5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

坐禅と見性第7章☆無心にして花、蝶を招く

480 :NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/07 18:37:14 ID:m1vAXdjQ
>>463
自然法爾章
「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりて
うることを得といふなり。「名」の字は、因位のときのなを名といふ。「号」の字は、
果位のときのなを号といふ。「自然」といふは、「自」は、おのづからといふ、
行者のはからひにあらず。しからしむといふことばなり。「然」といふは、しからしむ
といふことば、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに。
「法爾」といふは、如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふ。
この法爾は、御ちかひなりけるゆゑに、すべて行者のはからひなきをもちて、
このゆゑに他力には義なきを義とすとしるべきなり。
「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、
もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、
むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんとも
おもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。ちかひのやうは、「無上仏にならしめん」
と誓ひたまへるなり。

無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは
申すなり。かたちましますとしめすときは、無上涅槃とは申さず。

かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり。

この道理をこころえつるのちには、この自然のことは、つねにさたすべきには
あらざるなり。つねに自然をさたせば、義なきを義とすといふことは、なほ義の
あるべし。これは仏智の不思議にてあるなり。
@親鸞聖人

まあ、ベタですが。このへんはどう理解なさいますかな?


449 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)