瞬一瞬の「痛み等の感覚」から引きおこされる、あらゆる嫌悪
や不快や苦悩の思考のこと。
そこでもしこれら感覚から思考を生み出さなければ、感覚は感覚にとどまり、
もはや苦ではないでしょう。感覚から思考への縁起のプロセスを断ち切れば、
苦の終滅が見えてくると思います。

252 :171:04/09/07 15:53 ID:cF2mhs/W
>そこでもしこれら感覚から思考を生み出さなければ、感覚は感覚にとどまり、
>もはや苦ではないでしょう。

そんなしゃちほこばらなくても、痛いものは痛いと認めたらいいでしょう。
「痛みと苦は違う」と理屈こねたって、痛いものは痛い。痛いのは誰だって
いやだ。いやだけど、痛いものは仕方がない。

痛いが嫌ではないなんて、ただの阿呆か、へそ曲がりですぜ。

253 :名無しさん@3周年:04/09/07 15:55 ID:k5JOm2Pz
>>251

とても興味をそそる説明です。仏教の中でも、このように
形而上的なものを含めず説明する立場があるんですね。

254 :名無しさん@3周年:04/09/07 15:59 ID:jQq+F+hB
>>252
>痛いが嫌ではないなんて、ただの阿呆か、へそ曲がりですぜ。
それなんだよねー

痛いってのは、生きるために必要な事なんだよね。
へそまげて、痛いのはおいらの神経系がそう反応してるから、
とせっかくの感覚を無視して何が説法じゃ。と思うのねん。

心頭滅却すれば火もまた涼しくなるのかもしれないが、
そんな事してたら火傷しちゃうよね。てか焼死しちゃう。
焼死しても、笑ってられると言うのが悟りなら、お医者さん行って、
神経系統を切断してもらえば良いし、麻薬かっ食らって、ハッピーに
なれば良い。

痛いと直面しない宗教は、やっぱり阿片より程度の低い阿片だよ。


255 :171:04/09/07 16:23 ID:cF2mhs/W
>>254
そうだね。そういう勘違いする人は結構多い。
「死ぬのは嫌だ」というのは悟っても変わらないんだよな。
昔の禅の高僧が亡くなる時に、弟子達が末期の語をいただきたいと
枕元で息をこらして待っていたら、その高僧は一言「ワシは死にとう
ない」。耳を疑った弟子達がいくら尋ねても答えは変わらなかった。
挙句の果てに「だって、死ぬのは嫌じゃもの」と言い残して死んだそうだ。

「死ぬのは嫌」は凡夫と同じでも、「嫌だけど順送りだから仕方がない」
と割り切れるのが悟りなんだよね。むしろ、「死ぬのは嫌だ」という
当たり前のことを、格好を付けずに素直に認められるのが悟りなんだと
思うよ。

256 :名無しさん@3周年:04/09/07 16:28 ID:jQq+F+hB
>>255
>「死ぬのは嫌」は凡夫と同じでも、「嫌だけど順送りだから仕方がない」
>と割り切れるのが悟りなんだよね。

はぁ?そんな物宗教に頼らなくても、悟る人は悟る。
逆に宗教が有る所為で、地獄や極楽を意識させられ、
お布施を取られる。意識させた以上、無償で悟りまで
責任持って導くなら許されるが、意識だけさせて置いて、
お布施を絞るだけ絞るなら、これは詐欺師の行い。

257 :名無しさん@3周年:04/09/07 16:30 ID:HSZH0rKt
>>251
病気の際の知覚から生じる不快な感情によって、人間は身体の異常を知り、
治療する意欲が生じる。また、知覚から生じる快の感情によって人生の喜び
が生じる。いずれも自然の摂理であり、否定してはならない。

ヒュームは、人間とは「知覚の束」だと言っている。感情も、そして思考さ
えも知覚から生じる。知覚とは生そのものである。

知覚に基かないいかなる観念も、根拠は皆無である。

258 :171:04/09/07 17:05 ID:cWDjn3M0
>>256
そういうことだわ。
なにもかにも、宗教が政治権力に身売りしたのが躓きの始まり。
それと、現代人は賢くなったので、昔みたいに騙されただけでは済まない。

>お布施を絞るだけ絞るなら、これは詐欺師の行い。
是非、お布施不払い運動やりませう。

259 :マンゴー先生:04/09/07 17:10 ID:Iu/YQpc8
>>249
>ほとけの代わりにお金を預かる態度でないといけませんよね

全くその通りだと思います。
布施は、お経読んで供養・回向した対価として貰うのではなく、三宝に捧げられたもの
としてお預かりするべきものですね。
これは僧侶だけでなく、お布施を差し出す私たちも意識しておいた方がよいことですね。

260 :171:04/09/07 17:14 ID:cWDjn3M0
>>259
ところが、どっこい、その仏様への供養は、正しい仏教を広めるために
使われるんでなくて、我田引水のご本尊の威光をいや増さんと、現代の
バベルの塔の建築に費やされるのですぞ。あるいは、仏教の名の元に
世の中を乱す、悪魔どもの懐に入るのだ。そんな金はドブに捨てた方
がいい。

日本の政治がS学会みたいな迷信集団に占拠されているのを恥じるべきだ。

261 :名無しさん@3周年:04/09/07 17:32 ID:jQq+F+hB
>>260
そこでS学会を出すと、仏教批判がS学会批判に
歪められてしまう。

262 :マンゴー先生:04/09/07 17:41 ID:Iu/YQpc8
>>251
そうですね。自己中心性からくる思考はとめどなく尾ひれをつけたがる。
そして全ての出来事の原因を病気に求めて責任転嫁をして安心する。
これが私たちに自動的に起こる『自己正当化』機能。
この『意味のつながりを変える』ことができれば、状況は随分と違ったものになります。
もちろん痛いのは痛いし、苦しいのは苦しいんです。
けれども、関係ないことまで巻き込むことによって無駄に苦しみを増やすことはないん
ですよね。
末期の患者さんには、よくこの『パラダイムシフト』が起こることが報告されてますよね。
そして病に苦しみながらも、感謝の気持ちを表明されておられます。
これは覚りの仕組みに大変近いものだと思います。
一種のあきらめにも似た境地なのでしょうか、全てを投げ出してしまった境地が、瞑想
における身を他世に捨てる非我の境地と重なるような気がします。

ちなみに、この仕組みを模したものにプラス思考などがありますが、こういった表面的
な技巧では軽微の悩みは解決できても深い苦悩は解決できないでしょうね。


263 :けちゃっぷ:04/09/07 17:48 ID:9ZDn+IMX
>252 格闘選手だって殴られたら試合後は痛いはず。でも、試合に立ち向かうのは、試合で殴られるのは覚悟してるから、不幸感がないのでしょう。病気の痛みも、苦痛だけれど不幸じゃないのです。

264 :名無しさん@3周年:04/09/07 17:51 ID:jQq+F+hB
>>263
素で非宗教家の意見だな(w
宗教信じてる奴が、信じてない人とも暮らせるのは、
ひとえに信じてない奴の方が寛容だからだと気づいてみ。


265 :マンゴー先生:04/09/07 17:52 ID:Iu/YQpc8
>>260
まあまあ、確かに布施の使い道まで考えてしまうと悲しくなってしまうこともありますが
(これが坊さんの酒代になるのかぁ等々)、まずは布施した己の心が清められたなぁ
とでも思って忍耐するのも仏の教えというものです!?

266 :マンゴー先生:04/09/07 18:03 ID:Iu/YQpc8
>>242
1さんにとっての幸せとは何ですか?
六道輪廻から逃れることですか?

267 :けちゃっぷ:04/09/07 18:04 ID:9ZDn+IMX
痛みは、痛い時だけしか痛くない。マラソンの時は誰でも辛い。でもマラソン嫌いな子は、マラソンの辛さがまだ来ていないマラソン大会一週間前からでも、すでにマラソンに苦悩している。不幸を感じている。

268 :171:04/09/07 18:10 ID:cWDjn3M0
>>263
あんた、末期がんで苦しみぬいて死んだ人を見たことないだろう?
「苦痛だけど不幸じゃない」なんて無知のたわごとだよ。

269 :マンゴー先生:04/09/07 18:12 ID:Iu/YQpc8
>>213
私のいのちを、私個人でなく共同体として捉えるというのは、「私」意識の広がり(『パラ
ダイムシフト』)なんだと思います。
私のいのちが、私個人でなくイデオロギーになるのは、「私」意識の転移(『パラダイム
シフト』)なんだと思います。


270 :けちゃっぷ:04/09/07 18:17 ID:9ZDn+IMX
>268 母をガンで亡くしました。母をガンで亡くすことが不幸だとしたら、あなたは僕の家族全員に、一生不幸を背負って生きていけ…とおっしゃるのですか?たまたまガンでたまたま平均より早く往生しただけ。

271 :名無しさん@3周年:04/09/07 18:27 ID:EHLYAXIi
マンゴー先生なんかは、この「有身見・戒禁取・疑」が洋服着て
歩いているようなもんですよ


1さんの書き込みのほうが勉強になるし。
 1さんの仏教のほうが、良い道に進めるような気がします。 

272 :171:04/09/07 18:32 ID:cWDjn3M0
>>268
あのねえ。末期がん患者に「苦痛だけど不幸じゃない」って理屈が通用する
と思う?って言ってるの。痛みと不幸は関係ないと言い出したのはキミの方
だよ。

273 :171:04/09/07 18:37 ID:cWDjn3M0
がんで死ぬのは不幸じゃないさ。医学が発達すれば、ほとんどの人間は
がんで死ぬことになるだろう。たぶん、私も、けちゃっぷさんもね。

しかし、末期がんの苦しみは本人にしかわからない。他人は一分間でも
代わってあげられない。ひとりの人間に課せられた運命の重々しさを
感じたよ。私の親父もがんで死んだものでね...。

274 :けちゃっぷ:04/09/07 18:45 ID:9ZDn+IMX
母は空や無我を悟ってるわけではありませんでしたが、きっと極楽へ往生したと信じています。ただ、健康なうちから覚悟してる人のほうが、いざ自分に病が訪れた時に、受け入れやすいのでは?

275 :名無しさん@3周年:04/09/07 18:48 ID:VUyQ4ZKr
「六処(六つの器官)ありて、触(接触)あり。
触(接触)ありて、受(感覚)あり。
受(感覚)ありて、愛(渇望)あり。
愛(渇望)ありて、取(執着)あり。」(十二支縁起より抜粋)

痛みは痛みです。その反対に快楽は快楽です。
これは自分ではどうしようもありません。
しかし六つの感覚器官における接触から、痛みと快楽という感覚が生まれ、
それに対して渇望と嫌悪を両極とする心身の反応が生まれます。そして
その反応自体に囚われ、執着が生まれます。

ttp://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu1/ix-rinbutuka.htm


276 :名無しさん@3周年:04/09/07 19:09 ID:VUyQ4ZKr
「渇望と嫌悪の両極端を捨てること、自己嫌悪、悔恨をやめること、
ダルマを考察することによる平静な心と清らかな思い。これが無明を破る
正しい知恵による解脱であると私は説く」(SN1107)

「内面的にも外面的にも感覚を喜ばない人、このようによく気づいて
行っている人は心の相続(意識)が止む」(SN1111)


この「内面的にも外面的にも感覚を喜ばない人」には、「内面的にも外面的にも
感覚を嫌わない人」も含意されているのは当然でしょう。なぜなら上に
「渇望と嫌悪の両極端を捨てる」という説かれているからです。
感覚を喜べば、もっとそれが欲しくなり、渇望し、執着します。そこからあらゆる
苦しみが生まれます。
感覚を嫌えば、そこから自他への怒りと苛立ちと憎しみが生まれ、嫌悪が生まれ
ます。嫌悪は執着の裏返し、コインの裏側です。そこからあらゆる苦しみが生まれ
ます。

277 :171:04/09/07 19:09 ID:cWDjn3M0
>>274
悪いけど、それは貴方によって何のプラスにもならない。やっぱり逃げ
なんだよ。いくら妄想を重ねても、痛みという現実は(たとえ過去で
あったとしても)変わらない。
その体験をプラスにするには、自分が同じ立場に置かれた時に、それを
真正面で受け止めるしか方法はないと思う。

278 :マンゴー先生:04/09/07 19:10 ID:Iu/YQpc8
>>271
あなたが幸せと幸運と共にありますように

279 :けちゃっぷ:04/09/07 19:15 ID:9ZDn+IMX
>242 1さんズルい〜っ!
阿弥陀信仰はダメでも薬師信仰はOKなのですか。


280 :けちゃっぷ:04/09/07 19:21 ID:9ZDn+IMX
>277 そう、痛みは現実です。しかし、すでに病気になってしまったのに、「私だけなんでこんな目に会わなきゃならないんだ!」とか愚痴ったり不幸を感じるのも、やはり妄想ですからね。

281 :名無しさん@3周年:04/09/07 19:22 ID:VUyQ4ZKr
>>252
痛いものは、痛いです。それは自然の摂理であり、どうしようもありません。
しかしこの「痛さの感覚」から、惨めさ、憂い、自暴自棄、絶望、家族や親族や
社会への怨み、憎しみ、呪い、あらゆる不幸の思考を生み出すのは、
人間の思考であり、心身が習慣づけた誤った反応です。

>>254
感覚を無視するのではありません。むしろ仏典の言葉を借りれば
「苦観に住す」、すなわち苦の始まりから終りまで、まるごとありのままを観察
するのです。冷静に、中立的に、客観的に、動じず、嫌悪せず、反発せず、
執着せず、囚われず、六識における痛みを観察します。それが苦しみを生み出す
ありさまを、まざまざと観察します。それにより縁起のプロセスは逆転し、誤った
反応は終息に向かいます。これもまた自然の摂理(ダルマ)です。

282 :名無しさん@3周年:04/09/07 19:44 ID:hdijhWbJ
>>275 >>276 >>281 なるほど、分かり易いや。
悟りに入れる仏教とは、こういうものかとわかるような気がする。

それなのに、マンゴー先生の宗教(浄土真宗?)って、悟りより
迷いに入ような気がする。


283 :名無しさん@3周年:04/09/07 19:56 ID:/KG8Thzb
279 名前:けちゃっぷ :04/09/07 19:15 ID:9ZDn+IMX
>242 1さんズルい〜っ!
阿弥陀信仰はダメでも薬師信仰はOKなのですか。


ほらほら、ケチャップもわかるようなこと言ってるよ。
 目くそ、鼻くそを笑うってみたいなこと言ってる!
  よくわかるよ。

284 ::04/09/07 19:58 ID:bdHr1MB4
>>247 さん、頭で理解するのと、心の底から悟るのとでは別物のような気がします。
お財布のお金、通帳のお金。無我なりと悟って人に差し上げられるかどうか。
仏陀の時代の悟りを得た修行者は「この命空なり」と悟って、刃を当てられても
心から平然としていたと言いますし。

お釈迦様も、最後は病気を得て肉体的には苦しみながら亡くなられたわけですが、
仏典を読むと、常人の亡くなり方とは当然ずいぶん違うようですね。その差が、
無我なり無常なりと芯から知っているかどうかかも分かりません。

285 :実行委員長:04/09/07 20:03 ID:zEQlMOeS
思考を変えることが、重要なのです。
その技術は2つある。

286 ::04/09/07 20:04 ID:bdHr1MB4
>>260 171さん、供養、布施には4種類あって。

道心のある人→道心のある人
道心のある人→道心のない人

道心のない人→道心のある人
道心のない人→道心のない人

上の二つに功徳が生じるらしいです。
これも仏教の公理?

287 ::04/09/07 20:07 ID:bdHr1MB4
>>261 日蓮宗系は、本尊を仏陀にして菩薩行を主体にすべきですね。
「お題目は仏陀釈尊に捧げるもの」と改定しなければなりません。
(それとも、実はそういう趣旨なのかしら?)

288 ::04/09/07 20:09 ID:bdHr1MB4
>>265 マンゴー先生、ちょっと質問ですが。
供養は仏様や仏弟子に捧げるもので、布施は困った人に差し上げるものなのでは
ないですか?

289 ::04/09/07 20:15 ID:bdHr1MB4
>>266 マンゴー先生、私が仏教に求めるものは、世間福と出世間福です。
世間福;健康で幸せで家族友人知り合い仲良く楽しく、金銭的にも困らずに
    暮らせること。その他世間で幸せと言われるもの。もちろん清らかな
    幸せ。
世間福;可能なのであれば、ダイレクトに涅槃を得たいものですよ。
    でも五下分結でうろうろしている私には、今のところ無理な話。
    できれば三結断じて預流になりたい。

マンゴー先生やけちゃっぷさんのおかげで、過剰な世間福への望みを持ち
かけていた事に先日気がついて、本当に感謝しています。

290 ::04/09/07 20:20 ID:bdHr1MB4
参考;仏教法数辞典
http://www.evam.com/evam2/book/bdk/term.html

ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑] 203
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明] 216

上下を足して十結煩悩。仏道修行の進展度のものさし。



291 ::04/09/07 20:25 ID:bdHr1MB4
>>271 「阿弥陀様−教」は仏教でありませんからね。

1.念仏三昧=多幸感
2.さまざまな感情を洗い流そうとすること
3.仏典の誤った引用による世間話

この1.2.3の組み合わせみたいですね。
ただ1と2は悪いことでもないので、その裏打ちとして本当の仏陀の教えを
導入すればいいと思います。
3はむしろ有害かも。

292 :   栗花      馨  :04/09/07 20:26 ID:oD5ajKTk
たのしいかい?たのしいかーーー?基地外の自作自演
★ .☆.・∴.・∵☆:*・∵.:*・☆.☆.。.:* ★ :*・∵.:@.。.:*・:*・∵.☆:*・∵.゜ .☆.・∴.・∵+:*・∵.:*・".☆.。.:* ★ :*・∵.:☆+.。.:*・:*・∵.☆:*・∵.゜ .+.・∴. ★ :*・∵.:☆.。.:*・:*・∵.☆:*・∵.゜
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293 ::04/09/07 20:31 ID:bdHr1MB4
>>279 けちゃっぷさんは忘れっぽい。
スレッド1で私も阿弥陀如来様を拝んでいると言ったはずですけど。
「南無阿弥陀仏」ではなくて「オンアミリタ・・」だけどね。
仏陀を主に、薬師如来様や阿弥陀様を従に礼拝するのはとても良いこと
だと思っています。

阿弥陀様専一信仰は良くないと思う、というか仏教ではなくなります。

294 ::04/09/07 20:40 ID:bdHr1MB4
>>282
一挙に無明を断じますと、

じゅうにいんねん 【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]
この順番に、私たちの心にはこれらのものが生起していますから。
無明を断じた時点で「触・受・愛・取」も滅することができるのです。

でもそれができれば、あなたは如来様ですよ。

凡夫はそれができないから苦しんでいるんじゃないですか。

凡夫は五下分結の、下の三結「有身見・戒禁取・疑」から地道に切っていくしか
ありません。ところが間違った議論を繰り返して、ますます下の三結に
強く強く縛られていたら、ますます無明に深く深く陥るだけじゃありませんか?
**
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑] 203
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明] 216


295 ::04/09/07 20:51 ID:bdHr1MB4
>>282 さん、
>>275 >>276 >>281 なるほど、分かり易いや。


もちろんこれは正しいんですが、一挙に無明の断滅を目指すことが、
階段上がりの12段飛ばしだと思うんですよ。無理だし無謀だと思う。

296 :マンゴー先生:04/09/07 20:55 ID:Iu/YQpc8
>>288
そうですね。勘違いをしてしまいました。
ご指摘ありがとうございます。
さてそれでは布施とは何でしょうか。
六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・三昧・智慧)の基本は七佛通戒偈(悪いことをせず
善いことをして心を清めなさい)でしょうから、
布施行とは「善いことをする」に相当するのでしょうか。
執着を捨てるという解釈もありますが、私は上記のように考えております。
善いこととは、自己中心的でなく皆の幸せの為に何かをしたいと思い実行すること、
ですかね。



297 :けちゃっぷ:04/09/07 21:10 ID:9ZDn+IMX
1さん、失礼しました。阿弥陀信仰も一応認めてるんですね。
阿弥陀仏は、修業の対象でもあると思います。釈尊に対する信とは、感覚が違う気がします。

298 :名無しさん@3周年:04/09/07 22:05 ID:VUyQ4ZKr
>>295
どうしてやってもみないことを無理だといい、無謀だと決め付けるのですか?
>>1さんは仏教は公理を信じることから始まるとか、証明不能な命題群を
信じるとか、ブッダの教えを単なる「決め付け」に貶めていやしないでしょうか。
なぜやってもみないうちから、自分を凡夫だと決め付けるのでしょうか?
それら一切の決め付け、心の動きが、>>1さんあなたが過去から溜め込んできた
知識、思考の習慣、心身の反応ということに、どうして気づかれないのでしょうか。
それは縁起の説明を借りれば、無明つまり無意識に支配されているから気づけ
ない、ということになるでしょう。が、その無明に直接アプローチすることはできま
せんね。無明は触れないし、見えないし、感じられないからです。
そこで縁起のプロセスの中で具体的にアプローチできるのは、
「六処、触、受、愛、取」という一連の流れにおいてだけです。
「六つの器官」とか、「接触」とか、「感覚感受」とか、このような言葉が使われること
じたい、ブッダが説いた縁起とは実に具体的で肉体的、精神的なアプローチという
ことを示しているのです。

299 :249:04/09/07 22:23 ID:ZF648Ap6
布施とは、財施・法施・無畏施の三つに分類されていますね。

・衣食などの物資を布施する修行(お金も一応これに入るでしょう)
・正しい道を与える修行
・恐れなきを与える修行

無財の7施という徳目もあります。
布施の対象は、出家修行者・仏教教団・貧窮者の三種類です。

>>288 供養と布施を間違えてしまいました。
 >>249でいう布施とは、お寺(仏教教団)が受けるとき
特に、お金に関しては、それを受ける資格があるのは、ほとけだと言いたかった

300 :名無しさん@3周年:04/09/07 22:26 ID:p5/Whuvo
精神的成長において時間は関係ありません。
すべては自分の覚悟によります。
今ここで覚悟をすることも可能なんですね。

301 :249:04/09/07 22:33 ID:ZF648Ap6
みなさん痛みについて、お話がありましたが
個人的に、猛烈な下痢に苛まれ、非常に苦しい思いをした時に
釈尊のそれは血が出るほどであったと頭に浮かびました

私のそれより、苦しい思いをされたのに、最後まで
不動の心をもって説法をされた世尊を、改めて聖者だと
尊敬をしました。とても根性のレベルだとは思えません。
強引に説法をしても、上辺だけの言葉になるでしょうから。

302 :名無しさん@3周年:04/09/07 22:40 ID:p5/Whuvo
人生とは、演劇です。
人生を演じます。それぞれに、それぞれの役割りが与えられます。

大根役者も居るし、スターも居るでしょう。
演じることを本当に徹し切れる人は悟りを得ていると思います。

痛い時には100%痛いを表現する。
嬉しいときには嬉しいを100%表現する。
悲しいときには悲しいを100%。

全ての感情を100%表現します。
でもその人は自分が演劇を演じていると言うことを知っています。
劇が終了したとき空に帰っていきます。

303 :名無しさん@3周年:04/09/07 22:53 ID:VUyQ4ZKr
×心頭を滅却すれは火も亦涼し
○心頭を滅却すれは火も自ら涼し

ttp://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/hionozukara.htm

304 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/07 23:01 ID:mv6M6NEI
「非我なるものを我と思いなし、個体に執著している。」「一切の事物は我ならざるもので
ある。」
 本当の我は何か。「一切の生きとし、生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」
 この個体に執著も一切なく、ただ平安と安らぎの世界(ニルヴァーナ)を喜ぶ身体であった。
 自身の地上を喜ぶ心は消えうせ、肉体に対する愛着もない。ただ平安と安らぎの幸福を喜び、
 安穏であることと、安楽であることに喜ぶ。

神々「ひとは、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?―もしも自分
   心を制することができないならば」
尊師「修行者は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ま
   すことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな」

或る人「妻も子も従順であります。」おおよそ、人は自分の思いに適った者を、良い人間だと
言う。非我なるものを我と思いなし、自分の思いに適わない者に敵意を抱いたり、不快に思う。
尊師「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著
するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない。」



305 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/07 23:02 ID:mv6M6NEI
非我なるものを我と思いなし、或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、人に対して
も、ああだろう、こうだろうと考えても、それは実は我ではない。それらも粗雑な思考であって、
本当の我は、幸福と安穏と安楽をただ喜ぶ我である。「安らぎは虚妄ならざるものである。諸々
の聖者はそれを真理であると知る。」

私のことについて願い求めるなら、欲念があるだろう。なぜなら、欲念のない彼岸は、個体に執
著せず、私のことについても願い求めることがないから。
しかし、家族や人々に対しての幸福を願うことは、欲念から来ているものではない。

「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるもの
どもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を
起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。〜この世で
は、この状態を崇高な境地と呼ぶ。諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらき
を具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。」

神仏に願い求めることも、自分の家族の平安と安楽、人々の平安と安楽、気に入らない人々に対し
ても仏教を信じて安穏を願うならば、仏道修行となり得ると考えられる。仏教を信じる人は、故意
に人を傷つけることなく、できれば人を幸せにしようと努める人だろうから、人に「あなたは気に
入らない」と言われることが少なくなるはずだと思う。

とにかく、それぞれの人々を尊重してあげることが必要だと思うし、何よりも、人と世間は自分の
思いどうりにはならないものだと自覚することが、あたりまえのことだが一般社会では一番重要だ
ろう。

306 :名無しさん@3周年:04/09/07 23:09 ID:p5/Whuvo
瞑想の上級者に、見たものになる
という体験があります。

太陽を見るものは太陽になります。
暑さを見るものは暑さに、
寒さを見るものは寒さに、

それ自体になるんです。
そのとき、深い空に満ちていて、自分の肉体を見付けることは出来ないでしょう。


307 :名無しさん@3周年:04/09/08 07:27 ID:uZ+t2q9+
>>306
君の誤解は酷いな。見た物になって悟るんだよ。
太陽のあり方を感じて、
暑さのあり方を感じて、
寒さのあり方を感じる。

見た物になるっていう現象に囚われすぎ。
それじゃあ、無とか空とかは喋ってる意味無い。


308 :名無しさん@3周年:04/09/08 07:53 ID:feZJ9Cpy
全然上級じゃないよ。

309 :1:04/09/08 09:24 ID:r5olKBrw
>>298 さん、こんにちは。
仏教では仏道修行者を2つに分類します。
上品(じょうぼん)と下品(げぼん)の修行者です。
ご自分の所有物をすべて投げ捨てて、無一物になって
修行を始めることができるのならあなたは上品の修行者です。

日本の知識人が千年以上も繰り返してきた過ちですね。
自分自身を上品だと思ってしまう。
いかに高僧であれ大仏教学者であれ大作家であれ、自分の
所有物に拘泥して、蓄財をしている間は下品の修行者なのです。

310 :1:04/09/08 09:30 ID:r5olKBrw
>>298 修行の進捗(しんちょく)目安は以下の通りです。

【五下分結】[有身見・戒禁取・疑]→「欲貪・瞋恚」
→【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

欲貪・瞋恚・色貪・無色貪
=本能的な欲望、怒り、物質的な欲望、精神世界への欲望

性欲も食欲もコントロールでき(食事は死なないために最小限食べるとか)、
怒りも完全に制圧し、物への欲望はなく(生きるための最小限のみ求める)、
精神世界への欲望も消えた(文学、音楽、思想、美術などなど)、
そういう状態になって初めて、「掉挙・慢・無明」を断つ段階に進んで
行くことができるのです。


311 :1:04/09/08 09:36 ID:r5olKBrw
>>298
>無明つまり無意識に支配されているから気づけ
>ない、ということになるでしょう。

そういう事にならないように、仏教を学ぶときは全く自説を捨てて
、脳をフォーマットしてから、仏典や先達の言に耳を傾けないとだ
めなのです。あなたは今、脳を白紙にされていますか?


>が、その無明に直接アプローチすることはできま
>せんね。無明は触れないし、見えないし、感じられないからです。

無明には仏陀の瞑想法でアプローチします。原始仏典では「長老偈」
「長老尼偈」(ちょうろうげ、ちょうろうにげ)に詳しいです。
最終段階になると、三明六通という力を得て、すべてを見通し無明を
断つことができるみたいですよ。生々しく語られていますから一度
お読みになってください。




312 :名無しさん@3周年:04/09/08 09:43 ID:QliNxA7d
ぬるぽ

313 :1:04/09/08 09:51 ID:r5olKBrw
>>298 さん
>そこで縁起のプロセスの中で具体的にアプローチできるのは、
>「六処、触、受、愛、取」という一連の流れにおいてだけです。

そして、そのアプローチのためには、以下の修行法が推奨されています。
仏教法数辞典
http://www.evam.com/evam2/book/bdk/term.html
しねんじょ 【四念処】[身・受・心・法] 162
ししょうごん 【四正勤】[断断・律儀断・随護断・修断] 146
しにょいそく 【四如意足】[欲・勤・心・観] 160
ごこん 【五根】〔1〕[眼・耳・鼻・舌・身];〔2〕[信・精進・念・定・慧] 207
ごりき 【五力】[信・精進・念・定・慧] 229
しちかくし 【七覚支】[択法・精進・喜・軽安・捨・定・念] 257
はっしょうどう 【八聖道】[正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定] 278

これが上品の修行法であり、無明から始まり有・生・老死にいたる十二の
生起を取り扱うのは、この方法しかありません。
*【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死] 304

あなたの自己認識は「六処、触、受、愛、取」で留まっているみたいですが、
もう一度よく考えてさかのぼってみてください。名色を自明の存在だと考え
ていませんか?例えばここに美しい名画がある。あなたは「名画」だと思って
いるけど、実は、布に物質を塗った光の反射体なのですよ。美しい色も、
光の波長に過ぎないし。なぜ美しいと思うのか。それは「識」でしょう。
あなたは魂の中に、あるものを美しいと判断する「識」を持ってしまっている。
なぜなら「行」心的アクションがあるからでしょう。そのアクションはどこから
くるのか。それは無明だからでしょう?
「明色」のところからもう一度考えてみてください。





314 :1:04/09/08 09:58 ID:r5olKBrw
>>298 さん、凡夫と決め付けてはいけませんが。たぶん凡夫同士が
上品の修行法について語り合ってしまったわけですが。
しかし、凡夫にとって最も大事なのは下品の修行法です。
それは簡単に言えば三帰依。「仏・法・僧」に帰依することです。
帰依するといっても、言葉だけではだめで、行動が必要ですね。
(美女に愛を告白した以上は、何らかの行為が必要なのと同じ?)
「ブッダ・ダルマ・サンガ」の元で六波羅蜜行などに精進するという
ことでしょうか。

315 :1:04/09/08 10:55 ID:r5olKBrw
>>301
「衆生病む、ゆえに我も病む」とか言われて、冷静に説法を続けられたの
ですよね。最後の食事を与えたチュンダにも優しい言葉を投げかけられて。

(ネットで検索;チュンダ 最後の食事)

カックッター河へ赴いた釈尊一行は、河で沐浴し、口をすすいで水を飲
まれます。河を渡ってマンゴー樹の林で休まれます。ここで釈尊は、鍛
冶工のチュンダに非難が集まったり、供養を後悔することがあってはな
らないとして言われます。――

この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報が
あり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はる
かにすぐれた大いなる功徳がある。その二つとは何であるか? 修行完成
者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したのと、および(こ
のたびの)供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に
入られたのとである。この二つの供養の食物は、まさに等しいみのり、ま
さにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いな
る果報があり、はるかにすぐれた大いなる果報がある。
このように、かつて成道の時スジャータから供養受けたその功徳と等しく
大きい供養だった、と述べられています。そして釈尊は感興の詩をとなえ
られます。

施す人に 福は増し
自制[おさう]る人に 怨みなし
はた善き人の 悪遣[や]れば
貪瞋癡[まよい]は尽きて 涅槃[やすら]ぎぬ
 
供養に上下があるはずもなく、ここではチュンダへの心遣いが表れている、
と見ることができるでしょう。



316 :名無しさん@3周年:04/09/08 11:31 ID:9ViibDOd
>>311
脳を白紙にして、そこに経典の情報を徹底的に流し込むという
わけですね。そのような洗脳的方法をカルト集団がやってきて、
人々に大きな苦しみをもたらしたという事実をご存じないのでしょうか。
あなたは経典の言葉、仏教用語を羅列して、それが修行のやり方
なのだから疑問を抱く許されずそれに従うしかとばかりに説明していま
すが、それは苦しみ悩んでいる人たちの心に届くものなのでしょうか。
それは現実を無視して、ただ経典の立場から頭ごなしにこういうものなの
だと説いているに過ぎませんね。それでは苦しみを取り除き安らぎに
至るという仏陀の根本の教えは取り逃がされてしまうでしょう。

317 :1:04/09/08 11:40 ID:r5olKBrw
>>316 仏教系であれば、仏陀に信を置けばカルトには陥らないと
思いますが。どこかの仏教系カルトに「ブッダに信を置いている」
所はありますか?

ブッダご自身が
「教えを学ぶに当たって我見を捨てよ」
「すべての信仰を捨てよ」
「私の教えるところは宗教ではなく真理である」
とおっしゃっていますからね。

まあ、カルトもそう言うのでしょうが。
本物と偽物を見分ける力は、誰にも必要ですよね。

318 :1:04/09/08 11:45 ID:r5olKBrw
>>316 仏教の目的は仰せの通り「抜苦与楽」ですが、
基本構造をしっかり抑えてない「抜苦与楽ビルディング」は、
グラグラと倒れ崩れて逆に「「抜楽与苦」になっちゃいませんか?

319 :けちゃっぷ:04/09/08 12:52 ID:5t6gVR+g
おすすめ。日本在住のスリランカ上座仏教の長老が主催する、日本テーラワーダ仏教協会
http://www.j-theravada.net/


320 :名無しさん@3周年:04/09/08 14:08 ID:PTNW71/g
忘れてはならないことは、釈迦は生活者ではなく、彼の教えは現実生活を離れた
単なる瞑想から生まれたものである。従って、真の生活の智恵とは言えない。

彼と同時代にも、他者との係わりの中にひたむきに毎日の生活を生きた無名の生活者
が無数に存在した。彼らの中には、釈迦とは違った形で、しかし釈迦よりも優れた
悟りを得た人々が多数存在したことは容易に推測できる。

釈迦の教えが広まったのは、その日常生活から遊離した過度の精神性・抽象性及び布
教行為の故に過ぎず、人間生活における「真理」であったからではない。今で言う
「ポピュリズム」である。まともな生活者は、自分の悟りをことさらに布教などしな
い。また、生活を離れた過度の精神性(異常心理)は伝播する。一神教の神概念も同じ。

ただし、釈迦の教えは、専ら現実の人間を対象としている点で、人間性から隔絶した
一神教の神概念とは異なる。

321 :1:04/09/08 15:40 ID:r5olKBrw
>>319
「スリランカ上座仏教の長老が主催する、日本テーラワーダ仏教協会」

「テーラヴァーダ仏教国における民衆の生活」という本を
読んだことがありますが。著者はイギリス人だったかしら。
民衆の生活は楽しそうですよ。毎月満月の夜にはお祭りを
するんですよね。仏舎利塔を礼拝して、満月の夜にはお祭
りで、僧侶には適切なご供養を捧げて、月2回のウポーサ
タにはちょっと精進して。そんなテラバーダだったら良い
けど。まさか上座部のお坊さんの指導で瞑想やらされるん
じゃないでしょうね?

322 :1:04/09/08 15:46 ID:r5olKBrw
>>320 釈迦のレベルまで行くと、人々の世間の暮らしが
ひしひしと分かるみたいですよ。
(ブッダは世間解と呼ばれるんですよね)
その手前の修行者がやばいんですよ。世間から遊離して
悟ったつもりの人たち。いわゆる「小乗」と呼ばれた
人たち。

323 :けちゃっぷ:04/09/08 17:29 ID:5t6gVR+g
>321 はい、ホームページでは、ヴィパッサナー(「観」の語源ですね)という瞑想のやり方が、具体的に紹介されてますね。

324 :1:04/09/08 18:17 ID:r5olKBrw
>>323 見るからに疲れそうな瞑想ですね。
出家者の養成が目的なんでしょうか。
けちゃっぷさんは試してみるのですか?

325 :けちゃっぷ:04/09/08 18:34 ID:5t6gVR+g
>324 慣れないと長時間は難しそうですね。歩きながら試しにやってみたり。やってるうちに自然と心が成長する…という点、念仏も似てるかもしれません。

326 :けちゃっぷ:04/09/08 18:38 ID:5t6gVR+g
心の動きを逐一ラベリングして実況中継するというの、五薀を使ってラベリングしたらおもしろかった。「これは受だ」「これは想だ」…。「これは色だ」ってのは、ありえないかもしれませんが。

327 :1:04/09/08 18:52 ID:r5olKBrw
>>325 けちゃっぷさん、
そのヴィパッサナー瞑想というのは、
四念処法の「改」ということらしいですが。

(検索してみると)
四念処(四念住)の念…四念処とは・
この身は不浄なり・受は苦なり・心は無常なり・法は無我なり…
の四つのことを心に想い浮かべる修行をいうのである。

確か
(身、受、心、法)⇔(不浄なり、苦なり、無常なり、無我なり)
4対4=16種類の観想をするんですよね。

ヴィパッサナー瞑想と四念処法はどう関係あるんのでしょう?
ネットを見ると、心理療法にも使われていたりもするみたいだけど。
返って心理の深みに落込まないかと心配です。


328 :1:04/09/08 19:03 ID:r5olKBrw
>>326 ちょっと暇なのでチャットモードですが。

ごうん 【五蘊】[色・受・想・行・識]

この「行」というのは医学的に謎らしいですよ。
「腕を動かそうと思う」→「脳神経細胞運動野が活動する」→「腕が動く」

脳には「〜しようと思う」の部位が無いらしい。
パソコンのCPUにも「〜しようと思う」という部分は無いですよね。
それが「こころ」かな。

「受」も深いですよね。「痛い」→「痛くてつらい」。
感覚器や神経→こころ。

329 :名無しさん@3周年:04/09/08 19:51 ID:2IrEg3Jl
かれらはまた各自に根本的な正しい理念を持つ者となるであろう。
人々が善根を養い育てることなく、福徳を養って貧しい者となり、
愛欲に溺れて盲目となり、邪見の網につつまれて、・・・・・・

いろいろの仕事に従事し、種々さまざまな意図をもってそれぞれ
に良心による判断に従って行動する人々に、善根を生じさせよう
として、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生きる上で正しい理念を持つようにすることが釈迦の目的


330 :けちゃっぷ:04/09/08 19:59 ID:5t6gVR+g
>328 「行」ですか。消去法で考えた場合、受でも想でも識でもないのが、行では?受と想は入力っぽい。行は出力っぽいですね。識はデータ。受からの入力はアナログで、想でデジタル言語化されるのかも。

331 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:02 ID:+VAjZa/M
釈迦の説法そのものが、現代と違う状況において存在したのであって、現代の日本のように
平和な時代は、仏教はいらない。


332 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:07 ID:+4YxFVuu
>>328
医学の発達により、そのうちすべて明らかになることでしょう。宗教とは異なり、
科学は日進月歩しています。わざわざ古い文献を有難がって持ち出す必要はありません。
宗教教典の記載が、科学の発達によって否定・訂正された例のほうが、圧倒的に多い
のですから。

333 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:16 ID:ZmSNrR/W
2500年前は、現代のように科学が発展してなかったし。
現代のような理性的な生き方を知らなかったから、釈迦が教えを説いた
のだろう。バラモン教など神々崇拝があり、神々なんぞに頼らず現代の
良識に通じる教えを説いた。

334 :けちゃっぷ:04/09/08 20:21 ID:5t6gVR+g
パソコンは、パソコン自身の思考を認識してるんでしょうか?眼耳鼻舌身意の中の意みたいに。

335 :けちゃっぷ:04/09/08 20:27 ID:5t6gVR+g
>333 あなたの言う理性的という意味がはっきりわかりませんが、現代人が本当に理性的なら、一時の感情に流されて殺人を犯したりしないのでは?

336 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:33 ID:uZ+t2q9+
>>335
お釈迦様の時代に比べると、人口辺りの殺人、病死、餓死は、減ってると思う。
また、人口そのものも増えてる。

337 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:37 ID:7BwgGgyB
人々が熱心に働き、パソコンがつくられ、このように書き込みもできる。
お釈迦様も、こんな平和な時代を望んでいたんだろうよ。

豊かな時代になっても、人々は自ら気をつけ、五感の喜びをほどほどに
して働く。お金と物と楽しいことが多くあっても、それだけに生きようと
しない人々。
お釈迦様の時代の人々だったら、五感の喜びを貪り、食う、寝る、遊びに
明け暮れる人々もいただろう。
現代人は、理性があり、そんなことして生きない。身の破滅を自らが知っ
ているから。ある程度自制して、ほどほどに楽しむ。

338 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:44 ID:StcbmW7G
コーサラ国王パセーナディは、四軍を装備して、マガタ国王アジャータ
サットゥを、カーシーで迎え討った。

釈迦の時代は、戦争が多かった。国王は、人を自由に支配した。
そういう時代だったから、釈迦の教えが必要だった。

339 :名無しさん@3周年:04/09/08 20:52 ID:StcbmW7G
プーナラ・カサッパ(道徳否定論者)について、
この世において他人の身体を切断し、他人を殺し、他人を傷つけ、他人
の財産を奪い取ろうとも、カサッパはそれらの行為のうちに悪を認めない。
また善い行為をなしても、その行為のうちに自分のための功徳を認めない。

そういう道徳否定論者もいたから、釈迦の教えが必要だった。

340 :名無しさん@3周年:04/09/08 21:38 ID:rSF9XYk4
浄土真宗の御僧侶は、釈尊の時代のこともわかっているようで、
人の心を穏やかにさせる説法をするよ。親を大事にしろとか、人に
親切にしろとか、そうすれば阿弥陀仏に救われ、善いところに行ける
と教える。この世界ばかりではなく、浄土があるから、悪いことをせ
ずしっかり生きよと。そういう世間一般のことを教えるだけだよ。
浄土をイメージさせるから、ほっとする。
学校の先生もされていて、布施をしろとか、布教をしろとか一切言わ
ない。金儲けがからんでこないので、宗教に熱中させること言わない。
葬式仏教が一番だね、今の時代。お寺が金儲けを企むので、いろいろ
な説法が生まれる。説くに布施しろとかが教えにある寺は怪しい。


341 :名無しさん@3周年:04/09/08 22:00 ID:d7b0z3qV
布施、布施といってるところが一番やばいよな。
金儲けみえみえ。
次に、布教、布教といってるところがやばい。
集客みえみえ。
次に、坊主を大切にせよといってるところがやばい。
言うこと聞かせるというのがみえみえ。

342 :名無しさん@3周年:04/09/08 22:46 ID:+4YxFVuu
「ブッダとそのダンマ」(B.R.アンベードカル著、光文社新書)を本日購入。
仏教徒ではないので読むのはシンドイが、仏教の方々は是非呼んで感想を聞かせて
欲しい。「インド仏教徒1億人のバイブル」だそうです。

343 :名無しさん@3周年:04/09/08 23:24 ID:9ViibDOd
>>317
知らないのですか。かのオウム真理教も三宝に帰依させていましたよ?
これは経典の言葉なり、信じろ、信じろ、ではブッダの教えに反するでしょう。
あなたがブッダの言葉として引用した文章は、文意を捻じ曲げたでっちあげです。
でなければ前後の文脈をはっきりさせて典拠を示せるはずです。

それどころかあなたの見解に反する教典があります。

「人からの聞き伝え、伝統、噂をうのみにしてはいけない。経典の権威、単なる推測や
公理、見かけ、思索、可能性、観念、あるいは「これは我が師」としては盲従しては
ならない。自分自身でそれが有害であり間違っていて賢者も非難していると知れば、
それを捨てなさい。自分自身でそれが健全で良いものであり賢者も称賛していて人々
の為になり幸福に導くと知れば、それを受け入れ、従いなさい。」
(AN,Kalama sutta)

344 :コーク港:04/09/08 23:25 ID:aRMoYjwX
本覚思想批判について、詳しい方いません?
この考えは今の仏教界でどのように認識されてます?

345 :名無しさん@3周年:04/09/08 23:49 ID:frXXwH5i
317 :1 :04/09/08 11:40 ID:r5olKBrw
>>316 仏教系であれば、仏陀に信を置けばカルトには陥らないと
思いますが。どこかの仏教系カルトに「ブッダに信を置いている」
所はありますか?

ブッダご自身が
「教えを学ぶに当たって我見を捨てよ」←どの経典のどの場所よ
「すべての信仰を捨てよ」
「私の教えるところは宗教ではなく真理である」
とおっしゃっていますからね。


346 :名無しさん@3周年:04/09/08 23:50 ID:vMZLSpvs
1は我見だらけじゃん(W

347 :名無しさん@3周年:04/09/09 01:08 ID:VK96Z90u
1は仏教を本当に理解しているのか。真偽の程も定かでない大昔の人間の言説や文献に
依存することに一体如何なる意味があるのか。「基本をしっかり」などと言うが、
仏教は思想であって、知識や技術ではないのだよ。

348 :名無しさん@3周年:04/09/09 07:10 ID:dxTNpn7Q
>>344
仏教界での認識は分かりませんが、本質的に文献学的宗学擁護を狙っていたものと考えられます。
曹洞宗では、道元禅師が本覚批判したとする説がもともと伝統としてありました。(弁道話とか)
批判仏教学者たちが研究したチベット仏教にも如来蔵批判というものがありました。

そこで批判仏教学者たちはチベットの如来蔵批判を利用して、
道元禅師の宗学を文献学的に援護したつもりだったのでしょう。

ところがそれは道元禅師から倒錯していることも『弁道話』を読んだだけで分かります。
なぜなら道元禅師は、法灯正しい師から教えを受け坐禅すること以外に仏教は学べないといっていて、
文字修学、つまり文献学は否定しているからです。
また、その道元禅師の姿勢は、批判仏教学が「正しくない仏教」とするものの典型でもあるからです。

より一歩進めるなら、宗学、仏教に託した我の現れを批判仏教から感じます。
その我とは、文字修学、文献学や同和運動の肯定と、それに反するものの否定。
ようするに自分の側にあるものの肯定と逆の否定で、貪欲と瞋恚にほかならない。

そうゆう動機に基づいたから、自説に合わない人たちを批判し、
最後は仲間割れして泥沼の論争を展開したのも当然と思えます。

往年のマルクス主義者の仏教論って感じですね。

こんな胡散臭いものが流行ったのが信じられない。

349 ::04/09/09 09:33 ID:ITe1Ssl5
>>329 さん、おはようございます。
>かれらはまた各自に根本的な正しい理念を持つ者となるであろう。

>いろいろの仕事に従事し、種々さまざまな意図をもってそれぞれ
>に良心による判断に従って行動する人々に、善根を生じさせよう

>生きる上で正しい理念を持つようにすることが釈迦の目的

はっしょうどう
【八聖道】[正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定]

八つの正しい道を歩めということですね。


350 ::04/09/09 09:49 ID:ITe1Ssl5
>>330 けちゃっぷさん、おはようございます。

>(色)受、想、行、識 =五蘊(色はあなたの物質的要素)
私はどれも(残りの4つは)、脳と心の働きで、
受は感覚器(触覚、音、光、など)からの受容とその処理、
想はイマジネーション、
行は意欲などを含む脳と心の働き、
識は言語などを使った思考(言語を使わない思考も含む)

【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]
の行・識とはまた別物なんですよね。

かな、と思っています。

351 ::04/09/09 09:51 ID:ITe1Ssl5
>>331 さん、こんにちは。

仏教はむしろ「平和でない」世界で求められていると思います。
日本も世界に比べれば平和みたいですけど、みんなの心の中は
戦乱状態(戦国時代)では?

352 ::04/09/09 09:53 ID:ITe1Ssl5
>>332 医学がいくら発展しても「こころ」までは解析できないと
思いますよ。
(心理学的に推測することはできますが)
逆に科学がいくら発展して、超超精密なロボットを作ったとして
も「こころ」は創れないと思うし。

353 ::04/09/09 09:55 ID:ITe1Ssl5
>>333 現代でも恐ろしいほど、神(God)や神々(gods)の崇拝が
広まっていますよ。「信仰を捨てよ」というブッディズムのほ
うがむしろ孤児状態なのでは。

354 ::04/09/09 10:12 ID:ITe1Ssl5
>>334 けちゃっぷさん。
「眼耳鼻舌身意」は六処・六入ですよね。

外界とこころの接点です。
「意」は思考という手段を用いた外界との接触点。

たとえば「眼」の交流。美しいものを見る。
さらには「意」の交流。ネットなんかは典型ですね。文字情報のみで、
Aさん⇔Bさん。

355 ::04/09/09 10:15 ID:ITe1Ssl5
>>337 さん、遊園地で子供達が楽しく遊んでいます。
みんな仲良くほどほどに。でもね、その喜びはいつまでも
続くのでしょうか。
ハッと思うと周りに誰も居ない。その恐怖に気づいた人が
仏道に走るのかも。(私はそうです)

356 ::04/09/09 10:16 ID:ITe1Ssl5
>>338 世界はもはやヨハネの黙示録の状況に突入した。ともいえる。

357 ::04/09/09 10:18 ID:ITe1Ssl5
>>340 さん、僧侶の役割は口当たりのいい説法をすることではありません。

「福田」に値する身を律した僧となり、人々の供養を受けて、人々に功徳を
授けることです。

358 ::04/09/09 10:22 ID:ITe1Ssl5
343 さん、おはようございます

>かのオウム真理教も三宝に帰依させていましたよ?
三宝って???
仏は大シバ神??¥
法は、むかし数分書店で立ち読みしたけど(ビニール破って)・・唖然。
僧は、あの人たちでしょう?



これは経典の言葉なり、信じろ、信じろ、ではブッダの教えに反するでしょう。
あなたがブッダの言葉として引用した文章は、文意を捻じ曲げたでっちあげです。
でなければ前後の文脈をはっきりさせて典拠を示せるはずです。

それどころかあなたの見解に反する教典があります。

「人からの聞き伝え、伝統、噂をうのみにしてはいけない。経典の権威、単なる推測や
公理、見かけ、思索、可能性、観念、あるいは「これは我が師」としては盲従しては
ならない。自分自身でそれが有害であり間違っていて賢者も非難していると知れば、
それを捨てなさい。自分自身でそれが健全で良いものであり賢者も称賛していて人々
の為になり幸福に導くと知れば、それを受け入れ、従いなさい。」
(AN,Kalama sutta)

359 ::04/09/09 10:40 ID:ITe1Ssl5
>>343 さん、続きです。↑本文が行ってしまいました。

>「人からの聞き伝え、伝統、噂をうのみにしてはいけない。
>経典の権威、単なる推測や公理、見かけ、思索、可能性、観念、
>あるいは「これは我が師」としては盲従してはならない。

しちかくし 【七覚支】[択法・精進・喜・軽安・捨・定・念]
七覚支法の択法覚支(ちゃくほうかくし)です。しっかり勉強して
正しい法を選ばないといけないのです。

>自分自身でそれが有害であり間違っていて賢者も非難していると知れば、
>それを捨てなさい。
>自分自身でそれが健全で良いものであり賢者も称賛していて人々
>の為になり幸福に導くと知れば、それを受け入れ、従いなさい。」

仏教は一般に賢者によって賞賛されていますよね。2千数百年間も。

後の判断はご自分です。

もし、良いものと知れば、「我を捨てて、我見を捨てて、真っ白になって」
「それを受け入れ、従いなさい。」

○法を選択する
○選択した以上は、先入観を捨てて学んでみる。
○「そんなことないだろう」とかの我見は勉強の妨げになります。

360 :名無しさん@3周年:04/09/09 11:00 ID:FIKWaSw/
1さんは、何だか仏教徒という感じがしないね。ヨハネの黙示録など持ち出す
とは、キリスト教の影響を受けてるのですか。

361 ::04/09/09 11:11 ID:ITe1Ssl5
>>345 さん、こんにちは。

>ブッダご自身が
>「教えを学ぶに当たって我見を捨てよ」←どの経典のどの場所よ

ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]
以上の十結煩悩を切ることが仏道の修行階梯なのですが。

仏教に入門すると、まず下の三結「有身見・戒禁取・疑」を断つこと
が目標になると思うんですよ。
仏陀の教えに対して疑い惑うこと。
我見に凝り固まること。
さまざまな今まで蓄積した思想を捨てること。
それが大事だと思います。

お答えは、下の三結「有身見・戒禁取・疑」、ということで
ご容赦ください。

もちろん、仏道に入門した後のことですが。


362 ::04/09/09 11:13 ID:ITe1Ssl5
>>360 この前見た演劇で「〜さんはヨハネの黙示録が愛読書」
という台詞があったんですよ。実は読んだことはないのですが。

363 ::04/09/09 11:18 ID:ITe1Ssl5
>>347
>仏教は思想であって、知識や技術ではないのだよ。

初期仏教はとてもシンプルに組み立てられた知識体系だと思います。
先入観を持って、「輪廻はないだろう、天上界はないだろう、施与と
功徳の関係などないだろう、善悪と業なんて関係ないだろう」などな
ど、科学で測定不能なことを否定することさえしなければ、とても
簡単な構造でまとまっていると思います。

その基本構造を頭に入れずに仏典を読むと、ただただ「善良なおかげ話」
の羅列で、仏教の本質がつかめないと思うのです。

こういう受け止め方もあるんだなと思っていただけたら、とても嬉しい
のですが。

364 ::04/09/09 11:33 ID:ITe1Ssl5
>>348 「本覚思想」と「本覚思想批判という思想」があるんですね。
「磨けば宝石、磨かなければただの石」とかそういう単純な思考で
は学問にならないんでしょうねえ。

365 ::04/09/09 11:36 ID:ITe1Ssl5
>>360 キリスト教についてはかなり考えた時期もありました。
でも、今では「神は迷妄」と決めてしまいました。悩みましたけどね。
ブッダが「すべての信仰を捨てよ」と教えているし。そちらを取る
ことにしましたよ。

366 :名無しさん@3周年:04/09/09 11:53 ID:JlJt3m1i
そうそう、知的遊戯としては面白いんだけど
近代主体批判の理論のひとつとして受容されていますからね。
あんなもので禅が分かったつもりにはなってほしくない。
往年のマルクス主義というよりは構造主義の亜流でしょう。

367 :名無しさん@3周年:04/09/09 12:09 ID:FIKWaSw/
>>365
>ブッダが「すべての信仰を捨てよ」と教えているし。そちらを取る
>ことにしましたよ。

随分と簡単ですね(W)。もっと本質的な思考はないのですか。それでは
本当の仏教者にはなれませんよ。

368 :名無しさん@3周年:04/09/09 12:09 ID:JlJt3m1i
>>366>>364へのレスです。

369 :けちゃっぷ:04/09/09 12:29 ID:xo3O9Nvl
>363 仏教には技術もあります。修業です。
悲しみとは涙とは…と、議論を深めるより、泣ける映画の一本でも観たほうが、悲しみや涙を体験できます。

370 :1:04/09/09 12:35 ID:ITe1Ssl5
>>367 もうすこし色々考えてはいるのですが。
まあ、仏教スレッドだから、キリスト教のことはゆるして。

371 :名無しさん@3周年:04/09/09 12:38 ID:FIKWaSw/
>>364
>>366

「本覚思想」は、専らすべての人間を対象とするという仏教の一大特長に
鑑みると、そんなに簡単に論じ去るべき問題ではないと思います。

372 :1:04/09/09 12:39 ID:ITe1Ssl5
>>369 けちゃっぷさん、仏教の技術といえばこれ?

【四念処】しねんじょ [身・受・心・法]
【四正勤】ししょうごん [断断・律儀断・随護断・修断]
【四如意足】しにょいそく [欲・勤・心・観]
【五根】ごこん 〔1〕[眼・耳・鼻・舌・身];〔2〕[信・精進・念・定・慧]
【五力】ごりき [信・精進・念・定・慧]
【七覚支】しちかくし [択法・精進・喜・軽安・捨・定・念]
【八聖道】はっしょうどう [正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定]



373 :1:04/09/09 12:45 ID:ITe1Ssl5
>>371
あなたは本来如来。
だけど【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]
で覆われてる。
覆いを外せば如来なのか。外さなくても如来なのか。

でもどちらにせよ、外さない限り六道輪廻は永遠に続く。


374 :けちゃっぷ:04/09/09 12:49 ID:xo3O9Nvl
>372 まぁそうですね。
座禅の時おしりに座布団を敷くと、背筋が伸びて座るのが楽です。…こういう細かい技術もたくさんあるでしょうし。

375 :けちゃっぷ:04/09/09 12:53 ID:xo3O9Nvl
四苦八苦をなくすには煩悩を断じる必要があります。でも、如来蔵思想で、四苦八苦の現実の人生を納得して生きていく力にはなるでしょうね。諸法実相です。

376 :1:04/09/09 12:53 ID:ITe1Ssl5
>>374 けちゃっぷさん、
今大流行なのが仏教の呼吸法ですね。
呼吸と意識と考察と、その関係がよく分からない。

(仕事も一段落。ちょっと出かけますね。)


377 :1:04/09/09 12:56 ID:ITe1Ssl5
>>375 けちゃっぷさん、「煩悩」

>ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
>ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]
>以上の十結煩悩を切ることが仏道の修行階梯なのですが。

↑煩悩はこれですよ。欲貪はホンの一部。



378 :名無しさん@3周年:04/09/09 12:56 ID:XEQfZEu5
「言い伝え、伝統、噂、推測、経典、可能性、観念、「師の教え」だからというだけで
盲従してはならない。しかし私の説く教えは真理なのだから他の宗教思想家
とは全く違う。たとえ自分に理解できないことでも、有無を言わずに信じなさい」

これがブッダの教えだとしたら、ブッダ自身まったく矛盾してるし、説得力のない
詐欺的なものだったでしょうね。しかしブッダが
「言い伝え、伝統、噂、推測、可能性、観念、「師の教え」だからというだけで盲従
してはならない。」と言うとき、当然ですがこれはブッダ本人の教えも含んでいる
のですよ。それを次に示します。

379 :名無しさん@3周年:04/09/09 12:58 ID:XEQfZEu5
>>359
あなたが引用した「すべての信仰を捨てよ」 ですが、スッタニパータの
「(ピンギヤよ)ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を
捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ」(SN1146)ですね。

しかしこの一文の前にこうあります。
ピンギヤ「(ブッダは)まのあたりに即時に実現される、時を要しない法、すなわち
煩悩なき<妄執の消滅>をわたくしに説示されました」(SN1141)
つまりピンギヤ自身、即時に、まのあたりに効果を体験して、法を受け入れたと言う
のです。

「択法、法を選ぶ」と言いますが、どうやって選びますか?
説示されたところを修行して、「自分自身でそれが健全で良いもの」だと体験して
納得して法を選ぶのです。それゆに法は「まのあたりに即時に実現され(sandittiko)、
時を要せず(akaliko)誰でも来て見てみなさいよ(ehipassiko)」だと言われるのです。

「しっかり勉強」するのはいいですが、それが仏教用語の羅列であっては困ります。
2千数百年間の伝統があるからと言って、「まず用語を勉強してそれを信じよ」、では
法はねじ曲げられることになります。

380 :けちゃっぷ:04/09/09 13:00 ID:xo3O9Nvl
呼吸法も念仏・題目も、脳のリズム運動なので、セロトニン神経に良い影響があるようですね。キレやすい子供やひきこもりの人は、セロトニン神経がうまく機能してないとか。

381 :1:04/09/09 13:01 ID:ITe1Ssl5
>>379 1:30分の電車に乗らなければ。
夜9時には帰ってきます。ごめんなさい。また後で。

382 :名無しさん@3周年:04/09/09 13:03 ID:FIKWaSw/
>>375
言ってることが二つに分かれていますね。どちらが仏教における覚りなの
ですか。

部外者にとっては、本覚思想こそ仏教の中核で、最も感銘を受けますが。

383 :■人殺し鈴木・公一を逮捕せよ■:04/09/09 13:05 ID:1HBpOhP5
■2ちゃんねると鈴木・公一マルチ破綻の黒幕■
─────────────────────
■衝撃的事実キーワード■ 
鈴木・公一(奇跡を呼び込むS氏の能力開発)が、仕組んだ
潟^ントのマルチシステムが、計画破綻。支払い金戻らず。
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=news&tn=0072
■衝撃的事実キーワード■
破綻した鈴木・公一マルチ詐欺のモデルとなったのは、
史上空前の詐欺事件「八葉事件」 ←最大級のキーワード
■衝撃的事実キーワード■
2ちゃん 西村・博之の父、国之(想化学会)、
ピンクちゃんねる 中尾・嘉宏(想化学会 札幌支部幹部)
────────────────────────────────
上をよく読み、下をクリックすれば、上のキーワードのすべてが一致する!
心臓の悪い人は、絶対にクリックしないでください
    ガクガク(((( ;゜Д゜))))ブルブル
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
||    
   ∧||∧ 
  ( / ⌒ヽ http://www.forum21.jp/contents/contents12-15-1.html
   | |   |   尚、「八葉事件」の被害者たちは、<自殺者>が続出しています。
   ∪  | http://w●ww.tor●ide.o●rg/st●udy/e2●22.htm
    | | | 2ちゃんから、リンク規制されてるので、
    ∪∪  黒丸●を削除し、くっつけてみてださい。

  南無妙法蓮華経 (-m-)



384 :名無しさん@3周年:04/09/09 15:47 ID:FtLDfemi
>>380
それは、仏教をハタヨガの代用として見ているようなもので、1960年代に
アメリカのヒッピーが麻薬を使って禅の悟りを体験しようとしたのと同じ
発想です。

そういう浅はかな考えの持ち主に、たとえ兼業だとしても「仏教」を説いて
ほしくないな。

385 :名無しさん@3周年:04/09/09 15:57 ID:FtLDfemi
>>378
ここの皆さんに尋ねてみたいのだけど、なぜ「仏教」の教えを真理だと
思うのでしょう。釈迦に会ったこともないし、死後に成仏したのを確認
したわけでもない。あるのは経典群と、それを捧持する僧と教団。

結局、伝統の重みや世間の評判という名の「権威」を盲信しているか、
そうでなければ経典の中に、自分が共感できるものを見つけたから、の
いずれかでしょう。
「真理だから択んだ」のではなくて、「自分が択んだから真理だ」という
ことだと思います。なぜなら、誰にも真理が何であるかわからないから。

386 :名無しさん@3周年:04/09/09 16:31 ID:XEQfZEu5
>>385
まったくその通りだと思います。>>343に引用したKalama suttaも、
「疑わしいことについて疑いが起こるのは、当然のことだ。不確実なこと
について疑いが起こるのは、ふさわしい。」と説かれています。

それで、はじめは誰もがブッダの法についても、「疑い」を持っているわけです。
しかし自分で法を実践して体験してみて、心に安らぎを感じ、心が澄み浄めら
れるのを感じ、モヤモヤしていた疑問や無知が晴れるのが自分でもわかり、
「これは良いものだ。間違っていない。他の実践している人を見てもそのこと
が分かる。」と実感した時、法を心から喜び、真理だと了解し、信じる気持ちが
起こってくるのです。

それゆえ法の教えは、「世尊によってよく説かれたものであり、
自分で体験すべきものであり、時間を経ずして効果のあるものであり、
自ら確かめつつ進むものであり、自ら心に獲得すべきものであり、
賢者によって各々知られるべきものである。」と説かれるのです。
(Svakkhato Bhagavata Dhammo Sandithiko Akaliko Ehipassiko Opaneyiko
Paccattam Veditabbo Vinnuhi ti)

387 :名無しさん@3周年:04/09/09 16:38 ID:XEQfZEu5
>>385
議論したり、仏教用語を羅列したり、頭だけで思索したり、ただ人から
聞いたり経典を読んで信心しているだけのうちは、真理は何で
あるかはわかりませんよね。それが真理である時は、理屈ぬきで
真理であるとわかるものです。たとえば目をつぶっていては他人が
出すジャンケンの手が何であるかは分かりません。しかし自分で
やってみれば、たとえ目をつぶっていても自分の手がグーかパーか
チョキかはわかるものです。自分自身で体験するのが大切です。

388 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 17:08 ID:ZOQnf6/P
>>385
>「真理だから択んだ」のではなくて、「自分が択んだから真理だ」という
>ことだと思います。なぜなら、誰にも真理が何であるかわからないから。

仏教では、ナニナニシカジカが真理。などと、どこにもそんな教えはありません。
自分で極めるもんです。

どうか、極めてください。


389 :名無しさん@3周年:04/09/09 17:13 ID:FIKWaSw/
オウムとどこが違うのですか。

390 :B ◆t/HOghkWzc :04/09/09 17:16 ID:/eEtFcL5
( ̄ー ̄)ニヤリッ

391 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 17:28 ID:ZOQnf6/P
>>489
オウムというのは、入信すればチャンと真理は用意してあります。

だから、インスタント宗教ゴッコはできるかと思います。
現代人には合ってるかもしれませんね。

ちなみに、チキンラーメンというのは発売当初は人気を博したもんです。
何故か?
それはインスタントにラーメンが喰えるからです。
こういったラーメンはリッチな食べ物の感覚があったんでしょうね。

ちなみに、鯨肉などは貧乏人が食べてましたよ。
随分、昔の話ですがね。

392 :けちゃっぷ:04/09/09 17:29 ID:xo3O9Nvl
>384 セロトニン神経へのはたらきかけは、修業の効果のひとつですが、すべてではないでしょう。
麻薬は副作用も中毒もあります。別物ですよね。

393 :けちゃっぷ:04/09/09 17:49 ID:xo3O9Nvl
>382 どちらも覚りと言えるのでは?
完全に煩悩を断てば、雷に驚くことすらないかも。一方、普通の人は驚く。ただし、雷に驚くのは不幸ではありません。でも驚きたくないなら、修業あるのみ。

394 :名無しさん@3周年:04/09/09 17:57 ID:FIKWaSw/
>>392
宗教にも副作用や中毒があります。

>>393
「修業しよう、修業しよう」。どこかで聞いた言葉。

395 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 17:59 ID:ZOQnf6/P
×  修業
○  修行

396 :名無しさん@3周年:04/09/09 18:04 ID:vnIAq+uY
>>392
自家中毒ってのが怖い。所謂依存症ってのは、副作用の結果です。

修行者が厳しい修行に耐えられるのも、この依存症が原因の一部。
神秘体験をするなとは言わないけど、それを持って悟ったとか、
神の存在証明を自分に持つことは危険極まりない。

397 :けちゃっぷ:04/09/09 18:15 ID:xo3O9Nvl
如来蔵思想で、煩悩あるままの自分も仏なんだと思うのはいいけれど、やっぱり未熟な仏なんだという謙虚さを忘れてはいけませんね。

398 :名無しさん@3周年:04/09/09 18:36 ID:TUlt+V8e
「我を捨てて、我見を捨てて、真っ白になって、それを受け入れなさい」

(1)布施をすること
(2)僧侶を尊敬すること
(3)布教をすること

 この三つに従って、僧侶は働きもせず、豊かに暮らせるのである。

となるといけないので、この時の僧侶は、出家修行僧に限定されるのだ。
今の僧侶と言われる人は、在俗信者に他ならない。我々となんら変りがない。
今の僧侶も、働いて自分を養い、奉仕で教えを語る存在とならねばならない。 



399 :名無しさん@3周年:04/09/09 18:41 ID:CnDlHE05
依存症は、依存する側が悪いんだ、と言い切ってしまうなら、それで終わり
なんですが...
断食・断眠?などの苦行や、同じ「キイワード」を繰り返して唱えさせる
ことや、現実社会との断絶というのは、カルトが使っているマインドコント
ロールの手法と全く同じなわけです。

薬物であろうが、精神療法であろうが、依存症を利用して、自由を奪おうという
点では、阿弥陀信仰もオウムも北朝鮮も同じなわけです。本人にその自覚が
なくても、マインドコントロールを使って利益を得ている指導者がいれば、
その団体は立派なカルト集団です。

400 :名無しさん@3周年:04/09/09 18:44 ID:CnDlHE05
虚心に戻って、自分がマインドコントロールの毒牙にやられかけて
いないかを自省しましょう。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/1MCnaani.html

401 :名無しさん@3周年:04/09/09 18:55 ID:CnDlHE05
>>393
自殺者の脳を解剖してみると、扁桃体だったと思うが、恐怖を感じる中枢に
異常が見つかることが多いのだそうです。だから、恐怖だけ取り除くなら、
扁桃体を取り除けばいい。外科手術が嫌なら、マインドコントロールも使え
ますよ。

「苦を除くこと」だけに執着すると、結局はオウムと同じ道にたどり着くの
です。私は、そんな対処療法的なものは仏教とは程遠いと信じています。

>麻薬は副作用も中毒もあります。別物ですよね。
麻薬が悪いと言っているのではなくて、「依存症」に逃げ込むのが悪いと
言っているのです。

402 :けちゃっぷ:04/09/09 19:00 ID:xo3O9Nvl
セロトニン神経ヘノはたらきかけだけなら、ガムを噛むことすらそれにあたるそうです。野球選手がガムを噛むと集中力が高まるらしい。…それすら依存症?ガムで設けてるお菓子メーカーさえもカルトですか?

403 :けちゃっぷ:04/09/09 19:04 ID:xo3O9Nvl
念仏してると、集中しようとしてもすぐ、六根からのさまざまな入力に因って、心があっちこっち揺れ動くことに気付きます。それだけでも、なかなかおもしろいもんですよ。

404 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 19:07 ID:ZOQnf6/P
>>399
>阿弥陀信仰もオウムも北朝鮮も同じなわけです。

仏教というのは、方便の連続ですね。
阿弥陀信仰というのも、そういったひとつの方便ですよ。
阿弥陀に信仰することにより感得するものがある。
これは信仰すれば自然にわかるものかとおもいます。

オウムとか、北朝鮮とかの話とは別かと思います。

405 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 19:08 ID:ZOQnf6/P
方便というのは【方法】というように解釈すたらいい。

406 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:11 ID:vnIAq+uY
>>402
野球の場合は、カルトじゃないのよね。
なぜなら、試合に打ち勝つって言う、一応の生産を試みてるから。
ところが宗教は…世界を平和に出来てないし、必ずしも人の心を
平穏に出来ない。宗教体系丸呑みしない事には平穏に出来ない。
これはマインドコントロールなのですよ。

と言う視点に沿った回答を何時もはぐらかすのは、意図的なのか、
理解できないほど、マインドコントロールを受けてるのか…

我見を捨てなさいと言う宗教なはずなのに、我々議論を挑んでる方が
我見を捨て、けちゃっぷさんの我見を想像して推測して、議論の方向性
を整えなければ、議論にならないと言うのは、仏教体系の矛盾をけちゃっぷ
さんが、体現してるように感じる。

407 :実行委員長:04/09/09 19:15 ID:1EgSlWiJ
結局、縁起の法を自らの思考に入れ返るかそれが、一番重要。
京都仏教教会?の人が、二年前、日本経済新聞の「わたしの履歴書」で、
僧侶は、2度死ぬを書いてましたが、そのから、仏陀 涅槃の道が、始まる。

408 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:16 ID:CnDlHE05
>>406
そうですね。ガムを噛むためなら、ガム代だけ払えばいい。
しかし、神秘でカモフラージュされた商品って高いよね。
曼荼羅とか、壺とか。その矛盾を素直に信じられないところを見ると、
けちゃっぷさんは、すでにマインドコントロールを受けたゾンビに
なっていますよね。

確かめるのは簡単。念仏を1ヶ月ほど禁止にして、気分が落ち込んでくる
ようなら、結構やばいです。

409 :けちゃっぷ:04/09/09 19:23 ID:xo3O9Nvl
>401 自殺者ね9割は、死ぬ前の心理が「うつ」状態になってるらしいですね。だからプラス思考がまったくできない。思い詰めてしまうわけです。普段の判断力が失われているのでしょう。

410 :けちゃっぷ:04/09/09 19:31 ID:xo3O9Nvl
>408 なぜ、マインドコントロールと言えばすぐにそうやって霊感商法みたいなのと結びつけるのでしょう?
学校教育でも家庭教育でも、マインドコントロールと呼ぶのは簡単ですよ。

411 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:39 ID:CnDlHE05
>>410
学校教育も家庭教育も、「霊験あらたかなグッズ」を売ったりしません
からね。先祖が成仏するか確かめようがないのに、供養料を手にしたら
詐欺行為じゃありませんか。

詐欺が詐欺と思えないようにするから、マインドコンロトールなんですよ。

412 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:44 ID:CnDlHE05
多分、ディケンスだと思いますが、彼の新聞連載小説の中に可憐な少女が
出てくる。それで、両親にいじめられたり、酷い目に遇った挙句、不幸
の中で死んでいるんだけど、それを愛読した読者が、ディケンスに抗議の
手紙が殺到したそうだ。そこまではいいとして、中にはその少女を実在の
人物を錯覚して、贈り物やお金を送ってくる人が現れた。

依存症の連中からすれば、依存の対象が実在でなくてもいいわけだ。
阿弥陀仏という架空の存在に依存する心理は、ディケンスの少女の話と
ぴったりと重なる。

413 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:44 ID:vnIAq+uY
>>411
ハゲドウ。
仮に仏教家が言うように、信者が増えると大乗に叶うと言うなら、
坊主は在家の信者に金を払うべきだよね。一緒に拝んでくれて
ありがとう、墓地をわが宗派に持ってくれて、ありがとう、と、
金払うべきなんだよ。金払わすなんてとんでもない。

喜捨で結構って何言ってるんだ、この詐欺師がぁ。と思う。

414 :けちゃっぷ:04/09/09 19:44 ID:xo3O9Nvl
お金への執着を促す現代社会もマインドコントロールでは?お金に執着すると、お金を失う苦しみが増えます。
先祖が救われたと信じて、遺族が安心して生きていければ、それでいいと思います。

415 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:46 ID:CnDlHE05
つまり、ある種類の人間にとって、「実在だから信じる」のではなく、
「自分が信じるから実在だ」、ないし、「自分が信じるから実在でなく
ても気にならない」というおかしな論理がまかり通っている。

416 :けちゃっぷ:04/09/09 19:48 ID:xo3O9Nvl
無常があたりまえなのに、永遠に続くのがあたりまえと思い込むのも、俗世間からのマインドコントロールです。どうせいつか手放すモノなのに、手放したら不幸と思うのも、煩悩です。

417 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:50 ID:CnDlHE05
>>414
そうですよ。資本主義というのは、欲しくもないものを、買わせるよう
にマインドコントロールすることで成り立っている。

しかし、現代社会がマインドコントロールを使うんだから、仏教が使って
何が悪い、というその言い訳を釈迦に聞かせたらどんな顔するだろう...。

「私は1万円盗みましたけど、政治家は1億円誤魔化してるじゃないか」
というのと同じ屁理屈。

418 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 19:54 ID:ZOQnf6/P
>>415
迷うていますね?

信じる、というのは心的作用でして、仏教においてはそれほど重要なもんでもない。
むしろ、そういった心的作用が何故生起するのか?ってことの方が重要。


419 :けちゃっぷ:04/09/09 19:54 ID:xo3O9Nvl
オウム以降、「マインドコントロール」という言葉ばかりが一人歩きしてるのでは?「教育」という言葉とさして意味は変わらない。教育が悪いんじゃなく、それを悪用するのが悪いので、要注意。

420 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:56 ID:vnIAq+uY
>>416
ところが、宗教家は自宗が続かない事に我慢がならないような
行動を取るんだよね。自分を信じない人間を否定しまくる。
不思議だ。片一方の口で、何事も続かないと言いながら、
もう片方の口で、永遠の宗教を求めてる。で、この無理難題を
維持する為に、金は取るわ、物言うわ、税金まで払わない。

サービス産業としての自覚を持って、宗教活動での布施は
贈与税並みの税率を受ければ、まだ、存在そのものは、
許してやろうと思うのだが。

421 :けちゃっぷ:04/09/09 19:57 ID:xo3O9Nvl
賢くても不幸なら意味がないと思います。サンタさんを素直に信じる子供は、幸せではありませんか?賢くてもお金儲けに追われるばかりの大人のほうが、子供よりもよほど苦しんでいます。

422 :名無しさん@3周年:04/09/09 19:59 ID:vnIAq+uY
>>419
教育とマインドコントロールはかなり強烈に違う。
もちろん、下衆が、教育の場にマインドコントロール手法を
導入してるし、まぁ目的が酷くないから、容認されてはいるが、
教え育てる教育と、マインドコントロールは違うよ。

423 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 20:02 ID:ZOQnf6/P
マインドコントロールというのは、最初は軍事部門で研究されていたんですね。
いわゆる、スパイなどを心理的に追いこんで白状させるノウハウ。

CIAのノウハウを取り入れたのが統一〇会です。
巧妙にプログラムされてますから、普通の人でしたら簡単にマイコンに掛かります。

ちなみに、統一へスパイとして送り込んだ佼〇会の幹部は、簡単にマイコンに掛かって
統一に寝返りをうった。

424 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:03 ID:vnIAq+uY
そして、その違いが分からない事に無頓着なのは、
自身がマインドコントロール下に入ってるからだ。

けちゃっぷさんは、迷いは無いんだろうけど、
可哀想な人だったんだ…

>賢くてもお金儲けに追われるばかりの大人のほうが、
宗教関係ないし、この価値観に縛れてるのが、教育と言う名の元に
行われたマインドコントロールの弊害。で、マインドコントロールに
マインドコントロールぶつけて、へらへらしてるのが、坊主。

あいつらだってやってる、俺らがやって何が悪い。

どこに仏がいるんだ?どこに真理があるんだろ。

425 :けちゃっぷ:04/09/09 20:03 ID:xo3O9Nvl
>420 ご存じとは思いますが、僧侶も所得税納めてますよ。宗教法人に税がかかるなら、例えばお墓持ってるだけで課税され、先祖の墓をたくさん管理してる人が気の毒になります。消費者を守るための非課税です

426 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:09 ID:CnDlHE05
>>421
その理屈をどんどん延長していくと、母親の子宮へ戻りたいって願望
になるわけだ。

父親が企業戦士として狩り出され、残された母子がお互いに依存しあう
内に、子供が自立できなくなる。現代病のひとつだな。

現実の「苦」を正面から受け止めるという覚悟がないと。「苦」から
逃げ回っているだけではいつまでも進歩しないよ。

427 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/09 20:13 ID:ZOQnf6/P
>>425
宗門側が、寺院の土地を一部売却したんです。
その金は宗門が全部持って逝っちゃった。

その金でお寺が新築できるのにね。
何故か金は一銭も出さないで、檀家からの寄付で賄おうとしている。

お寺はイイ商売かと思います。

428 :けちゃっぷ:04/09/09 20:14 ID:xo3O9Nvl
>426 親も必ず死ぬので、親に依存すると苦悩の原因になりますからね。お金に依存しても、誰でも金持ちになれるわけじゃない。でも、信仰は誰でもできます。心をみつめることは誰にでもできますよ。

429 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:18 ID:CnDlHE05
>>428
それで、宗教に依存しろというわけ?
たとえ無料だとしても、有害無益だと思うが。

依存症患者に必要なのは、迷信への逃避ではなくて、心理療法の専門家。

430 ::04/09/09 20:26 ID:W+7rrYB7
>>379 さん、それでは5人の比丘とか、修行を積んであと少しの教えで涅槃を
得ることができる者しか仏道に入ることができませんね。
2500年の間、さまざまな機根に優れないものが仏道を選んできたわけで、
私は幸いにも仏道を選ぶことができて感謝しております。

「城門に入る前にその城市の内部を知るにはどうするか」というテーマの仏典
があります。まさに択法覚支とは城門に入らず(涅槃を得ずに)城市を知る
(涅槃を想像する)と言う作業なんです。ちょっと入ってみることができる人
はとても特殊ですよ。凡人は外からうかがうしかない。

いまこの時点で問題なのは「あなたが」仏道を選ぶかどうかだと思いますが。
(私はもう選んじゃったんだから)。

431 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:28 ID:CnDlHE05
>>428
うつ病というのは、セルフ・マインドコントロールなんだよ。
「自分は何もできないんだ」とか、「いくらやってもどうせダメだ」
とか、勝手な決めつけで自縄自縛になっている。

それを「念仏を唱えれば救われる」というマインドコントロールを
新たにかけたからといって問題は解決しない。麻薬患者に「麻薬より
はマシだから」という理由でアルコール漬けにし、アル中に変えるのと同じ。

問題の解決とは、マインドコントロールを解くこと。「たとえ念仏なしでも
自分はできる」ということを自覚させることだ。

432 ::04/09/09 20:38 ID:W+7rrYB7
>>428 けちゃっぷさん、ここは仏教スレッドなのだから俗論で議論
しても仕方ないですよ。ちゃんと真面目なテーマ、阿弥陀如来専一信仰
は仏教から見れば「戒取」であると言うところに戻らないと。
あなたは仏道の最初の一歩でつまずいているのですよ。そんなテーマ
など聞きたくもないでしょうが。
(専一でないなんて言い訳もだめ。あなたは完璧に阿弥陀信仰優先なんだから。)

433 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:39 ID:e7I4spFK
マインドコントロールとは、(半)不可逆的に、現実からの遊離や、社会
常識からの逸脱を生じさせることをいう。現実への対処を教える学校教育も
マインドコントロールなどというのは全くの誤り。超越的や存在を信じ込ま
せる宗教の布教は、すべてマインドコントロールである。

434 ::04/09/09 20:41 ID:W+7rrYB7
>>433 というあなたの思考が、深い深い根雪のような信念となって、
あなたを一生コントロールするのですよ。

435 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:42 ID:vnIAq+uY
>>431
それは危ない考え方だ、うつ病ってのは自分の感情と、脳内物質のバランスが
崩れる病気だ。楽しいはずの事が起きても、楽しい物質が分泌されない。
だから、人間は気分を優先して、楽しい事すら悲観的な事に置き換えて
解釈する。

マインドコントロールを受けてると、この現象が理解できずに、
鬱な気分を罪悪感として理解してしまう。

436 :マンゴー先生:04/09/09 20:44 ID:TZBS2NPT
>>355
そうかもしれませんね。私もその一人です。
ここにもキーワードが見つかりました。
キーワードは『孤独』

437 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:44 ID:vnIAq+uY
>>434
仮に、433が433の意見にコントロールされても、宗教にコントロール
されてるよりは、安全だと思う。

438 :名無しさん@3周年:04/09/09 20:50 ID:vnIAq+uY
>>355 >>436
みんさんとどうしても意見が合わない理由が分かった。

おいらが宗教に興味を持ったのは、逆だったなぁ。
独りなのに、みんなと楽しく遊んでる。これは何なんだろう?
と思った時から、宗教っての考えるようになった。

だから、既存宗教や新興宗教が胡散臭いんだ。

439 :けちゃっぷ:04/09/09 20:51 ID:xo3O9Nvl
>432 1さん、念仏は、いつでもどこでも誰でもできる修行です。煩悩が起こっても、起こったままで念仏すればOKです。善人は善人ながら悪人は悪人ながら、念仏の前には存在を許されています。

440 ::04/09/09 20:56 ID:W+7rrYB7
>>439 でもそれは仏教じゃない。物事の解決にはならない。

441 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:01 ID:CnDlHE05
>>433
宗教すべてがマインドコントロールを悪用しているとは言わないけど、
マインドコントロールを使っている宗教がほとんどだし、そういう宗教
は人類にとって無くなった方がマシだと思うよ。

仮に、「健全なる宗教」があるとすれば、それを真に理解できるのは、
健全なる精神に限定されるだろう。これはものすごく難しい。

たとえば、「苦」から逃げ回るために神秘に頼るような人は、神経症的
な傾向があって、もはや健全な精神とは言い難い。原始経典を読んでも、
神経症的な欲望を満たす記述だけが目に入ってしまうだろう。だから、
行き着く先は、オウムと同じ道だと思う。

逆に、阿弥陀信仰のように依存症の傾向がある人は、他の宗教へ行っても
聖母マリアとか、母親のように自分を受け入れてくれるような対象に依存
するだけだ。経典を読んでも、そういう部分だけが目に入る。

要するに、世俗的な挫折体験でついたトラウマをちゃんと処理してから
宗教の門を叩かないと、「健全な信仰」など期待できないだろう。
トラウマの解消を宗教に求めるのは筋違いだ。

442 :けちゃっぷ:04/09/09 21:03 ID:xo3O9Nvl
では、1さんにとって「物事の解決」とは?
試しに、口で「なむあみだぶつ」をとなえながら、意で「帰命無量寿仏」と念じるのを、十回やってみてください。心が横にそれてもかまいません。

443 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:06 ID:CnDlHE05
>>442
それは依存症患者用の似非宗教だよ。
架空の仏の名前を唱えさせて依存させることのどこが宗教なわけ?
「なむあみだぶつ」中毒患者を増やすだけだよ。
しかも、それは架空の仏の名前じゃないか...。

444 ::04/09/09 21:06 ID:W+7rrYB7
>>436 マンゴー先生
>>438 さん、
>独りなのに、みんなと楽しく遊んでる。

私もそうだよ。前コメントは例え話なんだけど。
本当の仏門に入った理由は「無間地獄」の恐怖。
親が死んで4年後に無間地獄を見ちゃった。
死んだ親から送られてくる念波のようなものなんだけど。
そりゃ怖いよ。
真っ暗な穴に閉じ込められて永遠に一人ぽっちなんだ。
光も音も何もない。そこでたった一人で永遠に居るんだよ。
その恐怖が一瞬でどんと襲ってきた。
それ以来友達と遊んでいても楽しくなんてないよね。
楽しそうに大勢でいても心からは楽しんでいない。
当時はそんなこと知らない人が羨ましかったけど。
今となっては、死ぬ前に気づいて良かったかなと思っている。

鬱にもそう言う理由がある場合もあると思っている。
不眠症などもそうでしょう。

いまやすっかり解消しましたが。

445 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:08 ID:aUY64YDQ
神仏は貴し、神仏をたのまず(独行道 宮本武蔵)
これにつきますな
釈尊も神仏にたよれとは言うておらんでしょう
自灯明、法灯明

446 ::04/09/09 21:09 ID:W+7rrYB7
>>441 あなたは「永遠の暗黒の孤独」に気がついていない幸せな人だよ。

447 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:10 ID:e7I4spFK
>>442
「南無妙法蓮華経」では何故だめなの?

448 ::04/09/09 21:13 ID:W+7rrYB7
>>445 パーリー語で、島=州=灯明 と単語が似ているか同じなんだって。

あなたが引用した言葉は。

仏陀の教えを学んで、その教えを州として島として、それを足がかりに
自ら煩悩の暴流をわたりなさい。という意味だよ。

宮本武蔵は散々人を殺した人だから、仏教からは余りにも遠い人だよ。
死ぬ前に仏教らしきことを語ったところで、来世はどうにもなってないよ。

449 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:15 ID:vnIAq+uY
>>444
一緒にされると困るなぁ。

おいらも親が死んだときはそりゃあ悲しかったさ、小学生だったし。
無茶苦茶不安にもなったさ。

でも、人は独りてのを宗教や学問で理解するような人と一緒にされたくない。
なんで、親が死んで悲しい事に、無間地獄ってな名前付けるんだろう?
そんな事しても、悲しいだけだと思うぞ。

>>446
これこれ、人の幸せをわざわざ毀損するんじゃない。

450 :けちゃっぷ:04/09/09 21:15 ID:xo3O9Nvl
口の「なむあみだぶつ」の継続はたやすいけど、心の「帰命無量寿仏」はすぐ途切れちゃう事に、気付きますね。途切れた時の思考はほぼ煩悩です。口の念仏に気付ばがすぐに心を連れ戻してくれるのにも気付く。

451 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:15 ID:CnDlHE05
>>446
まあ、私は「永遠の暗黒の孤独」というのは想像できないですね。
根が楽観的なのかもわからないけど。
ただ、失恋した時などに、自分の魂が地獄の方までまっさかさまに
堕ちたのは経験しました。それはトラウマが作り出した幻想だと思います。

452 ::04/09/09 21:16 ID:W+7rrYB7
>>442 短く言えば無間地獄(むけんじごく)に落ちないことだよ。
阿弥陀様をいくら唱えても、その先は・・・・と思っている。
真の「ブッダ・ダルマ・サンガ」以外は助けてくれないよ。

453 ::04/09/09 21:20 ID:W+7rrYB7
>>449 名づけたんじゃないよ。「来た」。
夜一人で居たんだけど、小学生だったかな。
後ろからドスンと来た。まばたきする暇もないほど
一瞬で来たよ。
それまでは毎日楽しく暮らして居たんだが。

454 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:21 ID:CnDlHE05
>>450
ぷっ。坊主の商売用テキストに書いてあるような子供騙し。
口で「マ○コやりたい」、心で「ネーちゃん、一発いくらや」とやって
も同じことですわい。それで「マ○コやりたい」の有り難味が増すとでも?

455 :けちゃっぷ:04/09/09 21:24 ID:xo3O9Nvl
>447 南無妙法蓮華経でもかまいませんよ。修行と信仰の同時性が大事では?
念仏者の場合、阿弥陀仏に象徴される無差別平等の慈悲を、瞬時に思い出します。そこに安らぎがあります。

456 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:24 ID:CnDlHE05
>>453
今、思い出したけど。花札の「雨」という絵柄があるでしょ?黒と赤の。
小さい時、あれを見ている内に怖くて泣き出したことがある。それ以来、
暗闇へ行くとあの絵柄が目の前に浮かんで怖くなり、泣き出す。
それを克服するのに大分時間がかかった。

いきなり後ろからドスンという他に、何かきっかけがあるのでは?

457 ::04/09/09 21:25 ID:W+7rrYB7
>>451 小学生のころだけど。みんなと一緒に野球しながら。
こいつらは幸せだなあ「これ」を知らないんだからと思ってた。
知らないほうが幸せだよ。

458 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:26 ID:ZyVZT4cA
>光も音も何もない。そこでたった一人で永遠に居るんだよ。
孤独を感じてる自分とは何でしょうか?

459 ::04/09/09 21:28 ID:W+7rrYB7
>>455 けちゃっぷさん、お坊さんがなんて馬鹿なことを言っているんですか。
南無妙法蓮華経は法華経に帰依しますという意味でしょう。南無阿弥陀仏は
阿弥陀仏に帰依しますということでしょう。全く違うじゃないですか。

「呪文を唱えて、意識の変容を図る」のは仏教じゃないですよ。
仏教の瞑想の目的は「意識を如来の域まで拡大すること」なんだから。

460 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:30 ID:vnIAq+uY
>>453
うん、君の話聞くと、その状態は良く分かる。
それは喪失感とかそういった諸々だからなぁ。

おいらは、人は独りがベースで、親すら、得た物と思ってた
から、一年ぐらいで済んだけどね。

永遠の孤独が常態だからなぁ、暗黒がさらに暗くはならんでしょ。
日々の営みによって、光が付いて、友人が出来る。

てな、おいらにとって、無間地獄がどうたらこうたら言われても、
ピンとこないし、わざわざ付いた明かりを他人が吹き消してるように
見える。

461 ::04/09/09 21:31 ID:W+7rrYB7
>>456 工作していたんだけどね。定規を出して厚紙に線を引こうとした。
その時「後ろに誰か居る」と思った、その瞬間だったよ。
あれ以来一人では勉強できない子になりました。後ろが怖くて。

462 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:32 ID:CnDlHE05
>>459
いや、それがけちゃっぷさんの本音だと思いますよ。
彼が期待するのは、念仏の効用なので、念仏そのものは道具にすぎない
のです。
「阿弥陀仏」でも、「妙法蓮華経」でも、「修行するぞ」でも、
「マ○コやりたい」でも。

463 :けちゃっぷ:04/09/09 21:32 ID:xo3O9Nvl
>454 ありがたみを増させるために唱えるのじゃないですが。しかし、あなたの言うとおりに口と心で同時に念じるのを続けてみてください。自分の心の動きが少しわかってくるかもしれませんよ。

464 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:35 ID:e7I4spFK
>>461
宗教が作り出す恐怖感と同じ性質のものですね。

465 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:35 ID:CnDlHE05
>>461
おっ、私も中学3年生の時に同じ体験をしました。
机に向かっていると、何者かの気配が近づいてくる。首筋に手が触れる...
と感じるその瞬間、恐怖の中で振り向く。その気配が嘘のように消える。
そういうのを毎日繰り返していました。もちろん、成績はボロボロでした。

466 ::04/09/09 21:36 ID:W+7rrYB7
>>458 こころ=たましい(魂)

どうも、死んでも残るみたいだよ。いくら有機物や無機物を組み合わせてみても
「こころ」は作れない。いくら上手にロボットを作っても、1匹の蟻が持っている
「恐怖」は作れない。ということは、有機物や無機物が分解されてもこころは
残るということ。(私の思い付きではなく、仏典にも載っている。)

467 :けちゃっぷ:04/09/09 21:40 ID:xo3O9Nvl
>459 1さん、題目も、唱えると一瞬で法華の教えを想うことができるし、法華だけでOKなんだという安心感、口で唱えるという行為も似てます。背景となる思想には大きく違いがありますが。

468 :名無しさん@3周年:04/09/09 21:45 ID:aUY64YDQ
>>448
武蔵は戦国末期の武人であり、文化人でもある人物だよ
時代的なことも考えなくちゃいけないよ
武蔵は殺人鬼ではないよ、あの時代はごく普通の百姓
だって武装し、落武者狩りをやっていた時代だよ
アングリマーラのような人殺しの盗賊でさえ成道したでは
ないか


469 ::04/09/09 21:47 ID:W+7rrYB7
>>467 けちゃっぷさん一つだけ確認。

「呪文を唱えて意識の変容を図るのは仏教ではない」yo..

みなさん、申し訳ないけどもう寝ます。
毎朝4時起きなので。今から食事して風呂に入ってだから。
あすまたちゃんと読ませていただきますね。

おやすみなさい。


470 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:04 ID:ZyVZT4cA
>>466
生きているときの心と、
死んだ後に残る心は違います。

ふだん、心は頭にあると思っています。
頭で理論を構築して、そういう世界がある。
世界はこういうものだ。
それは条件付された心、と言えます。
習慣によって同じ行動をとらせようとします。
毎日酒を飲む人は毎日それをすることが当り前になるし、
タバコを吸う人はそれなしでは居られません。

死は、それら習慣付された心を破壊します。
その後に残る心は、それが本当の意味の心なのですが、
それは生前の時間を持たないです。
さて、それは本当の自由を意味するのか?

471 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:07 ID:bEmw+G17
>>466
八正道と魂はかかわりがある気がするのは、気のせいですか?
一般的に魂って一つですが、そういうイメージじゃない気がします。
まあ、仏教に魂の概念を持ち込むと変わらないものという
考え方が入っちゃうから、よろしくないと思います。

1さんの話は素晴らしいですが、仏典から引用がない分
1さんの思惑と違って、受け止める方もいるのではと、少し思っています。

472 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:18 ID:CnDlHE05
>>466
死んでも永遠に残る魂を仮定するのは、仙尼外道ですね。

473 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:23 ID:ZyVZT4cA
なぜ、両親を敬う必要があるのか。
親を尊敬することは当り前の事ですが、
何故かと問われると何ででしょうか?

確かに自分を育ててくれたし、
親が居なかったら、自分は餓えて死んでいたかも知れません。

でも、それ以上に、
肉体的な性質を引き継いでいます。
そして、それゆえに精神的な性質も引き継ぎます。

もし、自分の親を否定すれば、
それは自分を否定することになります。
親との繋がりは、どの他人よりも強いものです。

474 :マンゴー先生:04/09/09 22:26 ID:TZBS2NPT
>>458
そこが入口です。

475 :マンゴー先生:04/09/09 22:31 ID:TZBS2NPT
>>460
>永遠の孤独が常態だからなぁ、暗黒がさらに暗くはならんでしょ。
>日々の営みによって、光が付いて、友人が出来る。

ここにも仏様が居られました。このお言葉とっても深いですね。
ここ非常に大事なところかと思います。

476 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:39 ID:vnIAq+uY
>>475
マンゴーさんに認めれると変な気分。

欲が有るから光が生まれると思ってるおいらにとって、
欲を捨てよと教える仏教がわからん。

477 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/09 22:40 ID:qGQGxNb9
真理は彼岸。完全解脱者(ブッダ)から学ぶ。在家者は善と受け入れることが大切だろう。
―粗暴・冷酷・残酷・憎しみもなく、怒り・驕り・強情・反抗心・偽り・嫉妬・羨望・高慢・驕り
 もなく、怨みもなく、平安の境地を喜び、安穏であること、安楽であることに喜ぶ―
     「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」
―生も死もなく、怖れもなく「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように」識別作用も
 なく、白と黒(善悪)に汚されることもなく、上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意な
 く慈しみを行うべし―この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ(彼岸に近い境地)
 
どうして、オウム真理教が真理を行っていたと言えようか。肉体を失った世界は、清浄であり、残酷
でもなく、自分を忘れて、全ての目的を忘れて、生きものを慈しむことが本当は善いことだと学ばね
ならないのに。最低でも、人を傷つけないこと、謗らないことなどを守らねばならない。

―色かたちと、音声と、味と、香りと、触れられるものと、ひとえに思考の対象たるものと、感受作
 用と快楽と情欲もなく、この世ものに喜びを見出すこともなく(肉体のない世界は)幸福であり、
 喜びであり、安穏であり、安楽である―

在家者は、それらの喜びを追い求める生き方に愛着を示すことなく自制をして、「わたしは何を食べ
うか」「昨夜はわたしは眠りづらかった」食べること、睡眠などの本能的なものへの思慮を自制して、
怠惰にならず働くこと。〜安穏で安楽で、快適な暮らしを人々が目指すこと〜(飢餓は苦悩である)
また、情欲などの本能の刺激によって恐れと迷妄を生み出す。死の思いは肉体からの錯覚にすぎない。
しかし「生存の妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない」妄執に従い、悪い運命に生まれる。
人殺し、自分を殺すことも地獄への道だろう。
物がないからといって悲しむこともない。快を貪ることなく、今現在、不満はない。物や自分のこの
世の喜びを追い求めることよりも、なによりも人を大切にすること。そして、自分の金銭欲や名誉欲
だけに心惹かれて事を起こそうとすると失敗に終わる。物事は、欲望に依らず正しく見ること。


478 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/09 22:41 ID:qGQGxNb9
―我が物という愛著もない、わたしは等しいとか、すぐれているとか、劣っているとかいう思いは存
 在しない。願い求めることもない。この世もかの世も望まない。ああだろう、こうだろうと思い悩
 むこともない。過去を思い出して悲しむこともないし、未来にあくせくすることもない。こだわり
 もない。諸々の事物に対して断定することもない、いかなることもない、どのようなこともない。
 動揺することもない。何かに依拠することもない。疑いがなく、後悔のわずらいもない。過酷なる
 ことなく、貪欲なることなく平等である―

分け与えは大切なこと。吝嗇にならないこと。非我なるものを我と思いなし、或るものを、ああだろ
う、こうだろうと考え過ぎない。「安らぎは虚妄ならざる真理である」彼岸は、悩むこともない悟り
の世界である。それが永遠の我と思うこと。この世間の存在自体が我でもないし、子も妻も我ではな
い。自分の所有物も我でないし、この身さえ我ではない。
 ダニヤ「わが妻は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んでいたが、わが意に適っている」
妻は我ではない。他人は我ではない。人は自分の意に適って善い人間だとし、適わないと悪いと言う。
本当は、更に他人が見て善い人間だと評価するかもしれない。互いに、自らの主観で人を評価し合う
のは、つまらぬいがみ合いのもと。それぞれの人がそれぞれ自分の人生を歩む。それぞれの人が自分
の身をととのえて、自分を主として善に生きれば結構なことだろう。
「この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?賢者は、自分の身をよく
ととのえて、いろいろの幸せを得る。」「他人の過失を見るなかれ。他人のしたことしなかったことを
見るな。ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ。」

479 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/09 22:43 ID:qGQGxNb9
―この世を泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。この身は泡沫のごとしと見よ。身
 体はかげろうのごとしと見よ―

もちろん、彼岸の境地は「すべての存在は水の泡か陽炎のごとし、一切は虚妄である」その時安楽に感
ずる。この世のことも、自分の悩みも全てなくなり安楽を感じる。

―見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、
 考えられたことはまた同様に考えられたものであると知り、また識別されたことは識別されただけの
 ものであると知ったならば、苦しみが終滅すると説かれる―見聞することがらにも汚されない―

境地で知るのだから、いくら知識を身に着けたからといって、それだけで清浄になるわけでもない。
在家者も彼岸に近い行いによって、清浄に近づく。情欲や快を貪ることなく、日頃の生活を健康的に過ご
し、休日には修行僧のように「林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきで
ある。」に近いことを行ったほうがいいだろう。自然を楽しんだりすること。ニルヴァーナは世間(人の
つくられたもの)から離れて、快適な喜びを得るようなもの。彼岸には人のつくられたものが一切ない。
「今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった。」そのくらいの心
は、いつも保っていなければならないだろう。


経典には、共通した方向性がある。ひとつの経典に、だだ一箇所書かれているから、これが正しいとする
ことなく、違う経典にも同じようなことが書いてあるから、それは重要なことだと思うのが一番いいと思
う。一箇所書かれていることに執着を示し、他の経典とは方向性も同一性もないものは、なるだけ避ける
ようにしている。また、仏教は道理だから、道理にもならないものは避けたほうがよい。


480 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:43 ID:CnDlHE05
ちょっと考えたんだけど。
1さんが仏教に求めるものが「永遠の暗黒の孤独」の克服なのだとしたら、
原始仏典よりも、禅の方が近いと思う。
要するに、ひとりひとりがバラバラに見えて、実は「十方法界是一顆明珠」
で、世界全体が傷も歪もない完全な「明珠」なんだよね。しかも、個は個
として、「本来の自己へと落ち着いていく」。
http://www.rinku.zaq.ne.jp/syamon-syokaku/jinjippoukai.html


481 :マンゴー先生:04/09/09 22:44 ID:TZBS2NPT
>>473
>そして、それゆえに精神的な性質も引き継ぎます

霊継ですね。遺伝子以外に引き継がれるもの。いのち。魂の源。
親からだけではありません。先祖からも、友人からも…そして釈尊からも。
このスレにはよく考えておられる素晴らしい方がたくさんおられますね。

482 :名無しさん@3周年:04/09/09 22:47 ID:CnDlHE05
おっと...
>>480は「尽十方界是一顆明珠」の間違いでした。

483 :マンゴー先生:04/09/09 23:04 ID:TZBS2NPT
>>476
476さんは『孤独』に気づいていたから光が見えた、ということではないかしら。
闇は仏教の否定的側面。往相。
光は仏教の肯定的側面。還相。
死に往きて生まれ還るが仏教の極意です。
仏教はまず己から始まる。自灯明。犀の角。


484 :名無しさん@3周年:04/09/09 23:07 ID:vnIAq+uY
>>483
太陽が有るから光が有るって事を大騒ぎしないと、
伝えられないんだったら、仏教なんていらないと
思うんだよね〜。

ニュートンが発見したのは「万有引力の法則」で、
重力じゃないんだし。

485 :けちゃっぷ:04/09/09 23:14 ID:xo3O9Nvl
あたりまえのことを忘れちゃうのが愚痴です。光があるから影があるのに、影と光をセットで見られない。病気は生命があるから体験できる。熱さは感覚があるおかげ。ありがたいありがたい。

486 :名無しさん@3周年:04/09/09 23:24 ID:vnIAq+uY
>>485
だよね。

やっぱ仏教って必要ないじゃん。てか、現代では逆に仏教(宗教)が
人々を盲目にしてると思うよ。


487 :名無しさん@3周年:04/09/10 00:36 ID:sTY/SeFF
↑例えば?

488 :名無しさん@3周年:04/09/10 00:38 ID:xqCtqNbv
良スレだとは思いますが
ここで議論されてる方達は皆「自分の信じる仏教」に執着、妄執されてると思います

489 :名無しさん@3周年:04/09/10 01:13 ID:XaIOSdiY
非仏教徒から見ると、仏教は、一神教とは異なり、神や霊の概念を排除して
いること、一貫して現実の人間を対象としていること及び縁起の概念を発見
した点で、優れた宗教だと思う。その証拠に、史上、仏教では殺戮行為が殆
どない。

それだけに、ここに書き込む仏教者の方々は、内紛だけは避けて欲しい。
細かな相違があっても、別に現実上根拠のある相違ではないのだから。
念仏も題目もお経も、呪文の一種であることには違いはない。仏像を見たり、
お経を唱えるという肉体的行為は、人間の精神の安定に役立つものである。
そして、自我や自己の観念に対する執着を去ることが、仏教の優れた真髄
なのである。

また、一神教的な要素は断固として排除して欲しい。さもなければ、仏教
ではなくなる。




490 :名無しさん@3周年:04/09/10 02:50 ID:0WK/Q2LR
このスレには、マインドコントロールと洗脳を同一に考えてる人がいるみたいです。
マスコミの罪過と思われますが、マインドコントロールとは、直訳しても解るとおり、
心(精神)を制御するという意味であり、制御する主体者は己自身です。

「よく調えられし己こそ、まこと得難き寄る辺とならん」 by 法句経

491 :名無しさん@3周年:04/09/10 03:47 ID:diBsnVst
>>490
洗脳の為にマインドコントロールを行う。
が正しい表現なんだろう。

>制御する主体者は己自身です。

君の解釈は特殊だね。有る学問分野や宗教関係者の専門用語と同じで、
字義を変えて,言葉を無力化させてるに過ぎない。
こーゆう行為も現代宗教の暴力的な部分だなぁ。

492 :名無しさん@3周年:04/09/10 03:50 ID:diBsnVst
ちなみに、>>490が言う意味でのマインドコントロールは、
一般的にセルフコントロールとか、セルフイメージコントロール、
自己暗示、イメージトレーニング、と言う呼び方をされている。

であるから、この場ではマインドコントロールと混同した使用は
避けた方が良いかと。

493 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 05:53 ID:z3hbZsI3
マイコンの一つの特徴が、思考を停止するプログラムです。

仏教においては、先ずは自らの認識そのものに疑を向けていきます。
人間の脳は、コンピューターのように情報処理が合理的にはできてません。
それは、人間は考える動物だからです。

考えるゆえに、また負の部分もあるわけでして、
そういった思考の負の部分を深く洞察していくのが仏教です。

負の部分を洞察するのも、「負なる己」ですから・・・
だから仏教においては方便(方法)という手法を用います。

マイコンと仏教は、そこが違います。


494 :名無しさん@3周年:04/09/10 06:19 ID:diBsnVst
>>493
それが守られていれば、仏教徒マインドコントロールは別物という
議論が成り立つけど、自己を溶解させていく過程で、仏教の刷り込み
が行われるので、その議論は成り立たないと思われ。

一番考える事を否定しない禅宗ですら、というか、禅宗が一番やばいんだが、
公案という制度で仕組まれているよ。


495 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 06:32 ID:z3hbZsI3
>>494
>一番考える事を否定しない禅宗ですら、というか、禅宗が一番やばいんだが、
>公案という制度で仕組まれているよ。

公案というのは、そういった一連の凡夫思考システムそのものを破壊していくんですね。
破壊しませんと人間というものは、論理の整合性という思考システムにシフトする癖を持ってるんですよ。

宗教文献学というのは、この思考システムでやるもんだから肯定・否定の相対論になってしまう。
道元がいう「論書に依らざるべし」。ってのは、ここを言ってるんですね。

「禅は坐らんとわからん」。というのも、一理はある。
ただしそれが禅の全てではない。
道元も・・・それが禅の全てを言い切っているわけではないが、道元もイイことは言っている。

           <金玉押印>


496 :名無しさん@3周年:04/09/10 06:38 ID:diBsnVst
>>495
公案の場は非公開なんだよねー。
その言い分は言い訳でしかないよ。

北朝鮮が洗脳したのと変わらない。

497 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 06:55 ID:z3hbZsI3
>>496
>公案の場は非公開なんだよねー。
>その言い分は言い訳でしかないよ。

公案というのは、原理は非常に単純。

精神分裂病と似ているとこがある。

病気は破壊されっぱなしだけど、禅はまた違う。


498 :名無しさん@3周年:04/09/10 07:10 ID:diBsnVst
>>497
破壊して創造するのが、マインドコントロールなんだけど…
理解力ZEROですか?
禅の手法は100%マインドコントロールだよ。

それが証拠に一休和尚以外に、禅経験者でかつ、強力な禅宗批判者が
出てない。

499 :名無しさん@3周年:04/09/10 08:16 ID:wTFmh9Dd
>>498
金玉某は、某板で「机龍之介」を名乗っていた、自意識過剰の知ったかぶり。
理解力は期待しない方が。

禅の過程は、破壊はあるものの「刷り込み」はありません。
ただ、一定の境地というのはある。師匠は、その境地を問うて、弟子が本当に
悟ったかどうかを確認するのです。既成の真理を誘導するわけではないから、
時間がかかるし、中には一生悟れずに終わる人もいる。

>それが証拠に一休和尚以外に、禅経験者でかつ、強力な禅宗批判者が
>出てない。

それはあなたの勉強不足。道元は、臨済や徳山をぼろぼろにけなしていますよ。


500 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 08:23 ID:z3hbZsI3
>>498
>禅の手法は100%マインドコントロールだよ。

というより、人間の概念はあまり意味をもたなくなる。
だから創造することもない。

人間の思考というのは、そこに意味をもたせようとする。
それは社会的規範とか道徳律とか、
そういった呪縛から離れるのが智慧。

マイコンとは相対的なものかとおもう。


501 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 08:30 ID:z3hbZsI3
>>499
>禅の過程は、破壊はあるものの「刷り込み」はありません。
>ただ、一定の境地というのはある。師匠は、その境地を問うて、弟子が本当に
>悟ったかどうかを確認するのです。既成の真理を誘導するわけではないから、
>時間がかかるし、中には一生悟れずに終わる人もいる。

これは、机和尚が語っていたことですね。

机和尚は、ロムってましたから知ってます。


502 :名無しさん@3周年:04/09/10 08:33 ID:wTFmh9Dd
>>501
プ。下手くそめ。どうせ成りすますなら、もっとうまくやれよ。
文章読んだら、その精神分裂症的な傾向でピンとくるんだよ。
隠しようがないか...

503 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 08:43 ID:z3hbZsI3
>>502
作為はあらず。

      <金玉押袋>    

504 :名無しさん@3周年:04/09/10 08:45 ID:wTFmh9Dd
>>503
金玉、口でくわえて氏ね。

505 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:02 ID:diBsnVst
>>499
道元は禅の修行僧とは呼べないと思う。

それから、刷り込みは無いと言うが、それは嘘だ。


506 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:04 ID:diBsnVst
>>499

相手の言い分をしっかり聞いてから返事しようね。
と金玉さんにはお願いしたいなぁ。


507 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 09:13 ID:z3hbZsI3
>>506

>>499氏には、言い分などないよね(w
机和尚のパクリだから。


508 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:22 ID:wTFmh9Dd
>>505
ほう、嘘である証拠を見せてみよ。

509 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:30 ID:diBsnVst
>>508
1、まず閉鎖環境に置かれて、同じ思想の人間が集められてる。
2、指導者の説法を聞く機会が設けられてる。
3、衣食住に強力な制限が加えられてる。
4、間違いを正してない。答えを教える必要は無いかもしれんが、
  間違いの指摘は必要。
5、師匠が受け入れられる答えを探してしまう。また、師匠を超えた
  返答を師匠が理解できない場合のセーフティーネットが無い。


510 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:40 ID:wTFmh9Dd
>>509

私の体験した道場(曹洞宗系)では、

1.用意された別室でひとりっきりで修行した。
2.法話の類は全くなかった。ただ、座る方法の注意説明のみ。一日に一回、
提示に師匠の前で感想を聞かれ、座り方の指導を受ける。たとえば、どうして
も妄想が去らない、と訴えると、妄想を去ろうとせず流せよ、と教えられた。
3.食事時間は決まっていたが、いつ寝てもよかった。
4.間違いも何も、ただ座って、息を数えて整えているだけ。
5.曹洞宗系なので、公案の類は一切なし。

こういう具合で、一週間寝泊りの修行だった。悟ったかどうかは知らぬ。
ただ、世界観は変わったわな。ひとつひとつが生き生きと活動するのが
わかるというか....。世界と共感を持てるようになったな。

511 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:50 ID:dlA3zY40
>>510
その道場教えてくれ、オレもそこで修行したい。

512 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:55 ID:diBsnVst
>>510
そりゃあ、修行じゃないじゃん。
体験じゃん。

>悟ったかどうかは知らぬ。 ただ、世界観は変わったわな。
おいらなら、山で1週間独りでキャンプしたほうが世界観が広がるな。
それはやってみた事有る?

禅宗の唯一良い所は、在家に関わろうとしない事。
これは鎌倉時代から、仏教への、悟りへの価値観が
文化として有ったからだね。

だもんが、いまや坊主への価値観が崩壊してるので、
やたらと禅体験とかやってる。今はブームなんで、
まだ楽しまれてるが、いよいよ食えなくなった時が怖い。

禅宗の坊主は、マインドコントロールのなれの果て。

513 :名無しさん@3周年:04/09/10 09:59 ID:wTFmh9Dd
>>510
もう20年近くも前だったからな。今もやっているのか知らないけど。
私が行った寺ではないけど、↓で問い合わせたら、もしかすると
近くの寺を紹介してくれるかも。
http://www.geocities.jp/shourinkutu

ただ、かなり辛いよ。足が痛いのなんのって。それに、他に何もせずに
座るのがあんなに辛いとは想像もしなかった。

514 :名無しさん@3周年:04/09/10 10:05 ID:wTFmh9Dd
>>512
修行と言っても、特別な技法があるわけじゃないし。
中には山篭りして同じ体験する人もあるんじゃないかな。
寺で坊主が説教せずとも、山海が永遠の法を説く。
仏教というのは、もともとそういう「素朴な」教えだと思うよ。

515 :名無しさん@3周年:04/09/10 10:17 ID:tc+VehxI
金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE  = 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1

コピペ汁
机は己の虚栄と自己顕示欲を満たすために禅を騙った。
自己の欲望のために宗教を利用するカルト教組たちと同罪である。




516 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 10:17 ID:z3hbZsI3
>>512
>禅宗の唯一良い所は、在家に関わろうとしない事。
>これは鎌倉時代から、仏教への、悟りへの価値観が
>文化として有ったからだね。

禅宗は、在家と関わりしまくってましたよ。
坊主は誰かが養わないと喰ってはいけない。
だから世俗とは関わる。

堺の商人は、坊主を外護してました。その財力で坊主は食べていけたのです。
坊主のお返しものは印可証です。
いうなれば印可証は、財力の誇示でもあったわけです。

禅宗は、時には国家とも融合していきます。
喰うためには何でもします。
組織は人を守らなければなりませんから、
人の了見とは別に、組織は動くもんです。


517 :1:04/09/10 10:25 ID:FAGA6CE7
>>470 言語も脳ですからねえ。脳の活動を伴わない意念だけの
存在なんでしょうね。
「チベット死者の書」とかあって、一応買ってきたのですが、
怖いので結局読まずじまいです。

518 :名無しさん@3周年:04/09/10 10:26 ID:dlA3zY40
>>513
「ページが見つかりません」と出ました。シクシク

519 :名無しさん@3周年:04/09/10 10:28 ID:diBsnVst
>>516
また誤読してるし(w

520 :1:04/09/10 10:32 ID:FAGA6CE7
>>471 文献の引用がなくてすみません。仕事の合間に書き込んでいるもので。
ロビーの雑談という感じで受け止めていただいたら嬉しいです。
学会発表より、ロビー雑談のほうが得られるものが多いなんて場合もありま
すしね。シンポジウム(本来は一緒に=シン、酒を飲む=ポジウム)も良い
ですよね。

521 :1:04/09/10 10:39 ID:FAGA6CE7
>>472 さん、私は永遠に存在する魂は想定していないです。

条件により生じ、条件により滅し、条件により存在し、条件により存在
しない、そういう縁起の法則に従った「空なる」魂を想定しています。

魂(こころ)を存在させるものは無明ですよね。

【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]

無明・行・識・名色・(六入・触)←このあたりまでが死者の世界かと
思っているのですが。
(六入・触)を入れたのは、仏様や先祖に、光や香や水やお菓子、食べ物
などを捧げますよね。あれは無意味ではなく、感受されているのだと
聞いたことがあるからです。
やっぱり、(受・愛・取)←これもありますね。深い愛憎とか執着とか
もありそう。

522 :1:04/09/10 10:40 ID:FAGA6CE7
↑追加で、(有)もありそう。

523 :1:04/09/10 10:48 ID:FAGA6CE7
>>473 親子の愛は、上から下へは行くけど、下から上へは行きにくいって
言いますよね。お金もそうだね。親からはどんどん貰うけど、あまり親に
は返さないものね。その分(愛とお金の分)を尊敬で返すのかも。

524 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 10:49 ID:z3hbZsI3
>>519
現代は坊主の地位もあがりましたから、乞食坊主みたいな真似はしなくてもいいでしょうね。

しかしながらその構図というのは、世俗から離れて閉鎖社会(宗門)を形成していった。
こういうパターンというのはよくあることですね。
よって組織は形骸化していき衰退の方向に逝きます。

衰退しても、坊主の社会的地位というのは不動なものです。

これが現状における、金玉の分析です。

525 :1:04/09/10 10:54 ID:FAGA6CE7
>>476 さん、仏教は初心者に欲を捨てよとは説いていないよ。

十結煩悩。
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑] 203
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明] 216

まずは、有身見・戒禁取・疑。ここまでで良いんだよ。
ついで、もしできれば、欲貪・瞋恚=本能的欲望と怒りをなるべく抑える。
色貪・無色貪=物質的欲望、精神世界への欲望、これを抑えるのは上級者
の世界。



526 :1:04/09/10 10:58 ID:FAGA6CE7
>>477 ニルバーナを見たさんこんにちは。

お元気そうで。ご説すべてその通りです。
本当にニルバーナを見ちゃっているのかもね。




527 :1:04/09/10 11:01 ID:FAGA6CE7
>>478
>ダニヤ「わが妻は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んでいた
>が、わが意に適っている」

>妻は我ではない。他人は我ではない。人は自分の意に適って善い人間だと
>し、適わないと悪いと言う。

ダニヤとその妻は、在家の真摯なゥンガッパだったのですか?


528 :1:04/09/10 11:04 ID:FAGA6CE7
>>479 ニルバーナを見たさん。
十結煩悩。
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

在家のものは、【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
くらいで許してあげてください。【五下分結】を断じれば不還(ふげん)
の聖者になれるんですもんね。


529 :名無しさん@3周年:04/09/10 11:08 ID:3hN5hvhJ
>>528
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん

530 :1:04/09/10 11:09 ID:FAGA6CE7
>>480 私は広大な森の中の木の一葉です。
私が枯れて落ちたところで、森は死ぬわけではありません。
またこの森の一葉として生き返るのです。

そんな風に考えるわけ?



531 :1:04/09/10 11:16 ID:FAGA6CE7
>>480 マンゴー先生こんにちは。
>仏教はまず己から始まる。自灯明。犀の角。
何度か書きましたが。

自灯明;
仏陀の教えを学びそれを州(島=パーリ語で灯に似ているらしい)として、
それを足がかりに自らの足で暴流(ぼうる)を渡れ。

犀の角の如く;一人で森に山に住む修行者。
無理な場合は、二人で森や山に住んで修行。
それも無理な場合はサンガで集団で修行。
そこにも幸せを見出せないものは,家に居て配偶者を娶り
修行しなさい。
(在家者は犀の角ではありえません)。

532 :1:04/09/10 11:19 ID:FAGA6CE7
↑ >>483 でした。

533 :1:04/09/10 11:22 ID:FAGA6CE7
>>488 さん、はじめまして。

誰でも自分の意見には執着、妄執しているもので。
ぜひ、具体的に指摘して直しあいましょう!

534 :1:04/09/10 11:27 ID:FAGA6CE7
>>489 さんはじめまして。

>念仏も題目もお経も、呪文の一種であることには違いはない。仏像を見たり、
>お経を唱えるという肉体的行為は、人間の精神の安定に役立つものである。
>そして、自我や自己の観念に対する執着を去ることが、仏教の優れた真髄
>なのである。

「向こう側」には何もないと想定してのご発言ですよね。
私はちゃんと聞いてくれている方があると思って勤行しています。



535 :1:04/09/10 11:30 ID:FAGA6CE7
>>495 凡夫思考システムを破壊して、如来的思考システムを構成しないと
だめなんですが。皆さん破壊で終わっているようですね???

536 :1:04/09/10 11:39 ID:FAGA6CE7
全集の皆様へ。仏道修行の階梯。(言っても無駄だと思うけど)

帰依三宝。続いて十結煩悩を順に断つこと。

ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

仏陀に帰依もせず、法を疑い、我見の塊で、
何万年座っても無明など解けるわけもありません。

百万年座るより、1秒間だけでも心底仏陀に帰依することが勝ります。

それは道元禅師が唐?で勉強中に?先輩に?指摘されたことなのです。
「お前はもう仏なんだよ」。それはそういう意味です。
(禅の故事はうろ覚えなので、間違っていると思うけど)

537 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 11:41 ID:z3hbZsI3
>>535
>如来的思考システムを構成しないと
>だめなんですが。

密教系ですと、そういう方向になるかとおもいます。

>皆さん破壊で終わっているようですね???

そこから戻ってきますね。


538 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 11:43 ID:z3hbZsI3
>>534
>私はちゃんと聞いてくれている方があると思って勤行しています。

そうでしたか。
勤行といいますと、題目ですね?

539 :513:04/09/10 11:46 ID:wTFmh9Dd
>>518
貼り間違えスマソ。
http://www.geocities.jp/shorinkutu/

540 :1:04/09/10 11:48 ID:FAGA6CE7
>>538 題目は唱えないですね。

座禅スレッドを見ると、皆さん壊れているだけのように見えますが。
在家でありながら、出家(本来の出家)の修行をしているのが問題
なのでは?
まずはブッダに対する赤心からの信仰心を探すべきでしょう。

(赤心なんて生まれてはじめて使ったけど、用法あっているかしら?)

541 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 11:53 ID:z3hbZsI3
>>540
釈尊は「信仰を捨てろ」。と仰ってますが。

それでも信仰を探すべきですか?

>在家でありながら、出家(本来の出家)の修行をしているのが問題
なのでは?

修行というのは「信」の顕れですね。
「行」という目的性は本質(正確には本質ではない)を見失う。

542 :1:04/09/10 11:55 ID:FAGA6CE7
>>541 赤胴鈴之助さん、

信仰を捨てよ。。。ただし仏陀の教法は除く。

信なくて行をしている人は山ほど居るでしょう。
療法として。

543 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 12:01 ID:z3hbZsI3
>>542
「信仰」というのと、「信」というのは、おのずから意味も違ってきますね。

では、そろそろ落ちます。

544 :1:04/09/10 12:07 ID:FAGA6CE7
>>543 山中鹿之助さん、また来てくださいね。

545 :1:04/09/10 12:09 ID:FAGA6CE7
>>543 追伸ですが、ブッダを心から信頼することが仏道の最初の一歩です。
いつしかこの言葉があなたの救いになりますように。

546 :名無しさん@3周年:04/09/10 13:13 ID:diBsnVst
>>524
さらに誤読してるし(w

他人の発言を、自説の垂れ流しに利用しないで貰いたいもんだわ。
プンプン

547 :名無しさん@3周年:04/09/10 16:47:09 ID:v/yWnw5u
>>534
>「向こう側」には何もないと想定してのご発言ですよね。
>私はちゃんと聞いてくれている方があると思って勤行しています。

仏陀は「向こう側」にあるものなど教えたのでしょうか。それは一体何ですか。
「向こう側にあるもの」(形而上の観念)などに執着しないことが、仏陀の教え
ではありませんか。

1さんは、難しい仏教用語を引用するばあいには、必ずその出典と現実生活に
おけるその意義(価値)を述べていただければ助かります。仏教は言葉が難し
過ぎて(お経など)現代人には意味不明なのが大きな問題です。「現代語訳
の仏教」はないのでしょうか。

仏教にも種種の宗派があり、教えの内容も異なります。1さんの宗派は何ですか。



548 :名無しさん@3周年:04/09/10 17:54:24 ID:tc+VehxI
>>312


549 :名無しさん@3周年:04/09/10 18:17:59 ID:MG1pIRjR
「我を捨てて、我見を捨てて、真っ白になって、それを受け入れなさい」

(1)布施をすること
(2)僧侶を尊敬すること
(3)布教をすること

 この三つに従って、僧侶は働きもせず、豊かに暮らせるのである。

となるといけないので、この時の僧侶は、出家修行僧に限定されるのだ。
今の僧侶と言われる人は、在俗信者に他ならない。我々となんら変りがない。
今の僧侶も、働いて自分を養い、奉仕で教えを語る存在とならねばならない。 




550 :名無しさん@3周年:04/09/10 18:40:13 ID:wTFmh9Dd
>>549
>「我を捨てて、我見を捨てて、真っ白になって、それを受け入れなさい」
↓と同じ?

頭を取って空の状態となれたときそれまで見えなかった『天』の力を見ることができる。
http://homepage1.nifty.com/kito/hounohana.kyougi.htm

551 :名無しさん@3周年:04/09/10 18:42:11 ID:dlA3zY40
>>539
サンクス

552 :1:04/09/10 18:43:45 ID:FAGA6CE7
>>457 さんはじめまして。
私が祈るときに、その対象(向こう側)にいらっしゃる方達は、
諸仏・諸菩薩、諸天・禅神と祖霊です。形而上のものではない
と思います。
宗派につきましては、以前にも書きましたが。キリスト教に例
えて言うならば無教会派です。

難しい用語はあまり書いてないつもりなのですが、分かりにくい
言葉があればいつでも書いてくだされば、私なりに説明したいと
思っています。

仏教用語は、仏教法数辞典という本があるらしくて、その宣伝の
「目次」がネット上にあります。わずか1頁ですが、もっぱら
そこからの引用です。
http://www.evam.com/evam2/book/bdk/term.html
(法数辞典掲載項目)

553 :1:04/09/10 18:45:42 ID:FAGA6CE7
>>547 の間違いでした ↑

554 :名無しさん@3周年:04/09/10 18:46:03 ID:wTFmh9Dd
何でもかんでも、妄信すればいいわけじゃないよ。
本物の宗教なら、「何も言わずに信じよ」なんて妄信を勧めるわけがない。

あなたが仏教を信望するのは何のため?

伝統ある宗教で、先祖や親が信仰してきたから?
お釈迦様が有名人だから?
お釈迦様は神通力を持っていたらしいので、それにあやかりたいから?
念仏を唱えると(あるいは、お題目を唱えると)地獄へ落ちないと聞いたから?
死後の世界が万が一あった場合の保険のため?

555 :1:04/09/10 18:47:44 ID:FAGA6CE7
>>549 さん、そうですね。供養に値する出家の基準って
ありますよね。昔なら「衣鉢以外はすべて捨て去って」
だったのでしょうが。現代ではどうなのでしょうか。

「物欲、旺盛な蓄財」はいやですよね。このあたりは僧侶
ご自身が決めていくことなのではないでしょうか。


556 :1:04/09/10 18:50:29 ID:FAGA6CE7
>>550 空と無我と忘我を混同しているのではないでしょうか。
そのHPは開いてないのですが。

空とはこと・ものの存在原理。因と縁と果と報の原理で存在。縁起。
無我とは、こと・ものに恒常的な本質がないこと。

忘我は我を忘れること。意識が変容して悟ったような気になること。

557 :1:04/09/10 19:00:04 ID:FAGA6CE7
>>554 さん、こんにちは。「あなた」って1ですよね?

それよりも、あなたご自身は仏教に興味はおありなんですか?
私は仏教は偉大なる「くすり」だと思っています。人生の
「苦」に対してつける薬。


558 :けちゃっぷ:04/09/10 19:06:00 ID:qPf1f4a9
>549 教えを学ぶ教団を支えるのは奉仕でできますが、寺院という施設を維持・管理するには、経費を確保せねばなりません。僧侶と施設の管理人を分けて考えるべきかと。施設管理人はバイトでもいいわけです。

559 :554:04/09/10 19:06:35 ID:wTFmh9Dd
>>557
別に1さんと言うわけじゃありません。
一般論として、「信」とは何かについて問いかけたのです。

>>550も私ですが、これは宗教詐欺で大問題になった某教祖の教義を
紹介したものです。理性を働かせて、正しいものを選ぶことをせず、
ただ「信」だけを頼りにすると、とんでもない邪道へ落ちるということ
が言いたかったのです。

560 :1:04/09/10 19:08:38 ID:FAGA6CE7
>>554
>妄信すればいいわけじゃない Yes
>本物の宗教なら,,妄信を勧めるわけがない。 Yes
>あなたが仏教を信望するのは何のため? ..because 苦しいから、怖いから
>伝統ある宗教で、先祖や親が信仰してきたから No 親は無信心者
>お釈迦様が有名人だから?  Yes
>お釈迦様は神通力を持っていたらしいので、それにあやかりたいから? Yes
>念仏を唱えると(あるいは、お題目を唱えると) No
>死後の世界が万が一あった場合の保険? No 万一じゃなくて絶対あるyo

561 :1:04/09/10 19:15:55 ID:FAGA6CE7
>>550 「頭を取る」ってマスコミで流行りましたよね。

空とか無我とか、漢字の類推からか間違いやすいんですよね。
存在の方程式が「空」で、存在の相が「無我」なのにね。

562 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 19:18:17 ID:z3hbZsI3
>>560
>>死後の世界が万が一あった場合の保険? No 万一じゃなくて絶対あるyo

あなたは空を説いていらっしゃるから、既にご承知かとは思ってましたが・・・。

>>556
>空とはこと・ものの存在原理。因と縁と果と報の原理で存在。縁起。
>無我とは、こと・ものに恒常的な本質がないこと。

本質がなけりゃ・・・・死後の世界が絶対ある。というのは矛盾しませんか?


563 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 19:20:25 ID:z3hbZsI3
>>560
たぶん貴方は、阿含経とかに心酔してますね?

564 :1:04/09/10 19:20:58 ID:FAGA6CE7
>>558 けちゃっぷさん今日は。
ほんとお寺の経費も膨大でしょうね。
今年は台風も当たり年だし。田舎のお寺にもちょっとは寄付をせねば。
(その前に通帳に残高がない!)


565 :けちゃっぷ:04/09/10 19:21:09 ID:qPf1f4a9
空は、概念にすぎないという意味でも使いますよね。人間は実体ではない。僕は「おーい人間」と呼ばれても返事しない。でも世間は僕も人間だと呼ぶ。人間を意識した瞬間に人間とはこうだという概念に縛られる。

566 :けちゃっぷ:04/09/10 19:24:20 ID:qPf1f4a9
呼び名はすべて空。けちゃっぷも空。昨日のけちゃっぷと今日のけちゃっぷは別物なのに、同じだと意識すると、新しい自分を出すのを照れたり躊躇したりしてしまう。昨日も記憶が創る幻だから空ですしね。

567 :1:04/09/10 19:24:45 ID:FAGA6CE7
>>562 金銀砂子さんこんにちは。

死後の世界は空の状態で無我をその相として存在する、
と私は「絶対」思う。に訂正します。

「絶対」は口語であってアブサルートという意味ではありません。

568 :1:04/09/10 19:29:54 ID:FAGA6CE7
>>565 >>566 けちゃっぷさん、
けちゃっぷさんが語っておられるのは「名色」が空だという意味ですよ。

*【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]

無明あるゆえに、
行・識・も、名色も六入も、触・受・愛・取も、有・生・老死も
あるのであり、

無明を断てば、すべて滅する。

これあればこれあり、これなければこれなし、これ生じればこれ生じ、
これ滅すればこれ滅す・・・・この方程式が「空」です。

569 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 19:32:10 ID:z3hbZsI3
>>567
>死後の世界は空の状態で

そうでしたか。
空の状態。ってのがよくわかりません^_^;
状態という相ならば・・・それは色かと思うが。スマソ

>無我をその相として存在する、

無我の相なら、存在とはならない(対象化できない)。
スマソ。
あまりわからんもんですなぁ〜〜〜〜^_^;

570 :名無しさん@3周年:04/09/10 19:37:21 ID:dYeTeg0z
>>552
>私が祈るときに、その対象(向こう側)にいらっしゃる方達は、
>諸仏・諸菩薩、諸天・禅神と祖霊です。形而上のものではない
>と思います。

いずれも五感で知覚できないから、やはり形而上(想像上)の存在ですね。
釈迦は、これらの存在やそれに対する信仰を認めているのでしょうか?

>キリスト教に例えて言うならば無教会派です。

では、具体的にはどのような経典を読まれるのですか?諸経典や宗派間の
相違については、どのような意見をお持ちですか?最も感銘を受けた経典
は何ですか?その理由は?


571 :けちゃっぷ:04/09/10 19:38:40 ID:qPf1f4a9
実生活では、「〇〇は空だ」と形容動詞として使うと思います。「びっくりした!」と想ったら、「びっくりも空やなぁ。受からあるタイミングで予想外の入力があったら、そう感じるだけだ」と。

572 :1:04/09/10 19:40:54 ID:FAGA6CE7
>>569 金粒仁丹さん

【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]

無明があると、行く以下がある、
無明が無いと、行く以下がない
無明が生じると、行く以下が生じる
無明が滅すると、行く以下が滅する

これが空なんです。


「無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死」

この身が破れて死にますと、有・生・老死はとりあえず消えるんです。
でも、
無明がある限り、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取は
魂(念)として残る。愛(憎)と取が異常に強ければ「怨念の塊(かたまり)」
となる。
無明を前提として存在するので空なのです。その存在は、存在形式が
空なるがゆえに無我なのです。

仏陀は如来の(無明を断じた人の)死後の魂に関しては「無記」と
されています。ということは、一般の人の死後の魂は無記ではないのです。


573 :けちゃっぷ:04/09/10 19:42:47 ID:qPf1f4a9
眼をつむって、苺の匂いを嗅ぎながら牛乳を飲むと、苺ミルクを飲んでるように錯覚する。人間の認識は、あてにならないもんです。実在と想ってる対象物は、すべて実在と想ってるにすぎない。空ですね。

574 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 19:43:04 ID:z3hbZsI3
>>570
あのぉ〜〜

あまり突っ込みいれますと、1さんが逃げてしまいますよ^_^;

575 :1:04/09/10 19:46:47 ID:FAGA6CE7
>>570 さん、私の場合はほとんどが岩波文庫です。
一番感銘を受けたのは、これは岩波ではありませんが、
雲井さんという著者(翻訳者?)の「大般涅槃経」です。
岩波文庫では「仏陀最後の旅」この2冊に仏教のすべてが
入っていると思いますよ。後書きとか注釈とかは
読まないので(見る程度なので)仏典の分類はあまり
知らないのですが。
法華経も岩波文庫で読みました。あと外国人の(名前忘れた)
佛教とか。座右の書は小学館の「佛教・バウッダ」です。

576 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 19:49:38 ID:z3hbZsI3
>>572
>仏陀は如来の(無明を断じた人の)死後の魂に関しては「無記」と
>されています。ということは、一般の人の死後の魂は無記ではないのです。

そうでしたか。
段々と論説が難しくなってきますね。

あなたが、釈尊に帰依なさる。と、仰せなんで私は十無記は納得しておるものかと思ってましたよ。
今後の、あなたの展開に期待します。
なかなか興味のある話ですね。


577 :真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/09/10 19:50:26 ID:X7lWv898
金玉銀之助さん
はじめまして。某スレでお噂を聞いて探してまいりました。
以後よろしくお願い申し上げます。

578 :1:04/09/10 19:51:41 ID:FAGA6CE7
>>570 「形而上」の意味を間違えられているのでは。
五感でとらえられないから「形而上」というのは考えても
みたことがなかったです。
理論物理学を形而上学とは言いませんものね。

579 :1:04/09/10 19:57:57 ID:FAGA6CE7
ウキペディア
形而上学(けいじじょうがく)は哲学の一部門であり、物理学や心理学や
脳の生物学といった自然諸科学に、あるいはまた神秘主義や宗教や精神的
主題 (spiritual subjects) に関係付けられる。非哲学者への紹介のため
に形而上学を定義することは非常に notoriously 困難であるが、存在、
実在、普遍、属性、関係、因果性、空間、時間、出来事その他のような他
の諸概念がそれに基づくところの現実性の基礎的本性 (the basic nature
of reality) についての最も根本的な概念や信念の研究として同定され
うる。
形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの
編者によって最初にその名を受け取って以来、変化してきた非常に多くの
領野の内にある。根源的に形而上学的と考えられなかった問題が形而上学
に加えられてきた。何世紀にわたって形而上学的と考えられていた他の問
題は、概して現在、宗教哲学、心の哲学、知覚の哲学、言語哲学、科学哲学
といったその独特の分離した副次的主題 subheadings へと追いやられて
いる。形而上学の部分と、ある時代または別の時代に、考えれられてきた
全ての問題を述べるのには非常に長い時間が要求されるだろう。

↑読んだけど、、分からなかった。。





580 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 20:00:16 ID:z3hbZsI3
>>577
こんにちは。
わたしは金玉銀之助と申します。
読み方は「こんぎょく・ぎんのすけ」です。

金剛般若経の「金」を付けさせて頂きました。
玉(ぎょく)というのは、女性という意味もありますが、株式の株も玉(ぎょく)と言いますね。
玉というのは、もっと深い意味もあるのですが、
それはまた後ほど語ってまいります。

581 :名無しさん@3周年:04/09/10 20:03:35 ID:sTY/SeFF
>>572
如来=無明を断じた人

これ「原始仏教」では言い切れない。

582 :1:04/09/10 20:03:49 ID:FAGA6CE7
>>573 けちゃっぷさん、
>眼をつむって、苺の匂いを嗅ぎながら牛乳を飲むと、
>苺ミルクを飲んでるように錯覚する。人間の認識は、
>あてにならないもんです。実在と想ってる対象物は、
>すべて実在と想ってるにすぎない。空ですね。

きゅうりに蜂蜜をかけると、メロンの味がするのですが。
これも空ですかねえ。

じゃあ、8:30分の電車で帰宅します。

>>572 は私のオリジナル理論だと思っているのですが、
いかがですか。ノーベル哲学賞は、、、、、無理ですよね。

583 :1:04/09/10 20:06:01 ID:FAGA6CE7
>>581 8:30分発電車の中で考えますよ。でわね。
家に原始仏教の本があればいいんだけど。スッタニパータの
ことですよね?

584 :名無しさん@3周年:04/09/10 20:08:02 ID:sTY/SeFF
>>572
如来(無明を断じた人)の死後は無記。
一般人は無記ではない。との事ですが

では一般人の死後は、どの様に説かれてますか?

585 :名無しさん@3周年:04/09/10 20:09:27 ID:dYeTeg0z
>>573
空であろうがなかろうが、人間の世界では、その五感で知覚できるものを
実在とします。苺も牛乳も知覚されている限り実在します。これが人間の
認識作用の基本です。空即是色の世界です。この認識作用の基本が壊れる
ことを幻覚と呼び,病的な状態です。

>>578
理論物理学によって得られた仮説は、最終的には観測装置を通じて五感で
知覚できなければ真理とはならないので、形而上学ではありません。
量子力学でも、粒子の位置が確定できないだけで、粒子そのものは五感で
知覚可能です。五感の知覚を実在の根拠としなければ、人間社会はたちど
ころに崩壊します。危なくて、道路も歩けなければ、電車にも乗れません。

586 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 20:13:14 ID:z3hbZsI3
>>582
>>572 は私のオリジナル理論だと思っているのですが、
>いかがですか。ノーベル哲学賞は、、、、、無理ですよね。

そうですね。
例えば、「存在」という概念ひとつをとっても、仏教の一如の法門にはソグワナイかと思います。
存在ってのは、ある視点がありまして、その視点に対象となるから・・・
視点に「よる」存在ですよね。
この視点というのも、無我ですと視点そのものが単独(自性)としてあるわけじゃなし。
だから独立した(自性)となる存在という概念自体が意味をなさなくなる。

かように、「きんぎょく・ぎんのすけ」は思っております。



587 :名無しさん@3周年:04/09/10 20:33:28 ID:RZwX6SRs
× きんぎょく・ぎんのすけ
○ こんぎょく・ぎんのすけ

588 :名無しさん@3周年:04/09/10 20:40:23 ID:zn+K/q+F
理論物理学を五感で捉えられない学問だと勘違いしている時点ですでに・・・・

589 :けちゃっぷ:04/09/10 21:18:05 ID:qPf1f4a9
>585 おっしゃるとおりです。ただ、自分の実感に謙虚さを持つのは重要では?
怒る時は、その人が怒る理由を勝手に認識してるから怒るだけ。怒りはすべて客観的でない、八つ当りです

590 :名無しさん@3周年:04/09/10 21:27:36 ID:z5z6ywgF
>>586
哲学用語を使うと、以下のようになりますね。
「即自」:「自分という孤立した存在」が確立される前の、自他が漠然とした
状態(幼児など)での「自分」。「自分」には、母親のオッパイも含まれる。
「対自」:「自分という孤立した存在」が確立し、「自分」と「自分以外の
もの」を対立させて考える時の「自分」。
「即かつ対自」:「自分」と「他人」の区別はあるものの、共感を求めよう
とし、「他人」を取り込みながら、より豊かな「自分」を作り上げようとする。

問題は、「対自」の状態にある凡夫は、人間性を磨くにつれて、他人の意見に
耳を傾け、「誰の目から見ても立派な自分」になろうと「即かつ対自」を目指す
んだけど、金玉どのの主張される「無我」というのは、「即自」それとも
「即かつ対自」のいずれでしょうか。

591 :名無しさん@3周年:04/09/10 21:47:14 ID:1IxcfHB7
赤ん坊は、最初母親と一体だという意識を持ちます。お腹が減って泣けば、
必ずオッパイが現れて欲望を満たしてくれる。だから、オッパイは自分の
一部として捉えている。これが「即自」の状態です。
だんだんと意識がはっきりしてくると、今度は手にしたものを噛みだす。
指を噛むと痛いが、オッパイは噛んでも痛くない。だから、指は自分だが
オッパイは自分じゃないらしい、と理解する。これを繰り返して「対自」
が作られる。

指とオッパイの違いというのは、単に神経でつながっているか否かの差で
しかないので、仮に、人間すべてがお互いの神経でつながっているならば、
他人を殴れば痛みを感じて「彼もまた自分だ」ということがわかる。悲しい
かな、実際はそうなっていないから、他人の苦しみを見てみぬふりをし、
「対自」にこもることができる。そして、その「対自」こそが、幻である
「自己」を生み出し、それが永遠に存続するようにという、とてつもない
欲望にふくれあがって、「思うどおりにならない苦」や「死の恐怖」に
悩むようになる。

仏教は、「対自」を転換することで「苦」を解決しますが、その解決が
「即自」へ逆戻りすることなのか、それとも発展して「即かつ対自」に
グレードアップするのか、は非常に興味があります。

592 ::04/09/10 22:09:05 ID:VGp1u3Sg
>>584 さん、たとえばスジャータは仏陀に対して浄らかな信を起こして、
良く仏陀につかえたゆえに、その功徳で天に上ったとされていすよね。
確か、しこうしか 【四向四果】[預流・一来・不還・阿羅漢]
http://www.evam.com/evam2/book/bdk/term.html 仏教法数辞典
のうちの不還果を得たはずですよね。

593 ::04/09/10 22:11:44 ID:VGp1u3Sg
>>585 電気的に測定されるものだけが存在するなんて馬鹿なことはないですよ。
こころも愛も測定できませんからね。心や愛の随伴現象は測定可能かもしれませんが。

594 ::04/09/10 22:13:29 ID:VGp1u3Sg
>>586 さん、同級生の家が飲み屋で「金玉」だったんですよ。
でも「きんぎょく」と呼ぶ同級生は一人も居なかったですよ。
これは実話。

595 ::04/09/10 22:14:19 ID:VGp1u3Sg
>>588 ニュートンの時代に万有引力は測定できましたか?

596 ::04/09/10 22:23:34 ID:VGp1u3Sg
>>591 指は自分じゃないですよ。手も自分じゃないし、
足も自分じゃない。体も自分じゃないし、、、まあ、そう言うことを
おっしゃっているのではないでしょうが。
禅宗などでは、父母未生以前のおまえは?なんて聞くんでしょう。

597 :名無しさん@3周年:04/09/10 22:40:37 ID:1IxcfHB7
>>596
哲学など関係ないと思われたかもしれませんが、仏教でいう「諸法無我」
を理解するには、「即自」と「対自」の考え方を避けて通るわけには
いきません。
仏教のうち、哲学が引き受けるべき部分は、哲学を導入するべきです。
なぜなら、哲学の方が使っている用語の定義が厳密だからです。同様に、
仏教のうちで心療内科が引き受けるべき部分は、心療内科として議論
するべきです。

仏教から、神秘色をすっかりそぎ落とした時に、本当の仏教の姿が顕わに
なります。それでもなお、仏教の中に「形而上学」的価値があるのなら、
それを信仰として取り入れればよいと思います。1さんは、仏教を丸ごと
飲み込もうとしている。というか、森羅万象を仏教だけで説明しようと
やっきになっている。仏教を杖について歩くと、やがて仏教で躓きますよ。


598 ::04/09/10 22:51:09 ID:VGp1u3Sg
>>597 サンフランシスコ大地震で足を挟まれた女性が居たよね。
もう一度余震がくると命が危なかった。その女性は「早く足を切断してくれ!」
と泣き叫んで居たんだよ。幸い間に合って足は切断せずに救助することが
できたけど。そいう風に突き詰めていくと、体のどの部分だって
自分自身じゃない。

あなたの「哲学」の論理についていって、いっしょに思考して同調あるいは批判
することもできるかもしれないけど、実はとても面倒くさい。仏教の透徹した哲理
に比べたらきっと幼稚なことが難解な用語で書いているだけだという気もするし。

そう言うことで、パスさせてください。


599 :名無しさん@3周年:04/09/10 22:57:19 ID:1IxcfHB7
>>598
透徹だと信じているのはあなただけだと思いますよ。
かつて占星術から天文学が生まれた。当時、占星術師達はあなたと
同じことを主張していたでしょう。「占星術の方がはるかに精緻な学問
だ」と。

まあ、いくら言っても無駄だろうけど。

600 ::04/09/10 22:59:04 ID:VGp1u3Sg
>>597
>仏教から、神秘色をすっかりそぎ落とした時に

その時仏教はつまらない道徳、倫理になっちゃうんですよ。
仏教の本質は神秘性です。仏陀は在世当時から「不思議を語る人」
と批判されたりもしていました。それに対して仏陀は「空の星を見なさい」
「不思議じゃないですか」と答えていたそうですよ。

事象の把握が五感の内に中に留まるあなた。世界はそんなに狭小なもの
ではないです。その世界を見ようと仏陀は激しい苦行を続けたのだから。

「如来より自分の認識力が上」なんて世間に山ほど居ますから。頭の良い人
でもそうだし、意外なことに頭の悪い人にも多いんですよ。

601 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 23:03:34 ID:z3hbZsI3
>>590
あなたが仰ってるのは認識論ですね。
仏教とは認識そのものが色となり、色はその三者全てを含んでおります。

先ず、仏教は認識論ではない。ってことを言っておきます。

自他不二。君ありて我あり、君なきて我なし。
色は空であり、空は縁起です。よって自他の分別はあらざるなり。←これを空性
しかしながら分別なきも、認識は分別をもってして・・・認識となす。←これを色。
いうならば空と色の二相なりや。
これいうに色即是空と、このように顕すなり。
般若はこれにて調ひなさればよろすいに。

      <こんぎょく・おしぶくろ>


602 ::04/09/10 23:05:00 ID:VGp1u3Sg
>>599 さん、

あなたは  仏陀の認識力 <<<< ご自分の認識力

私は    私の認識力  <<<< 仏陀の認識力

こう思っているわけです。そして仏典に載っている自己認識に反することは
すべて削除しちゃう。それはヨーロッパ仏教研究者が散々行ったことなんでしょう?

先ほどから、言葉が乱暴で申し訳ありません。
実は眠くて朦朧としているんですよ。お許しください。

603 ::04/09/10 23:12:04 ID:VGp1u3Sg
>>601 さん、
空即是色 の 色は、「色、受、想、行、識」=五蘊の略ですよ。
(般若心経思い出してください)

わが身わがこころは空であり、空なるがゆえにわが身わがこころ(=五蘊)あり。

名色の色とは違いますよ。

色心不二かどうかは無記となっておりますが、自他は不二なんて言うことは
ありませんよ。

604 :実行委員長:04/09/10 23:14:06 ID:8u5uQ+h3
僧侶は2度死ぬ。これに至る技術が重要です。

605 ::04/09/10 23:14:17 ID:VGp1u3Sg
(nemasu. mata asita)


606 :名無しさん@3周年:04/09/10 23:15:10 ID:USJ6+v0e
oyasumi

607 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/10 23:16:49 ID:6/Nx0jQy
経典には、共通した方向性がある。しかし、ひとつの経典には書かれていて、他の経典には書かれていない
ものは、その経典に人々の目を向けさせるだけの意図として書かれたものであると考えられる。

法華経「尊きシャーキャ=ムニ如来と、〜阿羅漢の尊きプラプータ=ラトナ如来とは、塔の真ん中にある獅
子座に坐っていた。どちらも微笑みをうかべ、開いた口から舌を出した。そして、その舌はブラフマンの世
世界にまで達したが、この二つの舌から幾千万項という多くの光が放たれた〜これらの求法者たちは、幾千
万の世界において、四方八方に拡がり、いずれの方角においても空中にとどまったまま教えを説いた。〜同
じくかの尊きプラプータ=ラトナ如来を礼拝せよ。」

欲念のある人々に、欲のない話を聞かせるのは不可能に近いからだろう。

神々と語る「悪魔・悪しき者は、神の子ヴェータンバリにこっそり忍び込んで、尊師のもとで次の詩を唱え
た〜神々の世界を喜び、それらの人々は来世のために正しく教えさとす。」
     「尊師〜この世またはかの世におけるいかなるかたちでも、空中に現れる光輝きや彩色でも、そ
      れらはすべて悪魔ナムチの讃めたたえるところである。魚を殺す(=釣る)ために餌が投げ込
      まれたのである。」
神々の世界を喜ぶように書かれた経典は、魚を殺す(=釣る)ために餌が投げ込まれたものであると。その
経典独特の特別な表現、教えを取り除いたならば、その経典から真意を学び取れる。しかも、他の経典と同
じような教えを説いていることを前提として。

法華経「このような最高の経典を聴聞し、書写し、記憶し、読誦〜かれらはまた各自に根本的な正しい理念
を持つ者となるであろう。」意味をわかりながら、読誦することにより、物語のように書かれた法華経を、
興味を持ちながら根本的な正しい理念を人々が身に着けていく。


608 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/10 23:17:33 ID:6/Nx0jQy
四念処は複数の経典に書かれていることだから、ブッダの真実な教えである。(1)この身は不浄である 
(2)感受するものは苦である (3)心は無常である (4)すべての事物は無我(非我)である
それらの四つのことを心に思い浮かべる修行。

ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼす、その五つとは、
(1)欲貪 (2)瞋恚(怒り) (3)有身見(われとかわがものとかいう観念を離れる我執)
(4)戒禁取見(誤った戒律や禁制を正しい修行方法であるとして執着すること) (5)疑い

「非我なるものを我と思いなし、(名称と形態)(個体)に執著している。」スッタ二パータ
「一切の事物は我ならざるものである。」真理のことば
四念処はブッダ最後の旅、感興のことばにも書いてあるし、その他にも書いてある経典があるだろう。
「すべての事物は非我」とすることは、仏教の大切な教えだと考えられる。

ダニヤ「わが牧婦は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。
かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせ
よ。」師「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わ
たくしはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」〜怱ちに大
雲が現れて、雨を降らし、低地と丘をみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。
「われらは尊き師にお目にかかりましたが、〜われらはあなたに帰依いたします。」

609 :ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/09/10 23:18:20 ID:6/Nx0jQy
神々「ひとは、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?もしも自分の心を制する
ことができないならば。」
尊師「修行者は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、
束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな。」

「この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?賢者は、自分の身をよくと
とのえて、徳行を達成する。」

ダニヤは妻が貪ることがなく、従順であり、わが意に適って善しとしている。ブッダは自分の身をよくと
とのえて、いかなる悪が存在しない。非我なるものを我と思いなし、他人を貪欲がないからといって善し
とするだけでは、だめなのです。夫は、たとえ妻が貪欲であっても、意見の合わぬ妻であっても、気に入
らない時であっても、妻子を愛し護り続けること。〔こよなき幸せ「父母につかえること、妻子を愛し護
ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと―これがこよなき幸せである」〕

悪魔パーピマン「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著するもと
のものは喜びである。執著するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」
師「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとも
ものである。執著するもとのない人は、憂うることがない。」

在家の人は、牛(財産)や子があろうがなかろうが、悲しむことはない。大切なのはよくととのえられた
本人であり、「自分をよくととのえて、天の世界に生まれる」。自分の身をよくととのえた人は「あたか
も、母が己が独り子を命を賭けても護るように〜」に反しないこと。


610 :名無しさん@3周年:04/09/10 23:19:21 ID:dYeTeg0z
>>589
>ただ、自分の実感に謙虚さを持つのは重要では?

だから、人間の生そのものである五感による知覚に謙虚になれと言ってるのです。
知覚できないのに、人から言われたり、本で読んだり、頭の中で考えた結果、「実在」
すると信じるのは、謙虚さから程遠いものです。もはや精神の病です。神仏の実在を
信じることがその好例です。

611 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 23:21:41 ID:z3hbZsI3
>>597
>哲学など関係ないと思われたかもしれませんが、仏教でいう「諸法無我」
>を理解するには、「即自」と「対自」の考え方を避けて通るわけには
>いきません。

西田幾太郎は、禅者でもあり哲学者でもある。
しかしながら、哲人の全ての語彙を総動員しても、結果は一如の法門は語りつくせなかったのです。
それは、言語自体が相対概念によりて意をなす。という言語の特性があります。
よって言語を駆使したとしても、形容矛盾がついて廻るのです。

言語を使ったとしても、言語の意をもたせない。この形容矛盾そのままの表記を
不立文字といいます。


612 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/10 23:45:25 ID:z3hbZsI3
>>594
>同級生の家が飲み屋で「金玉」だったんですよ。
>でも「きんぎょく」と呼ぶ同級生は一人も居なかったですよ。
>これは実話。

人間というもんは、「金玉」という文字ひとつにイメージを持つんですよ。

いったん持ったイメージはなかなか替えられないもんです。
禅というのは、「こんぎょく」とわかったようなもんです。

美人という属性ではなく。
横に眼があり、縦に鼻がついてる。
そこに神秘性など微塵もないのです。




613 :けちゃぷ:04/09/11 00:08:11 ID:AKm0pRAd
>610 キュウリと蜂蜜でもメロンだと思っておいしいと感じれば、その人にとっては「おいしい」は現実ですよ。


614 :けちゃっぷ:04/09/11 00:15:59 ID:bYS+zm8G
ないものをあると信じるのではなく、自分が五感で感じる現実への「呼び名」を変えるのが信仰では?「100円しかない」を「100円もある」と認識を変えるのです。

615 :名無しさん@3周年:04/09/11 00:18:18 ID:vwNE7GRt
>>591 >>596
> 哲学など関係ないと思われたかもしれませんが、仏教でいう「諸法無我」
> を理解するには、「即自」と「対自」の考え方を避けて通るわけには
> いきません。
> 仏教のうち、哲学が引き受けるべき部分は、哲学を導入するべきです。
> なぜなら、哲学の方が使っている用語の定義が厳密だからです。同様に、
> 仏教のうちで心療内科が引き受けるべき部分は、心療内科として議論
> するべきです。

根拠はなんですか? 私は相異なる思想体系に優劣は付けがたいと思うけどね。
しかもどの程度、仏教を知った上でいっているんですか?

> 仏教から、神秘色をすっかりそぎ落とした時に、本当の仏教の姿が顕わに
> なります。それでもなお、仏教の中に「形而上学」的価値があるのなら、
> それを信仰として取り入れればよいと思います。1さんは、仏教を丸ごと
> 飲み込もうとしている。というか、森羅万象を仏教だけで説明しようと
> やっきになっている。仏教を杖について歩くと、やがて仏教で躓きますよ。

これまたなんでそう断定できるのでしょう。
ようするにあなたの信じる基準で仏教を計っているだけ。
その基準の危うさには気付きもしない。「やがて」あなたの信仰基準「で躓きますよ」
つまりあなたの言葉は、そのままあなたの頭に振り落とされるのですけど。


616 :名無しさん@3周年:04/09/11 00:20:11 ID:vwNE7GRt
>>598
> 透徹だと信じているのはあなただけだと思いますよ。
> かつて占星術から天文学が生まれた。当時、占星術師達はあなたと
> 同じことを主張していたでしょう。「占星術の方がはるかに精緻な学問
> だ」と。

多くの現代人は仏教より科学を信じるが、それも信仰に過ぎない。
誰でも自分が信じるものが正しいと思うのです。
あなたの発言は自分の信仰表明以外のなにものにも読めないんですが。

617 :名無しさん@3周年:04/09/11 00:31:05 ID:+9wumUx9
人から学ぶより、釈迦から学べ

迷っている人間から学ぶより、悟っている釈迦から学べ

618 :名無しさん@3周年:04/09/11 01:14:58 ID:zgyA/ExX
>>617
釈迦の「悟り」とは具体的に何か?誰が判断したのか。若し釈迦が自分で「自分は
悟っている、真理を知っている」などと言ったのだとしたら、それはペテン師以外
の何者でもない。原始仏教の経典を読むと、その感じが強い。

他者との係わり合いにおいて毎日をひたむきに生きる無名の生活者の迷いの中にこそ、
真理はあるのではないか。

619 :名無しさん@3周年:04/09/11 01:44:34 ID:fpskDpXw
釈迦の説いた法(ダルマ)ってのは、「苦と苦の消滅に関する」真理のこと
なんだよね。「私は自らの苦しみをすべて克服し、完全な安らぎに至りました」
っていうのが本当かどうかはわからないが、ペテン師と決め付けることも
できないだろう?その方法を他人がやってみて効果があれば、それがまさしく
真理であると証明されるわけさ。
それで「長老偈」や「長老尼偈」を読むと、お釈迦様の説かれたことが真理だと
実体験された人たちがたくさんいたということが分かる。

大乗仏教に至って「苦と苦の消滅に関する真理→全宇宙の真理」と脚色された。

620 :名無しさん@3周年:04/09/11 01:53:52 ID:zgyA/ExX
>>619
しかし、人生には苦しみは付き物。苦しみがなければ、喜びもない。その
苦しみをありのまま受け入れ、克服してこそ、人間の成長があり、他者への
思いが生まれる。すり替えは、結局人間を駄目にする。

621 :名無しさん@3周年:04/09/11 01:55:55 ID:d63w/OOe
苦の消滅?
そんなの、実現した人はいませんよ。
病気も死もある。
釈迦も同じ。

苦は苦だと思わなければ苦ではないわけですが、
「客観的に見て苦である事象」が消滅するのではないのだろうなあ。

622 :名無しさん@3周年:04/09/11 01:58:57 ID:zgyA/ExX
>>613
メロンと思い込むのは自己欺瞞。メロンではなくきゅうりと蜂蜜であり、
本当のメロンはもっとうまいということを忘れてしまっては、偽りだらけの
人生となる。

623 :619:04/09/11 02:24:02 ID:fpskDpXw
>>620
まさしくその通り!
まず「人生に苦は付きもの」というそのものがお釈迦様の説く「4つの真理」の第一。
しかし人生は苦から逃れられないのに、みんな苦から逃れようとします?
その方法がスポーツ、煙草、酒、パチンコ、セックス、宗教・・・何であれ苦しみから
逃れようとしていますが、どうやったって逃れようがありません。
苦からは逃れられないってことを圧倒的に理解しあるがままを受け入れるために、
自分の心と体のすべてに注意をはらう(完全に動きを止めて坐ることを含む)。
これが瞑想。

>>621
まさしくその通り!
前は苦だったのが、苦だと思わなくなれる方法が修行です。
「客観的に見て苦である事象」とは「痛の感覚」で、これは自然現象なのでどうしようも
ありません。しかしその自然現象から「苦しみの想い」「嫌悪の感情」を生み出すことが
なくなるので、苦の消滅するらしいです。


624 :619:04/09/11 02:26:30 ID:fpskDpXw
変なところに?が入ってしまった。

×しかし人生は苦から逃れられないのに、みんな苦から逃れようとします?
○しかし人生は苦から逃れられないのに、みんな苦から逃れようとします。

625 :けちゃっぷ:04/09/11 02:28:01 ID:bYS+zm8G
メロンは例え話ですが…。僕の人生は南無阿弥陀仏のためにあるのです。そう意味付けすると、すべてがOKと思えます。念仏から心がそれても、再び念仏に戻った時、あぁ念仏の守備範囲だよかったと思う。

626 :けちゃっぷ:04/09/11 02:32:53 ID:bYS+zm8G
金メダル取るのを人生の目的にしようと決めた人が、金メダル取ったら幸せでしょう。僕は念仏を人生の目的に設定してるので、念仏できたら「人生報われた!」と感じます。

627 :名無しさん@3周年:04/09/11 02:34:43 ID:3U6jEdrw
>>625
貴方は本当に、ああよかったと思っていないから、ここで
書いているのですよ。
よかった、と思うことが「良い事」「推奨されるべきこと」だと
思っているから、人前でそんなことを書いてしまう。いや、
人からそのように思われなければ安心していられないあなたの「強迫観念」が
見え隠れします。

628 :けちゃっぷ:04/09/11 02:37:20 ID:bYS+zm8G
人生に苦があるのはあたりまえのことです。念仏者にとっては、念仏が人生の目的ですから、苦があっても念仏できればOKです。
みなさん、人生に目的はありますか?あるとしたら、何ですか?

629 :名無しさん@3周年:04/09/11 02:39:16 ID:I5qpXrsW
>>625
偽りの人生ですね。それを仮想現実と言い、その中に生きることを酔生夢死の
人生と言います。一度きりの人生を無駄にしているとは思いませんか。
自分の救いだけを一生懸命求めても、長い目でみれば結局は救われませんよ。

630 :名無しさん@3周年:04/09/11 02:40:22 ID:lcN6OYdk
「僕は念仏を人生の目的にしているのです」
なぜ、そんなことをここで書くのでしょうか?
「僕は念仏を人生の目的にしているのです」
ああ、そうですか。
「僕は念仏を人生の目的にしているのです」
わかってますよ。
「僕は念仏を人生の目的にしているのです」
しつこいですね。
「僕は念仏を人生の目的にしているのです」
それなら、「人生」も「目的」もいらないですね。「念仏」だけでいいかと。
「僕は念仏です」
あなたは今日から念仏です。
「念仏は念仏です」
わかってますから。
「念仏です」
念仏さん、さようなら。

631 :コーク港:04/09/11 04:37:28 ID:Ty2Jt613
>>630

それは、けちゃぷ坊への賛美ですね。



632 :けちゃっぷ:04/09/11 07:39:17 ID:bYS+zm8G
>627 僧侶が教えの宣伝をするのは、普通のことでは?
>629 一生部屋に閉じこもって念仏に明け暮れるんじゃなく、現実の人生を生きていますよ。

633 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 07:51:38 ID:9/7L4sjC
>>603
>空即是色 の 色は、「色、受、想、行、識」=五蘊の略ですよ。
>(般若心経思い出してください)

もっと簡単に言いますなれば、心象、事象、現象すべてを色と言うていいのかと思いますね。
五蘊というのは、それを分けているにすぎない。
意とすれば同じこと。

>色心不二かどうかは無記となっておりますが、自他は不二なんて言うことは
ありませんよ。

う〜む、弱りましたなぁ〜〜〜
仏教は一如の法門なんですが。
ましてや般若心経における空思想なれば、なんら注釈もいらぬこと。

説一切有部とか、そのあたりの解釈なんでしょうか?



634 :597:04/09/11 08:39:36 ID:DpaC/Z2C
>>600
あなたの関心とは「面白いかつまらないか」で、真理の探究ではないという
ことですね。真理がつまらなかったとしたら、あなたはそれを認められない
のではありませんか。所詮は現実逃避にすぎませんよ。

それに、如来でもない貴方が、如来の知恵を最上と信じきっていること自体、
すでに仏教にがんじがらめにされている証拠です。

>>615
優越を言っているのではありません。仏教の教義の中で、哲学や診療内科で
扱えるものは、その分野の最新情報を活用するべきだと言っているのです。
だいたいにおいて、真理を究めようとする者が、最初から「仏教こそが唯一
絶対の真理である」と決め付けることが間違いです。釈迦の「自灯明」とは
そんなチャチなものでしたか。

635 :597:04/09/11 08:42:53 ID:DpaC/Z2C
仏教の正しさを証明するのに、仏教そのものを使っても意味ありません。
仏教の有用性は、必ず仏教以外の視点から判断されるものです。
視点の数はたくさんあった方がいい。3次元形状を認識するには、最低
3点の観測点が必要です。2点なら平面にしか見えない。ましてや1点では。
仏教だけを真理とするここの住人は、そういう愚を犯しています。迷信者
だと言ってもよい。

636 :597:04/09/11 08:51:04 ID:DpaC/Z2C
>>603,>>633
ほらね。言葉で理解するからそういう見解の違いが生じる。
そもそも「空」がきっちりと定義されていないから、そういう醜態をさらす
ことになるのですよ。
ここの住人で、果たして「空」を説明できる人がいるんでしょうか。
さあ、誰か。我こそはと思う方、「空」を定義してください。

ただし、「空」を使って「空」を説明するなんて同語反復はナシだよ。

637 :名無しさん@3周年:04/09/11 08:52:05 ID:cSydvlLN
「我を捨てて、我見を捨てて、真っ白になって、それを受け入れなさい」

(1)布施をすること
(2)念仏を唱えること そして自然に僧侶を尊敬する人となれ
(3)布教をすること

 この三つに従って、僧侶は働きもせず、豊かに暮らせるのである。

となるといけないので、この時の僧侶は、出家修行僧に限定されるのだ。
今の僧侶と言われる人は、在俗信者に他ならない。我々となんら変りがない。
今の僧侶も(仏教的には僧侶でない)、働いて自分を養い、人に教えるな。 


 >>632 僧侶は消えるべきである。宣伝するな。何度も同じことを言って洗脳
    するな。


皆さん、気をつけましょう!自分達の利益のために、洗脳しようとしている輩
がいる。


638 :名無しさん@3周年:04/09/11 09:18:40 ID:Y3bPDnt4
>>636
自分で説明しちゃえば良いじゃん。


639 :名無しさん@3周年:04/09/11 09:34:48 ID:lkdmuEXx
>>636
お前早く死ねや。釈尊は生死した人間なんだよ、ボケ!
生きている人間が、学問的に考えてもわからん教えと釈尊は言っているんだよ。
だからと言って禅をする人間がいたとしよう。活動して生きなければならない人々に
禅や瞑想を行うことが全てと教えているわけでもない。そんなチャチな教えでない。
お前は、死ななきゃわからん。

640 :名無しさん@3周年:04/09/11 09:36:36 ID:lkdmuEXx
>>638
こんな奴の説明聞いても迷うだけ。>>636は、死んでからやっとわかる。

641 :けちゃっぷ:04/09/11 09:57:57 ID:bYS+zm8G
仏教辞典より「空:シューニャ」…固定的実体の無いこと。実体性を欠いていること。シューニャは形容詞であり、その名詞形シューニャターは空性・空であることと訳される。有でもなく無でもなく、しかも有であり無であるという。

642 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 10:08:48 ID:9/7L4sjC
>>636
>そもそも「空」がきっちりと定義されていないから、そういう醜態をさらす
ことになるのですよ。

あなたが、かようにレスをする。
なにゆえこのように、あなたの意識は生起なさるのでしょう?
生起する、その理(ことわり)こそが空なりや。

643 :けちゃっぷ:04/09/11 10:13:48 ID:bYS+zm8G
三観:すべては空であるとする空観、本質的には空であるが縁起によって存在している現実に眼を向ける仮観、空観と仮観を止揚して不二とする中観。では不二とは…

644 :けちゃっぷ:04/09/11 10:18:27 ID:bYS+zm8G
不二:生死・善悪・苦楽などは相対立してとらえる時はじめてできる概念であり、根底は一体をなす。長いという認識は短いものとの比較で成り立つし、死は、生の認識とセットではじめて成り立つ。

645 :けちゃっぷ:04/09/11 10:23:10 ID:bYS+zm8G
たとえば、物質とエネルギーは形を変えるだけで、ある時点で突然生まれたりしないのに、ある温度と光との共演を「火の発生」と認識すると、「火が消える」という概念も生まれる。「火」は空であり仮である。

646 :けちゃっぷ:04/09/11 10:28:37 ID:bYS+zm8G
ジャンケンのグー・チョキ・パーは、一瞬でグーが消えてパーが生じるけど、手という(モノ)が消えたり生じたりしてるわけじゃない。グー・チョキ・パーと名付けられた条件(コト)が変わるだけ。

647 :名無しさん@3周年:04/09/11 10:35:28 ID:ztwlVMWa
>>609 ニルバーナを見たさん今日は。
いつも経典の引用、ありがとうございます。

648 :けちゃっぷ:04/09/11 10:41:43 ID:bYS+zm8G
阿弥陀仏も「もの」ではなく「こと」です。「こと」は、情報・精神・霊で、その媒体はエネルギー。同じ光エネルギーを、ある人は花火と観るし、忍者は暗号と観る。

649 :1:04/09/11 10:50:00 ID:ztwlVMWa
>>610 例えば光を感知しない生物が居たとします。
すると、その生物にとって空の星は存在しないということになりますか?
感知と事物存在は別物です。

五感を超えた存在と交流するのが(礼拝供養など)宗教ですよ。

五感を超えた存在を「科学的」に考察していくこともできます。大体は
統計的手法を用いるしかないですが。医学や心理学などは数値データーを
使ってないことも多いですしね。「〜症候群」なんてチェックシートで
病名を決めているんだから恐ろしいもんですよ。
チェックシートを用いて、何項目陽性なので慢性疲労症候群と診断可能
なのなら、同じマークシートを用いて、全く同じく「霊的な不具合ですね」
なんて診断しても、同等に科学的ということはできるんですよね。

650 :けちゃっぷ:04/09/11 10:57:10 ID:bYS+zm8G
空だけど仮に有るということにして会話が成立するんですよね。グーって何だよ?そんなもんこの世にあるなんて聞いたことないぞ…って言っても、ジャンケンで遊ぶことができる。

651 :1:04/09/11 10:59:19 ID:ztwlVMWa
>>611 言語を全く用いない「意念」という思考もありますよ。
例えば何かを書こうとしている、何も書けない。
うんうんうなって「!」と思う。するとすらすらと長文が書ける。
「!」が意念なんです。

652 :名無しさん@3周年:04/09/11 11:02:42 ID:C9LKl+Dg
お釈迦様の教えは、下界ではとうてい知りえぬ彼岸からの教えですから、
お釈迦様をまず疑いなく信じることが大切なのです。
直接経典を読み、自分で考えたりすることも大切でしょう。自分で考えて
信じることこそ大切です。人から学べば、下界のことだけで終わり、お釈
迦様から学べば、彼岸を学ぶことになるのです。すべてを信じることなく、
択法として、信じようとするその人自身が真実なるものを選び取り、偽り
のものを捨て去ることが大切なのです。複数の経典から、信じようとする
人自身が真実なものを選び取り、偽りのものを捨て去ることが大切なので
す。
それで、禅を選ぶならそれでよし。自分の生活の中でできるものならそれ
でよし、なのです。

多くの人を経て、経典から学べるようになりましたが、択法により、また
自分で考えることにより、良い道に進めるのです。
繰り返し言いますが、人から学べば、下界のことだけで終わりです。下手
すれば、地獄に落ちるかもしれません。


653 :けちゃっぷ:04/09/11 11:08:27 ID:bYS+zm8G
>652 過去は過ぎ去りもう無い。未来は未だ来たらずまだ無い。地獄があろうがなかろうが、今の自分が幸福であるためには、どちらでもいいことでしょう。OKOK。宇宙に必要とされてるから、生きてる。

654 :1:04/09/11 11:09:09 ID:ztwlVMWa
>>612 別に尾篭な表現を用いなくても、既成の概念を崩していく作業は
できると思いますけどね。禅の方は崩す方面ばかりに一生懸命ですね。

655 :1:04/09/11 11:10:53 ID:ztwlVMWa
>>614 けちゃっぷさん、それは仏教の認識論ではなく、
世間一般の人生論です。人生論も大事ですが。

656 :けちゃっぷ:04/09/11 11:19:43 ID:bYS+zm8G
>655 仏教は人生論ですからね。浄土宗では転重軽受と言って、例えば病気になっても「この程度で済んだのも仏のおかげ」と感謝します。仏に治療を祈るんじゃなくてね。

657 :1:04/09/11 11:31:54 ID:ztwlVMWa
>>618 教えの真偽を量るに、城市(城郭都市)を外から観察する
ようにせよという仏典がありますよ。
この場合の城郭都市は「涅槃」のことなのですが。

外壁はどうか、門番はどうか、出入りしている人たちはどうか。
よくよく観察して、中の様子を想像しなさい、という教えです。

658 :1:04/09/11 11:34:24 ID:ztwlVMWa
>>620 仏教でテーマとしている「苦」。
(苦集滅道の苦)は、永遠の苦しみです。

659 :1:04/09/11 11:54:23 ID:ztwlVMWa
>>621 さん、
【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]

仏教ではあなたに、(あなたの)無明があるゆえに、
(あなたの)行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死が生じ、
有・生・老死があるゆえに、悲、愁、苦、悩が生じると教えます。

無明を断たない限り、この連鎖は永遠に続くのです。

仏教は無明をなくする教えであり、老死を乗り越え、悲、愁、苦、悩
から人を救うんですよね。
この世で涅槃を得て仏陀=如来なっても、身体は残っていますから
(有余涅槃)、身破れて(死んで)無余涅槃に入るまでは肉体的苦痛は
残ります。
それは想像するに「主観的苦痛」ではなく「客観的苦痛」なんでしょうね。
受・愛・取ばども主観的?喝愛ではなく、ほのぼのとした客観的な慈愛に
なるのでしょう。





660 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 12:03:55 ID:9/7L4sjC
>>654
>別に尾篭な表現を用いなくても、既成の概念を崩していく作業は
>できると思いますけどね。禅の方は崩す方面ばかりに一生懸命ですね。

既成の概念が崩しにくい。というのは、あなたのレスを拝すればよくわかるかと思います。
「あの世が絶対にある」。というような確信は、なにゆえ生起なさるのでせう?
いうならば人は、世界観を構築することによりそこに己の偶像を投影するのです。
これを仏教においては外観といいます。
外観は、一時は己を忘れることができる。
ただそれだけのことで、またもや生起する煩悩は、なんら変わりはない。
一時のアヘン(安楽)に酔うがごとし。
       
            <こんぎょく・ぎんのすけ>  


661 :1:04/09/11 12:14:42 ID:ztwlVMWa
>>623 さん、こんにちは。
>「4つの真理」
ししょうたい 【四聖諦】[苦・苦集・苦滅・苦滅道]
あるいは「苦・集・滅・道」
これは仏教のテーマの宣言。「苦、集めているから、滅する、道を教える」。

>「人生に苦は付きもの」というそのものがお釈迦様の説くの第一。
「こは苦なり」といいますよね。

>苦からは逃れられないってことを
>圧倒的に理解しあるがままを受け入れるために、
>自分の心と体のすべてに注意をはらう(完全に動きを止めて坐ることを含む)。
>これが瞑想。

苦の認識はむしろ、
さんぼういん 【三法印】[諸行無常・諸法無我・涅槃寂静]

諸行無常・諸法無我なるがゆえに、諸法皆苦。涅槃寂静を求めよ。

瞑想の目的は、認識の範囲を拡大することではないでしょうか。



662 :1:04/09/11 12:29:48 ID:ztwlVMWa
>>633 さん、
>もっと簡単に言いますなれば、心象、事象、現象
>すべてを色と言うていいのかと思いますね。
>五蘊というのは、それを分けているにすぎない。

色=個人の肉体的要素
受、想、行、識=こころの要素 です。

「色、受、想、行、識」=五蘊=肉体的要素とこころの要素=個人

>意とすれば同じこと。

それは、六処、六入です。六処、六入は個人と外界の接点。
例えばネットは「意」で接触してるんです。
じゅうにしょ 【十二処】[眼・耳・鼻・舌・身・意・
  and 色・声・香・味・触・法]
意で感受する要素が法です。ネットでは意を使って法(コード化可能データ)
をやり取りしているんですね。




663 :名無しさん@3周年:04/09/11 12:33:45 ID:yl4TEAZm
>>660
前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅し尽くすに至った人

 ほとんどの仏典には、前世も天上も輪廻も書いてある
 それを疑う者は、仏教を信じているとはいえない
 釈迦や弟子たちが嘘をついていると言うのか
 天上という方便に従って、修行していたと言うのか
 なにかごたごたと屁理屈を述べているが、あんたから
 ひとつも学ぶべきことはない

664 :名無しさん@3周年:04/09/11 12:38:07 ID:vwNE7GRt
>>636 空は無自性、何々であるという本質を欠いていること。
本質がないからこそ、無常で、縁起し、全てが現象する、と理解してますが、
単なる言葉の理解です。言葉の理解ではほとんど意味がないんです。

>>634  >>635  では「哲学や診療内科」の「正しさを証明する」ものは何んですか?
哲学って一義的な定義が不可能なものじゃありません? デカルト以前以後でもまったく別だし、
現代に限ったって、論理実証主義とベルクソンやハイデガー、マルクス主義など、
まったく矛盾する体系で、相互に否定しあってますよね。だからもしあなたが「正しい哲学」を
定義したとしても、それはあなたの「正しい哲学」以外ではありえず、それに基づいて
「仏教の正しさを証明」したとしても、多くの哲学者は前提、形而上学的基礎が間違っていると
いいませんか?

論理的に「仏教の正しさを証明」しようとした方々がいたんです陣那菩薩、法称菩薩とかね。
でもその正しい基準を設定した時点で、無常も空も縁起も崩壊しちゃうんですよ。
それを指摘したのが有名な龍樹菩薩や月称菩薩で、
論理や言葉がいかに適当で不確実なものか、力説されました。
まして「哲学や診療内科」を持ち出すことなど、論外ですよ。
マールンキャプッタの毒矢の分析みたいなものです。

つまり分析する暇があったら行ぜよですね。
もちろんその前に信じられる師を探さなくてはなりませんが、そこでは多少分析が有用かも。
しかしそこでも「哲学や診療内科」は有用ではないですよ。

665 :1:04/09/11 12:42:53 ID:ztwlVMWa
>>634 さん「つまらない」というのは、意義を認められないという意味です。

前の話題ですが、あなたの自己ってなんですか?
指、腕、足、顔、頭??
ある死刑囚が「虫になっwても生きたい」
「そこで生きている蟻がうらやましい」とか書いていましたよね。
仏教は身破れた後の(死んだ後の)あなたのこころ=魂=意念がテーマです。
死んだ後の魂は、測定不能だし心理学も哲学もテーマにはしにくいでしょう。
宗教の分野ですよ。

実験や測定によらなくても物事を科学的に理論的に
見ていく方法はいくらでもあるのです。科学の根本は測定実験による証明で
はなくて、仮説と証明ですよ。
科学と宗教の話は、いくらでも長くなるし、あまり立ち入りたくないのです。
(考えてないわけではありません)。

有機物と無機物の組み合わせで「こころ」ができている、なんて思っているのは
低レベルの科学者ですよ。

666 :1:04/09/11 12:46:56 ID:ztwlVMWa
>>635 仏教の中心思想は「涅槃」ですから。涅槃に絞って
考えて見られてたらいいと思います。

>>636 「空」はこのスレッドや前スレで何度も定義しています。
一度お読みになってください。もし見つからなかったらまた書きます。

667 :1:04/09/11 12:56:47 ID:ztwlVMWa
自己引用(空と無我と忘我について)

>>556
>空とはこと・ものの存在原理。因と縁と果と報の原理で存在。縁起。
>無我とは、こと・ものに恒常的な本質がないこと。

>忘我は我を忘れること。意識が変容して悟ったような気になること


追加;縁起(せる物)とは

これあればこれあり、これなければこれなし、
これ生じればこれ生じ、これ滅すればこれ滅す 

という原理で連なっている一連の現象。

668 :1:04/09/11 13:03:12 ID:ztwlVMWa
>>653 けちゃっぷさん、もう全く仏教ではなくなっていますよ。
お釈迦様はそんなこと言ってないもん。仏教では自説を述べたらだめです。
「お釈迦様はこうおっしゃっているようだ」という自分なりの解釈を
述べ合うのはいいけど。

けちゃっぷさんは「身見、疑、戒取」がお数珠もって「ナムナム」
やっているようなもんですよ。あなたのは「南無阿弥陀仏」ではなく、
「ナムナム」。阿弥陀様もお嘆きになります。
「僕は釈迦の友達なんだから、ちょっと釈迦も立ててやってくれ」と。

669 :1:04/09/11 13:11:17 ID:ztwlVMWa
>>660
>「あの世が絶対にある」。というような確信は、なにゆえ生起

それは仏説だからです。仏典にそう書いてある。
それにあの世がないのなら仏教は不要ですしね。
実体験もあります。私は霊的なものは見えない
けど、感じることはできる。見える人も大勢いる
みたいだけど。
(どういう見え方なのかは見当もつかないが)

仏教の基本は「礼拝供養」です。礼拝供養は、
虚空に遍満する諸仏・諸菩薩・諸天・善神・天神地祇・祖霊
に対して行うのです。
その存在がどうしても信じられない方は、今一歩仏道に足を
踏み込むのはやめたほうが良いと思いますよ。
禅で言えば、真の礼拝供養がなければ、野弧禅になるばかりです。


670 :名無しさん@3周年:04/09/11 13:11:55 ID:dNh7QF1g
一切の哲学的断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない-ブッダのことば

 天上のこととは死んだらってことだ。死んだら哲学するか。思考されることさ
 えないんだぞ。
 人に怨みと抱くな、敵意を持つなと釈尊が言えばそれは天上のことだ。
 五種の欲望の対象もなく、それらに対する貪欲を自制せよ、と釈尊が言えばそ
 れは天上のことだ。
 
他に師は必要ないだろう。釈尊から学べ。人の言葉を信じることなく、釈尊の言葉を
分析せよ。そして、分析したことで終わらず、行おうとすることだ。自分の環境に適
した行いをすればよい。
 法灯明、自灯明を行え。人に依存するな。人に依存する者は、人以下に生まれる。
 畜生に生まれて、人間に逆らうことができない存在になるのだ。

671 :名無しさん@3周年:04/09/11 13:47:07 ID:Y3bPDnt4
>>669
>それにあの世がないのなら仏教は不要ですしね。
仏教ってそんな貧弱な物だったのかー。



672 :名無しさん@3周年:04/09/11 13:48:51 ID:Y3bPDnt4
>>670
>畜生に生まれて、人間に逆らうことができない存在になるのだ。
畜生てのは、人間に逆らえないのかな?そもそも人間に関わらずに
生きてると思うんだ。

673 :名無しさん@3周年:04/09/11 14:28:17 ID:cBuT6t3h
仏典と名が付けば、全て釈尊の直説と勘違いしている香具師がいるようだが

674 :名無しさん@3周年:04/09/11 14:41:02 ID:fpskDpXw
>>639
「死ななきゃわからない」ような教えを、釈尊が説かれたとは思えません。
あなたが人に「お前は死ななきゃわからない」と宣言するのは、釈尊から
はるか遠ざかっているのではないでしょうか。ご自分が「チャチじゃない」
と思うところの教えを、ご自身であらゆる角度から丁寧に説かれては
どうですか?そうでなければ自分が「チャチ」になってしまうでしょう?

675 :名無しさん@3周年:04/09/11 14:43:03 ID:cBuT6t3h
>>669
>それにあの世がないのなら仏教は不要ですしね。

これほど、おろかな言葉は初めて聞いた

676 :名無しさん@3周年:04/09/11 14:51:01 ID:fpskDpXw

カーラーマ>村に来る遍歴行者やバラモンの中には、自分の説だけ吹聴して、
他人の説を非難する者がおります。別の行者やバラモンも来るのですが、彼らも
また同様です。いったい遍歴行者やバラモンの中で誰が真理を語り、誰が虚偽を
語っているのか、いつも疑問に思い、困惑してきたのです。

ブッダ>カーラーマよ、そなたが疑わしいことについて疑問に思い、困惑したのは
ふさわしいことです。人からの聞き伝え、伝統、噂をうのみにしてはいけません。
経典の権威、単なる推測や公理、見かけ、思索、可能性、観念、あるいは「我が師の
説」だからと言って盲従してはいけません。自分自身でそれが有害であり間違って
いて賢者も非難していると知れば、 それを捨てなさい。自分自身でそれが健全で良い
ものであり賢者も称賛していて人々の為になり幸福に導くと知れば、それを受け入れ、
従いなさい。」

677 :名無しさん@3周年:04/09/11 15:15:23 ID:7IRau8sv
ケンシロウは言いました。
おまえはもう 死んでいる。

コインは無くなっていきます。
指が痛くなって来ます。
今日は5マンすてたか。。
喜ぶのは店だけです。彼らは北斗をやってほしいんです。

>仏典と名が付けば、全て釈尊の直説と勘違いしている香具師がいるようだが
歴史の真実は、
文字と共に始まったわけではありません。
文字の無い時代、
師から弟子への知識の伝達の方法は口伝でした。

その後、文字を書き記すという方法がとられるようになり、
多くの経典が作られました。


678 :名無しさん@3周年:04/09/11 15:16:46 ID:vwNE7GRt
>>670
自灯明をそうゆう風に解釈する人がいますが、それは全く近代仏教学の一部の解釈に他ならないでしょう。
真っ当な仏教で伝統、法脈、師からの教えを大切にしないものはないでしょう。

勝手にお経読んで、それで内容が正確に分かる人も少ないし、
このスレ見ればそれぞれ解釈がバラバラなのは明らかでしょう。
だから、師からきっちり根本的誤解を説いて貰う必要があるんです。
細かいことは、いいとして。本質を把握した後での自燈明でなければ、
その灯明が、どこに導くかは非常に怪しい。

おなじく変な師匠についてしまったら、もうどうしようもないけど。

679 :名無しさん@3周年:04/09/11 15:55:05 ID:PiucHViV
>>669
「死後の世界」も「先祖供養」も、仏教の本来の教えなどではない。
仏教とは、あくまで、現世を生き抜くための人生の智恵の一つである。

1さんは、本当の仏教者とは思えない。「仏書に書いてあるから信じる」
などと言うのは、単なる盲信者。悪名高い「宗教原理主義」と何ら変わる
ところがない。

形而上の典型である宗教では、どうしてもこのような根拠のない争いが
起きてしまう。ひたすら現実に沈潜する自然科学の世界では、宗教とは全く
異なり、世界中の人々が容易に一致できるのは何故だか、考えてみよう。

680 :けちゃっぷ:04/09/11 15:57:06 ID:bYS+zm8G
>668 そうでしょうか?僕の中では仏教と矛盾しないんですが。過去も未来も空。なのに、地獄を恐れて何になるのでしょうか?インドは輪廻が前提の文化ですが、輪廻が仏教の思想ではないでしょう。

681 :けちゃっぷ:04/09/11 16:03:05 ID:bYS+zm8G
地獄への恐怖が苦悩の原因になってる人には、地獄なんか気にする必要ない方法を説く。それが四諦説に基づく「対機説法」です。はじめから地獄を信じてない人に、わざわざ地獄を持ち出して脅すのはどうかと。

682 :けちゃっぷ:04/09/11 16:08:26 ID:bYS+zm8G
僕は心霊現象も信じていますが、生きてる人間がいくら死後を心配しても、確認できないことです。心配しても意味のないことで悩むなら、そんな心配捨ててしまえばいい。これも四諦だと思います。

683 :名無しさん@3周年:04/09/11 16:12:47 ID:PiucHViV
仏教が「空」を説きながら、「死後の世界」や「先祖霊」の実在を信じる
のは、全く矛盾している。

仏教の真髄は、「空(縁起)」である。その他の要素は、バラモン教や道教
からの混ざり物。

684 :けちゃっぷ:04/09/11 16:17:58 ID:bYS+zm8G
>683 空であるし、仮でもあるので。仮の概念にとらわれて悩んでる(苦・集)場合、悩みを消す(滅)方法(道)は、仮を空だと気付くか、仮をもって仮を制すか。相手に応じて使い分けます。

685 :名無しさん@3周年:04/09/11 16:21:31 ID:vwNE7GRt
>>679
再現可能性が高いからでしょう。ただ科学も現実とは何か説明不可能になってきていると聞きますが?

また科学では、どう生きるべきかには全く答えてくれないと思いますが、違いますか?

686 :597:04/09/11 16:45:46 ID:To/7Ovg8
>>664
やっとまともに答えられる御仁が現れた。
「空」は無自性、ないしは無我ですよね。無我だからこそ、融通無碍に何にでも
形を取ることができる。さらに、無我だから、偶然のようですべて必然、
すべてが元から収まるべきところに収まる。ひとひらの雪片さえも。

>哲学の限界
これもおっしゃる通りです。これまで、哲学的な命題はひとつとして正しいと
証明されたことがありません。ただ、哲学がよいのは、自分の考えを相手に
伝える時、定義がしっかりしているから同じ土俵で議論ができる。仏教用語と
なると、「空」ですら、あなた以外にちゃんと定義できる人がいない。それで、
やっていることは、既存の仏教用語を使ったカテゴリーにひたすら分類して、
「これは無記だ」、「これは五蘊だ」とラベルを貼り付けるだけです。しかも、
同床異夢で、定義は個人ごとに違っているときている。群盲象を評す、です。

私は、仏教が哲学や心療内科に置き換えられるとは言っていません。置き換えられる
部分は置き換えた方がいい、と言っているのです。仏教の真価は、むしろそういう
相対化の後に何が残るかで決まります。相対化で仏教が消えるとは私も思っていません。
また、仏教は「合理化」によって輝きを失うようなチャチなものではないとも
信じています。東京から大阪まで、籠で行く必要はありません。新幹線や飛行機を
使えばよい。たとえ、それが経典になくてもです。

687 :597:04/09/11 17:37:22 ID:To/7Ovg8
>>680
そうですね。釈迦時代のインドの人(今でもそうでしょうけど)は、バラモン教徒
で皆が皆、輪廻転生を信じていた。そういう人たちへの処方箋として、釈迦が
使った療法のごく一部が記録として残っているのが、原始仏典です。一方で、
聖書などを読むと、ユダヤ民族固有の「律法」という特殊事情が浮き彫りに
なってくる。病状に応じて薬の種類が違うようなものです。現代の日本人が、
仏典や聖書に書いてあることを、何でもかんでも飲み込まなければいけない
というのは間違いだと思います。

私が尊敬してやまないある聖者の言葉にこういうのがあります。正確な引用では
ありませんが...
「真理は太陽のようなものである。過去、太陽は地平線の一点から登り、人々を
導いてきた。しかし、季節によって太陽が昇る地点は異なるように、時代によって
真理の説き方は違ってくる。それにも関わらず、多くの人は太陽そのものでは
なく、過去に太陽が昇った地点に固執しているのみである。」

688 :けちゃっぷ:04/09/11 17:48:08 ID:bYS+zm8G
>687 キリスト教でも、イエスは自分が神の子であることを知らせるために奇跡を起こしたのではなく、神の教えを信じさせるために、奇跡を起こし神の子だと知らしめたのでしょうね。

689 :名無しさん@3周年:04/09/11 17:57:27 ID:1/pon67t
>>685
>ただ科学も現実とは何か説明不可能になってきていると聞きますが?

量子力学のことを言っておられるのだと思いますが、それは宗教の信者やその影響
を受けた科学者の、自己正当化のための願望に過ぎません。粒子の位置の不確定性
も、粒子という五感の知覚て確定できる物質が実在するからこそ論じ得るのであっ
て、その逆はあり得ません。また、観測者によって現実が異なるといっても、それ
は、一人または少数の観測者ではなく、不特定多数の通常人の観測者という概念を
導入すれば、容易に解決できます。
科学はもっぱら謙虚に「モノ」の世界を対象としたからこそ、奇跡以上の発達を遂
げたのであり、不遜にも「コト」に介入しようとすることは、科学の自殺を意味し
ます。

>また科学では、どう生きるべきかには全く答えてくれないと思いますが、
>違いますか?

人間は共同体としてしか存在しえないものである以上、どう生きるべきかは、あく
まで他者との関係においてしか考えられません。それが道徳です。人間を超越した
存在や、自分だけの救いを対象とする宗教は、どう生きるべきかの指針にはなり得
ません。



690 :597:04/09/11 17:58:01 ID:EqCOiFn2
>>688
私の意見では、奇跡があろうとなかろうと、イエスの言葉が持つ輝きには何の
変化もないと思います。

その言葉の持つ輝きに感銘して、イエスに従う者だけが真のクリスチャンと呼ば
れる資格があるのではないでしょうか。大多数は、中身ではなく、その華麗な
パッケージに惹かれて後をついていき、やがて失望してイエスを見捨てました。

691 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:03:54 ID:C2YMxpsr
>>675
釈迦自身が、あの世を知っているから教えを説いたんだよ。
お前みたなボケ早よ死ねや。

692 ::04/09/11 18:05:10 ID:ZNorSzQm
>>671 あの世がないのなら(断見が真実なら)、倫理や道徳や哲学で
十分じゃないですか。過去世、今生、来世の三世の考察が仏教の役割
なんですよ。今生だけなら要らない。

693 :597:04/09/11 18:05:22 ID:EqCOiFn2
幸いに、>>687の原文が見つかりましたのでコピペさせていただきます。

真理は太陽にたとえられましょう。太陽はあらゆる暗い影を消散せしめる発光体で
あります。同様に,真理は私達の想像から来る暗い影を消散せしめるものです。
太陽が人類という身体に生気を与えるように,真理はその魂に生気を吹き込むもの
であります。真理は地平線上の違った地点から昇る太陽です。
ときおり太陽は地平線上の中央から昇ります。やがて夏になると北寄りの地点から
昇り,冬には南寄りの地点から昇ります――しかし,どの地点から昇ろうと,それは
常に同一の太陽です。
同様に真理というものは,その顕現においていろいろ相違する点があるかもしれま
せんが,それはひとつのものです。ある人々には,それを見る眼があります。
これらの人々は,太陽が地平線のどの地点から昇ろうと太陽自体を拝(おが)みます。
太陽が冬の空に没して夏の空から現れて来ようと,彼等はどの方向に向かっていれば
太陽が出て来るかちゃんと心得ているのです。しかし,太陽が昇った地点をのみ拝む
人もいます。こうした人達は,太陽が違った地点から明るく昇る時でも,依然として
前に昇った地点をのみ,じっと見つめています。悲しいかな,こうした人達は,太陽
の祝福を受けることができません。本当に太陽そのものを拝む人達は,太陽がどの
地点から昇ろうとそれが太陽であることを認め,その明るい輝きにまっすぐ顔を向け
るのです。
私達は単にその出現の地点のみを崇拝するのではなく,太陽自体を拝まなくてはなり
ません。同様に,啓発された心の持ち主は,真理が地平線のどこから現れようと,
真理を崇拝するのです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~oneworld/intro_j.htm

694 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:07:13 ID:1/pon67t
>>690
あなたはキリスト教の方ですか。若しそうなら、ここは場違いですね。
同じ宗教でも、一神教と仏教とでは、本質的構造が異なります。仏教は
人間性から隔絶した唯一神など認めません。

695 ::04/09/11 18:08:59 ID:ZNorSzQm
>>672 野生の動物は、家もないし決まった食事もないし医療だって
受けられるわけじゃない。なかなか生活も大変みたいです。
飼い主が居る場合は、ペットが地位が高くて、後は食用とか使役とか。
ペットでも監禁、拘束状態の場合もあるし。

696 ::04/09/11 18:10:56 ID:ZNorSzQm
>>673 そんな人はいまどき居ないでしょう。

697 :597:04/09/11 18:12:07 ID:EqCOiFn2
>>694
私はクリスチャンではありません。
それよりも、あなたは太陽自体を拝めない方なのですね。

698 ::04/09/11 18:12:23 ID:ZNorSzQm
>>675 「この命が今生だけ」と思うほうがもっと愚かかも。

699 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:17:38 ID:cBuT6t3h
>>698
どちらも愚かなんだよ

700 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:18:47 ID:C2YMxpsr
>>693
お前オウムだろ、現アレフだったかアーレフだったか。それか、どこかの新興宗教=詐欺。



701 ::04/09/11 18:18:48 ID:ZNorSzQm
>>679 仏教は、前世、今生、来世に渡る三世の学問ですよ。

「三世 十方法界」で一度検索してみてください。宗派を問わず
どんどんヒットしますから。

それが仏教の基本です。今生しか視野に入らない人は、仏陀の教え
に疑い惑っている人なのです。

702 ::04/09/11 18:23:30 ID:ZNorSzQm
>>680 けちゃっぷさん、それはもう断見に近いです。

けちゃっぷさんは、断見は取らないのでしょう?
断見とは死後魂(こころ)が消滅するという考えです。
仏教では、無明がある限り、死後のこころは消滅せず輪廻するのです。

「無明がある限り」「存在する」=「空」ですから、
地獄も無明がある限り存在するのです。

もう一度ご自分の思想が「断見」でないかどうかをチェックしてみてください。
仏教大学で「断見」は仏陀の教えではないと習ったはずですよね。

703 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:26:06 ID:C2YMxpsr
>>679
またボケが。仏典に書いてないことを言う奴が、仏典に書いてあると言い張るから
争いが起こるんだよ。
たとえば、南無妙法蓮華経と唱えよと釈迦が言ったか?超ボケた奴らが、これを唱
えれば救われる、後は邪宗である、などと基地外なことを言うから、争いが起こる
んだよ。

704 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:28:14 ID:1/pon67t
>>697
太陽だけでなく、その他のすべての自然と人間に毎日感謝していますよ。

あなたの言われる「真理」とは一体何で、誰が真理であると判断するの
ですか。具体的にご説明下さい。

705 ::04/09/11 18:30:48 ID:ZNorSzQm
>>683 さん、

無明があれば 〜が存在する ← と言う公式が「空」なんですよ。

無明によって生じたあなたの心は、その無明がある限り永遠に続くのです。
この虚空に永遠に存続すると言うことは、六道輪廻すると言うことですよ。

そんなことはない、死ねば魂(こころ)はなくなる、と言うのは断見。
無明云々の条件なんて関係なく、永遠に存在すると言うのが常見。
どちらも、仏教の最初の一歩として否定される事項です。

706 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:36:57 ID:qYfLqUo7
>>687
聖書のどこに書いてあるんだ。
聖書の箇所を示せ。
示さないと君は嘘つきとする。

707 :597:04/09/11 18:39:34 ID:EqCOiFn2
>>704
あ、>>693に書いたことの比喩を指したつもりだったのですが...
要するに、仏教もキリスト教も、過去に「真理という名の太陽」が昇った地点で、
いつまでもそこにこだわっていては、太陽=真理は拝めないと言いたかったのです。

708 :けちゃっぷ:04/09/11 18:40:13 ID:bYS+zm8G
>702 今やるべきことをやる以外に、できることはありません。あの世を心配するなと言いたいのですが。
1さんが空と言ってるのは縁起のことでは?縁起ゆえに空ではありますが。

709 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 18:40:40 ID:9/7L4sjC
>>705
>そんなことはない、死ねば魂(こころ)はなくなる、と言うのは断見。
>無明云々の条件なんて関係なく、永遠に存在すると言うのが常見。
>どちらも、仏教の最初の一歩として否定される事項です。

常見も断見も、これは同じことかとおもいますね。
して、その相違なるとこはどこでしょう?

なんら差異なきを空なり。
もはや論議にもなるまい。


710 :597:04/09/11 18:40:50 ID:EqCOiFn2
>>706 
「聖書のどこに」とは、具体的にどの部分のことが示してください。

711 ::04/09/11 18:41:44 ID:ZNorSzQm
>>690 仏教を学ぶなら、とりあえず、断見、常見、それだけでも
理解してください。
死後に魂は消滅すると言うのが断見。一般の人はこれが多いですね。
魂は永遠に存続すると言うのが常見。(たぶん)キリスト教もそうでしょう。
どちらも仏陀によって否定されています。これは仏教徒なら誰からも
異論の出ないところです。
上記二論に対して、仏陀は「空」の概念を提示します。
「これあればこれあり、これなければこれなし、これ生じればこれ生じ、
これ滅すればこれ滅す」。

具体的には、無明があれば、あなたの魂は永遠に輪廻するのです。
無明を断てば、輪廻を離れてニルバーナに入る。それが仏教の根本理念です。

それを否定するなら、仏教を否定すると言うことですよ。もちろん、それは
個人の自由ですが。

712 :けちゃっぷ:04/09/11 18:45:26 ID:bYS+zm8G
明日は空だと言うことは、明日が無いということじゃないでしょう。ただ、今日できることをやる以外にやるべきこともできることもないんだから、いたずらに明日を心配しても仕方ない。

713 ::04/09/11 18:45:48 ID:ZNorSzQm
>>709 それはね、子供が何もかも消しゴムで消して
「僕が偉い!」と言っているのと同じ。

禅のこころは言葉の遊びではないはず。

714 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:47:10 ID:is7BX946
私が尊敬してやまないある聖者の言葉にこういうのがあります。正確な引用では
ありませんが...
「真理は太陽のようなものである。過去、太陽は地平線の一点から登り、人々を
導いてきた。しかし、季節によって太陽が昇る地点は異なるように、時代によって
真理の説き方は違ってくる。それにも関わらず、多くの人は太陽そのものでは
なく、過去に太陽が昇った地点に固執しているのみである

>>706は聖書を知らないだろう。597さんよ、その聖書に書いてある場所を示し
て下さい。私も知りたいです。


715 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:49:30 ID:mXtAI/zp
>>711
ニルバーナに入るというのはどんなの?
魂は消滅しないが、永遠に輪廻せずに楽な状態にとどまるということかい?
もしそうなら、常見とほとんど同じじゃん。

716 :597:04/09/11 18:50:02 ID:EqCOiFn2
>>711
横レスですみませんが。
1さんのおっしゃる通り、仏教は断見も常見も外道として退けている。
しかし、「空」というのを

>「これあればこれあり、これなければこれなし、これ生じればこれ生じ、
>これ滅すればこれ滅す」

という「原理」として理解するとダメですよ。「空」そのものは不生不滅
で、永遠に存続するものです。というより、時間という概念をも超越して
いる。無明があろうがなかろうが、「空」そのものは何の影響も受けま
せん。では、輪廻する「自分」とはいったい何者か...。

717 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:51:15 ID:nyfRVOT/
687 :597 :04/09/11 17:37:22 ID:To/7Ovg8
>>680
そうですね。釈迦時代のインドの人(今でもそうでしょうけど)は、バラモン教徒
で皆が皆、輪廻転生を信じていた。そういう人たちへの処方箋として、釈迦が
使った療法のごく一部が記録として残っているのが、原始仏典です。一方で、
聖書などを読むと、ユダヤ民族固有の「律法」という特殊事情が浮き彫りに
なってくる。病状に応じて薬の種類が違うようなものです。現代の日本人が、
仏典や聖書に書いてあることを、何でもかんでも飲み込まなければいけない
というのは間違いだと思います。

私が尊敬してやまないある聖者の言葉にこういうのがあります。正確な引用では
ありませんが...
「真理は太陽のようなものである。過去、太陽は地平線の一点から登り、人々を
導いてきた。しかし、季節によって太陽が昇る地点は異なるように、時代によって
真理の説き方は違ってくる。それにも関わらず、多くの人は太陽そのものでは
なく、過去に太陽が昇った地点に固執しているのみである。」


714はこれのレスに対してだね。


718 :597:04/09/11 18:52:32 ID:EqCOiFn2
>>714
ああ、それは「ある聖者」が言った言葉で、聖書じゃありませんよ。
それとも、聖者=聖書という法律でもできたのかな?
あるいは、あなたの頭の中だけで通用する法律?

719 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:52:57 ID:nyfRVOT/
693 :597 :04/09/11 18:05:22 ID:EqCOiFn2
幸いに、>>687の原文が見つかりましたのでコピペさせていただきます。

真理は太陽にたとえられましょう。太陽はあらゆる暗い影を消散せしめる発光体で
あります。同様に,真理は私達の想像から来る暗い影を消散せしめるものです。
太陽が人類という身体に生気を与えるように,真理はその魂に生気を吹き込むもの
であります。真理は地平線上の違った地点から昇る太陽です。
ときおり太陽は地平線上の中央から昇ります。やがて夏になると北寄りの地点から
昇り,冬には南寄りの地点から昇ります――しかし,どの地点から昇ろうと,それは
常に同一の太陽です。
同様に真理というものは,その顕現においていろいろ相違する点があるかもしれま
せんが,それはひとつのものです。ある人々には,それを見る眼があります。
これらの人々は,太陽が地平線のどの地点から昇ろうと太陽自体を拝(おが)みます。
太陽が冬の空に没して夏の空から現れて来ようと,彼等はどの方向に向かっていれば
太陽が出て来るかちゃんと心得ているのです。しかし,太陽が昇った地点をのみ拝む
人もいます。こうした人達は,太陽が違った地点から明るく昇る時でも,依然として
前に昇った地点をのみ,じっと見つめています。悲しいかな,こうした人達は,太陽
の祝福を受けることができません。本当に太陽そのものを拝む人達は,太陽がどの
地点から昇ろうとそれが太陽であることを認め,その明るい輝きにまっすぐ顔を向け
るのです。
私達は単にその出現の地点のみを崇拝するのではなく,太陽自体を拝まなくてはなり
ません。同様に,啓発された心の持ち主は,真理が地平線のどこから現れようと,
真理を崇拝するのです。


720 :けちゃっぷ:04/09/11 18:54:46 ID:bYS+zm8G
無明は、我に固執させますから、三世をつなげようとする。昨日の自分にとって来世は今日の自分ですが、しかし、無明を除いて観れば、昨日の自分と今日の自分は別人だとわかります。

721 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 18:55:34 ID:9/7L4sjC
>>713
そもそも来世なんてあるわけない。
今、あなたの頭に来世がある。

もっと端的に言うとしたら、一分先のあなただって、あるわけない。

お気づきなされましm(__)m

722 :名無しさん@3周年:04/09/11 18:56:42 ID:vAa58DY5
>>721
またバカが来た

723 ::04/09/11 18:58:27 ID:ZNorSzQm
>>716 無明に「空」なんて関係あるわけがないですよ。空は関数?だからね。
無明に関係があるのは個人の生命です。

【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]

無明により、行〜〜〜〜老死→悲、愁、苦、悩 が生じます。
(あなたの)無明により(あなたの)行〜〜〜〜老死→悲、愁、苦、悩 が生じます。
と書いたほうが良く分かるかも。

あなたとは、
「行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死」←これがあなた(自己)ですよ。

一番生命現象で激しくて分かりやすく感じる部分は
「受・愛・取・有」←この部分。特に「愛と取」を「渇愛」と呼ぶことがありますね。
焼け付くような生への欲望。←これがあなたの(自己)です。別名、輪廻の主体。




724 :597:04/09/11 18:58:59 ID:EqCOiFn2
>>719
その原文の引用元は↓です。
バハイという、イスラム教改革派のHPです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~oneworld/writings.htm

私のモットーは、真理探究のためなら、哲学でも科学でも仏教でもキリスト
教でもイスラム教でも、厭わないということです。

725 ::04/09/11 19:00:22 ID:ZNorSzQm
>>719 太陽の例えは、仏教的には少し幼稚です。
仏陀の真理を語る場合、宇宙の輪廻、「幾多の宇宙が生まれ変わりした光景」
がテーマとなりますから。

726 ::04/09/11 19:01:56 ID:ZNorSzQm
>>724 その文章に誰も感心しないし、誰もコメントを書かないのは、
余りにも幼稚だからです。仏教はもう少し(というかはるかに)深いのです。

727 :597:04/09/11 19:02:13 ID:EqCOiFn2
>>723
「空」は関数だけじゃないですよ。
それなら、「諸法皆空」を悟った仏はいったいどこに身を置くのですか。

728 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:03:38 ID:cBuT6t3h
>>705
>無明があれば 〜が存在する ← と言う公式が「空」なんですよ

ほお、それも君の知っている仏典とやらにかかれている仏説かね

729 :597:04/09/11 19:04:07 ID:EqCOiFn2
>>726
そうですか。私には万能薬のようにありがたいですけどね。
特に1さんのように特定のドグマに自縄自縛になっている人にとっては。

730 ::04/09/11 19:05:40 ID:ZNorSzQm
>> 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静 三法印

時には一つ付け加えて、諸法皆苦、じゃなかったかしら?

分からないから調べてみよう。

731 :けちゃっぷ:04/09/11 19:05:47 ID:bYS+zm8G
1さん、無明により行以下が「生じる」と言うのは、行以下の概念でとらえる見方が生じるってことでは?グーもチョキもパーも手なのに、無明により、グーだけが自分でパーは他人だとか、パーが前世だとか思う。

732 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:07:27 ID:zaq03aJJ
イスラム教はそこの地域、キリスト教はイスラエル、仏教はアジア
悪いのは偶像礼拝者だけ それは3つの宗教に共通

733 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 19:07:48 ID:9/7L4sjC
>>730
>時には一つ付け加えて、諸法皆苦、じゃなかったかしら?

一切皆苦で、四法印です。

734 :けちゃっぷ:04/09/11 19:08:12 ID:bYS+zm8G
ただ因果(縁起)により手の形が変わっていくだけ。グーが生まれたり死んだりしてるというのは錯覚だし、グーがパーに変わったからってグーだった手が消滅したのでもないし、永遠にグーでもない。

735 ::04/09/11 19:09:02 ID:ZNorSzQm
>>731
行はベクトル(方向性を持つ力)、識は認識基盤かなと思っています。

736 :597:04/09/11 19:10:38 ID:EqCOiFn2
>>734
うんうん。その手が「空」ですよね。ところが、いつまでもグーで
いたいとか、パーはいいなとか、チョキだけはやめてほしい、なんて
考えるから「苦」を生じる。

737 ::04/09/11 19:11:18 ID:ZNorSzQm
>>733 そうですね。ありがとう。無常無我なるがゆえに一切皆苦。でした。

738 ::04/09/11 19:12:38 ID:ZNorSzQm
>>728 般若心経にそう書かれていますけど。

739 :597:04/09/11 19:17:29 ID:EqCOiFn2
>>738
また横レスで恐縮ですが。
般若心経には、「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」とあります
よね。「空」が不生不滅、不垢不浄、不増不減と言っているわけですけど、
「空」=「関数」ないし「法則」として意味が通じますか?

740 ::04/09/11 19:17:52 ID:ZNorSzQm
>>727 「空」悟り涅槃を得た仏、如来は、いったいどこに身をおくか。

すなわち、「死後の如来の魂」・・・これは「無記」なんですよ。

無記;ヒト(種としての)=ホモサピエンスの理解を超えているがゆえに、
如来がコメントを控える10種の項目の一つです。
(宇宙の果てとか、時間の無限性とか、、色々あるんですよね)


741 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:18:00 ID:f06dVCmv
>>728
お前自分で説明しないのに、人にケチつけるな!

742 ::04/09/11 19:18:59 ID:ZNorSzQm
>>732 イスラム教、キリスト教は多分常見だと思いますけど。

743 ::04/09/11 19:23:53 ID:ZNorSzQm
>>728 手元に般若心経がないのですが、

是故空中 ・・・無無明 亦 無無明尽 乃至 無老死 亦 無老死尽・・・

空の中には(空であるが故に) 無明〜老死 も 無明〜老死が尽きることもない。

無明〜老死=【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]


744 ::04/09/11 19:26:38 ID:ZNorSzQm
>>736 諸行無常、諸法無我なるが故に、一切皆苦なんですよ。
心の持ち方で「苦」が生じるわけではない。

745 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 19:27:09 ID:9/7L4sjC
>>742
釈尊の十無記のことですが、
あれは十無記でいいんですよ。

あなたが注釈、もしくは付随することはなんにもない。

無記としか言いようがないんで、釈尊は正直に「無記」と言うておるわけですから。
迷うことはないでしょうね。
私はそう思います。

746 :597:04/09/11 19:29:31 ID:EqCOiFn2
>>740
そうですか。もし「諸法皆空」が真実だとしたら、仏の住処こそ「空」のはず
なんですけどね。なぜなら、「諸法皆空」を悟ったのが仏なんだから。「空」
以外にどこへ逝きようがあります?

空は、いわばトランプのジョーカーのようなものだから、無明にもなり、老死にも
なる。それでいて、その中に無明も老死もない、というのは当たり前のことです。

747 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:30:37 ID:WYqNVGbw
>>745
どの経典の、どこの場所ですか?

748 :597:04/09/11 19:33:08 ID:EqCOiFn2
>>744
そうですか。こっちはグーを出し続けて、相手はグーチョキパーを
ころころと変える。なんでチョキを出さないんだよう、と自分の都合
を出すから苦になるんですよ。向こうは無我ですよ。勝てっこありませんよ。

言葉に囚われるから真理が見えてこないんですよ。

749 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 19:36:51 ID:9/7L4sjC
>>747
維摩経とかに書かれてあるかと思います。

しかしながら経典に依らずとも、仏教においては基本です。

750 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:40:46 ID:WYqNVGbw
>>746
一切皆苦、仏の内にあるものが涅槃に入った。そして、この世は苦であると悟る。
肉体が滅びても、何かは残る。その残るものが、仏は既に死の世界に入っている。
人々は、その教えを聞いて、この世だけではなく、他の世もあり、貪欲に生きる
ことを止めようとする。

751 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:43:36 ID:1/pon67t
空に執着することは、もはや空ではない。無理に空を求めようとすれば
気が狂う。生は空とは矛盾する。人間が生きている限り、空など不可能。

与えられた人生を、他者との係わり合いにおいて、ひたむきに生き、迷い、
苦しみ、傷つき、喜び、そして身近な者達との触れ合いの中につかの間の
幸せと人間は独りで生きていることではないという真理を悟る。死によって、
すべての苦しみも喜びも消滅するが、あなたの思い出は残された者達の心の
中に残る。これ以上、一体何を望む?


752 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:45:33 ID:D4MUZP8z
>>751
あなたから、学ぶべきことはないと知る

753 :597:04/09/11 19:49:44 ID:EqCOiFn2
>>750
「苦」というのは、「はからい」があるから起こるのです、「自分の
思う通りにならん」と言って。もし、「自分」ですら虚仮のものでしか
ないと悟ったら、「一切皆苦」も消えうせるのです。苦どころか、その
ままの状態で、「あるべき状態にある」のです。

小乗仏教、大乗仏教ともに、釈迦の没後に弟子達があれこれ邪推して
書き加えた部分がたくさんあります。すべてをうのみにすると、必ず
腹を下す。

754 :名無しさん@3周年:04/09/11 19:50:13 ID:1/pon67t
>>751の訂正

×独りで生きていることではない
○独りで生きているのではない

755 ::04/09/11 19:50:42 ID:ZNorSzQm
>>751 それは断見であって仏教の教えではない。

空は求めるものではなくて、求めるものは無明を断つこと。

無明を断つには、段階があってそれを仏弟子は一段一段上っていく。
その階梯とは。
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]
(十結煩悩)
一番下の三結「有身見・戒禁取・疑」からゆっくりと着実に断じて
行けば良いと思う。・・・もし仏道を求めるならば。


756 ::04/09/11 19:53:41 ID:ZNorSzQm
>>753 「はからい」があろうがなかろうが、諸行無常、諸法無我なるが故に
一切皆苦なのです。仏教で言う「苦」はもう少し根源的なものだと思いますよ。
「はからい」でどうなるような物でもなく。
それから逃れるには、涅槃寂静=断無明を求めるしかないのです。

757 :けちゃっぷ:04/09/11 19:55:16 ID:bYS+zm8G
>753 苦も空ですしね。苦は思い通りにならないことを言ったりしますし、ややこしいので、僕は苦と苦悩で使い分けたりしてます。

758 :597:04/09/11 19:56:23 ID:EqCOiFn2
>>756
そうですか。「自分」が虚仮だとわかっているとして、一体「誰」が
苦しむのですか。逃れるって、何から「誰」が逃れるのですか。

759 :けちゃっぷ:04/09/11 20:01:40 ID:bYS+zm8G
畜生は人間ほどには因果を理解できません(無明・愚痴)から、苦悩の原因を自ら作ってしまう。だから畜生は、惑→業→苦(悩)をくりかえす輪廻の世界です。

760 ::04/09/11 20:04:41 ID:ZNorSzQm
>>758 「自分」は虚仮(=こけですか?)ではないと思いますよ。
無明があれば、無明がある限り、存在するんです。

仏陀は「自分」を確認する法(あるいはお話)を仏典に書いていますよ。

大勢の男たちがあなたの手足をつかんで燃え盛る火に放り込もうとする。
砂漠で迷った夫婦が飢え渇き(当然=仏教では当然)かわいいわが子を
殺して食べ、しかも激しく嘆き悲しむ。
そのような状況で(もう何種類かあったと思うけど)あなたは自分の生に
対する渇望(愛・取)をしっかり見るであろう。それは虚仮などという
生易しいものではありません。それが無明ある限りどこまでも輪廻するのです。
根源的な苦とは「生への渇望」の永遠の輪廻です。

761 :597:04/09/11 20:12:07 ID:EqCOiFn2
>>760
まず、揚げ足を取るわけではないのですが、釈迦自身が書いた仏典など存在
しません、原始仏典と呼ばれるものですら、生前の釈迦の口癖などを思い出し
つつ書き留めたものです。

私見ですが、無明を完全に断ち切らねば「苦」から解放されないという1さんの
考え方は、かなり神経症的だと思います。凡夫の身でも、何かに集中している
時に「はからい」はなく、「苦」から解放されているはずです。六道輪廻という
思想も、生まれ変わりを想定せず、生きたこの身のまま刻々と輪廻している、と
解釈することも可能です。大切なことは、その人の境涯に応じて、一秒でも「はか
らい」がない無我の状態を伸ばしていくことです。

762 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:12:09 ID:1/pon67t
>>759
畜生とは、人間以外の動物のこと?仏教はすべての生き物に対して慈悲を
かけると聞いているが。あなたはそれで本当の仏教者?

「畜生」は、人間のように、宗教を原因として争ったり、殺しあったりし
ない。この点で人間は「犬畜生」にも劣っている。

763 :597:04/09/11 20:15:49 ID:4D5FwrEA
>>762
そうですね。畜生には「はからい」がないから、人間が味わうような
「苦」はないだろうと思います。肉体的な苦痛はあるでしょうけど。
人間の苦痛の9割は「取りこし苦労」だとされていますね。畜生の方が
人間さまよりも「苦」は少ないでしょう。

764 :けちゃっぷ:04/09/11 20:17:06 ID:bYS+zm8G
>762 自分の信じる正義のためとは言え、憤りによって争う状態は、六道のうちの「修羅」です。人間であって人間でない。動植物にも仏性はあります。

765 ::04/09/11 20:18:03 ID:ZNorSzQm
>>761 第一次結集、第二次結集、第三次結集とか?
仏教はご自分で創作しちゃあダメですよ。仏典を読まないと。
(もちろん書かれた時代も背景も考察しながらね)

仏教の看板は「苦、集、滅、道」です。

苦しみがある、集めている因がある、滅する道はあるよ、それは涅槃に至る道」

「苦しみはあるけど、はからいで忘れましょう」なんて仏教はありません。

766 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:21:57 ID:SLLqEdCF
苦しみがあって、阿弥陀仏を念じて極楽浄土しましょ。これも仏教だせい。

767 ::04/09/11 20:22:35 ID:ZNorSzQm
>>764
無明はひとの特性でしょう。見惑は阿弥陀専一信仰でしょう。
修羅は人間ではありません。
惑→業→苦(悩)をくりかえす輪廻の世界は畜生ではなく、
、、以下略。

768 :597:04/09/11 20:23:27 ID:4D5FwrEA
>>760(補足)
私は、唯識については浅学なのですが、勉強した範囲で言えることは、
「とても凡夫の苦を救うことはできない」ということです。なぜなら、
凡夫が修行によって仏陀になるには、天女が巖のまわりを踊って、その
衣の裾で巖がこすれてなくなってしまう位の時間がかかる、と平気で
書いてあるのですから。
原始仏典に書かれているのも同じようなもので、あまりに神経症的です。
そんなもの、当てにできますか。あなたが成仏するのは何百生も後のこと
だ、なんて平気で書いてあるようなもの。

釈迦の教団では、早い人で数年で悟りを開いた、という記録が見えます。
本来はそういうものだったのでしょう。愚鈍な弟子達が、「仏様というの
は偉いんだ。凡夫が仏になろうなんて、何百生早い」なんて見栄を張った
ために、仏教は凡夫の手に届かないものになってしまった。そういう残滓
を現代人が鵜呑みにしたって、百害あって一利なしだと私は思います。

769 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 20:24:42 ID:9/7L4sjC
>>765
>苦しみがある、集めている因がある、滅する道はあるよ、それは涅槃に至る道」

この「涅槃」、という意味は何を意味するのですか?
涅槃→来世のことですか?

770 ::04/09/11 20:25:23 ID:ZNorSzQm
>>766 「ブッダ・ダルマ・サンガ」を忘れた阿弥陀専一信仰に極楽浄土は
ありえないと思いますよ。十結煩悩の下の三結「有身見・戒禁取・疑」が
全く切れてないんだから。

771 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:26:45 ID:QnPSYjsz
>>766
偶像礼拝は貪欲他ならない
阿弥陀は、間違った経典からのものです

772 ::04/09/11 20:27:32 ID:ZNorSzQm
>>769 ニルバーナです。涅槃を得て六道輪廻を離れて如来になること。
これは最終的ですが。その前の段階として四向四果がありますよね。

しこうしか 【四向四果】[預流・一来・不還・阿羅漢]

773 ::04/09/11 20:31:51 ID:ZNorSzQm
>>768
>何百生も後のことだ、なんて平気で書いてあるようなもの。

しこうしか 【四向四果】[預流・一来・不還・阿羅漢]

預流は七来とも言いますよね。でも必ずしも七回ではないらしい。
一来は一度きり。両者とも天・人の往復。
不還は天に上りそこで涅槃を(還えらず)
阿羅漢は今生にて涅槃を得る。



774 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 20:32:25 ID:9/7L4sjC
>>772
>ニルバーナです。涅槃を得て六道輪廻を離れて如来になること。

私が訂正します。

×  ニルバーナです。涅槃を得て六道輪廻を離れて如来になること。
○  ニルバーナです。涅槃を得て六道輪廻【の迷い】を離れて如来になること。

このように理解されたら、それが涅槃寂静(今生)かと思います。


775 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:32:26 ID:SLLqEdCF
>>770
ありえようが、ありえまいが、現に仏教の一派としてあるじゃんか。
>>765であなたは、そんな仏教はないって言っていたじゃないですか。

でも、現に仏教の一派としてあるんです。

776 :けちゃっぷ:04/09/11 20:34:24 ID:bYS+zm8G
>770 極楽浄土はニルヴァーナじゃないですよ。信仰が後退しない不退転の位になって、修業の出発点に立てるだけです。そこからは、普通に仏道修業に入ります。

777 :597:04/09/11 20:35:36 ID:4D5FwrEA
>>773
そうですね。最初はせいぜい七回程度だったのが、最後には....
エスカレートしてしまったのです。
第一結集の時、釈迦はすでにこの世に居られませんでした。
だから、疑い出すと、原始仏典ですら、いつ書かれた文章なのかが気になって
きます。ググッてもらえばわかりますけど、十二因縁ですら、最後は五とか七
だったのです。愚鈍な弟子どもがどんどん教学をややこしくしていった。

778 ::04/09/11 20:39:30 ID:ZNorSzQm
>>773 の続き。
ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]
(十結煩悩)

>>773 その条件は、
三結(有身見・戒禁取・疑)断じて預流
三結断じ、欲貪・瞋恚薄らぎ一来
五下分結断じて不還だったと思う。

五上分結の「色貪」(物質への欲望)を断てば出家の行者。
長老げ、長老尼げ(げの漢字が出ない)などでは
五上分結の、無色貪・掉挙・慢・無明あたりを断ずる様子が
生々しく記載されている。

779 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:41:26 ID:SLLqEdCF
テーリーガーターには、数週間で悟りに至ったと語る比丘尼の言葉も
ありますね。女性の身で数週間ででっせ!!

780 ::04/09/11 20:42:34 ID:ZNorSzQm
>>776 けちゃっぷさん。極楽浄土に相似のものは、

三結(有身見・戒禁取・疑)断じて預流
三結断じ、欲貪・瞋恚薄らぎ一来

このあたりですね。涅槃界(涅槃の世界)、涅槃ではない。
ではやはり、目標として三結(有身見・戒禁取・疑)は断じないと。

781 :けちゃっぷ:04/09/11 20:43:26 ID:bYS+zm8G
仏・法・僧への帰依なしに阿弥陀信仰もありません。阿弥陀信仰などの大乗経を伝承してる教団はすでに仏教サンガではないといいたいのでしょうけど。仏教のサンガが大乗を生んだのも事実です。

782 ::04/09/11 20:43:56 ID:ZNorSzQm
>>779 色貪(しきとん、物質欲)は最初から捨てていますからねえ。
貯金通帳とか持ってないわけで。

783 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 20:44:40 ID:9/7L4sjC
禅の頓悟ですと、金剛般若経を耳にしただけで悟った人もいます。
六祖・慧能。

784 ::04/09/11 20:45:49 ID:ZNorSzQm
>>781 口ばかりで帰依三宝なんて言っても仕方ないんですよ。
ラブレターを出した以上は責任が生じる。
仏陀を信じ学び供養してますか?
仏陀の教学を学ぼうとさえしないではありませんか。

785 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:46:34 ID:wAs7rgH3
>>776
死んでから仏道修行するんだね。それは現世より大変なところかもしれないよ。

786 ::04/09/11 20:47:22 ID:ZNorSzQm
>>783 拈華微笑の意味をご存知ですか?

787 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:49:46 ID:wAs7rgH3
>>781
その僧侶がすべて奉仕活動で教えるなら、わかるけど。

788 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 20:53:15 ID:9/7L4sjC
>>786
以心伝心


789 ::04/09/11 20:54:16 ID:ZNorSzQm
>>781
私の小乗の定義。
実態は在家でありながら、出家の修行(らしきもの)をしている人たちの群れ。
在家は在家らしく菩薩行をせよと言うのが大乗。

(これは何の文献にも載ってません。私の新発明)

790 :名無しさん@3周年:04/09/11 20:56:43 ID:9Tv6JB4N
783 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 20:44:40 ID:9/7L4sjC
禅の頓悟ですと、金剛般若経を耳にしただけで悟った人もいます。
六祖・慧能。

釈迦の指導のもと、修行僧がなかなか悟れなかったものを、耳にした
 だけで悟ったと言うのか。このスレから出てけ!

791 :けちゃっぷ:04/09/11 20:57:42 ID:bYS+zm8G
>784 基礎仏教を学ばないと、浄土宗の僧侶にはなれないです。知識として学んでも実践は難しいですが。
サンガから学ばねば、市販の本では「仏教学」であっても「仏教」でない。

792 ::04/09/11 20:57:51 ID:ZNorSzQm
>>788 帰依三宝ですよ。

帰依三宝という美しい花を拈じて人々がにっこり笑い合う。
五分座れば、いえいえ座らなくても、もうあなたは、そして私は仏。

793 ::04/09/11 21:00:20 ID:ZNorSzQm
>>791 その割には書いてらっしゃることが支離滅裂。(ごめんなさい)

794 :名無しさん@3周年:04/09/11 21:00:40 ID:ipaFelXD
>>791
僧侶のふりした、ぼったくりですね。

795 ::04/09/11 21:04:25 ID:ZNorSzQm
>>794
私の小乗の定義。
実態は在家でありながら、出家の修行(らしきもの)をしている人たちの群れ。
在家は在家らしく菩薩行をせよと言うのが大乗。

こう言う意味では、けちゃっぷさんは大乗仏教徒だわ。
友達と集まって野球もしているらしいし。
私は小乗だなあ。反省。

796 :名無しさん@3周年:04/09/11 21:04:25 ID:ipaFelXD
637 :名無しさん@3周年 :04/09/11 08:52:05 ID:cSydvlLN
「我を捨てて、我見を捨てて、真っ白になって、それを受け入れなさい」

(1)布施をすること
(2)念仏を唱えること そして自然に僧侶を尊敬する人となれ
(3)布教をすること

 この三つに従って、僧侶は働きもせず、豊かに暮らせるのである。

となるといけないので、この時の僧侶は、出家修行僧に限定されるのだ。
今の僧侶と言われる人は、在俗信者に他ならない。我々となんら変りがない。
今の僧侶も(仏教的には僧侶でない)、働いて自分を養い、人に教えるな。 


 >>632 僧侶は消えるべきである。宣伝するな。何度も同じことを言って洗脳
    するな。


皆さん、気をつけましょう!自分達の利益のために、洗脳しようとしている輩
がいる。



797 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 21:05:37 ID:9/7L4sjC
>>792
釈尊、在世当時は口伝でしたから、こういった拈華微笑のようなコミュニケーションはなされていたのかと思います。
この法脈は現代にも流れています。

798 ::04/09/11 21:07:24 ID:ZNorSzQm
>>797 その回答却下!カ〜〜ツ!
なんてやられるんじゃないの。

799 ::04/09/11 21:10:19 ID:ZNorSzQm
>>775 お釈迦様を忘れているのが問題なのです。
釈迦を信仰し学び供養することも思い出してください。
そちらが主にならないとだめですよ。

800 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 21:12:43 ID:9/7L4sjC
>>798
そうですね。
もともと仏教というのは、宗教学とか文献学とかいうよりも、
もっと泥臭いところがあるのでしょうね。


801 ::04/09/11 21:26:17 ID:ZNorSzQm
ja- mata ne. nemasu.

802 :けちゃっぷ:04/09/11 21:32:51 ID:bYS+zm8G
>795 現在では小乗という呼び名は不適切でしょう。比較的ブッダの直説に近いといわれるパーリ語経典とブッダ当時からの戒律守っている南伝仏教が上座部仏教。これに対して北伝仏教が大乗です。

803 :マンゴー先生:04/09/11 23:37:47 ID:KdK/Yr5P
>>802
小乗仏教は自利、大乗仏教は自利利他と言われますが、小乗仏教の国の方が
一般庶民に幸せを与えているようにも見えます。
このあたりから、仏教における利他の意味を考えることも重要ですね。

804 :マンゴー先生:04/09/11 23:43:52 ID:KdK/Yr5P
>>803
するとここから「供養」の意味も見えてくるようになります。
するとさらに「慈悲」の意味も見えてくるようになります。
仏教辞典には書いてない行間の部分です。

805 :マンゴー先生:04/09/11 23:48:54 ID:KdK/Yr5P
>>780
涅槃を感得して戻ってきた者は、その涅槃を意味付けして極楽浄土と名付ける。


806 :名無しさん@3周年:04/09/11 23:49:02 ID:vwNE7GRt
>>686 や、前にも書いたんですけど。空の語義はそのとおりだと思います。
仏教の定義が曖昧なのではなく、このスレの解釈が多様なだけです。
日本の仏教は特殊で、いまやコンセンサスを得ることが非常に難しいのです。
ですが、日本でも平安以前の仏教は、基本的語義は共通ですよ。
けっして哲学に劣るような曖昧なものではありません。

ただ、そうゆう思想体系の構築に走りすぎてこじつけみたいなものが沢山あるのが、
アビダルマ、唯識等だと思いますが。

そうゆう哲学等の他の体系を取り入れてやっているのが、いわゆるニューエイジとか
ですが、そこには近代人の思いこみ、傲慢さによる失敗が潜んでいると思います。

「なにか法則や体系が存在し、仏教には古代人の妄想が混入しているから、
 ひとつ賢いオイラがその妄想を取り除いて洗練されたシステムにブラシュアップしてやろう」

な〜んて考える人が多いのですが、大抵、始めは威勢がいいけど終わりは悲惨でしょ。
ずるいけど典型的な例としてオウムとラジニーシの教団を挙げさせて頂きます。
つまり「合理化」と耳触りがいいが、実は「改悪」だったりする。
仏教は知れば知るほどほんとうによくできていて、素晴らしくヘタな変更は無理ですよ。
変更できるのは一部の聖者だけ、あるいは法身や報身から直接教えてもらうか。

807 :名無しさん@3周年:04/09/11 23:49:52 ID:vwNE7GRt
>>687 いい例が輪廻。あなたは輪廻を古代人の妄想と思っているようですが、
輪廻がなければ仏教体系は崩壊しますよ。
空ではなくなるでしょう。死ねば終わってしまうのだから。 
あるいは一切皆苦を受け入れた人は、自殺すればいいだけの話しになってしまう。
こうゆうのが近代人の慢心、改悪なわけです。

>>689 科学の話は、詳しくないのでやめときますが、
そうゆうエチカとリリジョンを分けるのはセム系宗教社会であって、
他の文化圏は、法、倫理、宗教、生き方、思想といったものが不可分だと思うんでが、
セム系の宗教は神の命令で、全て決めることが原理なので、そうゆう西洋的思考で、
他の体系を計られても、困っちゃうですけど。

ちなみに大乗仏教は、他者が重要なのです。だから菩提心を起こし、
他者のために、普賢行をし、なんども生まれ変わって利他をする誓願をし、
他者のために一切智者であるブッダになるのです。
決して「自分だけの救いを対象とする宗教」ではありません。

あなたは心も頭も優れてるみたいですから、
是非、よい師に巡りあって本物の仏教をきっちり学ばれることを願います。


808 :名無しさん@3周年:04/09/12 00:05:31 ID:pJjrNDHC
>>686
馬鹿?

色不異空 空不異色 

を都合よく無視してるのか、

809 :名無しさん@3周年:04/09/12 00:12:09 ID:p90tf+49
>>808
じゃ、どうゆう意味?

810 :マンゴー先生:04/09/12 00:17:27 ID:+Y71RQwq
>>761
渇愛を離れた者は苦悩から解脱します。
しかし無明がある限り渇愛は生まれ続ける(輪廻=十二縁起)。故に持戒を別解脱という。
無明を離れた者は輪廻から解脱します。

私は「六道」輪廻は信じていません。
でも無いという証拠もないので無記としておきましょうか。
しかしながら輪廻はありますし(これは間違いないですね)、死後に残る魂(誰々の魂と
いうような一つのもの=本質という解釈ではありませんが)もあると考えております。
後者はただの思想表明。

811 :名無しさん@3周年:04/09/12 00:42:39 ID:94cnojFG
>>711
> 仏教を学ぶなら、とりあえず、断見、常見、それだけでも理解してください。
> 死後に魂は永遠に存続す消滅すると言うのが断見。一般の人はこれが多いですね。
> 魂はると言うのが常見。
> どちらも仏陀によって否定されています。これは仏教徒なら誰からも
> 異論の出ないところです。

それは「形あるもの」についての考え方です。
仏教を学ぶなら、とりあえず「無記」を学んでください。

812 :名無しさん@3周年:04/09/12 00:51:57 ID:p90tf+49
>>811
<「形あるもの」についての考え方>って何んですか?

2ちゃん名物断見「無記」ですか?


これだから、出典のない議論は収集がつかない

813 :名無しさん@3周年:04/09/12 00:54:11 ID:94cnojFG
釈迦は魂のことなんて言ってませんよね?
基礎の中の基礎ですよ。

814 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:00:01 ID:p90tf+49
これって、言ってませんか?

中公の世界の名著1、451-456ページ
「病あつきヴァッカリ」です。示唆に富むと思われるので以下に紹介します。

病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。
釈尊:悩みや後悔がないか?
ヴァッカリ尊者:ある
釈尊:では戒律は清浄だったか?
ヴァッカリ尊者:清浄
釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか!
ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと(意味不明、たぶんヴァッカリの小さな拘り)
    以下引用、
>「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく
>この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を
>正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること
>になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな
>らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの
>ごとの理法を正しく見ていることになるからです。
> ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、
>おまえはこのことをどう考えるか」
>「師よ、無常です」
>「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」
>「師よ、(それらはすべて)無常なものです」
>「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
>世界に生をうけることはないと知るのである」


815 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:02:51 ID:94cnojFG
感受、想念、因果的存在、心

これらは、真の自己というものとは違うよ。

816 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:12:03 ID:p90tf+49
この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺する。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、
魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。

ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
       中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52ページ

もちろん釈尊は不殺生戒で普通の自殺を禁じています。諸律に説かれますが複雑なので引用しません。
解脱せずに自殺すれば輪廻しますし悪趣に落ちるとされます。
それとは逆に上の二ケースのように解脱した状態で自殺した場合、涅槃できると考えられます。
悪魔は自殺した人が輪廻にあると思って魂、中村訳では「識別力」を求めていること、
それを釈尊が認めていることから、凡人の死後が想定されていることがはっきりします。
もちろん、ここで「魂」「識別力」と訳されている識(ヴィンニャーナ)も無常なものであることは、
「心」と訳されている識(ヴィンニャーナ)が無常であること既に釈尊が確認ずみです。
    (尚、輪廻の主体は仏教で問題となり色々な説が考え出されたが、このように初期は識とも
     言われていたようです。無常性を強調して後に心相続というようになったのかも?)

もちろん識(ヴィンニャーナ)が真実として存在するのではなく、
その状態を呼ぶための言説(言語習慣、常識)で、それを本質と捉えるから話はおかしくなる。
もちろん、それが恒常なものとは言わないが、連続して生まれ変わり死に変わっていくのを輪廻というのです。
無記は、それとは別の話で、なんでこじつけてまで輪廻を否定したいのかなあ。

817 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:15:20 ID:bzUyOPGw
【悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、】
魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる

この話は胡散臭いw

818 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:23:04 ID:g7gBDf3q
自殺禁止だと言ったり、自殺して涅槃したのは○○だから良いのだ、
などとこじつけてるのはアンタだろうが。

819 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:24:12 ID:p90tf+49
それは胡散臭いのではなく、あなたが抱いていた仏教と違っているので、
受け入れられないだけでしょう。信じられないなら、実際に典拠をあたってみてください。

必要とあればパーリも引用しますが。



820 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:25:47 ID:g7gBDf3q
だからまず無記から始めなよ。
あんたのは「カルト」

821 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:30:58 ID:p90tf+49
自殺禁止は、律で明解に規定されてますけど。知らないんですか?
律で自殺は禁止されていることと、この二つのケースでは釈尊が二人を
讃えていることから、解脱した状態での自殺は認められると考えられますが。

自分と意見をことにするものはカルトね。
いや、無駄な書込をしました。終了いたします。

822 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:32:44 ID:g7gBDf3q
釈迦が、一応、(世辞で)言っただけかもしれない。
本当は堕獄したと思われる。

823 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:36:46 ID:sxUPTV21
仏教では「悪魔」というものを想定しないんです。
それらは自己の幻影あるいは因縁であると説きますし、
善悪二元の考え方を教えるのが仏教だとは考えられないのはわかりますか?
悪魔が常在しているなどと思うのは愚かなんですよ。

824 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:38:10 ID:sxUPTV21
解脱を妨げる全ての間違った観念を正すこと。
それだけでよいと思います。
「仏典は正しい」
これも間違った観念の一つ。

825 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:38:44 ID:sxUPTV21
次の患者いますか?

826 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:39:01 ID:p90tf+49
あのね、あなたどうゆうこと言ってるかわかる?
釈尊を冒涜し、アルハットを冒涜し、この教えを伝承してきた人たち全てを
バカにしているわけですよ。如来の言葉にどれほど重みがあるか、
それを伝承してきた人たちがどんな思いで伝えてきたか、少しは思ってほしい。

つまらないプライドを護るために、幼稚なこじつけはやめようね。

827 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:40:33 ID:7bp/SvN6

>>826
そうですよ。冒涜しています。
でたらめを書き残したうすら馬鹿どもを。



828 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:41:21 ID:7bp/SvN6
いなければもう風呂に行ってきます。

829 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:50:12 ID:p90tf+49
>>823 諸行無常は分かりますが、我々と同じように魔も縁起しているというのが仏教でしょう。
二元論というのは、あなたの勝手な投影ですよ。そんなこと言ってませんよん。

>>824 仏典は正しいか? それは確かに問題ですね。
しかし、とりあえず一定の基準にはなるでしょう。
そしてそうゆう基準なしに、ここであーだの、こーだの自分の観念をぶつけても、
らちがあかないでしょう。

830 :名無しさん@3周年:04/09/12 01:59:39 ID:22Vkt/Dk
指導者に付いて、教えを自分で実践してみれば、その仏典が正しいかどうか
わかりますよね。くれぐれも人からの聞き伝え、伝統、噂をうのみにせず、
経典の権威、単なる推測や公理、見かけ、思索、可能性、観念、あるいは
「我が師の説」だからと言って盲従してはいけませんね。
自分の体験と、真実を拠りどころとすべきでしょう。

831 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:07:38 ID:p90tf+49
始めの三行は、まったく賛成です。
しかし、細かいことは別にして自分の煩悩に関わることは、師を信じる以外ないと思いますよ。
というのは、煩悩ほど巧妙な詐欺師はいないからです。
せっかく師が煩悩を叩いてくれているのに、それを信じられないのでは、
そんな師では就く意味がない、と思うんですけど。

832 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:10:06 ID:3MbfnhCd
スレタイとは裏腹に、ここは仏教原理主義(カルと)のスレですか。特に1さんの
カキコは、仏教に対する反発を起こさせるだけだし、けちゃっぷさんの浄土真宗は
一神教的で、仏教の優れた特徴を否定するものです。

金玉先生のは、いつもながら、根拠のない観念の否定と仏教の本質を捉える努力と
して参考になります。

出典を強調されるが、釈迦自身が書いたものは皆無だし、時代も異なる大昔の根拠も
怪しげな人間の言説や出典を盲信することには、何の意味も価値もありません。オウ
ムと何ら変わりはありません。

仏教に感銘を覚える点があるとすれば、人間にわからないもの、考えても仕方のない
ものは考えるな、と言い切った「無記」でしょう。

学ぶべきものは、根拠も定かでない大昔のことではなく、目の前に確実に存在する
生きた人間と自然ではないでしょうか。

833 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:14:31 ID:JdWuWkmp
>魔も縁起
自分の外に原因があるのではないということ。
所行を魔の責任にするのは仏教ではありませんね。
魔が縁起しているのではなくて、自分の中にある妄想が
惑わす元なのです。ですから魔という実体があるのではなく、
あらゆる物は自分の見ている妄想に過ぎないのです。

>二元論というのは、あなたの勝手な投影ですよ
善も悪もないのですよ。
この宇宙は法により支配されている一元の世界です。
勝手な投影は、つまり「悪魔」の想定です。

834 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:29:53 ID:p90tf+49
>>832 つまり勝手に自分の思いに合ったとこだけ採用するわけですね。

>>833 だから一切皆空、諸行無常は受け入れてますよ。
例えば、ここであなたと話していることも究極は夢幻と同じであると。
それと魔や神々、餓鬼等は変わらないリアリティがあるということです。

確かに究極には善悪もないが、因果としては善因楽果悪因苦果というのが、
仏教はおろかインド宗教の共通認識です。そしてこの因果が法でしょう。
しかもその法もまさに空である。

835 :けちゃっぷ:04/09/12 02:37:01 ID:+E9NpKx0
ちなみにウチは浄土真宗ではなく浄土宗です。真宗との大きな違いは、浄土宗は戒を授かること。授戒を受けると戒体が発動し、戒を守らせようとするし、戒を破ると後ろめたい。で、懺悔の気持ちから念仏へ。

836 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:43:20 ID:3MbfnhCd
>>834
>つまり勝手に自分の思いに合ったとこだけ採用するわけですね。

あくまで現実に立脚して自分の頭で批判・判断した上で採用します。現実の人間界
と自然という揺るぎ無い基盤があるから、決して「勝手に」ではありません。
何の現実上の根拠もなく、文献や他人の言説だけで勝手に判断しているのは、宗教
です。


837 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:46:57 ID:p90tf+49
なるほど。現実ですか。では、あらゆることは苦であるということは、
承認されますか? 釈尊は、この否定しようもない認識から出発しています。

838 :名無しさん@3周年:04/09/12 02:56:52 ID:3MbfnhCd
>>835 けちゃっぷさんへ

失礼しました。全くの私見ですが、浄土宗のほうがはるかにマシです。
科学とは違って、宗教では「改革」の度ごとに悪くなってゆく感じです。
キリストのユダヤ教改革、ルターの宗教改革、ムハンマドのイスラム教
創設によって、紛争が飛躍的に増加しました。何故でしょうか?太古の
時代の自然宗教が自然の人間性に最も合致していたように思います。

839 :名無しさん@3周年:04/09/12 03:08:34 ID:3MbfnhCd
>>837
苦をあるがままに受け入れることにより、苦は軽減され、消滅します。
苦から無理に逃れようとすると、却って増大します。苦があるからこそ、
楽(喜び)が存在し得るのです。苦が一切消滅した世界など、それこそ
地獄でしょう。

苦は自意識過剰により生じ、他者への思いと感謝によって軽減・消滅します。

釈迦の時代の苦と現代における苦とは、性質が異なることも考えなければなり
ません。

840 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/12 06:05:03 ID:ptRqU13y
そもそも、断見か?常見か?と、想起するのが迷いですね。
解脱とは、この迷いもない一枚平等なり。

841 :名無しさん@3周年:04/09/12 08:27:59 ID:SHr4sWax
...と、一言いらぬことを発言するたびに、どんどん魔道へ落ちていく、
救いようのない金玉銀之助であった。

842 :名無しさん@3周年:04/09/12 08:36:06 ID:cXmUj/f8
誰も魔境になど堕ちないのが、本来の一枚平等である。
どんなDQN、キミのようなDQNもだよ。

843 :名無しさん@3周年:04/09/12 08:44:34 ID:SHr4sWax
>>832

>仏教に感銘を覚える点があるとすれば、人間にわからないもの、考えても仕方のない
>ものは考えるな、と言い切った「無記」でしょう。

たとえば、ガンの告知みたいに、本人の精神的負担にならないように、敢えて
隠しておくということがありますね。人間は、生きている間こそ大切なので、
「生ある時は生に徹する」という意味で、敢えて死後のことに触れなかったので
はないかと思います。

>学ぶべきものは、根拠も定かでない大昔のことではなく、目の前に確実に存在する
>生きた人間と自然ではないでしょうか。

釈迦が何も書き残さなかったというのは、恐らくですが、書き残すべきものが
なかったからだろうと思うのです。森羅万象に真理は書きつくされていて、それを
読み解こうとする人にはいつでもページが開かれている。仏性というのは、元々
時間も空間も超越したものとされていますので、文字や概念で表せるものでは
ありません。だから、経典をいくら読破しても「空」の意味が「わかる」わけ
がない。せいぜい、既成概念のカテゴリーに分類することで悟った気分を味わう
位のもので、このスレでも「文字に殺されている修行者」の屍が累々としています。


844 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 09:09:23 ID:hLzjhw84
古い和訳ですが、なかなか興味深い経文引用を二つ。
汝らは風説を信ずる勿れ。伝説憶説を信ずる勿れ。蔵経の教えと合致するからとて信ずる勿れ。単
なる論理、単なる計画案、特殊な考え、単なる思慮に基づいて信ずる勿れ。この沙門は我らの師で
あるからといって信ずる勿れ。若し汝らが自ら、この法は不善なり、有罪なり、この法は智者の訶斥
する所のものなり、この法を円満し執取すれば無益と苦とを引く、と覚えるならば、汝らはその時そ
れを断つべし。                        『アングッタラニカーヤ』 T 『カーラーマ経』

比丘等よ、我、今、汝等に「一切」を説かん。能く聴け。比丘等よ何をか一切という。眼と色、耳と声、
鼻と香、舌と味、身と触、心と法、比丘等よこれを「一切」というなり。何人なりとも、かくいうものあら
ば、そは非なり。我は右の「一切」(六根六境以外の一切)の説明を捨てて、他の「一切」の説明を説
かんと。かくのごときはただ言説のみにて、質問已に適当せず。いたずらに悩乱を増さんのみ。何と
なればそれは吾等の境界にあらざればなり。               『サンユッタニカーヤ』4,p15

845 :名無しさん@3周年:04/09/12 09:10:49 ID:9rbjmamc
http://kinki.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kinki&KEY=1042556142&LAST=50
面白いスレを発見。
カルト宗教が建てた美術館を必死に擁護する信者が滑稽ですw
112以降が面白い。


846 :名無しさん@3周年:04/09/12 09:25:26 ID:ygw3T7q+
みなさんにお伺いします

釈尊から直接教えを受けた名もなき信者と、最澄、空海と日蓮をはじめとした
鎌倉新仏教の宗祖達と、今日の仏教界の大幹部(池田さんなんか)と
誰が一番すごい?と思いますか?

847 :名無しさん@3周年:04/09/12 09:35:13 ID:SHr4sWax
>>844

信して始めても懐疑で終る。しかし、あえて懐疑から出発すれば最後は確信にいたる(フランシス・ベーコン)

を彷彿とさせますね。

848 :名無しさん@3周年:04/09/12 09:37:34 ID:SHr4sWax
>>846
本当に成道した人は、仏そのものですから、大小や上下の差はありません。
ただ、
>今日の仏教界の大幹部(池田さんなんか)
はどれもこれも、第一級の詐欺師であることは間違いない。

849 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 09:45:02 ID:hLzjhw84
>>名無しさん@3周年
>>847
> 信して始めても懐疑で終る。しかし、あえて懐疑から出発すれば最後は確信にいたる(フランシス・ベーコン)
その「確信」でさえも、つまりは嚴密な吟味検討が加えられる、措定された仮説に他ならない。

850 :名無しさん@3周年:04/09/12 09:49:28 ID:SHr4sWax
>>849
そうですね。
最後まで本当のことはわからない。
だから、真理というのは、自分の全存在をその「確信」に賭けられる
ということにすぎないのかも。

最初から経典にかじりついていては、そういう「確信」など到底期待
できないでしょう。

851 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 09:53:54 ID:hLzjhw84
> >>849
> 最初から経典にかじりついていては、そういう「確信」など到底期待
> できないでしょう。
その種の「確信」にも執著すべきでないと説く経典もあるのが興味深いところです。
阿羅漢-如来も同文-は、ニルヴァーナよりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、
「このニルヴァーナは自分のもの」とは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。それは
何が原因かといえば、かれには熟知されたからである、とわたくしは説く。
                               『マッジマニカーヤ』T-1 『根本法門経』



852 :名無しさん@3周年:04/09/12 10:01:05 ID:SHr4sWax
>>851
これは面白い。
水の中の魚が水を意識しないのと同じで、仏にとってニルヴァーナは意識
されない。確か、維摩経にも「仏が、自分が仏であると自覚した途端に仏
ではなくなってしまう」という記述があったような。

853 :けちゃっぷ:04/09/12 10:27:33 ID:+E9NpKx0
>846 仏道は、戒・定・慧の三学です。最澄さんや空海さんは、おそらく三学をマスターしてたのでは?お経を読むだけでは「慧」の切れ端を学べるだけでしょう。行の実践が心身を練り上げていくのでは?

854 :名無しさん@3周年:04/09/12 10:30:53 ID:qNDtK/cS
創価学会『折伏経典』42〜44頁) 十界論の説明(監修:池田大作)

地獄界――不具者、病者、狂人、ルンペン、邪宗教の坊主及び信者
餓鬼界――下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、
         毎日毎日の生活が食を得る為に働いているような人々。
         アルコール患者。拝金主義者。性格異常者。
畜生界――パンパン、不良、泥棒、スリ、その他犯罪者。
修羅界――兵隊、警官、拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と
争う人間。
人間界――普通平凡に生活している市井人。
天 界――大金持、元の皇族、貴族、一国を動かしている大政治家、
        経済家、偉大な軍人等々。
声聞界――学者、研究家、学生等。
縁覚界――大作曲家、音楽家、芸能上で一芸の奥義に達した者、
        何かの研究を完成した学者等。
菩薩界――二宮尊徳の如く広く社会を利益した者。偉大な発明発見
        により広く社会を利益した者。例えばエジソン、ワット、
        湯川秀樹博士、支那に生れた孔子等。更に仏法を広め、
        衆生に救を与えた人々。
仏 界――日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、
        天台(迹仏)、伝教大師(迹仏)等。



855 :名無しさん@3周年:04/09/12 11:21:23 ID:oqRJjRXf
>>851
>>852

そう言いながらも、熱心に経典を引用しているところが笑える。
結論としては、経典は不用だということ。

学ぶべきは、唯一確実な存在としての現実の森羅万象からであり、根拠も怪しげな
経典や古人の言説からではない。

宗教の方々は、あたかもすべての人間が宗教で生きてきたような言い方をするが、
圧倒的多数の人間は、宗教などにはあまりかかわりなく、ひたむきに日々の生を生き、
「その中で」悟りを開いてきた。経典など書いた人間は、要するに生活とは関係ない
暇人。経典に生活の智恵を求めるのは見当違い。悟りとは、自ら現実の生を生きる
過程の中で得るべきもの。他人の悟りは、自分の悟りではない。

856 :名無しさん@3周年:04/09/12 11:42:42 ID:qbjpNat+
日蓮が法華経を汚す人は、頭破七分科(ずはひちぶんのとが)
を言ったが、
「わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらない
ならば、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてし
まえ―詐をもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐
ろしいことを告げた。かれの呪詛のそのことばを聞いて、バ
ーヴァリは苦しみ悩んだ」

釈尊は答えた「無明が頭と知れ。明知が信仰と念と精神統一
と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものであ
る。」

★無明だから、南無妙法蓮華経を唱えるのです。
明らかな智慧によって、それらを唱えることには意味がない
と知れ。

857 :名無しさん@3周年:04/09/12 12:01:33 ID:oqRJjRXf
>>856
南無阿弥陀仏や真言やマントラやお経も全く同じ。要するに、意味もない
言葉を多数回反復するという、身体行動による精神安定効果でしょう。だ
から、唱える言葉は何でもよいのです。

言葉だけでなく、偶像を崇拝するのも、イスラム教徒が一日5回も頭を床に
擦り付ける動作も全く同じです。宗教の意味はそれだけです。根拠のない
精神性を持ち込むと、人間にとって却って有害。

858 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 12:04:12 ID:hLzjhw84
>>855
> >>851
> >>852
>
> そう言いながらも、熱心に経典を引用しているところが笑える。
> 結論としては、経典は不用だということ。
その結論とやらを抽出した論拠は?それが全く論じられていない。
> 学ぶべきは、唯一確実な存在としての現実の森羅万象からであり、
古色蒼然たる素朴実在論者?
>根拠も怪しげな 経典や古人の言説からではない。
引用した経典の内容をよく読めば、こんな間抜けなレスはしないはずだが・・・。

859 :名無しさん@3周年:04/09/12 12:38:13 ID:xNkh8NvA
まあ、>>855は「井の中の蛙」と「唯我独尊」の違いがわからない厨房だから。
私自身が青二才だった頃とそっくりだ(^^)

860 :名無しさん@3周年:04/09/12 12:38:56 ID:oqRJjRXf
>>858
またまた「経典」ですか(笑)。経典が不要な理由は、少し前までのレス
の応酬で論じられています。

あなたは、電波男さんと共に、「原始仏教」スレで「厳密な文献学」に専念
して下さい。適宜参考にさせていただきます。ここはスレ違いでは。

経典の勉強は、単に本を読めばよいだけの話。本質を「考える」こととは別
です。文献自体が不確実なのだから、あまり意味がありません。

861 :名無しさん@3周年:04/09/12 12:51:02 ID:xNkh8NvA
>>860
横レスになりますが。
経典というのは、たとえ仏説でなくとも、ある仏教修行者の宗教体験を書いた
ものだから、読めば参考になるのでは。懐疑をもって読むかぎり、読んで益に
ならないような書物などこの世にはないでしょ?経典だって同じこと。

もし、経典が不要だというのなら、同じ理由で「他人の意見など一切必要ない」
ということになる。自分の頭の中だけで有効な「主観的真理」というのは、
単なる自己満足じゃないの?他からの批判によって、「客観的真理」という
形で洗練されていくものだと思うけど。あなた、弁証法ってわかります?

862 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 12:54:45 ID:hLzjhw84
>>65

> >>62 阿呆陀羅經さん
> スルーしましょうよ(汗
そういたします。お眼汚し失礼しました。
> 折角ベロさんも来てくださって、まっとうなスレ進行が期待できそうな空気なのに。
>
> >> 釈尊は涅槃を得てからも、生涯慈悲の修行をし続けましたね。
> >ブッダにとっては極自然な行為行動が、それを享受した者にとっては大慈悲行と
> >受け取られたともいえるでしょう。
> これはどう解釈すればいいのでしょうか。
> 「釈尊の自然な行動」が(その場に居た者たちの)見方によって「慈悲」と捉えられて
> しまった、という事でしょうか?
> これを正しいと仮定すれば、釈尊自身には慈悲行のつもりはなかった、ともとれて
> しまいますね。
>
> ・・・そもそも自分が慈悲のつもりでやってる場合の利他行は慈悲行にはならないの
> だろうか・・・?相手からみて、慈悲だと受け取れた場合にのみ「慈悲」が成り立つのだろうか?
「三輪清淨」という言葉に味わい深いものを感じますね。
> 慈悲の定義付けがわからん。難しい。
慈悲行−一応同情と共感に基づく言動としておきます−といってもそれは対象への執著を離れた
状態でなされものであり、愛憎好悪といった情念的な思い入れ とは無縁な行為と思います。慈
悲喜捨の四無量心における捨無量心が前提となるでしょう。


863 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 12:56:35 ID:hLzjhw84
>>862は誤爆です。失禮いたしました。


864 :名無しさん@3周年:04/09/12 13:07:33 ID:lP5fu6Jn
p90tf+49は痛いやっちゃ。

865 :名無しさん@3周年:04/09/12 13:08:34 ID:oqRJjRXf
>>861
宗教自体が極めて主観的なものであるので、読むことによりどうしてもそれ
にとらわれて、却って客観性を失う危険のほうが大きいのでは。

勿論、例えば宗教を論じるばあいには、その全般にわたって目を通し、「内容
の概要」は把握しています。

866 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :04/09/12 13:08:39 ID:oPUNuTQN
>>856
南無妙法蓮華経など唱えごとをしても無駄ですよ。天上では唱えごとしませんから、
唱えごとをすればするほど清くはならない。むしろ不浄となる。

この身は不浄であると心得て、身体の消滅世界が清浄であると知り、口で唱えるこ
とも宗教として行わないこと。

「日も盛りの時、鳥どもが枝にとまっているときに、大きな森が鳴りひびく。それ
 は、わたしには楽しみと思われる」
「森は楽しい。世の人々はここで楽しまないが・・・・・・・・・・・・・」
天上のように、人の手でつくられたもので宗教的行いをするのではなく、それらを避けて
自然を楽しみましょう。





867 :名無しさん@3周年:04/09/12 13:19:45 ID:xNkh8NvA
>>865
それは、読み方が悪いのだと思います。読めば、それまで自分が持っていた
意見と必ずぶつかるはずです。「そんなはずはない、それは間違いだ」と。
そこで格闘が始まる。弁証法では、「正」に対して反対意見「反」が出され、
葛藤の中で、その「正」と「反」を矛盾なく解決する新しい答え「合」が
作られるとします。自分とは異種のものから、自分の意見の正当性を脅かされ
ない以上、一歩も進歩することができないのです。

「内容の概要」を把握するだけでは不足で、自分の意見とどこが違うかをはっきり
させ、一点の誤魔化しもなくそこで格闘することが必要だと思います。人間は弱い
もので、自分の意見と合致した部分だけを読み、合致しない部分を無意識に
無視してしまう人がほとんどです。そういう読書は百害あって一利なしだと
思います。

868 :830:04/09/12 13:27:07 ID:22Vkt/Dk
>>855
まったくその通りだと思います。

>学ぶべきは、唯一確実な存在としての現実の森羅万象からであり、
>根拠も怪しげな経典や古人の言説からではない。

この森羅万象とは、煎じ詰めれば自分の「眼耳鼻舌身意」を通じて得られる
知覚および感覚のことですよね。まずこの知覚・感覚に細心の注意をはらう
ことから、修行は始まります。それだけが確実であり現実です。
経典や言説は単なる指針にすぎませんよね。
六識に表れたる森羅万象、そのあるがままから学ぶのです。

869 :830:04/09/12 13:28:27 ID:22Vkt/Dk
>>855
>宗教の方々は、あたかもすべての人間が宗教で生きてきたような言い方を
>するが、圧倒的多数の人間は、宗教などにはあまりかかわりなく、ひたむき
>に日々の生を生き、「その中で」悟りを開いてきた。

これははっきりと疑わしいと思います。圧倒的多数の人々は自分たちの関わる
祭祀・宗教・儀式の、意味や根拠や効果にまったく無自覚にただやり続けてきた
のではないですか?でなければ今だに、宗教祭祀が行われている理由がわか
らないでしょう?
多くの人は、意味の理解できない宗教を頼み、あるいは宗教には頼らずとも、
酒、タバコ、性、賭博、食物、睡眠、哲学・・・あらゆるものや快楽に依存して自ら
の苦しみをまぎらわせきているのではないですか。このような依存がある限り、
自由や真の幸福はないのではないと思います。

870 :830:04/09/12 13:30:01 ID:22Vkt/Dk
>経典など書いた人間は、要するに生活とは関係ない暇人。
>経典に生活の智恵を求めるのは見当違い。悟りとは、自ら現実の生を生きる
>過程の中で得るべきもの。他人の悟りは、自分の悟りではない。

これもまったくその通りだと思います。
経典で得られる知恵というのは、聞慧(聞いて得られる知恵)、思慧(考えて得られる
知恵)に過ぎません。これはしょせん借り物、他人の悟りであって、自分の悟りでは
ないですよね。
まったく悟りとは、自ら現実の生を生きる過程の中で得るべきものだと思います。
しかしそもそも「自らの現実」とは何でしょうか?それは煎じ詰めれば六識、視覚・
聴覚・臭覚・味覚・触覚・思考ですよね。ですから自らの現実を知ろうと欲するなら
この六識に注意(念)を向けねばなりません。それが瞑想。そしてその現実・現象
から学ぶのです。これが戒定恵の三学ではないでしょうか。

871 :名無しさん@3周年:04/09/12 13:31:30 ID:lP5fu6Jn
830は痛いやっちゃ

872 :名無しさん@3周年:04/09/12 13:33:39 ID:xNkh8NvA
>>866さんが、法華経批判をされていますね。確かに、法華経は仏陀直説の
経ではない。歴史的事実として、これを否定する人はいないはずです。
しかし、それでも読めば役に立つ。

白隠禅師が出家した時、法華経を読んで「こんなご利益の羅列だらけの経
を読んで成仏できるのなら、薬の効能書きを読んでも成仏できるだろう」
と鼻から馬鹿にしていたそうです。法華経の「正」に対して、白隠さんの
「反」が提示された。ところが、42歳の夜に、法華経を読経中にコオロギ
の声を聴いた瞬間に大悟するところがあり、自分は初めて法華経の真価を
知った、それがわからなかった自分は開き盲だった、と述懐しています。
その状態が「合」です。

白隠さんは、最初法華経の中身を疑って入ったのがよかったのです。
そうでなければ、一般の法華経信者のように、ただ内容を理解せずに
題目だけ唱えて満足するばかりで、一歩も先に進めなかったでしょう。

873 :830:04/09/12 13:46:31 ID:22Vkt/Dk
たとえばパソコンのモニターを見て、

> 871 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/09/12 13:31:30 lP5fu6Jn
>830は痛いやっちゃ

という映像が目に入ってくる。それが文字であると判断し、意味を理解し、
それに嫌悪が生まれる。そしてその嫌悪から怒りの諸反応が生まれる。
たとえば顔が赤くなる。息が荒くなる。手や唇が震える。イライラして
足や体を動かす。身体を掻く。このような一連の入力-反応の形成作用
が生じ、それが業として溜め込まれる。そしてこのような一連の動き自体
に無自覚である。これが無明ではないでしょうか。

874 :名無しさん@3周年:04/09/12 14:06:40 ID:xNkh8NvA
>>873
なるほど。しかし、あなたが書かれていることに従って、いかなる外的な刺激
に対しても嫌悪を生み出さないようにするならば、その人間は一切の感情を
失くし、木や石のような存在になるだけではありませんか。それが、あなた
が目指す目的なのですか?

それに、そういう人間になるのは外科手術で脳の一部を切除するだけでOKなの
では?

875 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 14:24:32 ID:hLzjhw84
>>860
> >>858
> またまた「経典」ですか(笑)。経典が不要な理由は、少し前までのレス
> の応酬で論じられています。
佛経という思想体系を論じるのにそのフレームを構成する経典の記述内容の
検討吟味は必要不可欠。

> あなたは、電波男さんと共に、「原始仏教」スレで「厳密な文献学」に専念
> して下さい。適宜参考にさせていただきます。ここはスレ違いでは。
「厳密な文献学」たりうるかは心許無いですが。そこで論じられることについての必要最低限の
学習はしなければならないでしょう。
> 経典の勉強は、単に本を読めばよいだけの話。本質を「考える」こととは別
> です。文献自体が不確実なのだから、あまり意味がありません。
本質を「考える」ための必要条件として慎重な経典読解が要請されます。


876 :名無しさん@3周年:04/09/12 14:29:43 ID:KsIhj40G
基本的に、釈尊の教えは、身体のない世界は苦悩でもなく、一切の悪がないという
事実がもとになっている。
五感も意の対象も、身体の欲するものであるが、それは苦しみである。
それらから、離れるのが安楽である。それらを貪り求めることは、苦悩を追うこと
である、自制せよということ。

憎しみ、敵意、怒り、粗暴、残酷、傲慢などは身体からくるものであり、慈しみと
あわれみと寛容は、身体のない天界に通じるものである。

日々の生活で欲望を享受したことによる汚れは、死後、世間から離れて清浄となる
ように、現在でも世間から離れて、人の作ったものから離れて、自然の中で瞑想し
たり、自然を楽しむようなことで清浄となる。

釈尊が指導したことは、理に適ったことである。人々は、修行僧に習い、生活活動
を捨てなくてよいが、宗教的活動を行う場合は、自然を楽しむ。



877 :名無しさん@3周年:04/09/12 14:38:26 ID:YPobyaZE
>>868
現実認識器官としての「眼耳鼻舌身意」のうち、最後の「意」については
お釈迦様にいささか異論があります。「意」は現実への窓口そのものでは
なく、観念の作用であるからです。これから、現実とは関係のない主観性
が生じる恐れがあります。宗教が心などにとらわれ過ぎるのも、その結果
です。

しかし、2500年も前に、現実とは何かについてここまで考えたとは大
したものですね。仏教が思想として極めて優れている所以です。われわれ
現代人は、それ以後の科学や理性の発達を充分考慮に入れて、この偉大な
る師を超える努力をすべきです。いつまでも釈迦を神格化したり、無批判に
盲信するだけでは、釈迦もきっと嘆かれることでしょう。優れた教師にと
っては、教え子が自分を越えてくれることこそ、最大の喜びなのです。


878 :830:04/09/12 14:42:17 ID:22Vkt/Dk
>>874
>いかなる外的な刺激に対しても嫌悪を生み出さないようにするならば、
>その人間は一切の感情を失くし、木や石のような存在になるだけでは
>ありませんか。

いいえ。植物や石のようになるのではありません。
むしろ自分が今までいかに外的刺激へ盲目的に反応するだけだったか、
分かります。いかに自分が快楽に執着し、苦痛に嫌悪するだけか、経験
します。そのとき刺激(快楽と苦痛)に反応せず、渇望と嫌悪を生み出さない
ように注意すれば、単なる反応が次第に減ります。
それはみずから自らの主人になる過程です。
自己をよく整え、調御する過程です。渇望と嫌悪を離れた、中道に安住する
過程です。中道を進む時、心は本当に静かで安らいでいます。
自然に慈悲の心が起こります。

例えば天災、人災、事件、事故に巻き込まれ肉体的・精神的苦痛を受けたとき、
何ヶ月も何年も何十年も自己嫌悪し、後悔し、想いに苦しみ、悲嘆に暮れ、絶望し、
あるいは反対に人を恨み、憎しみ、傷つけようとすることがありますね。その時、
すばやく自分の現実(六識)に気づき、冷静さを保ち、どのようにすればいいか
対処するのは、木や石のような存在になることとは違います。

879 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/12 14:49:01 ID:ptRqU13y
>>872
法華経の読経中の、コオロギの声を聞いて大悟する。というのは禅僧の中でも珍しいかとおもう。
だから法華経が素晴らしい。
って論法にはならないと思うが。

白隠と法華経というのは、彼(白隠)の因縁でして、
法華経には彼(白隠)の思い入れがあったのでしょうね。

法華経というのは、読んでも法華経に呑まれるな!!
ってな言い方をした人おりました。
この人は、やはり白隠と同じ禅僧ですね。

わたしはどちらかというと、後者に禿銅です。
まあ、これも人それぞれなんでしょうね。
一概には言えることではありませんが・・・。

880 :名無しさん@3周年:04/09/12 16:36:41 ID:lP5fu6Jn
>ように注意すれば、単なる反応が次第に減ります。
>それはみずから自らの主人になる過程です。
>自己をよく整え、調御する過程です。渇望と嫌悪を離れた、中道に安住する
>過程です。中道を進む時、心は本当に静かで安らいでいます。
>自然に慈悲の心が起こります。


違うんだなぁ。
これは申しわけないけど典型的なカルト思想だよ。

しかしカルトに引っかかる人ってみなおんなじようなところで引っかかるね。

881 :874:04/09/12 17:10:20 ID:+F4WkFxk
>>878

上方から悲鳴が聞こえて、ふと見上げると、自分の見知らぬ赤ん坊が落下して
きたとします。そのとき、普通の人ならば、反射的に手を伸ばし、受け止めようと
するのではないでしょうか。「外界的刺激に対する反射的反応」が必ずしも
煩悩の働きではないと思います。むしろ、その一瞬後に「待てよ、こんな所で
下手に手を出して、赤ん坊を死なすと自分の責任になるかもしれない」と冷静に
考えて、手を引っ込める時に煩悩が働くのではないでしょうか。

現実だけを冷静に見るという訓練を繰り返せば、「最終的にその人にとって
プラスになるから殺してあげる」という判断も可ということになり、サリン
で他人をポアして平気な某カルト教団と同じ行動を取ることになりませんか。

「諸行無常」ないし、「色即是空」を突き詰めていっても、最後にはニヒリズム
にしか至らない。マイナスをいくら加えても、プラスにならないように、他人に
対する慈悲心が生まれるとは到底考えられません。人間の仏性とは、煩悩が動き
出す前にすでにありありと現れていると思います。




882 :874:04/09/12 17:38:36 ID:+F4WkFxk
>>879
ほう。>>872から、あなたは法華経の値踏みをしていたのですか。さすがに上根の人は
眼のつけどころが違いますね...。あなたの頭脳は高級すぎて、どんな名著も役には
立ちませんわい。

883 :名無しさん@3周年:04/09/12 17:41:10 ID:gxxAyTs2


884 :830:04/09/12 17:50:04 ID:22Vkt/Dk
>>880
まず何が何と違うのか。
典型的なカルト思想と判断した根拠は何なのか。
あなたの考えるカルト思想に当てはまるカルトは具体的に何なのか。
これらの説明が必要でしょう?

>>881
>上方から悲鳴が聞こえて、ふと見上げると、自分の見知らぬ赤ん坊が落下して
>きたとします。そのとき、普通の人ならば、反射的に手を伸ばし、受け止めようと
>するのではないでしょうか。「外界的刺激に対する反射的反応」が必ずしも
>煩悩の働きではないと思います。むしろ、その一瞬後に「待てよ、こんな所で
>下手に手を出して、赤ん坊を死なすと自分の責任になるかもしれない」と冷静に
>考えて、手を引っ込める時に煩悩が働くのではないでしょうか。

子供が溺れた時、思わず飛び込んで自分も溺れるのと、冷静に判断してロープや
棒を差し出すような状況もあります。とにかく頭の中だけでああだこうだ想定して、
そこから疑問を発しても答えようがありません。何べんも書いてある通り、
実践してみてそれが自分にとって良い傾向を生んでいると思うなら、それを続けれ
ばいいのだし、良くないなら続けない方がいいのです。それは実践してみてからの
話です。その前にいろいろ考えてみても、仕方がありません。

885 :830:04/09/12 17:50:49 ID:22Vkt/Dk
>現実だけを冷静に見るという訓練を繰り返せば、「最終的にその人に
>とってプラスになるから殺してあげる」という判断も可ということになり、
>サリンで他人をポアして平気な某カルト教団と同じ行動を取ることに
>なりませんか。

これは意味がわかりません。なぜ現実を冷静に見るという訓練をくり返せ
ば、ポアという輪廻転生思想を背景にした判断になるのか?

>「諸行無常」ないし、「色即是空」を突き詰めていっても、最後にはニヒリズム
>にしか至らない。マイナスをいくら加えても、プラスにならないように、他人に
>対する慈悲心が生まれるとは到底考えられません。人間の仏性とは、煩悩が
>動き出す前にすでにありありと現れていると思います。

仏性ということばは、人間の善性を表しますね。その善性が、さまざまな煩悩
や古い習慣習癖によって曇らされているので、その塵垢を取り除いて浄める
ことによって人間本来の働きが外に現れ、自然に愛や思いやりの行動が
とれるようになるというのがブッダの教えでしょう。苦しみに一つ一つ対処して
取り除いていけば、自然にプラスの働きが残るのです。そのプラスの働きが
仏性です。

886 :けちゃっぷ:04/09/12 18:01:54 ID:+E9NpKx0
>877 むしろ「意」以外に窓口はないんじゃないかとさえ思います。「意」は、一瞬前の自分Aの思考と現在の自分Bをつなぐ窓口でもあります。AはBの我ではないので、AはBを完全にコントロールできませんよね。

887 :けちゃっぷ:04/09/12 18:09:34 ID:+E9NpKx0
>881 覚悟を決めた侍同士の真剣勝負なら、負けて死んでも恨みも悔いもない。すべての人が悟ってるなら、殺す側も殺される側も苦しみはないかも。自然界のように淡々と。(つづく)

888 :けちゃっぷ:04/09/12 18:12:51 ID:+E9NpKx0
>881 (つづき)でも現実には悟ってない凡夫ばかりなので、殺人が起これば苦悩が起こる。そんな苦悩を減らす為に仏教には戒があります。戒を授かると、戒体が発動して、戒を守ろうという思考が働きます。

889 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:20:38 ID:pJjrNDHC
>>888
けちゃっぷさんは舌足らずなのか、方便として解説してるのか、
そもそもまるで分かってないのかつかみにくい。

戒を守ってる内は、宗教家じゃなくて、信者だ、それも下賎な意味での
信者だな。

頭痛がするからと言って、頭切り落とす人間はいない。
野球が嫌いで、誘われてもいないのに、草野球チーム作る人間はいない。

お釈迦さま頭良いから、この程度のことはお見通しなので、
解釈がぶれても間違えないように、戒を説いたんだと思うよ。

でも間違える馬鹿ばかり。だから宗教なんていらないと思う。
特に坊主が一番いらない。

890 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/12 18:20:49 ID:ptRqU13y
>>885
>仏性ということばは、人間の善性を表しますね。

仏性というのは、これすなわち慈悲かとおもいます。
慈悲は善悪はなくて、
善悪は、人の観念。主観の判断かとおもいます。
ここのとこが非常に大事でして。
これを誤まると、慈悲で人殺しをする。っと、いうような論法もできちゃうんです。

仏教の理論体系というのは、非常によく出来てるかと思うのですが、
また、解釈によってdでも論になる可能性もあります。

正しく見ること。これを正見。慧眼が大切やに思ひます。

891 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:21:25 ID:lP5fu6Jn
>まず何が何と違うのか。
>典型的なカルト思想と判断した根拠は何なのか。

仏教とは180度違うことを言ってる。
まったく正反対。

というより、どの宗教でもそうだけど、
宗教というものを学ぶ上でもっとも陥りやすい
陥穽にずっぽりはまっている。

892 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:30:31 ID:pJjrNDHC
>>890
おっ金玉が真面目になった。

慈悲で人殺しはありえると思うけど、それは悪だと思うな。
慈悲での人殺しが善だと思うのが間違いで。

だから、慈悲だ、ポアだというのは、とても間違い。

893 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:31:24 ID:OuwHNMka
>830氏

老婆心から言っとく。ここの連中と議論しても益は無いぞ。
ここに出てくるコテの中には、過去に別ハンドルで自分は仏教徒だと言いながら、平然と自分の意見を
讃美擁護する自作自演を繰り返してた香具師もいる。
操作ミスって思い切りバレてたがね。こういうのを一闡提っつうんだろうな。

ここで議論する以前も以後も、また議論しないでも法は存在する。
また、お経の中でもお釈迦様は言っている。
「法は妄りに説くなかれ、理解できぬ者に説けば毒になり、仏法から遠ざけることになる」
ってね。

無益な議論するよかお経なり祖師の語録読んでた方がよっぽど有意義だぞ。

894 :893:04/09/12 18:38:33 ID:OuwHNMka
893の発言取消します。
まともにスレ読まずにレスした上に、893の発言書くきっかけとなったレスの番号読み違えました。

お目汚しいたしました、皆様どうぞそのまま議論を続けて下さいまし。

895 :830:04/09/12 18:40:16 ID:22Vkt/Dk
>>890
「すべての悪しきことをなさず、
善いことを行い、
自己の心を浄めること、
これが諸々のブッダの教えである」
理論のことなど一言も話していません。慈悲というのは現実です。

>>891
まずあなたは「仏教とは180度違うことを言ってる。 まったく正反対」
と言う根拠を説明しなければならないでしょう?あなたにそれがなくて
あれこれ判断しているなら、あなたはとても危険な状態だと思いませんか?
なぜなら根拠がなくて判断する、というのは過去にあなたが何らかの洗脳を
受けたり、あるいは偏った情報のみを取り入れてきたために、自分の見解に
反すると感じる情報が心に接触したとたんに、「これは間違っている。
これは悪い。これは排除せねば」と反応してしまっていることを示してるから
です。これはあなたの学んできた宗教、教義、見解への執着反応なのです。
ここで冷静に踏みとどまるのです。
刻々と自己の現実、反応のありさまを観察するのです。5分でも、10分でも。
あなたはそこで智恵を得ます。このことに宗教的要素はまったくありません。

896 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:42:37 ID:pJjrNDHC
>>890
さて、仏生に付いても同様で、
仏生≠慈悲では?

仏の慈悲をどんな風に泳ぐかが、仏生で有ると思うのだ。

897 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:48:22 ID:C4Hz26Yr
このレスの、この部分が、これこれこう言った理由で、
「仏教とは180度違う、まったく正反対。」と、書かないと
いけないのではないでちゅかね。小学校で教わりませんでしたか?
それとも現役の消防ですか?

898 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:51:10 ID:ha57xrIj
>>892
金玉先生の言ってることがまるで判っていないね。それでも宗教者?

人間の本性は、善悪の区別を知っている。宗教から教えてもらう必要はない。
宗教が、善だの悪だの愛だの唱えるから、本性が狂ってしまう。

可哀想だと思えば助ければよい。思わなければ助けなければよい。それだけの
ことだ。孟子でも読むがよい。

899 :830:04/09/12 18:52:17 ID:22Vkt/Dk
ゴータマ・ブッダは、宗教を信仰したり実践してきた人がサンガに入る
ことを希望する場合、4ヶ月の間いったんその宗教の信仰や実践を
中止させ、そののち初めて戒を授けサンガに加えることを認めたそう
です。
これは宗教への執着心が強い人が、ブッダの教えにさまざまな拒否
反応を示してしまい、疑いや怒りを持ってしまうことに配慮したのでは
ないでしょうか。4ヶ月の期間というのは、宗教心に栄養をあたえない
ことによって弱らせ、後の冷静な自己観察の準備をするために設けら
れていると思います。

900 :名無しさん@3周年:04/09/12 18:57:31 ID:lP5fu6Jn
>まずあなたは「仏教とは180度違うことを言ってる。 まったく正反対」
>と言う根拠を説明しなければならないでしょう?あなたにそれがなくて
>あれこれ判断しているなら、あなたはとても危険な状態だと思いませんか?



分かってないね。
これは君の心の認識のありようと密接にかかわっているから、
簡単に説明しても伝わらないのは目に見えている。

場合によってはただ指摘するだけなのが適切な場合もある。
自分が何を言っているかはよく自覚しているので
議論するつもりも無い。
君はただ、それはそうなのだ、と謙虚に受け止めておけばいい。

以上。

901 :名無しさん@3周年:04/09/12 19:04:36 ID:pJjrNDHC
>>898
おいらは宗教とくに仏教家否定論者だよ。

まるで分かってないというより、金玉が物の言い方を
分かってないか、根本から間違ってるだけだとおもう。

>人間の本性は、善悪の区別を知っている。
こりゃ話すのが面倒な事を言い出した(w

人間は社会的な善悪はしらないね。そうやって生まれて来る。
個人的な善悪は知って生まれて来るけど。でも、こいつに
善悪と言う概念を当てはめるのが妥当なのかなぁ、おいらは
好き嫌い。と思うんだ。

>>897
そりゃあ参加するなら言わなきゃ駄目だろ、と思うぞ。
面倒なら黙ってれば良い。ただ「お前は間違ってる」
てな発言は読む者にとって苦痛だ。
他人に苦痛を与えるのが趣味の人も居るけど…

902 :874:04/09/12 19:08:31 ID:vWbAS/oJ
>>884
>実践してみてそれが自分にとって良い傾向を生んでいると思うなら、それを続けれ
>ばいい

ちょっと揚げ足取りになるかもしれないんだけど、「よい傾向を生む」というのは、
修行の成果が上がるという意味ですよね。しかし、もともと仏の教えとは、
損得勘定を離れて、やるべきことをなし、やらざるべきことを避ける、という
ことじゃないのでしょうか。だから、赤ん坊が落ちてきた瞬間に、勝敗はついて
いるのです。

どう言えばよいか、830さんの論調は、煩悩を断滅したいという執念で、かえって
煩悩を増長しているような矛盾を感じるのです。道元さんは、座禅を組むときは、
成果(成道)を求めるな、ただ座れ、と忠告しています。830さんの、一切の妄想を
離れてものごとの流転をあるがままに見る、というのは正しいのですが、何と言うか、
オウムに近い違和感を感じてしまうのです。>>891さんの意見もこれに近いのじゃ
ないでしょうか。

903 :874:04/09/12 19:14:23 ID:vWbAS/oJ
>>898さんがいいこと書いておられますよね。

>人間の本性は、善悪の区別を知っている。宗教から教えてもらう必要はない。
これはその通りで、その本性に従って生きることを釈迦も教えていると
思います。だから、「煩悩を断じて、六道輪廻から逃れるために善をなし、
悪を避ける」ということになると、本末転倒なのです。そういう修行は、
もはや利潤を追求する一種のビジネスであって、宗教とは言えないと思います。

904 :名無しさん@3周年:04/09/12 19:26:56 ID:GfP9hkNz
経典は役に立たないものなのでしょうか?
空を知らないで経典を読んでもおそらくそれが何なのかは掴めない。
だから、経典は不要なものだ。

もし、こう考えるのならば、
はい、確かに経典はあなたにとって役に立たないでしょう。w
まず、空を知ること。それが重要です。

別の視点があります。
目にするものはすべて重要で、あるメッセージが込められている。
そこから学べることは多い。
なんであれ、吸収しよう。

そう言う人にとっては、マンガの本でも、経典と同じ役割りを
持ちます。
バガボンドというマンガにこういうセリフがあります。

どこまで行っても我か。小さいのう。

905 :けちゃっぷ:04/09/12 19:30:16 ID:+E9NpKx0
>889 単純に、戒のある仏教にポアはないだろう、と言いたかっただけです。

906 :830:04/09/12 19:31:34 ID:22Vkt/Dk
>>902
まず勝敗、ということは一切話していません。
修行の成果が成績表につけられたり、神さま仏さまがいらっしゃって、
死後に表彰してくれるということもありません。すべて己自身のためでしょう?
「すべての悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
これが諸々のブッダの教えである」です。、
もし幸福や安らぎを求めるなら、やるべきことは善、やらざるべきことは悪です。
しかしそのためには心がなるべく浄らかでないと、できないでしょう。
どの程度心が浄化されているかは、自らが自らの心に問うべきことです。
もし自分が涅槃や悟りに執着しているなら、そのありさまを観察します。
最善を尽くして悪を避け、その結果には執着しないことです。
涅槃に至れるかどうかなどわかったものではありません。
自分から涅槃とか解脱を作り出すことはできないと思います。
私は涅槃を証していないからこれは経典の言葉なのだけれど、涅槃は
作られざるもの、不生不滅だそうです。それを体験できるかどうかには
こだわらず、ただなすべきことをなすだけです。すなわち自己観察、心の浄化です。

907 :名無しさん@3周年:04/09/12 19:35:25 ID:VGK+BIT2
>>893
無益な議論するよかお経なり祖師の語録読んでた方がよっぽど有意義だぞ。

この祖師というのが一番危ないんです。比較的ボケナスが多いし。


908 :874:04/09/12 19:46:37 ID:vWbAS/oJ
>>906
勝敗というのは、語弊がありましたね。

>>902で書いた違和感というのは、単に文章から感じた雰囲気にすぎないので
気にしないでください。かだ、私を含めて複数の方が「カルト臭」を感じた
のは事実ですから、今後の参考にしていただきたいと思います。

909 :名無しさん@3周年:04/09/12 19:51:17 ID:QEO//F01
争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目覚めた人ブッダの説きたもうた理法を、説明されても理解
しない。
かれは無明に誘われて、修行をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。
実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。死後
には苦しみを受ける。

910 :名無しさん@3周年:04/09/12 20:03:38 ID:GfP9hkNz
>死後には苦しみを受ける。
生きるのも苦しみですが何か?

911 ::04/09/12 20:12:44 ID:rVphh7dc
>>802 けちゃっぷさん、ご紹介頂いた〜協会のHP読んで、
ああ「これが小乗だなあ」と思ってしまったんです。
在家のもの(蓄財をその本質としているもの)が集まって
瞑想行をやっている。何か悲しくてね。

912 ::04/09/12 20:14:27 ID:rVphh7dc
>>803 マンゴー先生、小乗?仏教国の庶民はみんな大乗仏教徒
のように見えますよ。仏様を信じて徳積に生きているのだから。

913 :名無しさん@3周年:04/09/12 20:14:52 ID:GfP9hkNz
>心の浄化です
浄化とは
広辞苑を引くと、
洗い清めること、きれいにすること。

心は汚れています。
とても嫌な匂いを発しています。

でも、ちょっと待って、
なぜ、こんな匂いを発すると感じている自分が問題じゃないのか。
匂いなんて、それを好む者も居るだろうし。

気が付いたよ。全ては自分の何に価値を置いてるか。
そういう問題だったんだ。

914 :名無しさん@3周年:04/09/12 20:15:04 ID:PL64tK3e
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1094975000/

やはりあの人の例の予告がなされたか・・・


915 ::04/09/12 20:16:06 ID:rVphh7dc
>>805 マンゴー先生、極楽は涅槃への入り口(踊り場)ですから、
涅槃ではなく涅槃界(涅槃の世界)だと思いますよ。

916 ::04/09/12 20:20:39 ID:rVphh7dc
>>806 さん、オウムは本尊が仏陀ではなくシバ神だと聞きましたが。

>あるいは法身や報身から直接教えてもらうか。

そうですよね。難しいけど。


917 ::04/09/12 20:25:43 ID:rVphh7dc
>>808 仏教スレッドなので「馬鹿?」はやめましょう。
私も「支離滅裂」とかはやめます。反省。

918 :830:04/09/12 20:30:38 ID:22Vkt/Dk
「カルトとはこうである、カルトの具体例はこうである、あなたの記述は
ここがカルトと類似している」、と論じていただけたら有り難いし、参考に
できると思います。しかし「言わなくても何となく理解しろ」とか「カルト臭」
のようなうろんな発言や主観的用語を用いられても、言語による掲示板
ですから参考にしようがありません。主観的事実を他人に理解してもらう
には、いろいろと工夫が必要です。

919 ::04/09/12 20:30:57 ID:rVphh7dc
>>811 無記って十無記(十難無記)ですよね。

その中に「如来の死後の魂は無記」と言うのがあるんです。
(如来は無記だが)人の死後の魂は無記じゃないんですよ。

経典には人の死後の魂の行く末が色々記載されています。
スジャータは仏陀を篤く信仰し良く仕えた故に不還となって、
天に上り(そこで涅槃を得て)二度と生は受けなかったとか。

920 ::04/09/12 20:34:08 ID:rVphh7dc
>>813 魂と言う言葉がお嫌でしたら、

輪廻する「主体」
輪廻する「自己」。
そう言う言葉を使われたらいかがですか。

自己とは何かと問われたら「魂=たましい=こころ」。
死ねば霊魂、生きている間に浮遊すれば生霊。

921 ::04/09/12 20:37:11 ID:rVphh7dc
>>814
>「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
>世界に生をうけることはないと知るのである」

無明を断てば、涅槃を得て「再びこの(苦の)世界に生をうけることはない」

逆に

無明を断たなければ、「再びこの(苦の)世界に生をうけることは」ある=輪廻

922 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/12 20:37:22 ID:ptRqU13y
>>915
>マンゴー先生、極楽は涅槃への入り口(踊り場)ですから、
>涅槃ではなく涅槃界(涅槃の世界)だと思いますよ。

勿体無いなぁ〜
1さんは、饅頭の皮を食べて「饅頭ってなんでこんなに美味いんだろ」。
って、言ってるようなもんだよ。

饅頭を食うには、アンコとか食べないと本当の美味さがわからん。

涅槃というのは、やはり「あの世」なんだね。
涅槃寂静とは、あの世の静寂かな?
蓮の葉っぱの上に座ってるとか?そんなことを想像してますか?



923 ::04/09/12 20:42:45 ID:rVphh7dc
>>816 さん、私は輪廻の主体(=自己)は

【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死] から、

「行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有」これだけが輪廻すると思っています。
識が強調されるときも、愛や取が、あるいは有が強調される場合もありますが。
生も誕生とか生命ではなく、死すべき主体と考えれば、輪廻する主体に含まれるかも
知れません。


924 :名無しさん@3周年:04/09/12 20:45:32 ID:/wMaX5En


925 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/12 20:46:49 ID:ptRqU13y
1さんは、ことあるごとに12因縁を持ち出すけど、
あまり12因縁は重要でもないよ。

ひとつのプロセスを記しただけのもの。
あまりそれに拘る必要もない。

926 ::04/09/12 20:47:33 ID:rVphh7dc
>>826 「横死」に関する経典で、布教のために死地にそれと分かりながら
赴いて殺された場合があって、それは「横死ではない」とされた場合もありました。

仏陀も有余涅槃を得て、そのまま無余涅槃(身体の死)に入ろうとしたのであって、
(思いとどまってこの世に残るのですが)、有余涅槃の後の(多分絶食による死)
は自殺とは言えないのかもしれません。

927 ::04/09/12 20:51:36 ID:rVphh7dc
>>832 さん、無記は「適当に分からないもの」ではなく
ちゃんと明確に規定されていますよ。ご自分の思考の枠を超えたものを
何もかも「無記」にしてはいけません。
無記のほとんどは現代物理学でも解けないか、あるいはそのメインテーマに
なっているような問題だと思いますよ。

928 ::04/09/12 20:55:47 ID:rVphh7dc
>>839 諸行無常、諸法無我、なるが故に一切皆苦ですよ。

諸行無常,諸法無我は自明??なんだから。あなたが考察すべきことは
「なるが故に」だけだと思いますけど。

仏陀はよく「〜は無常・無我かどうか、ならば苦かどうか」という質問を
繰り返されていますよね。

929 ::04/09/12 20:58:19 ID:rVphh7dc
>>843 無記は十無記といって明確に定義されています。
人の死後は無記ではありません。(如来の死後の魂は無記ですが)。

930 ::04/09/12 21:03:56 ID:rVphh7dc
>>844 さん、
【十二処】[眼・耳・鼻・舌・身・意・色・声・香・味・触・法]
=六処、六入が仏教で説く「一切」ですね。
その(あなたの)「一切」はどこから来るのか。

それは、
【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死]
あなたの無明から(無明→行→識→名色→六入)来るのです。

931 ::04/09/12 21:06:38 ID:rVphh7dc
>>846 各仏教宗派を見る場合、その宗派の三宝「ブッダ・ダルマ・サンガ」
(仏法僧)を見れば良いと思います。仏陀が〜先生で、ダルマが・・・で
とかだとちょっと外れていますよね。

932 ::04/09/12 21:13:17 ID:rVphh7dc
>>856
頭が裂けるなんて脅されてなんでおびえるの。
それよりも無明を断つことが大事でしょう。
>明知が信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びついて、
>頭を裂け落とさせるものである=無明を断つことができるのでしょう。
という意味ですね。

明知が信仰と念と精神統一=これはけちゃっぷさんが言われた、戒定慧の
三学ですね。信仰→戒に置き換わっていますが。

933 ::04/09/12 21:17:56 ID:rVphh7dc
>>876 ニルバーナを見たさん、かなと思ったんだけど。違う人?

934 ::04/09/12 21:26:27 ID:rVphh7dc
>>890 金銀さん。
「善悪は、人の観念。主観の判断かとおもいます。」

善悪の定義はとても難しいみたいですね。
苦果を生むものは悪行であり、良果を生むものは善行であるとか。
ある高僧の書物に「人は生まれながらにしてそれを見分ける」という
のもありました。「清らかな水は見て飲めば分かるでしょう」と。


935 ::04/09/12 21:29:49 ID:rVphh7dc
>>892
他スレッドで話題になっていて書きこんだけど。
慈悲は施与ですね。

936 ::04/09/12 21:39:01 ID:rVphh7dc
>>903 仏教は幸せになるためにあるんだからそれで良いんですよ。
世間、出世間の果報を求めれば良いんです。

937 :名無しさん@3周年:04/09/12 21:46:46 ID:s9xKdt5+
>>922
思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくる働きの静まった安楽である
・・・・・・・と経典には書いてある

 成仏世界(彼岸)は当然、思考もなく静かで、苦しみがないはずだ。

釈尊は、善行より静けさを求めよと言う。瞑想を楽しみとし、静けさを楽しめれば、人はいっそう
安楽になることとなる。そのようなことを好むならば、二度と生まれないかも。

938 ::04/09/12 21:49:10 ID:rVphh7dc
>>925 金銀さんはせっかく瞑想をしているのに、

[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死] を
ちゃんと考えてないでしょう。

これを順に、あるいは逆に何度も何度も考えないとだめですよ。
人の存在の基本なんだから。

939 ::04/09/12 21:52:16 ID:rVphh7dc
>>922 金さん銀さん。
涅槃饅頭は皮も餡子も食べたことがありません。
食べたことがないので味もわかりません。
ただ、食べた人はとても幸せそうですよ。

940 ::04/09/12 21:57:22 ID:rVphh7dc
>>937 その涅槃寂静を求めるには、静けさを得ようと端座してもだめなんです。
物事には順番があります。

ごげぶんけつ 【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
ごじょうぶんけつ 【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]

一足飛びに「(断)無明」は無理。まずは「(断)有身見・戒禁取・疑」。
すなわち「ブッダ・ダルマ・サンガ」への信仰です。


941 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/12 21:58:06 ID:ptRqU13y
>>938
>これを順に、あるいは逆に何度も何度も考えないとだめですよ。
>人の存在の基本なんだから。

12因縁はね、無明から〜〜セクス→受胎→誕生→人生→老死。
いうなれば無明・・・→・・・→・・・老死。で意味は通じます。

12因縁というのは、長い仏教の歴史において付加されてきたもので、
理屈っぽい学僧が考えたもんでしょうね。
釈尊は、こんなに細かく分析はしない。

では、また・・・寝ます。





942 ::04/09/12 22:01:44 ID:rVphh7dc
830さんと874さんのご議論は読ませていただきましたが。
全くテーマが分からなかった。〓■●

また何か書いていただいたら嬉しいです。

943 ::04/09/12 22:04:23 ID:rVphh7dc
>>941 受胎はチベット死者の書?などでは、交合の男女を見て潜り込むんだ
なんて話もありますよね。

944 :名無しさん@3周年:04/09/12 22:05:22 ID:EQEmWek0
>けちゃっぷさんへ

「眼耳鼻舌身」はすべての人間に共通です。だからこの世界が客観的な
現実として認識・存在できるのです。これに対し「意」は各人によって
違います。だから「意」を含めると、客観的世界が存在しえないことに
なります。人によって、「在るものが無い」「無いものが在る」などと
勝手なことが言えますので、客観世界が崩壊し、争いの原因ともなります。

宗教・思想上の争いは、すべてこの「意」という、人によって異なる勝手
な主観によって生じているのです。

945 ::04/09/12 22:16:48 ID:rVphh7dc
>>944 ネットの交流は、意(法)ですよ。
色だって音だってひとそれぞれ感覚は違うわけですが、人の感受・論理構造は
(擬似的に)同一とみなさないと、すべての学問や哲学は崩壊すると思いますよ。

話を進めるには、【十二処】[眼・耳・鼻・舌・身・意・色・声・香・味・触・法]
は共通と見なすしかないと思います。


意(法)が標準よりかけ離れているひとを、〜疾患とみなすわけでしょう。
疾患と見なすのも偏った話で、先日テレビでやっていたけど、そのような人たちに
対しても、ちゃんと理解すればちゃんと理解し合えると言う番組でした。

横レスすみません。けちゃっぷさん続きお願いします。

946 ::04/09/12 22:18:15 ID:rVphh7dc
↑(わかりにくそうなので)
ネット上の交流ができるんだから、意(法)は共通と見なして良いという意見です。

947 :名無しさん@3周年:04/09/12 22:28:32 ID:gSGAcLFk
12因縁は、釈尊は言わなかっただろうと思う。
(断)有身見などですら、釈尊は言わなかったかもしれない。
世人は、非我なるものを我と思いなし、名称と形態、個体に執着している・・・・・
などと説いただけかもしれない。

どちらにせよ、(断)有身見が大切だと思う人は、人のことに対して、とやかく言わない
ようにならねば。大切な教えだし、他人は他人の人生、しかし、困った時には、助けるよ
う心得ておく。



948 ::04/09/12 22:36:44 ID:rVphh7dc
>>947 スッタニパータなどにも十二支のかなりの項目が載っているらしい。
(と佛教・バウッダ/小学館には載っていた)
私は引用と言えば、仏教法数辞典(しかも宣伝用の目次)ばかりなんだけど。
この程度は仏教徒の共通認識だと考えて良いのではないかと思っているんです。

http://www.evam.com/evam2/book/bdk/term.html
(法数辞典掲載項目)

スッタニパータなどを読みながら、「後世まとめられたことはすべて載っているね」
と思ったこともあるのですが。
最近読んでないから。また読んでみます。

949 :名無しさん@3周年:04/09/12 22:37:08 ID:gSGAcLFk
>>944
我見は、争いのもと。客観的に物事を判断し、「正しく見る」思考を養うこと
は大切。
「おれが」というものをなくせと経典には書いてあり、おれが正しいのだから、
おれが思うんだから、あんたもそのとおりにせよ、は喧嘩のもとです。

950 ::04/09/12 22:40:53 ID:rVphh7dc
>>949 じゃあ意見が割れた場合、誰が正しいの?と言うことになるんだけど。
仏教の場合は・・・・・

(じゃあ、失礼して寝ます)

951 :名無しさん@3周年:04/09/12 23:13:34 ID:GfP9hkNz
>客観的に物事を判断
客観なんて、
存在するのですか?

952 :名無しさん@3周年:04/09/12 23:25:52 ID:pJjrNDHC
>>951
難しい話やね。
日常会話的に言えば存在するし、哲学的に考えれば存在しがたい。

んがぁ、
客観と言うのを仏の力を借り、法、理、慈悲、に従って判断せよと
考えれば、存在するなぁ。

客観にどのような「意」を与えるかによって、存在したりしなかったり、
無であったり有であったり。

953 :けちゃっぷ:04/09/12 23:44:27 ID:+E9NpKx0
>944 五感からの入力はすべて意を介して主観的に理解されてます。だから、私たちの判断・分別は全て主観的「計らい」です。人類皆妄想、おたがいさまです。唯識に詳しくないので上手く説明できませんが。

954 :けちゃっぷ:04/09/12 23:52:04 ID:+E9NpKx0
分別・判断は全て妄想です。殺されたら不幸というのも、それ以前に、殺されて死んだという認識自体すでに妄想。何もなくなりはしません。はじめから生まれてないのに死にっこない。生まれたと思うから死ぬ。

955 :名無しさん@3周年:04/09/13 00:48:03 ID:EmAeIVeJ
>>834
>確かに究極には善悪もないが、因果としては善因楽果悪因苦果というのが、
>仏教はおろかインド宗教の共通認識です。そしてこの因果が法でしょう。

究極じゃなくても、善悪は人の観念でしかありません。

また善因善果・悪因悪果なるものは「これを行えばこうなる」と
いう法則があるのみであって、その法則は人間が善だと
思うことがそのまま善であるとは限らないのです。
善悪を超えた法があるのであって、いわゆる苦と苦の原因が
あるだけだと知ることができます。楽というものは「苦が少ない」
ことと言えます。苦楽は一体ですから、楽を求めても苦が存在しなければ
楽はありません。ですから、古来一般的な「楽」をねがうことが
仏教的な「楽」であることにはなりません。苦楽のどちらも持たない
ときにいわゆる涅槃という本当の楽を想像することが可能です。

因果の法則を知るにあたって、あまりにも単純に人間的な「苦楽」を思い描くと、
思わぬ苦難を招くことでしょう。

956 :名無しさん@3周年:04/09/13 02:12:38 ID:ZqdP07D3
>究極じゃなくても、善悪は人の観念でしかありません。
概念だけど、「でしか」とわ言えないと何度も言ってるだろうが。



957 :名無しさん@3周年:04/09/13 02:14:19 ID:k9m1CyPo
>>956
「善悪は人の観念でしかない」けど何か?

958 :名無しさん@3周年:04/09/13 03:21:33 ID:4uGULWBz
世俗諦における善悪が勝義諦においてひっくり返ったり御破算になるということは
ありえない

959 :名無しさん@3周年:04/09/13 05:24:42 ID:3JUcI9YX
勝義諦においては、善悪はないとは言うものの、絶対の価値判断が
明らかにあります。しかし善悪の範囲にありません。

経験律においても、本来善悪というものは無いわけ。
もしあなたが善悪を含む価値判断のことを「世俗諦」と
呼んでいるのであれば、勝義諦においてその善悪がひっくり返る
であろうことが予想されます。


960 :名無しさん@3周年:04/09/13 06:05:52 ID:ZqdP07D3
>>957
実際難しいんだよねー分からせるの。
>>956程度な意見。言葉が借り物の間は。

さて、善悪が人の概念でしかないと言った時にそれでは
慈悲は、仏は、苦楽無い悟りの境地は、これらもまた概念でしかないと、
言う人が出てくるだろう事は、想像出来なきゃならない。

善悪が概念で*しかない*、という立場を取るなら、この部分の説明を
端折ってはいけない。



961 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 08:14:53 ID:/fljVt24
>>960
>善悪が概念で*しかない*、という立場を取るなら、この部分の説明を
>端折ってはいけない。

これを白隠流に申すならば、「隻手の音声を透過する」。ということなんですが・・・
白隠だけが全てではない。

また透過したところで、これは禅のホンの入り口。

ここは禅スレではないので、これ以上の論説は遠慮しますが。
仏教とは奥が深いですなぁ〜〜〜


962 :けちゃっぷ:04/09/13 08:26:22 ID:Z5gflrsi
>956 「概念でしかない」と思ったほうが楽な時もあります。そういう時にはそう思ってもいいんだよ…ってことでしょう。その時々で自在に価値観をスイッチする。価値観の奴隷にならず、価値観を使う。

963 :874:04/09/13 08:30:15 ID:oV1iXo3c
1さんへ。昨日の議論のまとめです。レスは特に希望しませんが、きっと何かの
問題提起になると信じます。要するに、ビジネスと宗教は一致しないということ
です。

仏教が出る前から、輪廻転生と善因善果、悪因悪果の思想はありました。また、
バラモン教の最高位である「天」に生まれても、天衰があるから、祭祀によって
それを長続きさせようとする。それで、バラモン階級が特権を握っていたのです。
釈迦は、それを否定した。まず、「諸法無我」を説いた。アートマンのように、
「自分」が輪廻するわけではない。輪廻する主体が「無我」なのです。それを
アビダルマは「ダルマの生起」、中観派は「空」で説明しました。

ということは、仏教の根幹とは「輪廻から脱出したいと切望する自分」から脱出
するということで、「苦行によって輪廻から脱出する」ことではない。「はからい」
というのは、自分の益になることを想定して、そのためにそれを行うことです。
もし、現世で1万円寄附すれば、来世に10万円戻ってくる、として、その善果を
求めて寄附するならば、それは「投資ビジネス」にすぎません。自分の来世がよく
あらんことを願って、神々に供養する。それがバラモン教が持つ根本的な偽善でした。

964 :874:04/09/13 08:45:40 ID:oV1iXo3c
(続き)
では、バラモン教の祭祀の部分を「四諦を悟るための修行」に置き換えたら
どうなるでしょうか。本当に悟った人は、もはや輪廻からの解脱ですら
関心事ではなくなるでしょう。輪廻する本体が「空」なのですから。
以前、このスレで1さんに「一体、誰が輪廻転生するのですか」と尋ねたのは、
そういうわけです。

もうひとつの問題点は、「諸法無我」と慈悲心は両立しないということです。
これは、アビダルマでも認めています。「諸法無我」を悟ってアラカンとなった
人がホトケを目指すためには、ホトケの三十二相を備えるために、気が遠くなる
期間の修行が必要だと言っています。つまり、アラカンになっても仏の慈悲は
身につかないということです。大切なことは、こういった「荒唐無稽な数字の遊び」
は、実際にホトケになった経験がない(一生の間でなれるのはアラカンまでだから)
上座部の僧侶達が頭の中ででっちあげた仮説にすぎないということです。


965 :名無しさん@3周年:04/09/13 09:31:35 ID:ZqdP07D3
>>961 >>962
それでは概念で*しかない*
と言い切る説明にはなってませんな。

逆にこのような言い切りは、誤解の種だと思うんだけど、
その点に関しては無頓着と。

966 :名無しさん@3周年:04/09/13 09:35:20 ID:7piMwQch
>>953
>>954

物体や世界が存在するか否かを決定するのは、専ら五感であり、「意」は介入
しません。五感は人間の生そのものであり、客観的世界を認識し、成立させる
唯一の器官です。五感によって成立した客観的世界の性質の「解釈」に当たって、
初めて主観である「意」が登場します。

世界の認識に各人の主観に過ぎない「意」介入すれば、客観的世界の成立はあり
得ません。

五感はすべての人間についてほぼ同一ですが、「意」は人によって違います。

967 :1:04/09/13 10:01:51 ID:zm03BpQX
>>952 客観というのはありえないので、仏教の場合は
仏陀に判断を委ねるということになりますよね。
そのためには仏典の考証とか、仏典の読み方が大事。
仏典の読み方が「宗派」ということになるのかも。
(仏典解釈権?)

968 :1:04/09/13 10:05:38 ID:zm03BpQX
>>954 けっちゃっぷさん、おはようございます。

>はじめから生まれてないのに死にっこない

そうではなくて、無明なるがゆえに(私たちはここに)生まれているんです。
そこが妄想と無明の違うところ。
(無明は妄想ではありません)
この生は夢でも幻でもなくて、永遠の輪廻も夢でも幻でもないのです。
だから怖い。

969 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 10:21:29 ID:/fljVt24
>>965
>逆にこのような言い切りは、誤解の種だと思うんだけど、
>その点に関しては無頓着と。

私はちゃんと説明したつもりだが・・・。

善悪というのは、そのように論理性を構築していった結果である。

隻手の音声は、その構築以前なり。

          <こんぎょく・おしぶくろ>


970 :名無しさん@3周年:04/09/13 10:34:02 ID:ZqdP07D3
>>969
>善悪が概念で*しかない*、という立場を取るなら、この部分の説明を
>端折ってはいけない。

と書いたはずだが?金玉の好きな無や空すらも同様。



971 :1:04/09/13 10:36:24 ID:zm03BpQX
>>955
>また善因善果・悪因悪果なるものは「これを行えばこうなる」と
>いう法則があるのみであって、その法則は人間が善だと
>思うことがそのまま善であるとは限らないのです。

そうですよね。でも「おおむね」自分の判断で合っているんじゃないか
とも思います。
善悪の判断は頭より心のほうが鋭いかもしれませんね。
「胸に手を当てて(自分の胸に)聞いてごらん」なんて言いますもんね。
自分で無理やり「これくらいいや」と思ってやったことでも、
後で胸が痛む場合もあります。

経典には、やってしまった後で嘆き悲しむ事項が「悪いこと」なんて
表現もありますね。

972 :1:04/09/13 10:40:44 ID:zm03BpQX
>>959
「勝義諦」と「世俗諦」の用語が分からないです。

調べようかな。パスしようかな。と迷っています。

973 :名無しさん@3周年:04/09/13 10:55:44 ID:/C2zy+Gp
「本質」という言葉。

西洋哲学に馴染んでいる人は仏教学プロパーに接すると当惑することが多いでしょう。
本質という前提を欠いてしまうなんて常識外ですから。

また、仏教学プロパーは「だから仏教とは常識を超越したものである」と豪語します。
どちらも愚かなことですね。「本質」の定義が違うだけなんですから。

専門家の多い「原始仏教」スレで疑問をぶつけてはどうですか?電波男さんはご病気
でご登場願えないかもしれませんが不詳私、専門家の卵のたまごがお答えしましょう。

974 :名無しさん@3周年:04/09/13 11:04:57 ID:/C2zy+Gp
>>874氏は鋭いですね。
文献学と思想の追求は両輪です。「原始仏教」スレはその意味でバランス感覚がありますが、
思想偏重の人には「文献だけ」と映るのでしょうね。

975 :1:04/09/13 11:33:22 ID:zm03BpQX
>>963 874さん、
>仏教が出る前から、輪廻転生と善因善果、悪因悪果の思想・・・・1
>「天」に生まれても、天衰があるから、祭祀によってそれを・・・2
>釈迦は、それを否定した。

釈迦は2は否定したけど、1は否定していないと思います。

>まず、「諸法無我」を説いた。アートマンのように、「自分」が輪廻
>するわけではない。輪廻する主体が「無我」なのです。

無我とは「こと・もの・(自分)」が恒常ではないということです。
恒常なる(自分)はない。
しかし無明により生じ(縁起して生じ)輪廻する(自分)は存在するのです。

>仏教の根幹とは「輪廻から脱出したいと切望する自分」から脱出
>するということで

そうではないですね。

>「苦行によって輪廻から脱出する」ことではない。

仏陀の修行階梯によって輪廻から脱出するのです。

976 :1:04/09/13 11:35:50 ID:zm03BpQX
>>963 874さん、

>その善果を求めて寄附するならば、それは「投資ビジネス」
>にすぎません。
>自分の来世がよくあらんことを願って、神々に供養する。

仏教の場合は、自分の今生、来世が良くなるように、世間福、
出世間福を求めて、仏陀や仏弟子に供養し、人々に施与するのです。

仏陀や仏弟子への供養は功徳が得られます。ゆえに仏陀や仏弟子は福田
と呼ばれます。人々へ施与は修行項目と考えていいと思います。
仏の呼び名の一つに「応供の仏」=供養に応じて功徳を授ける、という
のがあるくらいなので、本物の出家への供養は仏教ではとても重要
なことだと思います。(にせ出家は別として)。

施与には4つの組み合わせがあって、

道心のある人→道心のある人 1
道心のある人→道心のない人 2
道心のない人→道心のある人 3
道心のない人→道心のない人 4

1,2に功徳が生じるとされています。
2は詐偽だったりビジネスだったりするわけですよね。
でも功徳はある。
3,4は邪心ですかねえ?

977 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 11:40:58 ID:/fljVt24
>>970
>>善悪が概念で*しかない*、という立場を取るなら、この部分の説明を
>>端折ってはいけない。

>と書いたはずだが?金玉の好きな無や空すらも同様。

まさしく人は、そのことに論理性を追い求める。
あたかもそれは真理を求めるがごとしに。

この切断を私は言うているわけで、

言うは易しなれど、その意を解するは難し。
無なる門を透過せねばならんのだらう。

つまり平たく言えば、何かを理解しようとせば、その理解しようとするベクトル自体をなくす。
う〜〜〜ん。難しいですか?


978 :名無しさん@3周年:04/09/13 11:45:41 ID:ZqdP07D3
>>977
いや、金玉さんの言いたい事が僕に想像のつく範囲なら
言わんとしてる事は簡単です。

んがぁ、

論理性を捨てると言うのは論理なんですよねー。

西洋哲学が大好きなメタメタの議論に近いけどそれとは違う。

この事に気付いたなら、説明すべき、もしくは「*しかない*」
と言う表現は避けるべきと言う事に気付かれるかも知れませんね。


979 :1:04/09/13 11:51:26 ID:zm03BpQX
>>964 874さん
>「四諦を悟るための修行」
「苦・集・滅・道」は悟るようなものではなく仏教の「宣伝コピー」です。
仏教ってなあに、何するものなの、何かいいことあるの?
と聞かれた場合、それは「苦・集・滅・道」と答えるんです。

>輪廻する本体が「空」なのですから。

輪廻する本体は空に縁りますよ。でも、その本体は無明が続く限り存続するのです。
「空」に気がついても本体は消えません。空を悟らないと。
空を悟るということは、無明を断つということで、そのためには修行
階梯があります。(座ってて分かったではだめなんです)
十結煩悩
【五下分結】[欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑]
【五上分結】[色貪・無色貪・掉挙・慢・無明]
を下位から順に切っていく必要があります。
家に住み財をもっている人は、色貪があるわけですから、無明など断じているわけがないのです。

>「一体、誰が輪廻転生するのですか」と尋ねたのはそういうわけです。

あなたの無明から生じた
(【十二因縁】[無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死])
あなたの、行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・(生・老死)が
輪廻するのですとお答えしたはずです。

>「諸法無我」を悟ってアラカンとなった人がホトケを目指すためには

諸法無我を悟ってもアラカンにはならないと思いますよ。諸法無我は
単なる事実ですから。「コト・モノ・(ヒト)」は縁起せるもので
あって恒常なる存在ではない。ということでしょう。


980 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 11:53:25 ID:/fljVt24
>>978
もともと、あなたが勘違いしてるのは、
言語というのは二元論法に都合のいいようにできてる。
だから、どうしたって突っ込まれりゃ、突っ込み放題なんだよ(w

つまり、人間の語彙の範疇では、どうしたって適当な言葉ってのはない。
仏教における「無」にしても、一般的な意味で言うているわけじゃない。

まさに、西田幾太郎が最後まで言い尽くせなかった。
ってのは、ここなんだね。

981 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:01:19 ID:/C2zy+Gp
>>975
>釈迦は2は否定したけど、1は否定していないと思います

釈尊はそれらを思想的前提としながらも否定するのですよ。まず輪廻は転生と必ずしも
結果しない。同じように「生死」も実際の生死(せいし)を必ずしも意味しないことを頭に
入れてください。善因楽果・悪因苦果の周期(輪廻)はその一生涯範囲でしか実際に感知
できないし、その範囲を超えると意味がなくなります。釈尊の説いたことはそんな夢物語
ではなく、もっとシビアで現実的なことですよ。

電波氏の

前提導入(インド一般の観念を利用)
→生理的な一生涯以外での関与を無意味として感知しない

を私は支持します。

982 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:03:51 ID:ZqdP07D3
>>980
説明できないなら黙れば良いのに(w

わざわざ、悟り、空、無、も概念でしかないのか?
と問うてるわけなんだから、善悪が概念で*しかない*
を説明できないなら、こっちの質問に答えるのが真摯的な
態度でしょうね。


983 :874:04/09/13 12:06:01 ID:oV1iXo3c
>>979

1さんは、アーガマを元に議論しているのですか、それともアビダルマを元に
議論しているのですか。まず、それをはっきりとさせないと。十結煩悩という
分類ができたのは、釈迦の没後300-400年経ってからの話ですよ。アーガマに
出てくる煩悩は、三不善根、四暴流、五結などで、どこにも十結煩悩などでて
きません。十二因縁だって、釈迦の時代にはもっと少なかった。

1さんは三宝への帰依を唱えながら、その基としている理論は、すべて後世の
学者がでっちあげたアビダルマから取っているのです。

その反面、アビダルマにはっきりと書かれていることを自信一杯に否定するん
だからタチの悪い人です。ク舎論によれば、「四善根」という修行段階があって、
苦集滅道を凡夫なりに分析して観察するという過程があり、これは誰もが
やれねばならない修行ということになっています。だから、「四諦を悟る
ための修行」と言っても間違いじゃありません。

984 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:06:46 ID:/C2zy+Gp
>>979

>あなたの、行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・(生・老死)が
>輪廻するのですとお答えしたはずです。

滅茶苦茶ですよ。話にならない。


985 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 12:11:51 ID:/fljVt24
>>982
>説明できないなら黙れば良いのに(w

私はちゃんと説明したでしょ?

公案まで持ってきたんだから。

>善悪が概念で*しかない*

善悪というのは、仏教では相対的な意味しかない。これを分別の相という。
空性はこの相にあらず。

まあ、早い話が言語が意味をなさなくなってしまうんだよ。
仏教というのは。
極端な話だけどね・・・。
ここまで言うたら、仏教の核心のとこなんだが・・・。


986 :1:04/09/13 12:16:41 ID:zm03BpQX
>>984
あなががここに存在するのはなぜ?

(あなたの)無明があるからでしょう、

無明があるから、心的ベクトル(行)があり、
行があるから、認識の主体(識)があり、
識があるから、元素の集合や電磁波の波長に過ぎないものを
       物とにして認識し(名色)
名色を、六入を通して、触・受し、愛し取る着し、
それは存在(有)であり、しかも死すべき存在(生)である。


この(あなたの)無明から生じたすべての一塊(かたまり)が、
あなたのハートなんですよ。
そしてあなたのハートは無明がある限り輪廻する。

987 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:16:51 ID:ZqdP07D3
>>985
君は人の文が読めないのか?
善悪は「概念だ」と俺も認めてる。概念*でしかない*の部分に拘ってるんだよ。


988 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:18:26 ID:/C2zy+Gp
>>986
もし本気でそう思うのなら、阿含宗と同じ似非仏教、外道です。

989 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 12:20:02 ID:/fljVt24
>>987
>概念*でしかない*の部分に拘ってるんだよ。

まさに、そのとおりかと思うが・・・
他に善悪がありますか?
あったらこの金玉に見せておくれませ。
しかと吟味するゆえ。

990 :1:04/09/13 12:21:10 ID:zm03BpQX
>>985
>善悪というのは、仏教では相対的な意味しかない。これを分別の相という。
>空性はこの相にあらず。

用語は難しいけど、そうだとおもう。
仏典には善悪は結果で見るしかないと書いてある。
あなたにとって(長期的に)ハームフルなら「悪」。
ベニフィシャルなら「善」。

あなたの敵(かたき)が、あなたのある行為を泣いて喜ぶなら
それは「悪」。なぜならそれはあなたを傷つけるから。とか。


991 :874:04/09/13 12:21:49 ID:oV1iXo3c
>>988
ありがとう。おかげで、なぜ私が1さんや830氏に「カルト臭」を感じていた
かがはっきりと理解できました。確かに>>986は外道の見解ですね。

992 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:24:14 ID:LTksJNMK
キンタマ、キンタマてなんだこのスレは?

993 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:29:16 ID:ZqdP07D3
>>985
公案は、仏教エリート向けの計算ドリル。
計算ドリルで数学を語るようなもんだわ。

>>990
>善悪というのは、仏教では相対的な意味しかない。これを分別の相という。
>空性はこの相にあらず。
おいらはこれは否定しない。
んがぁ、理論否定、ベクトル否定が、そんな人間が、
場合分けってのも、腹抱えて笑うな。

こーゆう事やってると、何時までたっても無で終わっちゃう(w

994 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 12:30:48 ID:/fljVt24
>>992
キンタマとは、私のことですか?

わたしは「コンギョク」ですが。
誤解があるようでしたら、今度ハンドルを替えることも検討しなきゃいけませんね。
 

995 :1:04/09/13 12:33:54 ID:zm03BpQX
個人の本体、輪廻の主体が
「行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・(生)」
であるというのは私の説ですよ。
世界中で誰もそんなこと言ってないでしょう?

でもね、ちょっと考えれば分かるの。

個人は無明から発する。無明から発して老死で終わる。
その間が(個人)=(輪廻する主体)でしょう。
無明と老死の間のものといえば、
「行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・(生)」

どうして皆さん、2000年も、誰も気がつかなかったんだろう。

996 :金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/13 12:34:29 ID:/fljVt24
>>993
>んがぁ、理論否定、ベクトル否定が、そんな人間が、
>場合分けってのも、腹抱えて笑うな。

こういう、ひとつのテーマでも、
ひとつは万に通じるのですよ。

これがあってこそ、輪廻とかもわかってくるんです。


997 :名無しさん@3周年:04/09/13 12:38:36 ID:ZqdP07D3
>ひとつは万に通じるのですよ。
であるならば、*しかない*とわ言えないだろ。
どうだ?

素直になれよ(w

998 :1:04/09/13 12:40:38 ID:zm03BpQX
たぶん「名色・六入・触・受・」を心の外のものと考えちゃったんだよね。
心の中にも「名色・六入・触・受」があるんだけど。それと「生」の考察
が難しい。チベット仏教でも「生誕」と取っている。
私は「有」が存在で「生」を「死すべきも、死に向かうもの」のと捉えた。
ということは、心も一旦死を迎えるのか、という疑問は残るけど。

999 :1:04/09/13 12:41:41 ID:zm03BpQX
どなたかもしよろしければスレたてお願いしま〜す。

1000 :1:04/09/13 12:43:20 ID:zm03BpQX
ワンサウザンド!

1001 :1001:Over 1000 Thread


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