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原始佛教 その10

1 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/12 23:45:03 ID:g8hqW7fi
ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理
を中心に、様々な議論を重ねていけたらと思います。佛教の原点を闡明できる良スレになる
こと期待して・・・。引き続きよろしくお引き立てのほどを。
 本スレッドも思わぬ長寿となり十代目を迎えました。今回もスレッドの秩序保持のため、
数項目のお願いを申し上げます。どうぞ心にお留め置き下さい。有害毒デムパ垂れし公害
は御免ですので。
 自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上げます。  
原始佛教関連以外の話題は当該スレッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。
スレ違いの妄想デムパ発言には終始默殺・完全無視が吉と思われます。
http://etc3.2ch.net/denpa/あたりへ誘導して指し上げれば宜しいかと存じます。
立論議論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。

★過去ログ★
原始佛教 その9
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1096158297/
原始佛教 その8
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1094353424/
原始佛教 その7
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1086107190/
原始佛教 その6
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0406/08/1074834929.html
原始佛教 その5
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0406/08/1063719889.html
原始佛教 その4
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0404/21/1056128400.html
原始佛教 V
http://life.2ch.net/psy/kako/1035/10354/1035423266.html
原始佛教 U
http://life.2ch.net/psy/kako/1031/10317/1031764449.html
原始仏教
http://life.2ch.net/psy/kako/1022/10221/1022157378.html

2 :名無しさん@3周年:04/10/12 23:55:08 ID:PwiNKxRQ
2

3 :ハァ? 外縁起重視派??:04/10/13 00:38:54 ID:R9EOlgSR
>>1
外縁起は内縁起と比較して重要ではない。
これは、メンタルな部分の解放を目的とする以上当然である。
勝手な思いこみでヒトにレッテルを貼らないでいただきたいものだ。
これを偏見といい、正思を妨げる有害な精神作用そのものである。

ところで内縁起は事実だろうか。
苦の生起と寂滅を因と果からなる事象と捉える教説は抗いようもなく理に適っている。
すなわち、釈尊の発見した内縁起は涅槃へ至るための真理なる方便を超えて、
精神という現象を司る真実を表現したものである。

ここまでよろしいだろうか?

4 :栗花 馨:04/10/13 02:39:56 ID:oYAzp11/
釈迦は成道後に、明知と無明の界面層において縁起によって成道の境地を確認されています。

釈迦は、比丘が成道した確認は、その界面層でなされていました。
また比丘同士も法の境地をそこで共有しています。
縁は、その関係。そこで起こる。
生老病死がおこるフィールドである肉体が前提なのです。
そこが無常ゆえに、成道が可能であり法の境地を界面層で共有できます。
業道を演繹的にとらえてください。
脳が非生理的状態であれば、成道は困難です。
まずは安静ですね、逃避衝動、攻撃衝動、などは業道ともいえますね。
釈迦の禅定からは内的に関係の成り立ちをとらえる境地もあります。
仏教のひとたちのひろがりがあります。
成道後に四門の確認され語った釈迦との他者との関係で仏教ははじまったのです。
脳が非生理的状態で不安定であれば、成道は不可能です。
そのままでは更なる破綻の危険が存在します。
無為が一番です。
割れた瓶の喩えの人間です。
無益な比較をするものは法との出会いは無い。
ブッダは成道者で、仏教徒であるならば仏陀と出会えるのです。




5 :栗花 馨:04/10/13 02:41:59 ID:oYAzp11/

 割れた瓶の喩えの人間は、安静が一番。


6 :名無しさん@3周年:04/10/13 08:46:16 ID:cb3rxAg3
>>3
> >>1
> 外縁起は内縁起と比較して重要ではない。
当然の理であると考えます。
> これは、メンタルな部分の解放を目的とする以上当然である。
「メンタルな部分の解放」なる表現が原始佛教思想の把握として正鵠を得ているかは
些か疑問ですが、概ね同意です。
> 勝手な思いこみでヒトにレッテルを貼らないでいただきたいものだ。
お説を補強する教証と以前に提出した教証に関するコメントを全然見せていただいてません
よ。 原始佛教思想として語る以上、必要最小限のこれらの手続きを省けば、「勝手な思いこみ」
はあなたに帰されることになりますね。
> これを偏見といい、正思を妨げる有害な精神作用そのものである。
>
> ところで内縁起は事実だろうか。
> 苦の生起と寂滅を因と果からなる事象と捉える教説は抗いようもなく理に適っている。
> すなわち、釈尊の発見した内縁起は涅槃へ至るための真理なる方便を超えて、
> 精神という現象を司る真実を表現したものである。
>
> ここまでよろしいだろうか?
結構ではないでしょうか。


7 :名無しさん@3周年:04/10/13 09:09:31 ID:cb3rxAg3
>>4
佛教どころか譬喩にもなっとらん(失笑)。
「界面層」なんぞブッダの成道と何の関係もないだろが。こうした朦朧言説が跳梁跋扈するのは
誠に遺憾ですな。もし日本語判るなら−望み薄かな−↓でもどうぞ。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/index.html
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9900bj.htm

8 :名無しさん@3周年:04/10/13 13:39:59 ID:YfrWElwt
>>6
では次に、精神作用と脳の関連を事実として受け入れることができるだろうか。
心という高度な精神作用に関しては様々な見解があり、必ずしも一義的にこれらが脳の所産であると
言い切ることに抵抗を覚える人も少なくはない。
しかし、精神と脳の関連そのものを疑う根拠を私は知らない。

なお、これは仏教教義から批判される問題ではない。
事実か否か、を議題としている。

9 :名無しさん@3周年:04/10/13 14:00:29 ID:ykR9+RAP
>>8
>なお、これは仏教教義から批判される問題ではない。 
>事実か否か、を議題としている。 

なお、あなたの議案はこの場所で提示される性質のものではない。
事実か否かは大脳生理学など、専門の板でやってもらいたいものだ。

10 :名無しさん@3周年:04/10/13 14:00:59 ID:HXXwmaeV
>>8
> >>6
> では次に、精神作用と脳の関連を事実として受け入れることができるだろうか。

> 心という高度な精神作用に関しては様々な見解があり、必ずしも一義的にこれらが脳の所産であると
> 言い切ることに抵抗を覚える人も少なくはない。
> しかし、精神と脳の関連そのものを疑う根拠を私は知らない。
否定したりするわけではなく特に取り上げないだけです。誰も「関連そのものを疑う」などと言明しておりま
せんが。
> なお、これは仏教教義から批判される問題ではない。
批判も肯定もなされない、つまりはこの種の議論に参加しないというスタンスでしょう。教証
もこうしたスタンスの表明です。科学的命題はそれに従事する職能者の取り組むべき問題
であり、各人がその職分に精進精励することは奨励されます。律蔵の薬事の部分など読
まれると面白い記述が発見できると思います。
> 事実か否か、を議題としている。



11 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/13 14:01:50 ID:HXXwmaeV
>>10は私の投稿です。


12 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/13 14:07:18 ID:HXXwmaeV
>>8
質問返しの前に前スレッドからの繰り越しの処理を。
お説を補強する教証と以前に提出した教証に関するコメントを全然見せていただいてません
よ。 原始佛教思想として語る以上、必要最小限のこれらの手続きを省けば、「勝手な思いこみ」
はあなたに帰されることになりますね。

原始佛教思想という文脈で語る以上、必要最小限のこれらの手続きは踏んで下さいね。

13 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/13 14:09:03 ID:HXXwmaeV
>>9
のご意見に同意です。

14 :ユビキタス:04/10/13 18:31:50 ID:pFufsy6p
釈迦は先祖供養を否定しました。

15 :ユビキタス:04/10/13 18:33:56 ID:pFufsy6p
>なお、あなたの議案はこの場所で提示される性質のものではない。
事実か否かは大脳生理学など、専門の板でやってもらいたいものだ。

大脳生理学は桐山阿含宗への逆行だ。




16 :名無しさん@3周年:04/10/13 23:01:30 ID:Q98Dpw7g
>>4 脳が非生理的状態で不安定であれば、成道は不可能です。

非生理的って、どういうことかよくわかりませんが、成道が可能かどうかは
問題のある脳の部位によります。

17 :名無しさん@3周年:04/10/13 23:14:18 ID:uX91KPZI
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50

釈尊の教えに一番近いのはこっちでしょ?

18 :栗花 馨:04/10/13 23:41:21 ID:spzafk1h
>成道が可能かどうかは,
>問題のある脳の部位によります。
正しい。


19 :このスレは「見世物小屋・栗花病棟」ではありません:04/10/14 08:23:23 ID:3gPM+MvZ
http://etc2.2ch.net/test/read.cgi/psy/1085645555/ よりコピペ。

栗花 馨汚染注意報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
     ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。
     連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容:独り言や聖教ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
     浄土真宗と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
     レス内容に注意してください。


20 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/15 23:36:01 ID:DLqOcMV8
>277男さん
前スレでちらりと出た非常に重要な問題。内縁起と現観についてもう少し突っ込んだ議論が出来ると
有意義でしょうね。取り敢えず提出された教証を参考までに。

比丘たちよ、そこで私はこのように思った。「何があるが故に老死があり、何に縁って老
死があるのであろうか?」と。比丘たちよ。そのとき私には正しい思惟と智慧とから現観
(abhisamaya )がおこった、「生があるが故に老死がある。生に縁って老死がある」と。
                                『サンユッタニカーヤ』]U-10より
見のそなわっている聖弟子、現観 (abhisamaya )に達する人が、滅し尽くして終わりをな
した 苦は実に多く、残った苦は少ない。           『サンユッタニカーヤ』]V-1
見諦の者は衆苦を脱する所なり。『雑阿含経』五(一〇九) <阿呆陀羅經提出分

0099_,02,0080a04(04):何法縁故生有。即正思惟。起【無間等知】。
0099_,02,0080a05(01):有有故生有。有縁故生有。復思惟。何法有故有有。
0099_,02,0080a06(01):何法縁故有有。即正思惟。如實無間等起知。
0099_,02,0080a07(03):取有故有有。取縁故有有。又作是念。
0099_,02,0080a08(00):取復何縁何法有故取有。何法縁故取有。即正思惟。
0099_,02,0080a09(02):如實無間等起知。取法味著。顧念心縛。
0099_,02,0080a10(02):愛欲増長。彼愛有故取有。愛故縁取。取縁有。
0099_,02,0080a11(02):有縁生。生縁老病死憂悲惱苦。如是如是。
0099_,02,0080a12(06):純大苦聚集。諸比丘。於意云何。
0099_,02,0080a13(00):譬如縁膏油及&M018965;。燈明得燒。數増油&M018965;。彼燈明得久住不。
無間等知というのが現観(abhisamaya)のこと。「現観が起こる」と表現する<277男さん提出分

21 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/15 23:55:11 ID:DLqOcMV8
別スレでの277男さんの発言ですが、重要且つ有益と思われますのでコピペします。
"dRSTi"見解には大きく二種類ある。

・執着された見解(認識を超えたものを想定したり、信じたりすること)
・客観的合理性(法)を優先する論理的見解

釈尊が遠ざけるのは前者であり、後者は「信解」として尊ばれる。
これが原始仏教で言うところの「信」

iyam atra dharmatA
このようなあり方は〔世尊がこの世に現れようが現れまいが〕現としてみとめられる。

釈尊一仏に集約することは人我という無我に逆行する愚かな見解(邪見)につながり
ます。舎利を礼拝し、教義に盛り込む邪道外道、カルトな人は

> 【仏教のすべては釈迦に担保されています。】

このような感覚を持つに至るでしょうが、それはすでに仏教ではありません。邪教です。


22 :栗花 馨ファンクラブ:04/10/16 00:26:10 ID:It0pnZ+Y
栗花さんのファンです!
貴方は素晴らしい。
でも最近構ってくれない。それが辛いです。
声くらいかけてよ。


23 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 08:53:45 ID:Locs9ZVx
現観(abhisamaya)とはつまりは「苦」の生起(流転縁起・順観)と滅尽(環滅縁起・逆観)のありようを
ありのままに観るそのことを指しているのでしょう。それが現在進行形で不断に続くので「無間等知」
と訳されたのではないかと考えます。
「無常偈」や
諸行無常、 是生滅法。(流転門)
生滅滅己、 寂滅為楽。(環滅門)
あるいは「縁起法頌」も
法従縁起、如来説是因 (流転門)
是法従縁滅、是大沙門説(環滅門)
という構造になっており、縁起説と四諦の特に集諦と滅諦との不可分の思想的聯関を示していると考えます。


24 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 08:58:00 ID:Locs9ZVx
失礼「還滅門」でした。お詫びして訂正いたします。

25 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 11:52:43 ID:Locs9ZVx
以下の『ウダーナ』所収の偈も同じ構造ですね。
「努力して禅定に入っているバラモンに諸法が現われるならば、かれは有因の法を知るが
ゆえに、かれのもろもろの疑惑は消失する。」(流転門の現観)
「努力して禅定に入っているバラモンに諸法が現われるならば、かれは諸縁の滅を知るが
ゆえに、かれのもろもろの疑惑は消失する。」(還滅門の現観)
これらの詩偈に先立つ十二因縁の記述を四諦の集諦・滅諦のそれに差し替えても意味は充分に
通じるでしょうし、それが原型ではなかったかという説(金倉圓照説)に説得力を感じます。

26 :名無しさん@3周年:04/10/16 12:11:56 ID:58m1oksD
あなたが言うのは説得力がないですね。 迷惑かけるので他人の権威を利用しないこと。ひとの褌ばかりですねぇ。

27 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 12:17:13 ID:Locs9ZVx
>>26
> あなたが言うのは説得力がないですね。
どこがどう「説得力がない」のか理路整然とと論駁すればいいだけの話。



28 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 12:20:27 ID:Locs9ZVx
>>26
> あなたが言うのは説得力がないですね。
いうまでもなく上記の野次の正当性の挙証責任は >>27にあります。
くれぐれもお忘れなく。


29 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 12:28:26 ID:Locs9ZVx
>>28
挙証責任は >>26にあります。の誤りでした。誰かの自虐テロが伝染したのかな(鬱)

30 :名無しさん@3周年:04/10/16 14:45:14 ID:58m1oksD
受け売りの先生気取り。リアルではうまくいかない子。

31 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 14:49:22 ID:Locs9ZVx
>>30
悔しいのは分かるけど、少しは論駁しようとする努力をすれば?

32 :名無しさん@3周年:04/10/16 14:54:02 ID:rZdSrEzM
>>23 「無間等知」、趣深い漢訳の表現かと思います。少なくとも小生
には今後何らかのヒント、信解の為のキーワードになってゆくような気
がします。

33 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:04:03 ID:Locs9ZVx
>>30ID:58m1oksDは結局野次しか能のない挙証責任も果たせない紙礫屋か・・・。


34 :名無しさん@3周年:04/10/16 15:17:28 ID:58m1oksD
簡単なアホだ。図星で興奮した。

35 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:19:14 ID:Locs9ZVx
>>34
さあさ客観的且つ論理的な反駁を。もし出来ればの話だけど(w

36 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:36:05 ID:Locs9ZVx
スレ穢しのID:58m1oksDは一矢も報えずいつもの遁走か(w

37 :名無しさん@3周年:04/10/16 15:39:33 ID:58m1oksD
リアル社会では、自作自演はできないんだよ。自己完結の借り物では、リアル社会では、相手にされないんだよ。 なんかスポーツやってるの?外で思いっきり走ったりして遊んでみなさい。声かけて新しいお友達つくりなさい。もっと元気に明るくいきなさい。

38 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:42:58 ID:Locs9ZVx
>>37
話を逸らして誤魔化そうとしても結局惨めになるのはID:58m1oksD。そんな奴こそ
「リアル社会では、相手にされないんだよ。」反駁不能なら素直に消えなさい。

39 :名無しさん@3周年:04/10/16 17:52:08 ID:vYoTCPB6
あほだらは、くだらん。つまらん。借り物人間。

40 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 18:16:58 ID:Locs9ZVx
>>39
vYoTCPB6は借りる見識も能力もなく、借り物を使用することすら出来ない。


41 :名無しさん@3周年:04/10/16 18:20:15 ID:CZrrSf6r
>あほだらは、くだらん。つまらん。借り物人間。
激しく同意

42 :277男:04/10/16 18:23:27 ID:48Zl5Iab
なんの論証、議論、立論のできない人たちは阿含宗信者ということで。


43 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 18:32:32 ID:Locs9ZVx
>CZrrSf6r
越境恥曝しとはご苦労なことで。(w


44 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 01:14:02 ID:qZZrvWRS
「バラモンよ、なんじはいかに思うか。なんじにも朋友や身寄りの者が、来たり訪れることがあるであろうか。」
「しかり、世尊よ、わたしにも、時に朋友や身寄りの者が、来たり訪れることがある。」
「バラモンよ、では、いかがであろうか。その時、なんじは、彼らにさまざまの食事をふるまうことがあるであろうか。」
「しかり、世尊よ。わたしは時に、彼らに食事をふるまうこともある。」
「バラモンよ、その時、彼らがその食事を受けなかったならば、それは誰のものとなるであろうか。」
「世尊よ、もし彼らが、それを受けなかったならば、それは、わたしのものとなるよりほかはない。」
「バラモンよ、そのように、なんじは、誹謗せざるわれを誹謗し、非難せざるわれを非難するが、わたしは、なんじのそれをうけないのであるから、バラモンよ、そはなんじのものである。
もし、誹謗するものを誹謗しかえすならば、バラモンよ、それは主と客が共に食し、共に交換するものと言われる。
だが、わたしは、なんじと共に食せず、なんじと共に交換しない。
さればバラモンよ、こは、なんじのものである。
なんじの悪語は、なんじのものであるぞ。」


45 :NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/17 04:00:50 ID:N0Nvqk+n
>>43
阿呆陀羅經さん。

きっと、分かる人は分かってるんだから
もっとまったりしてくださいな。

いえ、ぼくが「分かる人」かどうかは知らないけど、
少なくとも阿呆陀羅經さんの大ファンですよ。

でね。きっと、そういう人多いと思うんですよ。

46 :名無しさん@3周年:04/10/17 05:00:09 ID:7wUeP/Hf
自分はいい人やって、あほだらをやんわりと小馬鹿。

47 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 07:46:36 ID:Ek/rmbyI
>>45
NBさんお久しぶりです。
> きっと、分かる人は分かってるんだから
> もっとまったりしてくださいな。
カルト家畜退治、害虫駆除そのものが正法の提示でもあり得るわけで・・・。

> いえ、ぼくが「分かる人」かどうかは知らないけど、
> 少なくとも阿呆陀羅經さんの大ファンですよ。
恐縮でございます。
> でね。きっと、そういう人多いと思うんですよ。
多いかどうかは存じませんが、マイペースでのんびり参ります。

48 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 08:59:03 ID:qZZrvWRS
>>47 阿呆陀羅經さん、こんにちは。

別なところで、阿呆陀羅經さんと、電波男Ψ(´д`)Ψさんの名前を
拝見したことがあったので、こちらのスレをみつけて、
思わずにやりとしてしまいました。

さて、
> カルト家畜退治、害虫駆除そのものが正法の提示でもあり得るわけで・・・。
とのことですが、

> 36 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:36:05 ID:Locs9ZVx
> スレ穢しのID:58m1oksDは一矢も報えずいつもの遁走か(w
私にはこれが「悪語」にみえました。
「正法の提示」と「悪語」とは、相容れないものではないかと私は考えます。

もしも、
> スレ穢しのID:58m1oksDは一矢も報えずいつもの遁走か(w
これが、「悪語」ではなく「正法の提示」であると主張するのであれば、
どのような根拠に基づいているのか説明頂けないでしょうか?

------------
この投稿は、阿呆陀羅經さんに絡んいるわけではなく、
阿呆陀羅經さんの「正法の提示でもあり得るわけで」という台詞に、
単に知識として仏教をやっているわけではなく、
仏教の真理を尊いと思っているからこそ、
仏教をもっと究めようという姿勢を感じるからこそ聞いてみた問いなのです。
「悪語」しか語れない輩は、最初から相手しません。


49 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 09:16:50 ID:Ek/rmbyI
>>48
> >>47 阿呆陀羅經さん、こんにちは。
>
> 別なところで、阿呆陀羅經さんと、電波男Ψ(´д`)Ψさんの名前を
> 拝見したことがあったので、こちらのスレをみつけて、
> 思わずにやりとしてしまいました。
>
> さて、
> > カルト家畜退治、害虫駆除そのものが正法の提示でもあり得るわけで・・・。
> とのことですが、
>
> > 36 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:36:05 ID:Locs9ZVx
> > スレ穢しのID:58m1oksDは一矢も報えずいつもの遁走か(w
> 私にはこれが「悪語」にみえました。
悪語ならぬ客観的事実の提示です。いつも心がけていることです。
> 「正法の提示」と「悪語」とは、相容れないものではないかと私は考えます。
単なる客観的事実の提示は悪語にはなりますまい。

> この投稿は、阿呆陀羅經さんに絡んいるわけではなく、
> 阿呆陀羅經さんの「正法の提示でもあり得るわけで」という台詞に、
> 単に知識として仏教をやっているわけではなく、
> 仏教の真理を尊いと思っているからこそ、
> 仏教をもっと究めようという姿勢を感じるからこそ聞いてみた問いなのです。
> 「悪語」しか語れない輩は、最初から相手しません。
出された「食事」をそのまま返品しているに過ぎないのですが。もしそれが悪語なら
元の「食事=悪語」であり、私はそれを返品するという事務作業をしているに過ぎま
せん。ご忠告ありがとうございました。



50 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 09:55:14 ID:qZZrvWRS
>>49 阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。
> > 私にはこれが「悪語」にみえました。
> 悪語ならぬ客観的事実の提示です。いつも心がけていることです。
> > 「正法の提示」と「悪語」とは、相容れないものではないかと私は考えます。
> 単なる客観的事実の提示は悪語にはなりますまい。

27,28-29,31,33,35,38,40
に対しては、確かにあなたのいわれる通りだと思います。

わたしの感じ方がおかしいだけなのかもしれませんが、

>>36 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:36:05 ID:Locs9ZVx
> スレ穢しのID:58m1oksDは一矢も報えずいつもの遁走か(w

>>43 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 18:32:32 ID:Locs9ZVx
> >CZrrSf6r
> 越境恥曝しとはご苦労なことで。(w

に関しては、「悪語」に感じてしまいました。
>>35 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:19:14 ID:Locs9ZVx
>>42 :277男 :04/10/16 18:23:27 ID:48Zl5Iab
が、既にあったので、
余計な宣伝行為、「(w」により、己の優越感を示すものと見えたのかもしれません。


51 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 09:56:10 ID:qZZrvWRS
さて、今更ですが、ちょっと自己紹介させてください。

私自身は、
佐倉哲エッセイ集 仏教について
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/
についてで、原始仏教に興味を持ち、現在はまだ、

ブッダのことば -スッタニパータ- 中村元訳
真理のことば 感興のことば 中村元訳
(阿含経典による)仏教の根本聖典 増谷文雄 大蔵出版
の3冊を読んだ程度の知識です。

上記サイトで、『所謂十(十四)難無記といわれるもの』に興味をもったのですが、
現在は『縁起』、特に

・「有」とはなにか?

に興味の対象が移っております。

・縁起における「有」と三界の関係
・三界とは何か?(有頂天、有頂天外とは? 天生の法とは?)
・三界と六道の関連はあるのか?
・三界と、識無辺処、無処有処、非想非非想処の関係

といったことです。


52 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 12:37:57 ID:Ek/rmbyI
>>692
> ・縁起における「有」と三界の関係
有は三有ともいい、欲有、色有、無色有と三界に対応します。
しかしこれは心的境涯を表し、禅定などの修道論と密接に関係している
と考えます。三界といっても生物学的空間的に存在すると説かれるわけ
ではありません。
> ・三界とは何か?
我々が知覚・観察・認識・経験する一切の状態を指すと考えます。
> ・三界と六道の関連はあるのか?
上記のように三界六道を生物学的、空間的に捉えると誤解の種子になると
考えます。
> ・三界と、識無辺処、無処有処、非想非非想処の関係
九次第定の禅定の階梯ですね。
> といったことです。
>


53 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 12:43:43 ID:Ek/rmbyI
>>50
> >>49 阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

> >>36 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 15:36:05 ID:Locs9ZVx
> > スレ穢しのID:58m1oksDは一矢も報えずいつもの遁走か(w
>
> >>43 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/16 18:32:32 ID:Locs9ZVx
> > >CZrrSf6r
> > 越境恥曝しとはご苦労なことで。(w
>
> に関しては、「悪語」に感じてしまいました。
上記に関しても単なる客観的事実の提示の範疇内と考えます。あくまで事実に基づいておりま
すので。そもそも相手にぴったりの言葉を誂えることを「悪語」であると全く思いません。



54 :名無しさん@3周年:04/10/17 13:08:12 ID:7wUeP/Hf
やっぱ、悪業がふかい。自作自演荒らしで釈迦に傷つける罰あたりだ。

55 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 13:49:22 ID:Ek/rmbyI
>>54
> 自作自演荒らしで釈迦に傷つける罰あたりだ。
ID:7wUeP/Hf、CZrrSf6r 、ID:58m1oksDのことね(笑)


56 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 13:55:02 ID:Ek/rmbyI
ID:CZrrSf6rID:7wUeP/Hf、ID:58m1oksD←越境粘着自作自演三人醜

57 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 14:18:44 ID:qZZrvWRS
>>52 阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

私は、釈迦の業績というのは、
無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老死
といった縁起、縁滅関係を見つけたことであり、

行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死
という概念は仏教以前からあったのではないかと思っております。
(無明に関しては、保留)
そして縁起を理解するためには、まず個々の要素を理解することから始めるべきではないかと考えています。

私は、縁起の各要素に関して説いているのは、
『仏教の根本聖典』の中に、『分別縁起』
南伝 相応部経典 12,2 分別
漢訳 雑阿含経 12、16
以外は知らないのですが、他にもあるのでしょうか?

> > ・三界と、識無辺処、無処有処、非想非非想処の関係
> 九次第定の禅定の階梯ですね。
また、『仏教の根本聖典』『聖なる求め』
南伝 南部経典 26 聖求経
漢訳 中阿含経 204 羅摩経
の中に、
アーラーラ仙『わたしは、識無辺処を超え、無処有処を得て、この法を成就したのである』
ウッダカ仙 『わたしは、無処有処をこえ、非想非非想処を得て、この法を成就したのである』
とあったので、この概念も仏教以前からあったのではないかと思っております。

ネットでなんとなく検索して、これらは三界の中の無色界と関係するのかなと思っています。

58 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 14:37:01 ID:Ek/rmbyI
>>57
> 無宗ださん、レスありがとうございます。
> 私は、釈迦の業績というのは、
> 無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老死
> といった縁起、縁滅関係を見つけたことであり、
十二因縁もあくまで各個人の直面する苦の生起と滅尽のありかたの追究を離れては成立し得ま
せん。 老死には必ず憂悲惱苦などが伴うことをお忘れになりませんように。十二因縁をこうした
自己の憂悲惱苦から離れた外的事象として捉えられるところから胎生学的外縁起が発生し、そ
のドグマの発達が佛教を堕落させることとなります。様々な問題を起こすカルトドグマの淵源も
この辺りにあるのではないかと考えます。
> 行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死
> という概念は仏教以前からあったのではないかと思っております。
> (無明に関しては、保留)
無明はサーンキヤ哲学あたりで説かれていたと思います。
> そして縁起を理解するためには、まず個々の要素を理解することから始めるべきではないかと考えています。
>
> 私は、縁起の各要素に関して説いているのは、
> 『仏教の根本聖典』の中に、『分別縁起』
> 南伝 相応部経典 12,2 分別
> 漢訳 雑阿含経 12、16
> 以外は知らないのですが、他にもあるのでしょうか?
各種の註釈的経典の扱いには注意を要することもあります。
原始佛教にご関心をお持ちならば、以下は必読ではないかと思います。
http://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/AuthorName/AuthorName0.asp
http://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/AuthorName/AuthorName0.asp

> ネットでなんとなく検索して、これらは三界の中の無色界と関係するのかなと思っています。


59 :名無しさん@3周年:04/10/17 14:43:20 ID:7wUeP/Hf
狭すぎる私見。 誤解の発表は業が深い。

60 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 14:50:34 ID:qZZrvWRS
>>58
阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

> 各種の註釈的経典の扱いには注意を要することもあります。
> 原始佛教にご関心をお持ちならば、以下は必読ではないかと思います。
> http://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/AuthorName/AuthorName0.asp
> http://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/AuthorName/AuthorName0.asp
ひょっとして、書籍を2冊、紹介して下さったのでしょうか?

リンク先が、両方とも「教書総目録」著者索引ページになっています。
お手数ですが、書名、著者名、出版社名を教えて頂けないでしょうか?
よろしく、お願いいたします。


61 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 14:50:51 ID:Ek/rmbyI
無宗ださん、リンク先の訂正です。是非ご一読を。
http://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/Shop/ThisBook.asp?KanriNo=9-826-98070-6-001
http://www.shunjusha.co.jp/book/10/10602.html

62 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 14:53:33 ID:Ek/rmbyI
>>59
> 狭すぎる私見。 誤解の発表は業が深い。
異議ガアルナラ明確ナ論理ヲ用イテ「論難」セヨ。

63 :名無しさん@3周年:04/10/17 15:00:11 ID:7wUeP/Hf
全部駄目。零点は零点。全て×。

64 :名無しさん@3周年:04/10/17 15:01:10 ID:7wUeP/Hf
性格も×です。

65 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 15:02:08 ID:Ek/rmbyI
>>63
最早マンネリの反駁不能。知能の限界なのね(憐憫)。

66 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 15:04:26 ID:Ek/rmbyI
ID:CZrrSf6rID:7wUeP/Hf、ID:58m1oksD←越境発狂癲狂粘着自作自演三人醜



67 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 15:42:39 ID:qZZrvWRS
>>61 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 14:50:51 ID:Ek/rmbyI
> 無宗ださん、リンク先の訂正です。是非ご一読を。
> http://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/Shop/ThisBook.asp?KanriNo=9-826-98070-6-001
> http://www.shunjusha.co.jp/book/10/10602.html
紹介、ありがとうございます。
さっそく、発注して読んでみたいと思います。

この著者が、阿呆陀羅經さんのお気に入りなのですか?


68 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 15:58:34 ID:Ek/rmbyI
>>67
> この著者が、阿呆陀羅經さんのお気に入りなのですか?
尊敬措く能わざる大学者です。機会があれば著作選集もどうぞ。

69 :名無しさん@3周年:04/10/17 16:51:52 ID:IUStsPAI
栗花氏の無明について語れという発語には、
非常に考えさせられた。
明知の無いということとは、ありのままの生態に他ならない。
仏教がなくても人間としての社会生活は自ずと活動していく。
無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老-死
生きるうえでの老病死と出会い出家した釈迦。
四門の逸話を語った釈迦は、仏教のすべては
四門ではじまり、また四門で覚悟するとの体験を伝えたのであろう。
他者の中での内縁起(無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老-死)こそ
明知を得て自らの法を説いた釈迦の対象である。
栗花氏は、他者の中での内縁起、すなわち他者の無明を重視した自らの法を説いた釈迦に
焦点を合わせていると感じた。他者の中での内縁起とは、外縁起であり仏陀の教えの対象である。
また、すばらしいのは縁起を確認する観について明知と無明の界面層と表現したことである。
成道後の釈迦と五比丘について読み返してみた。明知と無明そして縁起について新鮮な感受性によって、
新たな進歩を自分の知識の上に与え仏教が私にとって活き活きとした実感となった。
栗花氏に対する感謝の意を著すことが本意である。
貴君の益々の発展を願う。ありがとう。



70 :名無しさん@3周年:04/10/17 17:02:17 ID:O16nERud
>>69
ジサクジエン、ごくろうさま。

71 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/17 17:19:47 ID:qZZrvWRS
>>68 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 15:58:34 ID:Ek/rmbyI
> > この著者が、阿呆陀羅經さんのお気に入りなのですか?
> 尊敬措く能わざる大学者です。機会があれば著作選集もどうぞ。
レス、ありがとうございました。
著作選集は、わたしには「まだちょっと」という感じです。
とりあえず、今回紹介いただいた本、その他を読んだ後で、
次に読む書物を決めたいと思います。
ざっと、見た感じでは、

釈尊の生涯と思想
水野弘元
(四六判・並製 296頁)
定価:1,886円・本体価格:1,796円
ISBN:4-333-01394-1
発行日:1989.5

が、手ごろで面白そうかなという印象を持ちました。
実は下記の本が先に眼に入ったのですが、残念ながら品切れのようです。

書名 釈尊の生涯〈新装版〉
著者 水野弘元[著]
体裁 四六判上製カバー装
頁数など 344
発行日 1985-6-20
税込価格 品切


72 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 17:56:46 ID:Ek/rmbyI
>>69
> 栗花氏の無明について語れという発語には、
> 非常に考えさせられた。
ここは栗花について語るスレではないってば。
> 明知の無いということとは、ありのままの生態に他ならない。
> 仏教がなくても人間としての社会生活は自ずと活動していく。
> 無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老-死
> 生きるうえでの老病死と出会い出家した釈迦。
> 四門の逸話を語った釈迦は、仏教のすべては
> 四門ではじまり、また四門で覚悟するとの体験を伝えたのであろう。
まさか「四門出遊」を史実として信じているのではあるまいな。
> 他者の中での内縁起(無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老-死)こそ
「他者の中での内縁起」 ←何ですそりゃ?
> 明知を得て自らの法を説いた釈迦の対象である。
意味不明。論理も筋道も全く欠落。
> 栗花氏は、他者の中での内縁起、すなわち他者の無明を重視した自らの法を説いた釈迦に
> 焦点を合わせていると感じた。他者の中での内縁起とは、外縁起であり仏陀の教えの対象である。
思いつきを強引に連結して何かを論証したつもりなのか。
> また、すばらしいのは縁起を確認する観について明知と無明の界面層と表現したことである。
全く根拠を提示しないトンデモ疑似科学的妄想の世界。
> 成道後の釈迦と五比丘について読み返してみた。明知と無明そして縁起について新鮮な感受性によって、
ほんとに「初転法輪経」を読んだのか・・・。
> 新たな進歩を自分の知識の上に与え仏教が私にとって活き活きとした実感となった。
論拠無き思いつきが「知識」やら「実感」になるって一体・・・。
> 栗花氏に対する感謝の意を著すことが本意である。
> 貴君の益々の発展を願う。ありがとう。
こんな稚拙な提灯持感想文を公衆の面前に晒す感覚を疑う。


73 :名無しさん@3周年:04/10/17 18:13:59 ID:S5scBp0m
メジャーリーグVS少年草野球の試合球場はここですか?

74 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/17 18:15:33 ID:Ek/rmbyI
>>71無宗ださん、
>実は下記の本が先に眼に入ったのですが、残念ながら品切れのようです。

>書名 釈尊の生涯〈新装版〉
>著者 水野弘元[著]
>体裁 四六判上製カバー装
>頁数など 344
>発行日 1985-6-20
>税込価格 品切
古書でも案外出回っているようです。水野氏の著作はお持ちになって損はないものばかりだと思います。
    ↓
http://search.easyseek.net/search/?c_no=0&sitem=%8E%DF%91%B8%82%CC%90%B6%8AU+%90%85%96%EC%8DO%8C%B3&_dm=%81%95

75 :名無しさん@3周年:04/10/17 18:52:23 ID:VFr/CeNH
栗さんはいいね。俺も好きだな。

76 :名無しさん@3周年:04/10/17 18:54:35 ID:VFr/CeNH
栗さんはメジャーリーグ殿堂入り(藁

77 :名無しさん@3周年:04/10/17 18:58:50 ID:SDdlD6Gq
栗さんはVFr/CeNHとともにメンヘルリーグ殿堂入り?
それはそうだが、お仲間に対して(藁はないだろう。
カルトに放り出されたもの同士助け合わなきゃいかんよw

78 :名無しさん@3周年:04/10/18 04:38:50 ID:xJnZv67I
「スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する」
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50
みんな、もう、ブッダ(釈尊)のことばへ帰ろう。

79 :名無しさん@3周年:04/10/18 16:35:00 ID:U7iOGBow
一つ、御聞きしたい、釈迦の真理の説法は、座禅瞑想の内縁起での自我の消滅にあるのでは?
是非に電波氏のお答えが御聞きしたいです。
当然ですが病状が良ければばの話ですが。

最近気がついたんだけれど、座禅瞑想を個人でするのは危険で、ちゃんとした
禅師について行わないと行けないと以前から聞いていたが、分かった気がする。
座禅妄想すると言う事の最終段階は、内縁期の消滅に有るのだと。
つまり、外側ではなく、内側の自我の消滅である、自我か消滅すれば、五感も消滅するし、己の
存在自体存在しなくなる、感じなくなると言う状態であろう。
だから、外界からの五感への刺激も内部へ伝わらない。仏教の説話の中にこれを思わせる説話が
よく出てくる。

瞑想し、内面の自我の存在を消滅させるのだから、これは、精神的にかなり危険な行為と
言わざる終えない。
釈迦が最後の瞑想で、悪魔と戦ったと言うのは、この内縁期の消滅への戦いを、説話化されたものだろう。
だから、瞑想してる本人は自分の存在も感じていない状態になってると言う事が考えられる、自我が
消滅してしまうのだから。

他者から見れば、座禅の行者がいることは当然見えているが、本人は存在を感知していない。
当然、すべての苦悩から開放されている、苦悩を受諾する自我の存在が消滅しているのだから。
しかし、疑問は、その自我の消滅した瞑想状態から、自らリアルな状態に、どうして戻りえるのか?
そこは、まったく想像すらできない。
自我が消滅して、完全な空の状態になった心で、何も感じる事ができないはずなのに、どうやって
瞑想から、リアルな状態へ自ら戻れるのか、論理が建たない。
今の私では、論理的に説明できる知識も資料も何もない。
だから、素人が勝手に座禅瞑想をする事が危険だと負われるところだろう。
自我の消滅に耐えることは大変な事だと思う、恐怖、不安、苦悩、色んな物を
正常に克服していかないといけないんだから、精神がもたないたない人がいてあたりまえだと思う。

80 :名無しさん@3周年:04/10/18 16:42:23 ID:U7iOGBow
もし、釈迦が説いた真理が、この瞑想での内縁起での自我の消滅にあるのであれば
仏教の経典の真理は、釈迦に担保される必要はない事になります。
この自我の消滅を成し遂げた出家行者に担保され、又、内縁起での自我の消滅に担保されているかれでしょ。

81 :277男:04/10/18 16:55:30 ID:pY/23FeB
>>79
電波氏は25日の締め切りに追われておられるようで、その後のご回答になると思います。
私も明日ぐらいから暫く発言できません。ですので少し安心材料を。

>しかし、疑問は、その自我の消滅した瞑想状態から、自らリアルな状態に、どうして戻りえるのか? 
>そこは、まったく想像すらできない。 
>自我が消滅して、完全な空の状態になった心で、何も感じる事ができないはずなのに、どうやって 
>瞑想から、リアルな状態へ自ら戻れるのか、論理が建たない。 
>今の私では、論理的に説明できる知識も資料も何もない。 

これについては明確な回答が論書によって残されています。六足発智や婆沙論、瑜伽師地論にもありますが、
無矛盾に簡潔に説明しているのが世親の成業論です。瞑想と言う実践を絡めてどう説明していただけるか
見ものですが、キーワードは無想定と滅尽定、そして心相続です。


82 :名無しさん@3周年:04/10/18 20:51:47 ID:0qaHEF+c
>80

自我にも二種類あると思います。
「我と彼」の、「見る、見られる関係」で言うところの自我は、バラモン教で
言う「アートマン」ではありません。アートマンは、「然らず、然らず」という
風に否定でしか表現できないもの、「我と彼」に二分化する以前のもので、日常
では自覚できないものです。
バラモン教は、「我と彼」のレベルの自我を消すことによって、アートマンの存在
を自覚し、またそれが宇宙に遍満するブラフマンと同質だと悟ることを教える。

釈迦は、このバラモンの教説に対して異を唱えたのですが、アートマンもまた縁起
の法によって生滅するかりそめの存在だ、と主張したとされています。だから、
「自我の消滅」と言っても、瞑想で消し去る日常的自我のことではありません。

83 :82:04/10/18 21:10:16 ID:0qaHEF+c
結局、自我を滅しきっていくと、最後に何もかもなくなる虚空状態になるので
はなくて、「本来の自己」と出会うということなのでしょうね。バラモン教では
それをアートマンと呼び、禅では「父母未生前の自己」とか「不生の自己」
とか呼ぶ。

では、釈迦はなぜ苦行を極めても悟りきれず、中断してしまったか、ですが、
「自己を滅しよう」という努力をする主体もやはり自我なわけで、その努力
さえも消し去らなければ、本当に自我を消滅したことにならないわけですね。
禅でも、悟りを求めて座っている限りは悟れない、と教えるそうです。修行を
積み重ねて悟りに至るというのは間違いなのだそうです。

この辺、共通点があって面白い。

84 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/10/18 21:56:07 ID:UE94dW/f
>>83
と言う事は禅の思想とバラモン教は類似してて、
禅の思想と釈尊は乖離していると言う事ですね。

>禅では「父母未生前の自己」とか「不生の自己」とか呼ぶ。

↑こう言う事を言い出すようになると
釈尊(仏教の原理思想)からどんどん離れて行くような気がします。

85 :実行委員長:04/10/18 22:06:48 ID:J/z/C9yw
三結を断ずる思考とシステム プロセスが大事です。

その技術を私は持っています。

86 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/18 22:09:05 ID:JRdLe97T
>>84
> >>83
> と言う事は禅の思想とバラモン教は類似してて、
> 禅の思想と釈尊は乖離していると言う事ですね。
>
> >禅では「父母未生前の自己」とか「不生の自己」とか呼ぶ。
>
> ↑こう言う事を言い出すようになると
> 釈尊(仏教の原理思想)からどんどん離れて行くような気がします。
あるいは「無我の我とか「本来の自己」とかいう朦朧言説・・・。


87 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/10/18 22:37:09 ID:UE94dW/f
阿呆陀羅経さん、ご無理なさらず養生して下さいね。
まぁでもこのスレ見ていると、お元気そうで何よりです。

そうそう「無我の我」とか「本来の自己」とかそういうのもよく耳にしますね。
特に自己啓発団体やカルト団体等が洗脳の手段に利用しているようですね。

よく「無我(我がない)」ではなく「非我(我ではない)」だと言う意見も聞きますが
「○○は我にあらず」と言った場合その言裏に「○○は我ではないが、本来の我は
絶対的に存在している」と言うような罠が仕掛けられているような気もしますね。

88 :名無しさん@3周年:04/10/18 22:47:35 ID:12G/3W7l
>>84
どんな読解力だ?

89 :名無しさん@3周年:04/10/18 22:51:03 ID:k548T/s2
「スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する」
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50
みんな、もう、釈尊の言葉へ帰ろう。

比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、
心配や非泣を乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、聖なる道を得るため、
涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。
                              (念住経より)

苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
観法の咎めとならん 貴の咎めなり
               (仏史より)


90 :名無しさん@3周年:04/10/18 22:57:47 ID:/xlslJc5
笑わせてくれた人に乳晒すよ♪
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/news/1098106610/
1 名前:優香16歳◆qIyuKaRIN 投稿日:04/10/18 22:36:50 ID:wkCEfvQr
優香がホンキで面白かったと思う人だけだよ

2 名無しさん@お腹いっぱい。 :04/10/18 22:37:12 ID:sou2jGCn
↓4様

3 名前:猫男爵 ◆CATe2wkeew 投稿日:04/10/18 22:37:13 ID:O0g/qbVs
うぉーマジかーーーーーー

91 :79です:04/10/19 02:28:44 ID:dSIixTGN
>>81
>電波氏は25日の締め切りに追われておられるようで、その後のご回答になると思います。
私も明日ぐらいから暫く発言できません。ですので少し安心材料を。

有難うございます、ちょっと用事で外出していましたので、御礼が遅れて申し訳ございません。
しばらく、待たせていただきます。

92 :名無しさん@3周年:04/10/19 03:14:04 ID:J2PWV6y3
悟るのは密教以外では難しいんだろうなあ、と思う。
このスレである種のものの存在を否定している生臭仏教の坊さんたちのレスを読むとそう感じる。
密教と言っても仏教系のやつはほぼ全部ダメだけどね。

93 :名無しさん@3周年:04/10/19 07:14:24 ID:w/Fxyk6b
>>92
このスレに生臭坊主が発言していると断定するところに、あなた自身の限界と愚かさを告白しているのだ。

「悟り」の定義すら曖昧であり仏教系のものは全部ダメだときた。まともな思考していないのですね。

94 :82:04/10/19 08:42:22 ID:GpHd4lSx
釈迦は、バラモン教の教義がありきの状態でそれに異を唱えたので、仏教経典
だけを独立に取り上げて解釈するべきではないと思います。具体的には、本当に
「アートマン」という、輪廻の主体、肉体とは独立した霊魂のような不滅の存在
を全面否定したのか。釈迦が「肉体だけが自我で、死ねば消えてなくなる」と
いう「断見」とともに、「アートマンこそが不滅の自我だ」という「常見」も
肯定しなかった(正確には回答を留保した)話は有名です。

もし、バラモン教が主張するアートマンが存在しないのなら、「常見」をその
場でばっさり否定すれば足りるはずで、裏読みすれば、やはり輪廻の主体になる
ような「何物か」が死後にも存在するということになるでしょう。ただ、それに
囚われてしまうと、それが足かせになって自我を消滅しきれない。肯定も否定も
不可、ということになれば、残された手としては「無記」として棚上げするしかない。

西欧にウパニシャッド哲学が紹介されたのは、18世紀以降のことですが、それより
も数百年遡って、ドイツのマイスター・エックハルトやヤコブ・ベーメといった
人々が、キリスト教からのアプローチではあるものの、「自我を滅することで神
に出会う」ことを説いています。その記述は、ウパニシャッドや禅と驚くほど一致
しています。

95 :82:04/10/19 09:14:54 ID:GpHd4lSx
釈迦が生きた時代は、商工業の発展とともに諸国が富国強兵に努めて、弱肉強食
時代が始まろうとしていました。年代的にはちょっとずれますが、バガヴァット
ギーターでは、戦争で殺人を犯すことに躊躇するアルジュナに対して、クリシュナ
は「アートマンは不滅、不穢だから、神への忠信を持ってさえいれば、殺人も正当化
される」と読み取れるようなレトリックで説得します。つまり、肉体的な自己は仮の
自己にすぎないから殺してもよいなど、教義を戦争の正当化に利用しているふしが
あります。ちょうど、地下鉄サリン事件でオウムが使った「ポア」による正当化と
同じ詭弁が使われている。これは、相手が誰であろうとも、その理由が何であろうとも
殺人はいけない。人を殺めるくらいなら無抵抗で殺された方がましだ、という釈迦の
教えと真っ向から対立します。

釈迦が否定したカースト制度とともに、この種の「宗教を悪用した政治支配の強化」
に反発するために、釈迦はあえてバラモン正統派に異を唱えたのではないか、と解釈
することも可能だと思います。

96 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 09:32:24 ID:RiB5mfsd
>>94
> 釈迦は、バラモン教の教義がありきの状態でそれに異を唱えたので、仏教経典
> だけを独立に取り上げて解釈するべきではないと思います。具体的には、本当に
> 「アートマン」という、輪廻の主体、肉体とは独立した霊魂のような不滅の存在
> を全面否定したのか。釈迦が「肉体だけが自我で、死ねば消えてなくなる」と
> いう「断見」とともに、「アートマンこそが不滅の自我だ」という「常見」も
> 肯定しなかった(正確には回答を留保した)話は有名です。
どちらもつまりは「疑似命題」として退けられたのであると考えます。
>
> もし、バラモン教が主張するアートマンが存在しないのなら、「常見」をその
> 場でばっさり否定すれば足りるはずで、裏読みすれば、やはり輪廻の主体になる
> ような「何物か」が死後にも存在するということになるでしょう。
「有業報而無作者。」雜阿含經卷第十三)(三三五)
>ただ、それに
> 囚われてしまうと、それが足かせになって自我を消滅しきれない。肯定も否定も
> 不可、ということになれば、残された手としては「無記」として棚上げするしかない。
これらの形而上的独断がいかにして生起するかは原始佛典の各所に説かれていると
思いますが。
> 西欧にウパニシャッド哲学が紹介されたのは、18世紀以降のことですが、それより
> も数百年遡って、ドイツのマイスター・エックハルトやヤコブ・ベーメといった
> 人々が、キリスト教からのアプローチではあるものの、「自我を滅することで神
> に出会う」ことを説いています。
原始佛教思想における「滅」の語義についてご注目下さい。
>その記述は、ウパニシャッドや禅と驚くほど一致 しています。
かといってこれらの見解が真実である保証には何らなり得ません。

97 :82:04/10/19 09:45:20 ID:GpHd4lSx
>83

レスをありがとうございます。

「滅」というのは、四諦でいう「滅」のことでしょうか。
確かに、釈迦は四諦を説いて「発生するものは、縁起の法によってかりそめに
そこに在るだけで、やはり縁起の法によって滅するのだ」と教えていますが、
それは「発生するものは滅する」というだけで、アートマンのように「不生」
のものには適応できません。また、釈迦は死後の世界などの形而上学について
論じることを拒否しましたが、もし四諦をもってアートマンを否定するとなると、
自ら形而上学に介入するという自己矛盾を犯すことになります。

四諦から導き出されることとは、「自分達が知っているこの世のすべてのものは、
縁起の法によって生滅を繰り返しているので、他ならぬ自分達の肉体もそうなのだ。
だから、かりそめの自分を大切にするあまり、欲に囚われて苦を自ら作り出すような
愚かな生き方はやめようね」という提言にすぎないと思います。

>かといってこれらの見解が真実である保証には何らなり得ません。

これはその通りですが、複数の人が独立に経験から導き出したものを否定する
こともまた不可能だと思います。というよりも、釈迦の立場を厳密に貫くならば、
「私は答えない」ないし「私には関係がない」と言うべきで、「そんなものはない」
と断定するべきではないと思います。

98 :82:04/10/19 09:52:41 ID:GpHd4lSx
すみません。97は>>96の誤りでした。

99 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 10:10:58 ID:8kNE/zQC
>>97
> >83
>
> レスをありがとうございます。
>
> 「滅」というのは、四諦でいう「滅」のことでしょうか。
「自己の消滅」ないしは「自己を滅する」などと使用されておられる場合の「滅」です。
原始佛教思想の文脈では「消滅」といったニュアンスでは使用されないと思います。
> 確かに、釈迦は四諦を説いて「発生するものは、縁起の法によってかりそめに
> そこに在るだけで、やはり縁起の法によって滅するのだ」と教えていますが、
> それは「発生するものは滅する」というだけで、アートマンのように「不生」
> のものには適応できません。また、釈迦は死後の世界などの形而上学について
> 論じることを拒否しましたが、もし四諦をもってアートマンを否定するとなると、
> 自ら形而上学に介入するという自己矛盾を犯すことになります。
ブッダが「」不生のアートマン」なるものを承認した形跡は管見する限りありませんし、そうした見解
を導出する教法の存在も存じません。原始佛教はウパニシャッドなどの形而上学とは無縁に教理
を展開しています。

> 四諦から導き出されることとは、「自分達が知っているこの世のすべてのものは、
> 縁起の法によって生滅を繰り返しているので、他ならぬ自分達の肉体もそうなのだ。
> だから、かりそめの自分を大切にするあまり、欲に囚われて苦を自ら作り出すような
> 愚かな生き方はやめようね」という提言にすぎないと思います。
「すぎない」どころか原始佛教思想の核心であり、基礎でしょう。

> >かといってこれらの見解が真実である保証には何らなり得ません。
> これはその通りですが、複数の人が独立に経験から導き出したものを否定する
> こともまた不可能だと思います。というよりも、釈迦の立場を厳密に貫くならば、
> 「私は答えない」ないし「私には関係がない」と言うべきで、「そんなものはない」
> と断定するべきではないと思います。
一体誰が断定しましたか。そんな断定こそ虚偽論ですよ。

100 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 10:19:33 ID:8kNE/zQC
形而上的見解ないしはそれに基づく独断への執着希求が苦の因でもあるわけで、その生起の
しくみがパーりの『梵網経』漢訳『梵動経』などに詳述されていたと思います。
原始佛教思想と形而上的見解を牽強付会な解釈を用いて連結しようとする傾向が後を絶ちませ
ん。遺憾なことに思います。

101 :名無しさん@3周年:04/10/19 13:14:44 ID:OVbsT611
瞑想における最高の境地が、作られず、生まれず、滅しないものであるとの
ブッダの言葉はどのように考えるべきでしょうか。

102 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 13:24:15 ID:t/lgfcpm
>>101
> 瞑想における最高の境地が、作られず、生まれず、滅しないものであるとの
> ブッダの言葉はどのように考えるべきでしょうか。
それが「不生のアートマン」にごときものと連結できる、思想的論理的文献的根拠を管見した
ことがありませんし、表現やレトリックの類似相似を思想的同一性の証明とすることは不可
能ですし、厳に慎むべき独断と考えます。


103 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 13:28:48 ID:t/lgfcpm
「諸法無我=一切法無我」が有漏・無漏、有為・無為すべてにトレースされることを
お含み置き下さい。諸行無常と一切行苦は有漏と有為に適用されます。

104 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 13:41:04 ID:t/lgfcpm
確かに原始佛典では形而上的「アートマン」の有無については判断を下しておりません。しか
しそれにつけこんで、こうしたアートマン説を肯定しているように言いつのるのは詭弁もいいと
ころですし、「無記」の意図を無視したトンデモです。原始佛教に常見を説かせないと何か都合
の悪いことでも生じるのでしょうかね。

105 :名無しさん@3周年:04/10/19 14:09:55 ID:GLNaR3Xt
>>104
まぁまぁそんなにつっかからないであげて下さいな。
「無記」から「アートマン肯定」を導出する論法の虚偽には、ここに出入りしてる
人たちならすぐに気付く事ですから。

それよりも>>97にある
>四諦から導き出されることとは、「自分達が知っているこの世のすべてのものは、
>縁起の法によって生滅を繰り返しているので、他ならぬ自分達の肉体もそうなのだ。
>だから、かりそめの自分を大切にするあまり、欲に囚われて苦を自ら作り出すような
>愚かな生き方はやめようね」という提言
こっちの方を重視しましょうよ。これ、良い事書いてると思います。

罵り合いは体によくない、心にもよくない。
ひょっとしたら苦を生む因かもしれない(違うかもしれんけど)。

106 :82:04/10/19 14:13:58 ID:GpHd4lSx
>阿呆陀羅經さん

阿呆陀羅經さんが、「アートマン」のような常住の自我を否定される気持ちは
よくわかるつもりですよ。新興カルト集団の輩がここでもウヨウヨしています
からね。ただ、虚心になって見ると、法華経で言う「如意宝珠」にせよ、禅で
言う「本来の自己」にせよ、結局のところは、ウパニシャッドの「アートマン」
に一致してしまうように見える。私はこの道はド素人で、中央公論社の『原始仏典』
を一通り通読した程度の知識しかないのですけど、それにしても「アートマン」
は「仏性」に似ている。そう思ったものだから、ちょっと仮説を書いてみたのです。

ひとつだけ、教えていただきたいことがあります。
釈迦の教えは、「抜苦与楽」のために説かれたとされます。しかし、現世の快楽を否定
してアートマンだけを求めよ、とバラモン教でも教えていますし、端的な話、「死んで
肉体の自己が滅びても、アートマンは永遠に生き続ける」という教えだけで、
死の苦しみは解決できると思います。四諦や十二縁起を持ち出さなくても、「現世は仮の
世界、人間の本質は永遠に生き続ける」ではなぜダメなのでしょうか。

また、ジャイナ教の教えは、仏教と瓜二つのように私には見えます。強いて違いを
挙げれば、ジャイナ教が苦行一本やりであるのに対して、仏教が中道を説いている
こと位でしょうか。四諦や十二縁起というのは、単なる「この世は無常」の説明で
あって、ジャイナ教などとの決定的な違いにはなりえないと感じるのですが。

107 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 14:20:43 ID:+yDYKodb
>>105
> >>104

> >四諦から導き出されることとは、「自分達が知っているこの世のすべてのものは、
> >縁起の法によって生滅を繰り返しているので、他ならぬ自分達の肉体もそうなのだ。
> >だから、かりそめの自分を大切にするあまり、欲に囚われて苦を自ら作り出すような
> >愚かな生き方はやめようね」という提言
> こっちの方を重視しましょうよ。これ、良い事書いてると思います。
いくらなんでも 「すぎない」はひどいと思いますが。

> 罵り合いは体によくない、心にもよくない。
罵ったつもりはありません。今までさんざん書いたことの繰り返しですので。伝票打ち込みのような
事務的作業でした(苦笑)。

108 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 14:35:03 ID:+yDYKodb
>>106
> >阿呆陀羅經さん
>
> 阿呆陀羅經さんが、「アートマン」のような常住の自我を否定される気持ちは
> よくわかるつもりですよ。新興カルト集団の輩がここでもウヨウヨしています
「否定」ではありません。度外視し思考思索の範疇から排除しているだけです。
> 四諦や十二縁起を持ち出さなくても、「現世は仮の
> 世界、人間の本質は永遠に生き続ける」ではなぜダメなのでしょうか。
「永遠の生存」への執着渇愛が無窮に再生産されるだけで、「苦の滅」には何ら資しません。
> また、ジャイナ教の教えは、仏教と瓜二つのように私には見えます。強いて違いを
> 挙げれば、ジャイナ教が苦行一本やりであるのに対して、仏教が中道を説いている
> こと位でしょうか。四諦や十二縁起というのは、単なる「この世は無常」の説明で
> あって、ジャイナ教などとの決定的な違いにはなりえないと感じるのですが。
ジャイナ教のような霊魂(ジーヴァ)論を佛教では説きません。それとジャイナ教と佛教は
無常などの理解も異質ですので、類似点を強調するのは如何なものかと考えます。

109 :名無しさん@3周年:04/10/19 14:38:12 ID:OVbsT611
>「死んで肉体の自己が滅びても、アートマンは永遠に生き続ける」という教えだけで、
>死の苦しみは解決できると思います。

それはありえん。教えだけということは、言葉だけ、経典だけ、説教だけということだ。
頭の中だけで「俺は本当は永遠に行き続けるんだ〜」と信じたとしても、それは何ら
真実とはいえまい。

「現世の快楽を否定してアートマンだけを求めよ」って言っても、一体どうやって求める
というのか?アートマンは知られざるものである。感覚器官では捉えられないのだ。
捉えられるなら、それはアートマンではない。
だからどうやって修行するのかが、重要だ。四諦、十二因縁を単なる教説と見なすなら、
修行の方法は失われていることになる。

110 :名無しさん@3周年:04/10/19 16:51:00 ID:TSPqA8DX
ブラフマン

111 :名無しさん@3周年:04/10/19 20:21:32 ID:VYE6QqbE
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ

↑自分では、胎生ではなく忽然と出現する化生のものだと、

 頑固に信じている。

112 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/19 21:37:21 ID:tQSO1ZOe
私の場合、無我については「佐倉哲エッセイ集」をみてわかった気になりました。

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html
このページの半分より更に下にある表(TABLE)は、実に要領よくまとめてあると
思いますし、

無我の思想--- 仏教のアートマン(永遠不変の魂)否定 ---
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_0.html

このページの説明は、説得力があるように感じたのですが、
本スレの諸兄に置かれましては、どのような感想を持たれているのでしょうか?


113 :名無しさん@3周年:04/10/19 21:48:52 ID:OVbsT611
これはヨーガ行者さんのHPからだが。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/sanatana/Buddha2.html

114 :名無しさん@3周年:04/10/19 21:55:32 ID:dxtAH3xv
>>112

> このページの説明は、説得力があるように感じたのですが、
> 本スレの諸兄に置かれましては、どのような感想を持たれているのでしょうか?
特に異論はありません。妙な佛教書を読むより遙かに有益ではないかと考えます。


115 :名無しさん@3周年:04/10/19 22:11:50 ID:dxtAH3xv
>>113
五蘊無我説からウパニシャッド説への強引な連結はよく見る手法です。
「五蘊ないし十二処=一切」というのが原始佛教の教理が扱う範疇であ
り、そこから外れることは「境界に非ず」として「無記」の対象となります。



116 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 22:12:46 ID:dxtAH3xv
>>114
>>115は私のレスです。


117 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/19 22:42:07 ID:tQSO1ZOe
> 特に異論はありません。妙な佛教書を読むより遙かに有益ではないかと考えます。
阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

ただ、佐倉さんのサイトをみると、まさに、
>>114
> 「五蘊ないし十二処=一切」というのが原始佛教の教理が扱う範疇であ
> り、そこから外れることは「境界に非ず」として「無記」の対象となります。
こんな感じで、釈迦は超リアリストで形而上の問題は、一切扱わなかったとの印象を受けます。

しかし、経典には
南伝 律蔵大品 1
漢訳 四分律 三二

次第をおうて法を説いた
・布施
・持戒
・生天の法
・欲楽のわざわい
・出離の功徳

と、「生天の法」という来世のことを説いたとあったり、
スッタニパータのコーカーリヤで紅蓮地獄の話がかいてあったり、
ジャータカ物語 〜お釈迦さまの前世物語〜 が有ったりするので、
これらが方便や後世の創作なのか、
釈迦自体、転生(無我転生?)といったものを説いていたのか知りたいと思っています。


118 :栗花 馨:04/10/19 23:05:18 ID:OdNKioVz
密教に入信し修行を続けたとの主張。
幻覚に悩まされたとの告白。
入信時の誓いをやぶり落伍。
このような経験を持つ人の特徴

幻覚に悩まされた時点ですでに機能が破戒され支配されています。

明治の時にお寺と神社は分けることが行われてしまいました。
その時に鎮まっていた霊体で行き場を失ってしまったものが沢山あります。
新興宗教の活動を支配してしまった霊体もあります。
またキリスト教の教会活動を支配している霊体もあります。
それらの多くは動物の霊体が正体です。
まだまだ宙ぶらりんの動物霊が多くつけこまれるときけんです。
やはり、処世はきれいごとだけではなくチカラも知っている必要もあります。
上にぼおっとただよい浮かんで神と仏を同じ場所で供養していた理由が霊体を鎮めることだったのが、
明治の時代に国家神道のため焼かれ壊されてしまった結界があります。
そこに長く鎮まっていた動物の霊体が落ち着く場所がなくなり、
その多くがさまようことになりました。
さまよう霊体の芯にある実体をみれば「陽」の性質をもっています。
じめじめした陰の気を回りに引き寄せ、陰気な場所を好みます。
人に対しては同情心のある人を好みます。性格の激しい人でも同情心ががれば近づきます。
人の中に入り込むことはあまりなく、耳の窪みやうなじの側また鎖骨の窪みにいます。
そういった動物の霊体は教会や新興宗教の祭壇や本尊に落ち着いたものもあります。
霊場で修行に入ったばかりの人などの
居心地のよい個人のそばにいる場合もあります。
自己の存在を偽っていることがおおいです。

119 :栗花 馨:04/10/19 23:06:48 ID:OdNKioVz
モニターと人間・・・
その後ろは霊体を凄く引き寄せやすいフィールドなのです・・・
安易な同意によって、
幻覚で機能が破壊され修行の場にいた霊体に支配されている相手と
おなじ霊体に入り込まれたりします。もう仲間ですか?

修行に挫折した霊体です。修行へ願望がつよい、挫折意識からの宗教組織への排他衝動。
特徴です・・・・・
釈迦の中道を歩みましょう。

初期の仏教と初期のジャイナ教が密接に連関しているということ。
教えや修行についての形態が良く似ている。
共通の宗教的表現の用語について両宗教をてらしあわせていくことで十分な理解ができる
初期仏教の理解には初期ジャイナ教の理解が必要で、
初期ジャイナの理解には初期仏教の理解が必要あるということです。
すなわち、両宗教は同じ基盤をもち同じ文化的宗教的母胎より発生したということです。

初期仏教・初期ジャイナ教は共通の宗教的文化的母胎から発生しているのです。
その母胎からきている影響といえます。

汚染ではありません。



120 :栗花 馨:04/10/19 23:08:02 ID:OdNKioVz
長年マツラレル場所に鎮まっていた古い魂をもつ動物の霊体が非常にあぶないです。
神の名をかりて鎮まっていたものもあります。生木に封じられていたものもあります。
バブル時の開発で落ち着き場所また行き場所が亡くなってしまったものもあります。
今は、その実態がおどろおどろしくなってしまったものが多いので
話すと陰気を集めてしまいます。しかし、それが現実なのです。
処刑場の首切り石をマツッテあったはずの場所が時の流れにつれて
忘却され、近年の開発でその場所が壊されてしまったところもあります。
ここに封じられ鎮められていたのは、転生できない霊体の集まりで
斬られる瞬間の血の引く冷や汗の瞬間が
重なり合ってひとつの災いをもたらす存在になっています。

有名な残虐な事件はこの存在が移動して起こしています。

斬られる瞬間の血の引く冷や汗の瞬間がたくさんつまった
処刑場の首切り石には、線彫りで仏のすがたが彫られて鎮まるように封じられていました。
しかし、そこの土地の開発が行われ重機によって割られてしまいました。
おかしな因縁でちょうど仏の首のところで割れてしまい、
仏様が断頭されたかのようでした。

非常にあぶない長年マツラレル場所に鎮まっていた「古い魂をもつ動物の霊体」は
個人の精気を吸い喜びますが、(普通の動物霊とはちがいます。)
斬られる瞬間の血の引く冷や汗の瞬間が
重なり合った「ひとつの災いをもたらす存在」は凶悪事件を引き起こしています。

原始仏教にはその解決方法があるのです。
実践していきましょう。釈迦の中道をあゆみましょう。仏典はその地図にすぎません。
釈迦の中道をあゆみましょう。

121 :栗花 馨:04/10/19 23:21:25 ID:OdNKioVz
釈迦自体の輪廻転生は、電波男が逃げて終了っと。
そんなことより締め切りが近いので校正作業に入ります。

生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない 。
生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない
生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない




122 :このスレは「見世物小屋・栗花病棟」ではありません!:04/10/19 23:25:38 ID:Bcr2B6hf
栗花 馨汚染警報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
     ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。
     連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容:独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
     原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
     レス内容に注意してください。



123 :名無しさん@3周年:04/10/19 23:33:10 ID:KxFHp444
人が迷いの生にあるうちは、輪廻はある。
但し、実体としてではなく。
だからこそ、釈迦は四つの聖なる真理という、最初の法の輪を転じて、
人々に苦しみからの解放、それは、輪廻からの解脱を説いたのだ。


124 :名無しさん@3周年:04/10/19 23:43:20 ID:OVbsT611
>>115
「こういう論法はよくあることです」ではまったく反論になってないでしょう。

ウパニシャッド哲学(ヤージュニャヴァルキア)では「これは「ネーティ、ネーティ
(これではない、これではない)」と探求することで本当のアートマンが知られる
そうです。

仏陀が五蘊ないし十二処という一切世間を「これは我に非ず、かれは我に非ず」
と探求するなら、本質的にウパニシャッドと似ているし、そういう探求の仕方をしない
なら似ていないというだけのことです。

125 :名無しさん@3周年:04/10/19 23:43:36 ID:QNCaMeF9
さわらぬキチガイであっても
勝手に電話してくるので
まったく
たちが悪い
根性あるなら
ホンマに
逝ってみろっての
ヘタレが

126 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 00:03:39 ID:zdnuvlq6
>>117

> と、「生天の法」という来世のことを説いたとあったり、
それを死を基軸としたものに限定して捉えると真意を見失います。
「天」にせよ空間的実在として説かれているわけではありません。
> スッタニパータのコーカーリヤで紅蓮地獄の話がかいてあったり、
> ジャータカ物語 〜お釈迦さまの前世物語〜 が有ったりするので、
> これらが方便や後世の創作なのか、
コーカーリヤ(コーカーリカ)がどのような人物として伝承されているか注意する必要があ
ります。彼はデーヴァダッタの同志としてサンガの分裂に加わり、破僧後、味方の比丘を
サーリプッタとモッガラーナの説得で復帰させられ、二人に対して怨恨を抱いていたと思
われます。経典を伝承した「正統派」にすれば無論極悪人であり、当然「地獄」に堕ちてもら
わなければなりません。そのコーカーリカの章の詩句、
706 凡夫は欲望と貪りとに執著しているが、眼ある人はそれを捨てて道を歩め。この(世の)地獄を超えよ。
と「地獄というのはこの世の邪まな生活やそのもととなる妄執をいうのである。」という註釈が注目されます。
> 釈迦自体、転生(無我転生?)といったものを説いていたのか知りたいと思っています。
このスレッドでも過去に論じられましたが、「無記」「捨置答」の範疇内であると理解しています。


127 :栗花 馨:04/10/20 00:12:04 ID:SWsy5Qdv
釈迦自体の輪廻転生は、アホダ−が図星でムッキー!!して終了っと。
そんなことより締め切りが近いので校正作業に入ります。

生まれること(輪廻転生)は尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けること(輪廻転生)はない 。
生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない
生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない



128 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 00:25:32 ID:zdnuvlq6
>>124
> >>115
> 「こういう論法はよくあることです」ではまったく反論になってないでしょう。
>つまりは、ブッダは「アートマンは存在しない」と明言していないからアートマンは存在
するのだというようなすり替え詭弁論法のこと。
> ウパニシャッド哲学(ヤージュニャヴァルキア)では「これは「ネーティ、ネーティ
> (これではない、これではない)」と探求することで本当のアートマンが知られる
> そうです。
原始佛典でそんな主張が説かれてている箇所を未だ管見せず。
> 仏陀が五蘊ないし十二処という一切世間を「これは我に非ず、かれは我に非ず」
> と探求するなら、本質的にウパニシャッドと似ているし
何かの存在を予断して探究しているわけではない。
、そういう探求の仕方をしない なら似ていないというだけのことです。
つまりは似てませんな。
探究手法の類似が思想内容の相似の証明には何らなり得ない。 問題になっているのは
あくまで思想内容。


129 :栗花 馨:04/10/20 00:41:25 ID:SWsy5Qdv
116 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/19 22:12:46 ID:dxtAH3xv
>>122
>>125は私のムッキーです。



130 :栗花 馨:04/10/20 01:00:09 ID:SWsy5Qdv
釈迦自体の輪廻転生は、アホダ−が図星でムッキー!!して終了っと。
そんなことより締め切りが近いので校正作業に入ります。

生まれること(輪廻転生)は尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けること(輪廻転生)はない 。
生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない


131 :名無しさん@3周年:04/10/20 01:30:43 ID:ePEA2xku
ヤージュニャヴァルキアにしろブッダにしろ、思想を探求していたのではなく
解脱を探求していたと思いますが。そして解脱というのが真実の自己を悟ると
いうこともまた共通の了解ではなかったでしょうか。
ブッダは女を探し回る在家の青年ヤサに向かって「女を探すのと、自己を探すの、
どちらが大切か?」と言って呼び止めたそうです。そういう呼びかけに応えられる
ということ自体、真実の自己を探求することが大切だという共通の精神文化の
土壌あってのことでしょう。
これは我に非ずかれは我に非ずと否定していくのは、解放のための実践で
あって、頭の中の知的お遊戯ではないということです。
そのレベルで似ているというだけであって、ウパニシャッドと仏教が思想内容で
似ているというのではありません。

132 :名無しさん@3周年:04/10/20 01:36:32 ID:ePEA2xku
ヤサはまた別のお経だたった。

133 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/10/20 01:39:49 ID:9NA6n9Dc
>>117
以前に電波男さんが何度もおっしゃっていますが、釈尊の説法は「対機説法」
「応病与薬」なんで誰に対して説法しているかが重要になって来ます。
外道、一般在家、在家の仏教徒、出家の弟子等々、またそれらの人々の個性
それぞれに応じて適切な説法をなさっているようです。
ですから仏典にあるからと言って無批判に真実だと思い込むのではなく、
何が釈尊の真意かどうかを考えるのがこのスレの主旨でもあるのでしょう。

それと82さんのご意見でウパニシャド的なアートマン説を採用して幸福だと思える
人がいるのならそれはそれで個々人の信仰でしょうから何ら問題はありません。
ただ仏教(釈尊)はそういう方法論で幸福(涅槃)を求めないと言う事です。
ですからアートマン説を採用したい人は仏教と決別すれば良いだけの話でしょう。
問題なのは仏教と名乗りながらアートマン説を主張する輩が古来より大勢いる事です。
世界中の伝統仏教教団・仏教学者の中にもそう言う方はたくさんいるんですよ。

134 :名無しさん@3周年:04/10/20 03:18:49 ID:ty6ii2gr
自演

135 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/20 08:04:59 ID:RrZTeLRm
>>134
下らないことでスレを浪費するな。今度はベロさんに自演疑惑か。。。。。

========================================
バラモン教とそれが純化していく仮定でのウパニシャッドを当時の思想の
枠組みとして捉える人たちがいます。佐保田氏はそのさいたる例であるが、
相対例として仏教を捉えても原始仏教は見えてきません。仏教が堕落して
いったのと同じ道を辿ることになります。

アートマンにかんする存在については言及していないだけではなく、
【執着すべきアートマンがあるという説】=(梵我一如など)を真っ向から否定
しています。この「説の否定」と「存在の否定・肯定」とは別に考えるべきなの
です。

十四無記に関しては、その両極端の記述内容を吟味分析して分類すべき
であって、一様に「ある・ない」の両極で考えてしまうと真意を見失います。
上記のような「説」や「見解」についての無記答があるのですから。そして
記述内容についてそれぞれ無記である意味を知るべきです。

そのように順を追って考察していけば、「無記であるが存在していないわけでは
ないので、その存在そのものを考えるべき」などの珍結論は原始仏教をかたる
コンテキストでは出てこないことが理解できるでしょう。

136 :名無しさん@3周年:04/10/20 08:16:03 ID:ty6ii2gr
自演いいわけ乙

137 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 08:30:17 ID:X7ZAofEv
>>131
> ヤージュニャヴァルキアにしろブッダにしろ、思想を探求していたのではなく
> 解脱を探求していたと思いますが。そして解脱というのが真実の自己を悟ると
> いうこともまた共通の了解ではなかったでしょうか。
寡聞にしてヤージュニャヴァルキヤ自身の解脱や解脱知見の教説を管見したことがありません。
「絵に描いた餅」では。
> ブッダは女を探し回る在家の青年ヤサに向かって「女を探すのと、自己を探すの、
> どちらが大切か?」と言って呼び止めたそうです。そういう呼びかけに応えられる
> ということ自体、真実の自己を探求することが大切だという共通の精神文化の
> 土壌あってのことでしょう。
結論は共有しておりませんし、探究の前提も明らかに異質です。
> これは我に非ずかれは我に非ずと否定していくのは、解放のための実践で
> あって、頭の中の知的お遊戯ではないということです。
形而上的見解に基づく独断−絵に描いた餅−を巡る無益な水掛け論(戯論)−知的遊戯−をブッダは
根底から否定したと考えます。



138 :このスレは「見世物小屋脳病院・栗花病棟ではありません」:04/10/20 08:43:20 ID:X7ZAofEv
栗花 馨汚染警報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。 http://etc3.2ch.net/denpa/
      ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。
      連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容:独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
      原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      レス内容に注意してください。



139 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 08:59:02 ID:C7r4L7Ux
大体原始佛典に「自己の探究」とあると何故にそれがウパニシャッド的アートマン説との共有要素と
して把握されなければならないのか。根拠が余りにも薄弱。類似の語句表現を以てその証左となる
ならば牽強付会や恣意的こじつけの遣りたい放題が許されてしまいます。

140 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 09:25:41 ID:C7r4L7Ux
不生不滅のアートマンやら霊魂やらへったくれやら・・・。テクストの記述からのこじつけ・牽強付会に
よる法の目をかいくぐった悪徳商法めいた見解が後を絶たないのは遺憾というか情けない眺めです。

141 :このスレは「見世物小屋脳病院・阿呆陀羅經病棟です」:04/10/20 10:07:03 ID:XKaNX/ic
阿呆陀羅經汚染警報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。 http://etc3.2ch.net/denpa/
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      連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容:独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
      原始佛教と関係の無い奇妙な脳壊死体験の主張や独り言。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      レス内容に注意してください。



142 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 13:03:04 ID:4MZMztmY
>>135電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ さん、お久しぶりです。
> 下らないことでスレを浪費するな。今度はベロさんに自演疑惑か。。。。。
私を電波男さんと誤認する明盲人もいますしね。どんな頭なんだか・・・(苦笑)。
>
> ========================================
> バラモン教とそれが純化していく仮定でのウパニシャッドを当時の思想の
> 枠組みとして捉える人たちがいます。別に当時の思想界でウパニシャッド思想がヘゲモニーを
維持していたわけでもないでしょうにね。
> 佐保田氏はそのさいたる例であるが、
> 相対例として仏教を捉えても原始仏教は見えてきません。仏教が堕落して
> いったのと同じ道を辿ることになります。
>
> アートマンにかんする存在については言及していないだけではなく、
> 【執着すべきアートマンがあるという説】=(梵我一如など)を真っ向から否定
> しています。この「説の否定」と「存在の否定・肯定」とは別に考えるべきなの
> です。
形而上的見解に基づく種々の独断説(戯論)そのものの根底的否定であると理解しています。
>
> 十四無記に関しては、その両極端の記述内容を吟味分析して分類すべき
> であって、一様に「ある・ない」の両極で考えてしまうと真意を見失います。
> 上記のような「説」や「見解」についての無記答があるのですから。そして
> 記述内容についてそれぞれ無記である意味を知るべきです。
その意味追究をすっぽかすと、14難以外の内容には肯定的見解をブッダは持っていた
とやりはじめたりしますね(苦笑)。

> そのように順を追って考察していけば、「無記であるが存在していないわけでは
> ないので、その存在そのものを考えるべき」などの珍結論は原始仏教をかたる
> コンテキストでは出てこないことが理解できるでしょう。


143 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 13:25:53 ID:4MZMztmY
>>135
>佐保田氏はそのさいたる例であるが、
オウムの似而非佛教解釈にも影響を与えたとか…。
>相対例として仏教を捉えても原始仏教は見えてきません。仏教が堕落して
>いったのと同じ道を辿ることになります。
正覚に到る「可能性」たる佛性がアートマンのオルタナティヴになったりとか…。

144 :名無しさん@3周年:04/10/20 14:26:42 ID:ePEA2xku
「ウダーナヴァルガ」26章涅槃
21.不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離を常に語るべきであろう。
作られざるものを観じるならば、作られたものから解脱する。
23.それの出離であって、思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの
死滅であり、つくるはたらきの静まった安楽である。
24.そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、
太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、私はよく知っている。
25.来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。住して
とどまることも無く、依拠することも無い。─それが苦しみの終滅であるととかれる。
26.水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ─、そこには白い光も輝かず、
暗黒も存在しない。
27.そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地についての自己の
沈黙を自ら知るがままに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみ
から全く解脱する。

これらの表現によって示される「境地(涅槃)」は形而上的見解に基づく独断とは
言えませんか?「こうでは無い、ああでは無い」という否定的な表現で示されるのみ
であって、論理的でもありません。苦しみの終滅(涅槃)など絵に描いた餅という
ことになりますが。

145 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 14:35:01 ID:4MZMztmY
>>144
この「境地(涅槃)」を実体視・固定化して捉え始めると途端に「形而上的見解に基づく独断」に
堕してしまいます。こうしたスタティックな傾向が佛教を変質堕落させたのではないかと考えま
す。

146 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 14:47:09 ID:4MZMztmY
>「こうでは無い、ああでは無い」という否定的な表現で示されるのみ であって、
>論理的でもありません。苦しみの終滅(涅槃)など絵に描いた餅という ことに
>なりますが
無窮の吟味と批判−当然論理的ーの課程でニルヴァーナは見出され続けるもの−無間等知?−であると考えます。

147 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 14:50:10 ID:4MZMztmY
ウパニシャッドのアートマンのような不滅の実体をあらかじめ設定する
思索・実践体系とは全く異質です。

148 :ぽこたん @キャップなし:04/10/20 16:08:21 ID:BqfyJCTx
>>117 無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage New! 04/10/19 22:42:07 ID:tQSO1ZOe

自分も同じような疑問を抱いていました。
法句経 153
わたあしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経巡ってきた、−−−家屋の作者
(ツクリテ)を捜し求めてーーー。あの生涯 この生涯と繰り返すのは 苦しいことである。

154
家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはできないであろう。
汝の梁は全て折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼしつくした。

五蘊十二処十八界は仏陀の教法のベースになるものでありこれ以外の人間の認識の及ばない範疇
の議論は独断に陥るというのはよくわかりますし 社会に害を成すカルトの温床でもあるので
しょうが。
上記の文を読むと妄執という縁るべきものがあるうちは 新たなる五蘊を集め
再生し、新たなる 五蘊十二処を得るという風に解釈するのが自然のような気がするのですが
どんなもんでしょう。
心の形成作用というのを滅ぼし新たなる生を受けないようにするのが仏陀教法だと思うのですが


149 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 16:28:51 ID:xg0Pk0vD
>>148ぽこたん @キャップなし さん、
>>81の277男さんのレス、
無矛盾に簡潔に説明しているのが世親の成業論です.
キーワードは無想定と滅尽定、そして心相続です。
を丁寧に検証してみて下さい。胎生学的前提なしに「新たなる五蘊を集め再生」することが
成立するのが理解できるでしょう。五蘊を肉体的に解釈するのは一面的理解にすぎないと
考えます。

150 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 16:33:53 ID:xg0Pk0vD
>>148
「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提に把握するのはあまりに一面的
でありましょう。


151 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 16:42:06 ID:xg0Pk0vD
>>149
×五蘊を肉体的に解釈するのは一面的理解にすぎないと考えます。
○五蘊を生理学的に解釈するのは一面的理解にすぎないと考えます。


152 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 16:47:32 ID:xg0Pk0vD
何度も提出した教証ですが、原始佛教におけるニルヴァーナ観が明瞭に示される重要な教説であると考えます。
阿羅漢-タターガタも同文-は、ニルヴァーナよりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、「このニルヴァ
ーナは自分のもの」とは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。それは何が原因かといえば、かれには熟
知されたからである、とわたくしは説く。                 『マッジマニカーヤ』T-1 『根本法門経』より



153 :栗花 馨:04/10/20 17:37:52 ID:k2TtRslR
五蘊を解剖生理学的に解釈するのは多面的総合理解につながる一歩です。

154 :栗花 馨:04/10/20 17:40:44 ID:k2TtRslR
仏教には特定の教義はない
仏陀は、思想ではない。
釈迦に、文献学的方法やら思想史的方法やらでは永遠に出会うことない。
推理にすぎない抽出、実践を欠いた論理は、
縁起や無我に反し根本的に錯誤で矛盾する。
釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。
「究極極微の一瞬間。」「arhat」




155 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 17:48:12 ID:A9VUnbE6
ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
     ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。
     連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容 :独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
       原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      レス内容に注意してください。
※NGワードやあぼーん機能などを利用すれば視覚的には駆除できます。

156 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/20 17:53:54 ID:RrZTeLRm
>>154
なぜいつも同じことばかり書いているのですか?

=================
さて、滅尽定と無想定について仏教内外での接点や相違点について
述べた後、煩悩や執着心の滅却と瞑想そして阿羅漢の心のありかた
に着いて語りましょう。

そして、阿羅漢の心が矛盾なく説明されるための要件を探り、縁起と
無明、そして無我・無常を説明していきましょう。この説明には原始仏
教の枠を超えて、他のものの援用が必要になります。なぜなら、それ
らは原始仏教を時代の流れで補完する為に現れてきたものですから。

歪曲や曲解、捏造とは縁がないものです。

157 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 18:31:50 ID:A9VUnbE6
>>156
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k さん、
いよいよ真打ち登場ですね。予告された「阿羅漢の心のありかた」についての
ご説明を宜しくお願い申し上げます。原始佛教から経量部瑜伽行唯識派(?)
に到る思想的営みの成果を垣間見られるものとと期待しております。

158 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 18:39:04 ID:A9VUnbE6
>>154
自分の知能レヴェルでは全く理解不能な問題を箇条書きにしてどうするつもりなんだろう。
釈尊を執着の対象にしているくせにいつも種族名の「釈迦」と呼び捨て(笑)。

159 :.栗花 馨:04/10/21 00:10:20 ID:G+54z3wg
五蘊を解剖生理学的に解釈するのは多面的総合理解につながる一歩です。
当然の常識です。

160 :.栗花 馨:04/10/21 00:13:16 ID:G+54z3wg
阿羅漢には程遠いひとが阿羅漢について語ることは
その人の勝手な想像の域を出ることはないのです。

161 :.栗花 馨:04/10/21 00:15:28 ID:G+54z3wg
他のものの援用は新興宗教がよくやっています。
その人たちの勝手な想像の域を出ることはないのです。

162 :.栗花 馨:04/10/21 00:27:33 ID:G+54z3wg
釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。
原始佛教から経量部瑜伽行唯識派(?) に到る思想的営みとか称する物など
私論であり、その人の勝手な想像の域を出ることはないのです。
ヨーガ(瑜伽(ゆが))の実践者としての生活と同じ実践の完成者が絶対必要です。
似非は似非でおわってしまいます。
特定の病人の人には残酷ですが不可能です。

163 :.栗花 馨:04/10/21 00:29:55 ID:G+54z3wg
★仏教には特定の教義はない
★仏陀は、思想ではない。
★釈迦に、文献学的方法やら思想史的方法やらでは永遠に出会うことない。
★推理にすぎない抽出、実践を欠いた論理は、
縁起や無我に反し根本的に錯誤で矛盾する。
★釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。

【「究極極微の一瞬間。」「arhat」】



164 :名無しさん@3周年:04/10/21 03:35:48 ID:sQJ4VDli
おまえはキリシタンだろ?
キリスト狂スレ逝って勝手に妄想してろ。

165 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/21 06:51:54 ID:uFmlTu00
釈尊は、涅槃への水先案内人であったはず。
何故、釈尊により涅槃に導かれた阿羅漢たちは、
第2、第3の釈尊たりえなかったのか?
その時代の良田がすべて釈尊により開発されつくすはずもないと思うのだが。

何故に現在、釈尊金口の教えが失われてしまったように見えるのか?
涅槃への地図は、目のあるものには、今もはっきりと見えているのだろうか?

166 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 08:25:55 ID:dB/1w+it
ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
http://etc3.2ch.net/denpa/以外は板違いになります。
      ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。     
連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容 :独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
       原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言。
       知能なし、論理なし、根拠なし。居場所なし。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      レス内容に注意してください。

※NGワードやあぼーん機能などを利用すれば視覚的には駆除できます。



167 :名無しさん@3周年:04/10/21 08:39:27 ID:eZrzhlg8
横レス、スマソ。

>>165

釈尊の時代には、アラカンを輩出していたようです。そして、アラカンひとりひとり
は釈尊と同じ悟りを共有していた。ところが、釈尊を神聖化するあまり、特別扱い
して、「各時代にはひとりの仏しか同時に存在しない」とか、「凡夫が釈尊と同じ境地
に至るには○○劫かかる」などと誇張してしまったために、今や悟りは雲のかなたへ
追いやられてしまった。そんな超エリートのための教えなど、釈尊は説かなかったはず
です。キサーゴータミや、アングリマーラのような、今の自分達と同じレベルの
人が救われるような教えだったはずです。

これは、想像なのですが。釈尊の時代には、「輪廻転生は最大の苦である」と
心の底から信じきっている人々だらけでした。では、なぜ輪廻転生が苦であるかと
言えば、せっかく天に生まれてもやがて輪廻して「苦」を受けるはめになる。
つまり「苦」が嫌で、永遠に「楽」したいから、輪廻転生を疎んでいる。
もし、「苦」の本質をつかみ、「苦は自ら作り出すもので、苦(因果応報)をある
がままに、素直に受け取るならば、もはや苦は苦ではない」と悟るならば、たとえ
輪廻転生がやまなくても問題は解決するはずです。

ところが、説有一切部や唯識論者達は、「輪廻転生からの脱却」を唯物的に説明しよう
とした。輪廻転生の核になるもの(アートマン)を、一種のロボトミー手術で取り除こう
としたために、気が遠くなるほどの長い期間にわたって修行をしないと悟れないという
珍品ができあがってしまったのです。

現代人のひとりである私にとって、キサーゴータミや、アングリマーラの逸話こそが心に
共感を呼び起こし、自分がいま抱えている「苦」を解決するヒントにもなる、ありがたい
教えです。それこそが釈尊金口の教えではないでしょうか。一方で、頭とか心臓のどこか
にある輪廻転生の主体を指さして、「あれをなんとかしないと、また生まれてきちまうん
だ」と額にしわを寄せて、昼も夜も修行に明け暮れる連中を見ると、道心が萎えてしまう
だけでなく、「君たち、どこかで道を誤っていないか」と問いかけざるを得ません。

168 :167:04/10/21 09:07:32 ID:eZrzhlg8
原始仏典には、確かに「なすべきことはすべてなされた、もうこの世に生まれる
ことはない」という決まり文句が多用されています。しかし、どうして輪廻転生
を脱したとわかるのでしょうか。「無明」を断滅したから、もう輪廻転生する
はずがない、というだけで、本当に死んでみないと本当のことはわからない。

「なすべきことはすべてなされた、もうこの世に生まれることはない」という
勝利宣言は、「輪廻転生は最大の苦である」という輪廻転生強迫症の完治と
解釈するべきではないでしょうか。

あるいは、悟った本人が「私の輪廻転生に関する問題は解決した」と口にした
のを、まわりの修行者(まだ輪廻転生強迫症に苦しんでいる)が、「輪廻転生
から脱却したのだ」と勝手に解釈したものが仏典に残されたのかもしれない。

いずれにせよ、アビダルマで強引に付け加えられた諸説以前に、釈尊の真意が
込められているはずで、恐らくですが、釈尊金口の教えは、十二だの十八だの
ロボトミー手術だの、似非科学的で仰々しいものではなかったはずです。

169 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 09:44:14 ID:dB/1w+it
>>159->>163
恒例の痴者連投。スレ汚物。
五蘊を解剖生理学的に解釈するのはトンデモ疑似科学・カルトドグマにつながる一歩です。
「阿羅漢には程遠いひと」どころか全く無縁なID:G+54z3wg。
>他のものの援用は新興宗教がよくやっています。
独房痴人カルトID:G+54z3wgのお家芸。
>特定の病人の人には残酷ですが不可能です。
自己紹介してどうするんだか。


170 :名無しさん@3周年:04/10/21 10:30:51 ID:D4efC5Jp
あほだらは生き恥じ書き込む煩悩の人ですねー大丈夫?

171 :名無しさん@3周年:04/10/21 10:35:10 ID:VNb9tKuY
>なすべきことはすべてなされた、もうこの世に生まれることはない

借金はすべて返した、もう借金取りが現れることは無い。
今日の仕事はすべて終わった、もう仕事場に用事は無い。
出来うることはすべて試しつくした、もう後悔は無い。

その時その時において解脱すれば、一生を解脱しつくしたことになります。
難しいことではありませんね。
人として、まっとうで当たり前のことです。

172 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 10:50:50 ID:dB/1w+it
>>170
知能全壊のID:D4efC5Jpは立論不能、対論不能、論述不能の生き恥じ晒し。
よくまあ次から次へと発生することで・・・(苦笑)。

173 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 10:59:41 ID:dB/1w+it
>>167
>ところが、説有一切部や唯識論者達は、「輪廻転生からの脱却」を唯物的に説明しよう
>とした。輪廻転生の核になるもの(アートマン)を、一種のロボトミー手術で取り除こう
>としたために、気が遠くなるほどの長い期間にわたって修行をしないと悟れないという
>珍品ができあがってしまったのです
一体全体どのような根拠から上記のような「珍品」解釈が成立するのでしょうか。
「唯物的説明」とは一体何なのでしょう。膨大なアビダルマ教理が真摯な求道修道の中から
発展してきたという重要な一面を閑却されていませんか。

174 :名無しさん@3周年:04/10/21 11:38:05 ID:D4efC5Jp
あほだらは、説得力ない。からっぽの借り物人生。

175 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/21 11:39:24 ID:d/UKTZbx
>>160
阿羅漢の滅尽定について語るときには

1 諸経典
2 論書
3 思想史的視点

を中心としてその中に説かれている事実を瑕疵なく合理的に抽出する努力をします。

その意味で、わたしは

1 捏造した経典
2 読み解けない論書
3 恣意解釈した思想史
4 瞑想などの実践における個人の主観を絶対し一般化する態度

を根拠とした阿羅漢やシュダオンには程遠い存在です。下段を根拠にしたり、
解剖生理学的に語りたければ、それにふさわしいスレッドでおやり下さい。

176 :名無しさん@3周年:04/10/21 11:56:01 ID:ts6bZXyu
>その時その時において解脱すれば、一生を解脱しつくしたことになります。
>難しいことではありませんね。
>人として、まっとうで当たり前のことです。

↓のような解脱をあなたはお考えみたいですね。

問、「どういうものが解脱でしょうか」
答、「誰が君を縛った」
問、「どういうものが浄土でしょうか」
答、「誰が君を汚した」
問、「どういうものがネハンでしょうか」
答、「誰が生死を君に背負わせた」


177 :167:04/10/21 12:29:48 ID:eZrzhlg8
>173
アビダルマは、確かに英知を絞って立てられた思想上の大伽藍かもしれません。
しかし、結果的には「救済」を凡夫の手には届かないはるか彼方へと押しやって
しまった。

劫(カルパ)というのは、縦横高さが数十キロという岩があって、百年に一回
天女が降りてきてその裾が岩に触れる。これを気が遠くなるほど繰り返して、
岩が擦り切れてなくなるのが一劫だと言う。それで、唯識では悟るには三劫
必要だと平気で書いている。

こんなものは、キサーゴータミやアングリマーラの悟りとは何の関係もない
絵空事としか言えません。

178 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 12:51:08 ID:JpA7klFP
>>174
文章もまともに書けないID:D4efC5Jpが説得力を云々するなど笑止千万。借り物すら出来んだろうに(w。


179 :名無しさん@3周年:04/10/21 12:53:09 ID:TARLYBR4
キーボードもまともに打てない進退でそういうこと言ってるかと思うと悲しくなる

180 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 12:54:00 ID:JpA7klFP
>>177

> 劫(カルパ)というのは、縦横高さが数十キロという岩があって、百年に一回
> 天女が降りてきてその裾が岩に触れる。これを気が遠くなるほど繰り返して、
> 岩が擦り切れてなくなるのが一劫だと言う。それで、唯識では悟るには三劫
> 必要だと平気で書いている。
「器世間」に関する記述だけを取り上げてアビダルマを裁断したつもりとは難儀なものです。

181 :名無しさん@3周年:04/10/21 12:55:45 ID:iRoMKBMQ
キサーゴータミーやアングリマーラは釈尊から面と向かって
直接指導を受けた。はっきりとした法の言葉を聞き、法の実践を
指導され、エネルギーを直接伝えられた。
釈尊が亡くなられて二千年以上たった私達とは条件が違う。

182 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 12:59:55 ID:JpA7klFP
>>181
> キサーゴータミーやアングリマーラは釈尊から面と向かって
> 直接指導を受けた。はっきりとした法の言葉を聞き、法の実践を
> 指導され、エネルギーを直接伝えられた。
> 釈尊が亡くなられて二千年以上たった私達とは条件が違う。
新手の釈尊実体視者、釈尊偶像視者の登場ですか。過去ログをお読み下さい。


183 :167:04/10/21 13:01:25 ID:eZrzhlg8
>>180
教典に明記しているのが事実である限り、

>「救済」を凡夫の手には届かないはるか彼方へと押しやってしまった。

という私の主張は成り立つと思いますが。

>>181
>エネルギーを直接伝えられた。

失礼ながら、カルトの方でしょうか。

184 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 13:02:48 ID:JpA7klFP
>>179
> キーボードもまともに打てない進退でそういうこと言ってるかと思うと悲しくなる
お生憎様。不自由はなし。ID:JpA7klFPやID:TARLYBR4みたいに頭脳知能にも不自由はなし(w。


185 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 13:09:40 ID:JpA7klFP
>>183

> >「救済」を凡夫の手には届かないはるか彼方へと押しやってしまった。
原始佛教には一般的意味での「救済」は見あたりません。
ニルヴァーナや正覚を凡夫の手には届かないはるか彼方へと押しやってしまったのは
釈尊実体視者、釈尊偶像視者や涅槃正覚実体論者の仕業でしょう。アビダルマや唯識
について何か大きく誤解されてられませんか。不明なところは電波男さんあたりに質問さ
れれば如何でしょう。

186 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 13:23:31 ID:JpA7klFP
>167さん
劫(カルパ)を時計的時間観で捉えるのは輪廻を即胎生的なものとして捉えたり、五蘊を生理学的に
捉えるくらい一面的な理解です。

187 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 13:29:32 ID:JpA7klFP
>>183
>教典に明記しているのが事実である限り、
パーリ『中部経典』の「アングリマーラ経」を心理的推移を含めて熟読してみて下さい。
キサー・ゴータミー説話は経典ではなく『テーリーガーター』の註釈であったと思います。とはいえ印象的な説話ですが。
まあ、何事も因縁次第でしょう。


188 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 14:37:58 ID:eWzfGhvk
>>177
>こんなものは、キサーゴータミやアングリマーラの悟りとは何の関係もない
>絵空事としか言えません。
そのように断言される根拠を伺いたい。苦しみも覚りもニルヴァーナも各人各様であることをお忘れ無く。
>>185の訂正
×何か大きく誤解されてられませんか。
○何か大きな誤解がありませんか。

189 :.栗花 馨:04/10/21 16:07:41 ID:pgiOxIMf
あなたは、正しい。
とても大切な書込みです。ありがとう。
>>181 :名無しさん@3周年 :04/10/21 12:55:45 ID:iRoMKBMQ
キサーゴータミーやアングリマーラは釈尊から面と向かって
直接指導を受けた。はっきりとした法の言葉を聞き、法の実践を
指導され、エネルギーを直接伝えられた。
釈尊が亡くなられて二千年以上たった私達とは条件が違う。


190 :.栗花 馨:04/10/21 16:21:43 ID:pgiOxIMf
>を中心としてその中に説かれている事実を瑕疵なく合理的に抽出する努力をします。

!『事実を』???????????????????????????
???????????????????????????????????????????
ええええええええええええ!!!!!!!『事実を』をををををををををを!!!!!!

191 :.栗花 馨:04/10/21 16:22:30 ID:pgiOxIMf
>努力をします。

クス

192 :.栗花 馨:04/10/21 16:26:20 ID:pgiOxIMf

あなたは、やさしいですね。
>>179 :名無しさん@3周年 :04/10/21 12:53:09 ID:TARLYBR4
キーボードもまともに打てない進退でそういうこと言ってるかと思うと悲しくなる




193 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 16:37:12 ID:5CwX8q9J
ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
http://etc3.2ch.net/denpa/以外は板違いになります。
      ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。     
連投による鯖の負担を考えるとチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容 :独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
       原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言。
       知能なし、論理なし、根拠なし。居場所なし。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      レス内容に注意してください。

※NGワードやあぼーん機能などを利用すれば視覚的には駆除できます。


194 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 16:42:13 ID:5CwX8q9J
栗花 馨ID:pgiOxIMfの知能壊死(穢死)状態は益々昂進中のようです。
四の五の言わずとっととhttp://etc3.2ch.net/denpaに移動しなさい。

195 :.栗花 馨:04/10/21 16:53:10 ID:pgiOxIMf
クス

196 :ぽこたん @キャップなし:04/10/21 17:05:01 ID:KgtwywcI
>>149 阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ 04/10/20 16:28:51 ID:xg0Pk0vD

レス有難うさんです。
いまんとこ ここの過去スレも紹介された論書も読む時間が無いので 理解不足の面を引きずりながら
お邪魔させてもらう事になるかと思います。 ご承知置きください。
もっとも読んだからといって理解できるかどうかは 別なんでしょうが。
増谷氏とか翻訳に携わる方々の仕事は膨大な気苦労の上に成り立つものでしょうしその校正作業も
大変なものであると思います。
私がここにレスつけさせてもらう上で依って立つ所は彼らの見解なりを最大限尊重した上で
書いたつもりでいます その上で自分の理解
どうみても 胎生学的前提や 五蘊を肉体的に解釈するしかないように思ったしだい。

「よく貪りを離れ、よくその滅尽に至るならば 彼はもはや、取著なきによりて自由になり
よく解脱せるものとなる そしてよく解脱すれば その人は既に完成したのであり
完成すれば そのとき もはや輪廻などという事はありえないのである。」
五取蘊の四転  雑阿含経 2、9 五転 増谷氏訳
多分輪廻とか 生死の捉え方が違ってくるのでしょうね、 たぶん





197 :ぽこたん @キャップなし:04/10/21 17:05:22 ID:KgtwywcI
世親さんが属するグループとか系列はアビダルマの 経量部系だったかと
思いますが
アビダルマの考え方である 生 住 異 滅 の捉え方が違うだけで
刹那に滅する考え方は同じ
生 住 異 を縁に入れて 滅を実にしたわけで
説一切有部は無常を完全なデジタルで観るが 経量部はアナログ(連続)のような
デジタルに観る
パソコンのモニタの表現と一緒というのは面白い。
んで竜樹さんが 相依性を忘れてますよ あなた方と批判した。
過未無体も ありません。 法体恒有もありません。
此れは私の勝手な理解です。 間違ってたらお叱りください。
世親さんの本には興味あります、そのうち読んだらレスしたいと思います。

比丘達よ 縁起とはどのようなことであろうか 
比丘達よ たとえば「生があるから老死がある」という。この事は 如来がこの世にでようと
出まいと 定まっている事である。法として定まり 法として確立している。
すなわち 相依性 である。如来はそれを知り証り知ったのである。、証り知って、教え示し
宣布し 詳説し 開顕し 分別し 解明して そして(汝らも観よ)というのである。
雑阿含経 (因縁法)





198 :名無しさん@3周年:04/10/21 17:06:41 ID:WPZk5Qwt
 

199 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 17:39:44 ID:MLV58Duw
>>196
ぽこたん @キャップなしさん、
何故「どうみても 胎生学的前提や 五蘊を肉体的に解釈するしかないように思った」と
いう結論に達したのですか。私が申し上げていたのは翻訳の問題のみならず、思想的
論理的帰結としての非胎生学的非生理学的肉体的理解です。あなたの前提設定があ
まりに拙速ではないかと考えます。土着思想としての輪廻説を佛教がいかに導入し、展
開させたか、余りにも巨大なテーマですが、一度じっくり考えてみるのもよいのではない
でしょうか。 十二因縁の「生があるから老死がある」という有支縁起にせよ、客観的生理
現象が問題として説かているわけではありません。「老死」という不可避の事実に縁って
生じる苦の問題とその因縁の追究があくまで主眼です。ニルヴァーナに到っても「老死」
の到来は絶対不可避です。事実ブッダも例外ではありませんでした。



200 :.栗花 馨:04/10/21 19:03:51 ID:pgiOxIMf
【生命体】において、生と老死について有無をいうのはおかしいです。

【生命体】、その構造と活動の生理的状態を学ぶことをしきりに避けることはない。

【生命体】、その構造と活動の生理的状態を学ぶことをは、役に立ちます。

201 :.栗花 馨:04/10/21 19:05:32 ID:pgiOxIMf
【生命体】、その構造と活動の生理的状態は、すべての基本です。

202 :名無しさん@3周年:04/10/21 19:16:28 ID:QBGw7BDo
79 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:04/10/18 16:35:00 ID:U7iOGBow
一つ、御聞きしたい、釈迦の真理の説法は、座禅瞑想の内縁起での自我の消滅にあるのでは?
是非に電波氏のお答えが御聞きしたいです。
当然ですが病状が良ければばの話ですが。

最近気がついたんだけれど、座禅瞑想を個人でするのは危険で、ちゃんとした
禅師について行わないと行けないと以前から聞いていたが、分かった気がする。
座禅妄想すると言う事の最終段階は、内縁期の消滅に有るのだと。
つまり、外側ではなく、内側の自我の消滅である、自我か消滅すれば、五感も消滅するし、己の
存在自体存在しなくなる、感じなくなると言う状態であろう。
だから、外界からの五感への刺激も内部へ伝わらない。仏教の説話の中にこれを思わせる説話が
よく出てくる。

瞑想し、内面の自我の存在を消滅させるのだから、これは、精神的にかなり危険な行為と
言わざる終えない。
釈迦が最後の瞑想で、悪魔と戦ったと言うのは、この内縁期の消滅への戦いを、説話化されたものだろう。
だから、瞑想してる本人は自分の存在も感じていない状態になってると言う事が考えられる、自我が
消滅してしまうのだから。

他者から見れば、座禅の行者がいることは当然見えているが、本人は存在を感知していない。
当然、すべての苦悩から開放されている、苦悩を受諾する自我の存在が消滅しているのだから。
しかし、疑問は、その自我の消滅した瞑想状態から、自らリアルな状態に、どうして戻りえるのか?
そこは、まったく想像すらできない。
自我が消滅して、完全な空の状態になった心で、何も感じる事ができないはずなのに、どうやって
瞑想から、リアルな状態へ自ら戻れるのか、論理が建たない。
今の私では、論理的に説明できる知識も資料も何もない。
だから、素人が勝手に座禅瞑想をする事が危険だと負われるところだろう。
自我の消滅に耐えることは大変な事だと思う、恐怖、不安、苦悩、色んな物を
正常に克服していかないといけないんだから、精神がもたないたない人がいてあたりまえだと思う。

一度電波氏の、お答えをお聞きしたく、コピペしました、よろしければお願いします。

203 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/21 19:42:48 ID:d/UKTZbx
>>202
滅尽定の説明がそうですよ。まだ本調子じゃないし、締め切りも迫っているから
もう少しお待ちくださいね。

204 :名無しさん@3周年:04/10/21 19:58:21 ID:D4efC5Jp
臭い自作自演やめてよ。バレバレ

205 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:24:24 ID:784//nRj
ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
http://etc3.2ch.net/denpa/以外は板違いになります。 即刻移動なさい。
      ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。     
連投による鯖の負担を考えると汚穢レスはチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容 :独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
       原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言の汚穢レス。
       知能なし、論理なし、根拠なし。居場所なし。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      汚穢レス内容に注意してください。

※NGワードやあぼーん機能などを利用すれば視覚的には駆除できます。


206 :.栗花 馨:04/10/21 20:32:32 ID:pgiOxIMf
クスクス

207 :.栗花 馨:04/10/21 20:36:04 ID:pgiOxIMf
比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、
業果論者、
精進論者であった・・・


208 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:36:18 ID:784//nRj
最近レス番号がよく飛ぶのは栗花の汚穢レスがNGに引っ掛かるせいか・・・(苦笑)。

209 :.栗花 馨:04/10/21 20:39:03 ID:pgiOxIMf
そこでの消滅はしない。業が静止している段階・・・・

210 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/21 20:43:38 ID:d/UKTZbx
自作自演ってなにいってるんでしょうね。
業が静止しているという珍説よりはましですが、
リフレインが呼んでいるさんなど雑音が多すぎます。
滅尽定・阿羅漢については場所をかえましょうか?

211 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:48:29 ID:784//nRj
>>210
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ さん、例の待避スレの方がいいかもしれませんね。
件の雑音汚穢くんのレスについてはは削除依頼を出しておきましょうかね。

212 :”削除”依頼板転載人@星猫:04/10/21 21:27:21 ID:W+duxm7B
307 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:54:05 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1097592303/
の栗花 馨のレス全てを削除願います。札付きの糞コテハンですし、スレ進行と無関係な
無関係&無意味な独白ばかりです。有り体に言ってスレの無駄遣い。サーバーの負担になるだけでしょう。


308 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:56:44 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
栗花 馨のレスとともにそれにまつわる私のレスを削除していただいて結構です。栗花 馨を出来れば
アクセス禁止にしていただくと幸甚です。


309 :不動 ◆HpcRk2ELiM @削除明王 ★ :04/10/21 21:01:55 ID:???
>>307-308
無視。依頼不備のため受理せず。

#つーか、論外。
#ついでに一つ言っておきますと、アクセス規制なんて受け付けちゃいませんので。

213 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 21:57:19 ID:784//nRj
212依頼先を間違えてしまったようです。町内の屎尿処理問題を持ち込むところではありませんでした。
お目汚し失礼いたしました。

214 :.栗花 馨:04/10/21 22:45:59 ID:pgiOxIMf
比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、
業果論者、
精進論者であった・・・

行為それ。時間の流れで刹那・余勢の極微にせまるのです。



215 :.栗花 馨:04/10/21 22:52:32 ID:pgiOxIMf
涅槃寂静の釈迦→釈迦の諸法無我⇔諸行無常 

行為それ。時間の流れで刹那・余勢の極微にせまるのです。
 比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、
業果論者、
精進論者であった・・・


216 : ◆us4ym.Sc1. :04/10/21 23:10:18 ID:dPngNeIc
>>213

217 : ◆us4ym.Sc1. :04/10/21 23:12:00 ID:dPngNeIc
論外。

218 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/21 23:20:23 ID:uFmlTu00
かようにわたしは聞いた。
ある時( >>149-151 )、阿呆陀羅經師は、2chの宗教板なる原始佛教スレにあられた。
その時、阿呆陀羅經師は、レスにて、このように投稿された。

>>148
ぽこたん @キャップなし さん、
> >>81の277男さんのレス、
> 無矛盾に簡潔に説明しているのが世親の成業論です.
> キーワードは無想定と滅尽定、そして心相続です。
を丁寧に検証してみて下さい。胎生学的前提なしに「新たなる五蘊を集め再生」することが
成立するのが理解できるでしょう。五蘊を肉体的に解釈するのは一面的理解にすぎないと
考えます。
「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提に把握するのはあまりに一面的
でありましょう。

阿呆陀羅經師が、このようにレスしているのを新参者の無宗だが読んで、問うて言った。

阿呆陀羅經師よ、そのレスされた内容の意味は、
阿呆陀羅經師の理解の範囲で説明すると、どのようなことであろうか?


219 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 23:29:58 ID:VLI0wJG5
>>218
「丁寧に検証してみて下さい。」と申し上げた筈です。前掲書では、無想定と滅尽定の定義
やそれに基づく問題提起やその帰結についての精緻な議論がなされています。短兵急な回
答要求は建設的ではありませんし、学習にも資しません。それと「師」の呼称は何卒ご容赦を。

220 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 23:37:36 ID:VLI0wJG5
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804354115/qid%3D1098369221/249-9337134-8093964
『大乗成業論』。玄奘による漢訳には「大乗」が冠されています。

221 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 00:04:34 ID:IZ+NBs/S
>>219 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 23:29:58 ID:VLI0wJG5
> 「丁寧に検証してみて下さい。」と申し上げた筈です。前掲書では、無想定と滅尽定の定義
> やそれに基づく問題提起やその帰結についての精緻な議論がなされています。短兵急な回
> 答要求は建設的ではありませんし、学習にも資しません。
レスありがとうございます。
これの真意は、
(1)自分で苦労しないと理解できない。
(2)自分は苦労して理解したのだから、簡単に教える気はない。
(3)自分は理解したが、人に理解させるスキルはない。
の(1)、すなわち、
胎生学的前提なしに「新たなる五蘊を集め再生」することが成立するのが理解するのは、
自分で書籍を求め、苦労して理解する気のある人でなければ理解は無理だと
あなたは信仰しているということですね?

> それと「師」の呼称は何卒ご容赦を。
了解。


222 :栗花 馨:04/10/22 00:15:13 ID:ylFhnc6/
脳内ままごとかよ。よんでてこっちが恥ずかしくなるな。
御経の正しい解説なんて仕事はもう既に大成されてる。
私論や人の褌で原始仏教をかたるのはもう何卒ご容赦を。
自分の愚かな煩悩と向き合いましょう。
釈迦は教えの実践を説いたのです。
煩悩丸出しではいけません。「慢心経典博士」の呼称も何卒ご容赦をしてください。
仏教を実践してください。





223 :栗花 馨:04/10/22 00:16:59 ID:ylFhnc6/
もっと他に一生懸命になることはないのか?

仏教は実践から。

224 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 00:19:38 ID:fZQAh/vV
>>221
> の(1)、すなわち、
> 胎生学的前提なしに「新たなる五蘊を集め再生」することが成立するのが理解するのは、
> 自分で書籍を求め、苦労して理解する気のある人でなければ理解は無理だと
> あなたは信仰しているということですね?
五薀の概念規定も重要ですし五取薀も把握しておいて下さい。自分で理解に努めないと結局身に付かないと
思います。苦労云々ではなく、こうした事柄を扱う上での学問的手続きを端折ってはならないということです。
信仰など関係ありません。

225 :栗花 馨:04/10/22 00:19:56 ID:ylFhnc6/
心と脳の健全さは仏教になんら反することはありません。

226 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 00:22:15 ID:fZQAh/vV
>>222ID:ylFhnc6
恥ずべきは汝の汚穢知能だろう。

227 :栗花 馨:04/10/22 00:22:26 ID:ylFhnc6/
成道後の釈迦と五比丘
とても大切です。
181 :名無しさん@3周年 :04/10/21 12:55:45 ID:iRoMKBMQ
キサーゴータミーやアングリマーラは釈尊から面と向かって
直接指導を受けた。はっきりとした法の言葉を聞き、法の実践を
指導され、エネルギーを直接伝えられた。
釈尊が亡くなられて二千年以上たった私達とは条件が違う。




228 :栗花 馨:04/10/22 00:28:35 ID:ylFhnc6/
成道後の釈迦と五比丘

涅槃寂静の釈迦(明知)→釈迦の諸法無我(明知)⇔諸行無常 

行為それ。時間の流れで刹那・余勢の寂静の極微(明知)に五比丘は出会ったのです。


 比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、
業果論者、
精進論者であった・・・



229 :栗花 馨:04/10/22 00:32:12 ID:ylFhnc6/
造作・諸行無常

刹那・余勢の寂静の極微(明知)⇔刹那・余勢(無明)

五比丘は明知に反応したのです。




230 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 00:33:12 ID:IZ+NBs/S
>>224
> 自分で理解に努めないと結局身に付かないと思います。
でも、これって、結局、根拠の無い信仰ではないですか?

> 苦労云々ではなく、こうした事柄を扱う上での学問的手続きを端折ってはならないということです。
学問的手続きとは、何を意味するのでしょうか?
カリキュラムということですか?


231 :栗花 馨:04/10/22 00:34:10 ID:ylFhnc6/
精進(釈迦の教えを実践する生命体)です。

 比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、
業果論者、
精進論者であった・・・


232 :栗花 馨:04/10/22 00:36:40 ID:ylFhnc6/
釈迦=明知(生命体)
比丘=釈迦・明知(生命体)

233 :栗花 馨:04/10/22 00:38:52 ID:ylFhnc6/
【生命体】において、生と老死について有無をいうのはおかしいです。

【生命体】、その構造と活動の生理的状態を学ぶことをしきりに避けることはない。

【生命体】、その構造と活動の生理的状態を学ぶことをは、役に立ちます。

【生命体】、その構造と活動の生理的状態は、すべての基本です。




234 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 00:39:38 ID:fZQAh/vV
>>230
>学問的手続きとは、何を意味するのでしょうか?
仮説とその批判的吟味等です。自分で吟味探究を重ねなければ、単なる「教えて君」に堕して
しまいます。

235 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 00:43:54 ID:fZQAh/vV
ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!

板違い :ここは独り言を書く板ではありません。厨房・電波お花畑板が適切です。
http://etc3.2ch.net/denpa/以外は板違いになります。 即刻移動なさい。
      ここは誰もが見る公の場であり、厚意で運営されている掲示板です。     
連投による鯖の負担を考えると汚穢レスはチラシの余白にでも書くべきでしょう。
荒し内容 :独り言や経文ふうの書き込み。自己レスのコピペ連投によるage荒し。
       原始佛教と関係の無い奇妙な宗教体験の主張や独り言の汚穢レス。
       知能なし、論理なし、根拠なし。居場所なし。
その他 :今後「名無し」での書き込みがあるかもしれません。
      汚穢レス内容に注意してください。

※NGワードやあぼーん機能などを利用すれば視覚的には駆除できます。



236 :栗花 馨:04/10/22 00:51:08 ID:ylFhnc6/
>仮説とその批判的吟味等です。
御経の正しい解説なんて仕事はもう既に大成されてる。
私論や人の褌で原始仏教をかたるのはもう何卒ご容赦を。

等!??等です。すすすすすすすすすすす!!!!!!!!????????
??????????????????????????????????





237 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 00:56:24 ID:IZ+NBs/S
>>234
> >学問的手続きとは、何を意味するのでしょうか?
> 仮説とその批判的吟味等です。自分で吟味探究を重ねなければ、単なる「教えて君」に堕して
> しまいます。
なるほど。
しかし、
> 「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提に把握するのはあまりに一面的
> でありましょう。
これは、あなたの仮説ですよね?
こう言い放つだけで、その根拠を自ら説明せずに、(「自分で勉強せぇ」というのは)
あなたが、人からの批判的吟味を避けているということではないでしょうか?

で、質問です。
・単なる「教えて君」に教えてあげること
と、
・ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!を発すること
を比較すると、警報を発する方が、
あなたにとっては価値有る行為なわけですね?


238 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 00:57:35 ID:fZQAh/vV
>>222
> 脳内ままごとかよ。よんでてこっちが恥ずかしくなるな。
羞恥心など云々出来る立場か?
> 御経の正しい解説なんて仕事はもう既に大成されてる。
だったら汝の如き汚穢解釈が発生する余地はないはず。
> 私論や人の褌で原始仏教をかたるのはもう何卒ご容赦を。
そもそも「論」などという語とは無縁だろう。一言の論駁も出来ない癖に(失笑)。
> 自分の愚かな煩悩と向き合いましょう。
向き合う勇気もない癖に(笑)。
> 釈迦は教えの実践を説いたのです。
どうぞ地獄道の実践をお続け下さい。
> 煩悩丸出しではいけません。「慢心経典博士」の呼称も何卒ご容赦をしてください。
「痴人瘋癲博士」の尊称を奉呈(笑)。
> 仏教を実践してください。
全く理解不能なものの実践を人に要求するとは笑止。
>
>
>


239 :栗花 馨:04/10/22 00:59:57 ID:ylFhnc6/
おまえのいう等の一つかよ?
自分の愚かな煩悩と向き合いましょう。
釈迦は教えの実践を説いたのです。

240 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/22 01:00:27 ID:nMt89DuG
>>236
>御経の正しい解説なんて仕事はもう既に大成されてる。 

?いつ、どこで誰によってですか?
大成されているのに、阿含経回帰主義を標榜している団体が、阿含経を捏造したり、重症であり明白な間違い・取り違い・曲解
や外道化しているのはその「大成」によるのですか?

別所で滅尽定の講義を始めましたので参加してください。

241 :栗花 馨:04/10/22 01:02:43 ID:ylFhnc6/
話しのすりかえもおまえのいう等の一つかよ?
自分の愚かな煩悩と向き合いましょう。
釈迦は教えの実践を説いたのです。


242 :栗花 馨:04/10/22 01:04:19 ID:ylFhnc6/
御経の正しい解説なんて仕事はもう既に大成されています。
常識です。
私論や人の褌で原始仏教をかたるのはもう何卒ご容赦を。



243 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/22 01:07:07 ID:nMt89DuG
>>242
その常識は学界や仏教界、世間のそれとはかけ離れております。
あなたのことは、このことでも判断材料になりましょう。

ではお元気で。

244 :栗花 馨:04/10/22 01:10:08 ID:ylFhnc6/
学界や仏教界、世間の常識(おさらい)

★仏教には特定の教義はない
★仏陀は、思想ではない。
★釈迦に、文献学的方法やら思想史的方法やらでは永遠に出会うことない。
★推理にすぎない抽出、実践を欠いた論理は、
縁起や無我に反し根本的に錯誤で矛盾する。
★釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。

【「究極極微の一瞬間。」「arhat」】


245 :栗花 馨:04/10/22 01:12:06 ID:ylFhnc6/
御経の正しい解説なんて仕事はもう既に大成されています。
学界や仏教界、世間の常識です。
私論や人の褌で原始仏教をかたるのはもう何卒ご容赦を。



246 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 01:17:12 ID:fZQAh/vV
>>237
> >>234
> > >学問的手続きとは、何を意味するのでしょうか?
> > 仮説とその批判的吟味等です。自分で吟味探究を重ねなければ、単なる「教えて君」に堕して
> > しまいます。
> なるほど。
> しかし、
> > 「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提に把握するのはあまりに一面的
> > でありましょう。
> これは、あなたの仮説ですよね?
当初に「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提」にしていたのはあなたです。
異議や疑問が提出された場合の挙証責任はあなたに生じますよ。その論拠を未だに見ませんね。
> こう言い放つだけで、その根拠を自ら説明せずに、(「自分で勉強せぇ」というのは)
> あなたが、人からの批判的吟味を避けているということではないでしょうか?
こちらは典拠となるべき論書を提示していましたよ。一顧だにせずにいちゃもんですか。
しかし、なんらかの調査結果に基づく見解の提示もそれ反駁も未だに受けていません。
あなたの質問返しに付き合う義務はありません。
> で、質問です。
> ・単なる「教えて君」に教えてあげること
折角の思索の芽を摘むようなことを要求されるのは心外。
> ・ス レ 汚 物 栗 花  馨 汚 染 警 報!!を発すること
> を比較すると、警報を発する方が、
> あなたにとっては価値有る行為なわけですね?
害毒の駆除は重要でないとでも。
どうやらあなたが知りたいのは筋道の通った思索による結論−それも措定されたものです−ではなく、ドグマのようですね。

247 :名無しさん@3周年:04/10/22 01:30:45 ID:TEBCe2cb
あほだらはマジで論外だな。阿呆のオーラが臭さすぎ

248 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 01:35:16 ID:fZQAh/vV
>>247>ID:TEBCe2cb
取り付く島も掴めない悔しさが滲み出てますな(笑)。

249 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 01:36:42 ID:IZ+NBs/S
>>246
私は、
>>148 :ぽこたん @キャップなし :04/10/20 16:08:21 ID:BqfyJCTx
では、ありませんが、

> 法句経 153
> わたあしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経巡ってきた、−−−家屋の作者
> (ツクリテ)を捜し求めてーーー。あの生涯 この生涯と繰り返すのは 苦しいことである。
を普通に読めば、

「生死の流れ」とあって、「あの生涯 この生涯」とあるわけですから、
輪廻転生を連想するのが自然だと思います。

これに対して、あなたは、
> 「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提に把握するのはあまりに一面的
> でありましょう。
と反論し、その根拠は、『大乗成業論』にある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804354115/qid%3D1098369221/249-9337134-8093964
と主張しているわけです。
たしかに、あなたに非は無いかもしれませんが、非常に不親切な反論だと私は思います。
どうして、『大乗成業論』の内容の必要部分を要約して説明しないのか理解に苦しみます。

そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
>>140 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 09:25:41 ID:C7r4L7Ux
> 不生不滅のアートマンやら霊魂やらへったくれやら・・・。テクストの記述からのこじつけ・牽強付会に
> よる法の目をかいくぐった悪徳商法めいた見解が後を絶たないのは遺憾というか情けない眺めです。
などと、なげいていても、泣き言としか思えません。


250 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 01:57:10 ID:fZQAh/vV
>>249
> 普通に読めば、
「普通に」読まれるための典籍ではありません。「世の流れに逆らい微妙甚深にして…。」
> 輪廻転生を連想するのが自然だと思います。
「自然な連想」が「正確な理解」にすり替えられる危険が生じます。油断大敵です。
> これに対して、あなたは、
> > 「あの生涯 この生涯」を胎生的もしくは生物学的生死を前提に把握するのはあまりに一面的
> > でありましょう。
> と反論し、その根拠は、『大乗成業論』にある。
> http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804354115/qid%3D1098369221/249-9337134-8093964
> と主張しているわけです。
> たしかに、あなたに非は無いかもしれませんが、非常に不親切な反論だと私は思います。
> どうして、『大乗成業論』の内容の必要部分を要約して説明しないのか理解に苦しみます。
どうして少しでも自発的調査を行わないのか理解に苦しみます。学問は自動販売機ではありません。
あれだけネタを提示していますよ。最低限過去ログを精読して下さい。重要なレスの山です。
> そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
「啓蒙活動」などした憶えもありませんしするつもりもありません。勝手に決めつけないこと。
レッテルを貼られた上に義務を強制される謂われもない。
> >>140 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 09:25:41 ID:C7r4L7Ux
> > 不生不滅のアートマンやら霊魂やらへったくれやら・・・。テクストの記述からのこじつけ・牽強付会に
> > よる法の目をかいくぐった悪徳商法めいた見解が後を絶たないのは遺憾というか情けない眺めです。
> などと、なげいていても、泣き言としか思えません。
めぼしい反駁もありませんが。


251 :名無しさん@3周年:04/10/22 08:32:55 ID:4lp6xx/i
阿呆陀羅經さんにとって、仏教は宗教ではなくて、「苦を解決するための技法」
なんだと思う。確かに、「毒矢の喩え」に見るように、釈尊は「抜苦与楽」を
目的として教えを説かれた。しかし、それだけでは宗教にはならないと思う。

たとえば、科学は純粋な技法の集大成です。こうすれば、核爆弾ができる、こう
すればクローン人間が作れる。同様に、アビダルマでは、こうすれば、苦が滅せ
られる、こうすれば、輪廻(胎生的生死かどうかは別として)から脱却できる、と
説く。

しかし、「クローン人間を作れる」ということと、「クローン人間を作るべき」という
ことは別です。複数の選択肢を取りえる時に、「こうあるべき」という指針を与える
のが宗教の役目だと思う。あるいは「たとえできることでも、やってはいけないこと」
を指示するのが宗教です。

たとえば、一言で「輪廻からの脱却」と言っても人さまざまで、中には「車に七輪を
持ち込んで自殺したい、自殺しても生まれ変わるのならば、修行で転生の核を断ち切って、
完全に自分の息の根をとめたい」という虚無主義に取りつかれた人もあるでしょう。
そういう人々の要望に答えて、技法としてのアビダルマはその人の自殺を手助けして
くれるでしょう。しかし、宗教的な観点からすれば、その人は動機を間違っている。

間違った動機をもって、技法だけを活用すれば、行き着く先は「地獄」でしかないと
私は思います。「自殺マニュアル」というのがありますが、アビダルマの「自我消滅
技法」は、それと非常によく似た部分があり、同じだけ濫用される危険性がある。


252 :251:04/10/22 08:42:44 ID:4lp6xx/i
私は、阿呆陀羅經さんの碩学に敬意を表する者のひとりですが、阿呆陀羅經さん
の「宗教としての仏教」に対する姿勢には関心できない。

宗教というのは、技法ではなくて、その人の行動原理を規定するものです。
その人が宗教的かどうかは、その人の言動を見れば明らかになるはずです。
揚げ足を取りつくろうつもりはありませんが、「栗花 馨」氏に対するあなた
の態度は、仏教の理念に反していると思う。具体的に言えば、釈尊ならば
あなたのような態度は取られなかったはずです。だから、あなたは技法だけは
手にされているかもしれないが、実は仏教徒ではないのだと思う。

「栗花 馨」氏のカキコは、確かに粘着的な部分がありますが、阿呆陀羅經さんの
説かれている仏教の「非宗教性」に異議を唱えているように、私には見えます。


253 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 08:55:24 ID:m5UOW2XL
>>251
佛教をいわゆる「宗教」であるとは考えておりませんし、そうであるべきとも毛頭思いません。かといって
「技法」の如きものと捉えているわけでもありません。本来一語一節定義を摺り合わせて議論すべきこと
を、随分すっ飛ばして進められますね。その種の論点先取に付き合う義務はありませんよ。


254 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 08:58:35 ID:m5UOW2XL
>>252
>実は仏教徒ではないのだと思う。
「佛教徒」という認識は毛頭ありません。あらゆる意味で「ビリーヴァー」ではありませんので。

255 :251:04/10/22 08:59:41 ID:4lp6xx/i
>>253

宗教に関する部分は、その人の価値観に従って何を選ぶかという問題ですから、
議論の範囲外だと思います。だから、別に付き合ってもらう必要はありません。


256 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 09:06:43 ID:m5UOW2XL
>栗花 馨」氏のカキコは、確かに粘着的な部分がありますが、阿呆陀羅經さんの
>説かれている仏教の「非宗教性」に異議を唱えているように、私には見えます。
論点先取を前提に非難されても・・・(苦笑)。そもそも論拠も根拠も提示できないのに「異議」
にすらなっていません。「部分」云々どころか、汚穢発言によるスレの無駄遣いです。言論空
間でのマナーすら弁えない輩に「仏教の理念」とやらを持ち出しても、それこそ「空念仏」でしょう。



257 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 09:12:33 ID:m5UOW2XL
>>255
ではつまらんいちゃもんに手間を掛けたものだ・・・。(苦笑)。

258 :251:04/10/22 09:15:22 ID:4lp6xx/i
これは個人的意見ですが...
そういう仏教ならやるだけ無駄ですよ。

259 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 09:21:43 ID:m5UOW2XL
>>258
論点先取捏造の虚偽論常習者に言われる筋合いはなし。

260 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/22 09:43:25 ID:nMt89DuG
>>251
はなしがもつれてしまう前に、「宗教と釈尊」という視点で宗教そのものを考えて見ませんか?
宗教、戒律、道徳、倫理、律法、法律など広く捉える必要があります。この古くて新しい問題
をジックリ議論してみたいものです。

まず「宗教を議論する時のありかた」から始めなければならないかもしれません。

http://homepage3.nifty.com/fhiso/の宗教学へ進んでいただければ落ち着いた議論が
できると信じております。

261 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 09:50:30 ID:m5UOW2XL
>>240電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ さん発言の
> 別所で滅尽定の講義を始めましたので参加してください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1096019622/l100にて開始されております。
今後の展開が期待されます。

262 :名無しさん@3周年:04/10/22 10:25:52 ID:x3mLMiYX
原始仏教解釈に10世紀も後の論書を用いるのは、
「転生しない」という論点先取以外のなにものでもないと
思うのはオレだけか? 


263 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/22 10:35:46 ID:nMt89DuG
>>262
出来ればhttp://homepage3.nifty.com/fhiso/でご発言いただければうれしいのですが。

>原始仏教解釈に10世紀も後の論書を用いるのは、 

それ自体、正しい解釈として用いるのではありません。また、「転生しない根拠」を求めるには、
10世紀もあとのものより、阿含経そのものを見たほうが手っ取り早いのですから。
それらを読むのは

1 現在出版されている専門書などを読むのと同じ
2 少なくとも、今より古い形の経典引用やそれに基づく解釈がある
3 当時の諸セクトの様子が現れており、思想史として逆にさかのぼるターミナルポイントになる
4 歴史的に釈尊原理主義を押さえる必要がある
5 同じテクニカルタームの概念を追える

などの意義があります。もし論点先取があるとすればご指摘ください。

264 :名無しさん@3周年:04/10/22 11:00:23 ID:TEBCe2cb
阿呆堕羅電波は仏教徒に迷惑なだけです。有害なだけです。

265 :栗花 馨:04/10/22 12:04:58 ID:hpFckC4W
業とか輪廻転生に対して
六師外道(釈迦仏教からみて)釈迦の教えがでてきた。
業とか輪廻転生は相当根深い大問題。

どう生きるか?→正しく
どう正しく生きるか?→無明・渇愛・業に対しての釈迦の明知が正しさ。

266 :栗花 馨:04/10/22 12:13:22 ID:hpFckC4W
哲学倫理学は仏教を扱うことができる。
しかし、仏教は哲学倫理学ではない。
文献の吟味云々と哲学倫理学と仏教はイコールではない。

仏教は実践上で成立。心と宗教は人間の生活の中にある。

267 :栗花 馨:04/10/22 12:16:07 ID:hpFckC4W
★何度も基本に帰りましょう(大切なおさらい)

★仏教には特定の教義はない
★仏陀は、思想ではない。
★釈迦に、文献学的方法やら思想史的方法やらでは永遠に出会うことない。
★推理にすぎない抽出、実践を欠いた論理は、
縁起や無我に反し根本的に錯誤で矛盾する。
★釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。

【「究極極微の一瞬間。」「arhat」】



268 :栗花 馨:04/10/22 12:23:37 ID:hpFckC4W
いろいろなカタログや取扱説明書を
たくさん集めて読んで公約的な説明に帰するフリ−ター。


269 :栗花 馨:04/10/22 12:25:55 ID:hpFckC4W
御客さんや会社の為に貢献し感謝され日々努力する熱血社員。

270 :ぽこたん @キャップなし:04/10/22 13:54:06 ID:wtM6etL5
電波さん復活おめでとうございます。
あんまり無理しないようお願いします。

>>199 阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ New! 04/10/21 17:39:44 ID:MLV58Duw

結論に達する程の読書量はありませんし自分の見解に固執する気もありません
みんなの意見が聞けたらうれしいです。
輪廻を説く経典はあるようです、一般ピーポの認識ですね。
無始相応 草薪
「比丘達よ輪廻はその始めもなきものであって、生きとし生けるものが、無知に覆われ貪欲に縛せられて
流転し 輪廻したる始原は知ることを得ない。」雑阿含経 34 1 
他同種のお経が幾つか。
生死流転を今日と明日に例えてみれば個人が見る夢の議論をした所で意味ないわけで、(無記)
仏陀がいうように一切は
「眼と色とである 耳と声とである、 鼻と香りとである
舌と味とである、身と触とである。意と法とであるこれらを名づけて一切というのである」
六根によって把握される六境とそこから生じる苦悩の解決が根本にあるのでしょう。



271 :ぽこたん @キャップなし:04/10/22 13:55:19 ID:wtM6etL5
>>199 阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ New! 04/10/21 17:39:44 ID:MLV58Duw

>生じる苦の問題とその因縁の追究があくまで主眼です。ニルヴァーナに到っても「老死」
>の到来は絶対不可避です。事実ブッダも例外ではありませんでした。
五蘊と一般的に言いますが、五蘊に2種あると仏教比喩辞典にあります。
凡夫の五蘊は煩悩の取が含まれる事から五取蘊 五盛陰 五受陰
一方で煩悩の影響をうけない覚者の五蘊もあるとの事です。
取が無いのであるから 再生の縁が無い

「比丘達よ聖なる弟子たるものは、かくの如く縁(条件)を知り かくのごとく縁によって
起こる事を知り、かくの如く縁の滅することによって滅する事を知り、また
縁の滅に至る道を知る。ーーーーー あるいは法の流れに入ったといい この世の不幸を
洞察する聖なる知恵を得たといい、不死の扉を打ちて立つと言うのである。」
相応部経典 12 27
不死の事を涅槃の境地と言うそうです。
取を滅すれば再生する事がない 生まれる事が無ければ死ぬ事も無い
そのように今までは理解しておりました。 





272 :栗花 馨:04/10/22 13:58:09 ID:Qd13seDZ
締め切りがせまっていますので・・
それでは・・・

273 :ぽこたん @キャップなし:04/10/22 14:03:36 ID:wtM6etL5
多分あほだら氏の依って立つのはここいら辺にあると思われる。
実際 生きているうちに修行を進めなければ意味が無い。

「世界が常住か常住でないかについて見解を持ったところで 私達の
老死 憂い 苦痛 嘆き 悩み 悶えは依然としてここにある。
私は今現実のこれらの老死 苦を超える事を説くのだ」
中部経典63



274 :ぽこたん @キャップなし:04/10/22 14:33:48 ID:wtM6etL5
輪廻の取り扱いは難しいのでしょうが
六師外道を分類して釈尊は 世に教えを説く指導者達は三つに分類できると仰った
第一師
「現在世は真実に是我と観る」
第二師
「現在世は真実に是我と観 命終の後もまた是我と観る」
第三師
「現在世は真実に是我と観ず、亦復命終の後も真実に是我と観ず」

第一師はプーラナ カッサパ マッカリ ゴーサラ パクダ カッチャーヤナ
 アジタ ケーサカンバリン  (断見)
第二師
「ジャイナ教とバラモン教」は (断見)
 アートマンの思想
第三師
「仏陀の縁起」
五蘊が縁に依り仮に合わさったものが人間というのが仏陀の宗教
依るべきもの(煩悩取)があるうちは再生がある。
もし輪廻再生を否定してしまうなら それは断見と言うことになるのではないか
という疑問がある。
       


275 :ぽこたん @キャップなし:04/10/22 14:36:15 ID:wtM6etL5
第二師
「ジャイナ教とバラモン教」は (断見)
 アートマンの思想

失礼間違いました 常見です。



276 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 22:03:59 ID:IZ+NBs/S
>阿呆陀羅經さん
ちょっと確認したい。

たとえば、東洋大学の森 章司先生は
『 仏教は原始仏教であれ、大乗仏教であれ、上座仏教であれ、日本仏教であれ、
死後の生や輪廻転生を認めないものはありません。』
といった発言をされているが、
これに対し、あなたは、
「あまりに一面的」だと批判的な見方をする立場なのだろうか?
それとも、これを否定する立場なのだろうか?
もしくは、もっと別な立場なのだろうか?

277 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 22:26:08 ID:IZ+NBs/S
>>274-275
ぽこたん @キャップなし さん、こんにちは。

佐倉哲氏は、(中村元『仏教語大辞典』、979頁) を引用し、
----
初期の仏教教団では、教えの中心はニルヴァーナに達することであったが、
在家の信者に対しては主として「生天」の教えが説かれた。
道徳的に善い生活をしたら天に生まれるという教えである。
施論・戒論・生天論の三つは在家信者に対する教えの三本柱であった。
この天の原語はいろいろあるが、いずれも単数形でのみ用いられている。
すなわち、天は一つであって、[後代に現れたような]天の細かな内容規定や、階層的な区別はなかったのである。
誰でも能力に応じて布施を行い、道徳的に善であれば、死後に天におもむくとされたのである。
この天の思想は、仏教独自のものではなく、当時のインドの一般民衆の信仰であって、
仏教はそれを教義の中に取り入れたのである。
ただ、仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、
あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、
一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。
・・・後世の大乗仏教における浄土の信仰は、この天の思想の発達した形である。
浄土もまた、絶対的な境地を表現したものであり、彼岸とは完成を意味することばであったが、
天の場合と同じく、一般民衆には、死後の理想郷と受け取られたのである。
----

基本的には、「仏陀は輪廻転生に関しても無記だった」との立場のようです。

ブッダは「死後にも魂のようなものとして自我が永遠に生残る」という宗教の独断も、
「死後は自我は生残らない」という唯物論者の独断も、どちらも沈黙をもって否定しました。
このような二つの独断的見解をそれぞれ「常見」「断見」と言います。
そして、そのどちらにも与しないブッダの沈黙の立場を「中道」と呼びました。
・・・宗教も唯物論も、人間の知識の及ばぬことに関して空想的独断を犯している
ということにおいては同じ立場だからです。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html


278 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/22 22:27:21 ID:IZ+NBs/S
先ほどのやりとり
(99年 1月17日 「佐倉さんの無我論への感想(4)」 takapさん)
を含め、この方と佐倉氏とのやり取りは、なかなか読み応えがあります。


99年 1月 3日 「佐倉さんの無我論への感想(1)」 takapさん
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism29.html

99年 1月 5日 「佐倉さんの無我論への感想(2)」 takapさん
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism30.html

99年 1月 5日 「佐倉さんの無我論への感想(3)」 takapさん
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism31.html

99年 1月17日 「佐倉さんの無我論への感想(4)」 takapさん
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html

99年 2月28日 「佐倉さんの無我論への感想(5)」 takapさん
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism40.html


279 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :04/10/22 23:03:43 ID:fy94q7BG
ここは御釈迦さんの教えに詳しい方がたくさんおられるようなのでお尋ねしたい。
御釈迦さんの教えは、簡単に要約すると、
現世での苦の消滅だけなんですか?その先にあるものはなにも述べられていないのですか?

もし無記と称して本当になにも述べていなく、その教えに導き出されるものも
現世だけのものなら、仏教って、必要ない、大して重要な教えではないと思えるのですが。
現世での苦の消滅だけを教え、それはどうすればいいかというと、
その苦の原因を取り除けばいいという教えだけなら、僕は迷わず「楽」をとる。
そこに何の迷いもない。

なぜなら苦を取り除くには、煩悩を消すという手段もあろうけど、逆に煩悩を満たすことでも
できるよね。自分は大会社の社長まではいかないが、
ささやかな成功を収めるだけの能力はある。自分が望めば、将来、自分が満足できるだけの
物欲、性欲など必ず満たせるだけの生活は手に入る。
なぜそうなるかは自分がそうだと確信しているから、望めば必ずそういう生活は手に入れることができる。

死んで、ハイ、それで終わりなら、なにも我慢することはない。
そういう生活を目指し、それを手に入れた方が、たった一度の人生、なにごとも我慢して一生終えるより、
はるかに建設的な生き方だろう。
ただいずれくる自分の死という現実と、自分が老いるという覚悟だけできていればいい。

御釈迦さんの教えが、本当に現世のでの煩悩破壊の苦の消滅(簡単に言えば)だけなら、
仏教とは、なにをやってもうまくいかない、自分の煩悩を満たすこともできない無能な者達にはありがたい
教えだろうけど、そうでない人にとっては必要ない、取るに足らない教えだと思える。

なんか僕のいってることで間違っている、おかしい点があれば指摘してください。
ここは質問スレじゃあないよ。とは言わず、ひとつよろしくお願いします。
僕は単純に知りたいのです。


280 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/23 00:02:39 ID:nBjDq9Ez
ラーダ比丘が問い世尊が答える。
正観は何のためですか。正観は厭離のためである。厭離は何のためですか。
厭離は離欲のためである。離欲は何のためですか。離欲は解脱のためである。
解脱は何のためですか。解脱はニルヴァーナのためである。ニルヴァーナは何
のためですか。あなたは問いの範囲を超えている。その問いの究極を捉え得た
ものはいない。実に清浄な修行は確固たるニルヴァーナであり、ニルヴァーナが
依りどころであり、ニルヴァーナで完結する。     『サンユッタニカーヤ』23・1

281 :名無しさん@3周年:04/10/23 00:11:50 ID:cN9IdXTQ
では、質問です。物欲でも、性欲でも、食欲でも満ち足りたと思った瞬間から、苦が始まるとは思いませんか?

例えば空調、暑い夏の冷気は快適であると満ち足りた瞬間から、それなしでは苦がより強くなる。
性欲や食欲は、より明らかで追求すればするほど苦しくなる。強烈な快感なしではいられなくなるからです。
そして、その快感はより新たな何かがないと、得られない。

それが進むと薬に行く。これは明解でしょう。強烈な快感を求めると薬が増える。
そして明らかに苦しみが増える。

私はそんなバカなことはせずバランスよく快楽を楽しむとおっしゃるかもしれないが、
それなら始めから足るを知るに限るのです。

以上の苦を仏教では壊苦と呼んでいます。快楽は持続せず、無くなってやがてその喪失感が苦に変わる
ことを言っています。

また、以上は主体的感受だけを言っていますが、快楽を追求すれば他人と衝突しそこに争いが
生まれ苦が生じるという悪循環が容易に想像できませんか?

282 :だるしむ:04/10/23 00:23:28 ID:P+V2BBF5
いやね、平和なんて幻想なんですよ。
衝突を避けても、 結果的には死を免れることはできません。

快楽は持続しません。
同時に、生命そのものも、たかだか100年程度しか持続しないんです。

悟りとは、、?

283 :だるしむ:04/10/23 00:28:16 ID:P+V2BBF5
そもそも、死後の世界はあるだとか、
六道輪廻は存在するのか、
とかいう疑問を抱く奴は大抵、
根本的なところで同じ問題を抱えているんです。

つまり、現在の自分が分からない。
自分を信用できない。

それゆえに世界を信用できない。
不思議なトリックですが、簡単なトリック。

284 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :04/10/23 00:32:02 ID:Sy/xZmMI
>>281
あなたの例えは極端すぎます。
悪い方向に考えれば、きりがない。
たしか仏教では中道という教えがあったような気がするのですが。

>私はそんなバカなことはせずバランスよく快楽を楽しむとおっしゃるかもしれないが、

おっしゃるつもりです(笑)
上をみればきりがない。その点だけ悟れば、何も難しく考えることはない。

>快楽は持続せず、無くなってやがてその喪失感が苦に変わる
>ことを言っています。

この点は、いずれくる死の覚悟だけできていればいいと、私は考える。
今ある快楽が、例えば今、いい女とSEXしていたとして、
それはいつかは終わると、そんなこと嘆いて「苦」になるとは思えません。
あまり極端に考えすぎると、これは鬱などと一緒ではないですか。

あ、別に喧嘩をしようと思っていません。単純にあなたのレスへの、率直に思った感想です。

>280
阿呆陀羅經さん。これは釈迦の言葉ですか。
書き込みありがとうございました。

285 :名無しさん@3周年:04/10/23 00:47:06 ID:ZhtN8J8Y
人が快楽に耽り、官能に従い、心のままに動くならば、この世で
名誉はいつも彼を捨て去る。果実の落ちてしまった木を、鳥が
立ち去るように。(ウダーナヴァルガ 31−30)

286 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/10/23 01:21:14 ID:UBSTrpHH
現実を「苦」と感じない人にとって仏教は無縁でしょう。
「苦」と感じ始めた時に仏教が必要となり身に沁みて来るでしょう。

287 :名無しさん@3周年:04/10/23 06:42:26 ID:cN9IdXTQ
>>284
極端ではないですよ。一般的な仏教の教えです。そして誤解があります。
今ある快楽が、例えば今、いい女とSEXしていたとして、
それはいつかは終わると、そんなこと嘆いて「苦」になるのではありません。
そうゆう人は、セックスしないでしょう。

そうではなく、その快感が強力で凡庸でなければないほど、後にその快感が得られないことが苦なのです。
簡単な話、そのセックスが今までにないほど気持ちよければ、そのいい女と二度とセックスできなければ、
苦しくないですか? そうゆう苦です。

極端な話しにしないと、この種の苦は認識できないからです。
これでお分かりにならなければ、もうやめます。

288 :名無しさん@3周年:04/10/23 08:24:39 ID:fCMHbnhA
現実を「苦」と感じるところから妄想が始まっているのでは。
実際には、「苦」と「楽」が交互に来ているだけ。
毎日いい女とSEXしまくっていたら、後宮に三千人抱えたって飽きちゃうだろ。
「楽」ばかりは続かない。同じように、「苦」ばかりも続かない。

ところが、人間って奴は過去の「苦」や未来の「苦」まで背負い込んで、現実
の「苦」を10倍位割り増しして感じてしまう。「苦」そのものは消せないが、
「苦」を最小限にすることはできる。現実の「苦」だけをそのまま受け止める
ことだ。同じように「楽」も受け止める。そうすれば、他人と比較したり、余計
なことをしない限りは「苦」と「楽」は50-50でバランスする。

289 :288:04/10/23 08:46:05 ID:fCMHbnhA
「この世は苦だから、苦そのものを断滅したい」というのは一種の強迫観念に
すぎないと思うよ。「世の中は自分の思い通りに回るべきだ。そうでないなら
抗議して自分は死ぬ」というのと同じ種類の傲慢さがある。

「苦」と「楽」は交互に来る。この世に生を受けた誰にとっても。「楽」が
来たら「ラッキー」ですなおに感謝して、「苦」が来たら「しかたがない」で
すなおに耐えるしかない。

最後は死ぬんだから、それも考慮に入れるべきだよな。金庫にうなるほど金塊
を積み上げて、死ぬ時に再び「無一文」に戻るギャップの大きさに苦しむのは
馬鹿げている。死んだらいい女とSEXできない、と悶々とするのも同じく愚行。

「苦」も「楽」もその時限りの「生もの」だと割り切れば、生はそれほど辛く
ないと思うよ。

290 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/23 10:44:47 ID:MOQB2SHy
>>288 :名無しさん@3周年 :04/10/23 08:24:39 ID:fCMHbnhA
> 現実を「苦」と感じるところから妄想が始まっているのでは。
> 実際には、「苦」と「楽」が交互に来ているだけ。

『「あるがまま」を「あるがまま」に受け止めて、生きていきたい。』
といっているんですよね?
それでいいじゃないでしょうか?

> なんか僕のいってることで間違っている、おかしい点があれば指摘してください。
> ここは質問スレじゃあないよ。とは言わず、ひとつよろしくお願いします。
> 僕は単純に知りたいのです。
お釈迦様は、「あるがまま」を「あるがまま」に受け止めて、
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦、
と認識し、『一切皆苦』じゃ辛いんで、それを何とかするために、
苦集滅道を説いたわけです。(おもいっきり、私見です)

だから、あなたが、「あるがまま」を「あるがまま」に受け止めて、
何の問題も無く生きていけるのなら、それでいいと思います。

世の中は、果たして、一切皆苦なのか? それとも
> 実際には、「苦」と「楽」が交互に来ているだけ。
なのか?
なんて議論しても、時間の無駄だと思いませんか?


291 :けちゃっぷ:04/10/23 11:19:33 ID:CCy7h6oF
カラスの唄さん、仏教は、苦悩の原因が自分の煩悩だと気付かせてくれます。仕事で成功するためには、苦労・リスクがあります。それを覚悟し、トラブルの際には他人に八つ当りしないでください。

292 :けちゃつぷ:04/10/23 11:21:52 ID:CCy7h6oF
たとえば部下が失敗した時、部下に怒りをぶつけても、ストレスの原因になるだけ。自分と部下の能力に差があるのはあたりまえ。できることをやるしかないのですよね。怒りはストレスの種。それを理解しましょ

293 :ぽこたん @キャップなし:04/10/23 13:55:02 ID:FUv6zr72
>>277 無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage
ども
レス有難うございます。
佐倉氏の論文は私も存じ上げています。
すばらしい見識をお持ちだと思いますし 私もかなり影響を受けました。


294 :ぽこたん @キャップなし:04/10/23 14:02:05 ID:FUv6zr72
>>263 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 04/10/22 10:35:46 ID:nMt89DuG
>出来ればhttp://homepage3.nifty.com/fhiso/でご発言いただければうれしいのですが。
電波氏の誘導で「阿含仏教徒とのゆったりした時間の流れ」へ行って謎が解けました。
そこかからの転載になります。
>20 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/08/31(土) 15:02

>「無明(四諦に関する無知)」に縁って「行(生活作用)という思い」が起り、
>「行」に縁って「識(識別作用)という思い」が起り、
>「識」に縁って「名色(名称と形態)という思い」が起り、
>「名色」に縁って「六入(六つの感受作用)という思い」が起り、
>「六入」に縁って「触(対象との接触)という思い」が起り、
>「触」に縁って「受(感受作用)という思い」が起り、
>「受」に縁って「愛(妄執渇愛)という思い」が起り、
>「愛」に縁って「取(執着)という思い」が起り、
>「取」に縁って「有(生存)という思い」が起り、
>「有」に縁って「生(出生)という思い」が起り、
>「生」に縁って「老死・愁・悲・苦・憂・悩(老いと死、愁い、悲しみ、苦しみ、
>憂い、悩み)という思い」が起る。

>以上を心相続の流転としての縁起、迷いの生存のありかたを示す
>「流転縁起」と私は理解しています

>ひるがえって、
>「無明」の滅に縁って「行・・・」と、次第に迷いを滅してゆくのが
>「還滅縁起」であると考えます。縁起説の胎生学的理解は容易に実
>体論に墜してしまいがちですので、私は採用しません。
胎生学の意味を私が取り違えていました。
私の認識も 阿呆陀羅經氏と同じです。 この通りです。

295 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/23 14:12:02 ID:nBjDq9Ez
>>294ぽこたん @キャップなしさん、
懐かしい書き込みのリサイクルどうもです(恥)。今となっては色々と不備や誤りを発見できま
すが、基本的見解は変わっておりません。

296 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/23 14:26:52 ID:KvBKNt3v
本日、明日と集中して書き込むつもりでしたが、現在執筆中の内容に関して先日、法令改正がありました
ので、それに対応すべく書き直しているところです。あさっての朝までの突貫になりそうです。

その後に http://homepage3.nifty.com/fhiso/ のほうで集中したいと思います。

先ほど提案したのですが(三法印スレ)勉強会として『存在の分析』も平行して、仏教の基礎学
の定着を目指したいと考えております。どなたか新規にスレッドを立てて進めておいてもらえますか。

297 :288:04/10/23 14:33:02 ID:fCMHbnhA
>>290
>世の中は、果たして、一切皆苦なのか?

その一切皆苦、という時点で妄想が始まっていると思うんだけど。
釈尊が説いたのは人生では四苦八苦は逃れられないという事だけで、「人生の
何もかもが苦しい」とは言っていない。

八苦とは、
「生苦(しょうく)」:生まれる苦しみ→一回きりじゃないか!
「老苦(ろうく)」:老いる苦しみ→若い頃は楽しんだんだろ?
「病苦(びょうく)」:病気になる苦しみ→ひと時も健康な時はなかったのか?
「死苦(しく)」:死ぬ苦しみ→それを今、味わっているわけ?
「愛別離苦(あいべつりく)」:愛する者と別れなければならない苦
「怨憎会苦(おんぞうえく)」:怨み憎む人と出会わなければならない苦
「求不得苦(ぐふとくく)」:求めても得られない故の苦、すなわち希望が達せられない事から起こる苦
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」:視覚、認識などの心理作用が盛んなるゆえに湧き起こる苦悩

「愛別離苦」からの四つは、「まあ、生きてればそういうつらいこともあらあな」
って程度のものです。フツーの人ならば、我慢して嵐が通り過ぎるのを待つ。
四苦八苦が嫌で、車の中に七輪を持ち込んだり、苦が解決するならと怪しげな修行に頼る
という時点で、フツーじゃない。そういう自己反省が必要だと言ってる訳。人生を灰色に
塗りたくっているのは自分自身だということ。

柿ピーは、柿の種とピーナッツが一緒になっているから柿ピーであるのと同じ
だけ、人生は、「苦」と「楽」が一緒になっているから人生なわけ。「俺の人生だけは
楽だけにしてくれ」と駄々を捏ねている奴の頭を張り飛ばして目を覚まさせるのが
仏教の教えだと思う。もし、釈尊が「この方法で苦が消えてなくなる」と何か特別な
秘法を持っているかのように思って引き寄せられたのなら、それは釈尊に騙されたんだよ。

「一切皆苦」は、釈尊が仕込んだゴキブリホイホイの餌にすぎんと思うよ。

298 :ぽこたん @キャップなし:04/10/23 14:39:13 ID:FUv6zr72
あほだら氏の指摘は バウ氏との議論が前提にあったわけですね。
ただ一つ指摘しておくならば彼の12縁起の分類は彼が属す教団の
分類ではなくバウ氏個人の分類である事を申し添えておきます。
彼らは矛盾を糊塗するためにはどんなコジツケも有りです。
ですから あほだら氏の指摘と私の認識に乖離があった事はいた仕方ない
事になります。

>以上を心相続の流転としての縁起、迷いの生存のありかたを示す
>「流転縁起」と私は理解しています
これは実際この通りであると今まで認識していました、
ただし、生と死に関してはその通り生まれること 死ぬ事と認識しています。
ですからこの部分をもって私は胎生学的ではないだろうか思ったわけです。
この点お詫び。
経典改竄なんでもあり木に竹を接ぐ oo 氏の本の中で唯一評価できる
ooooooo にはちゃんと12縁起の順観 逆観が紹介されています。
木に竹を接ぐ 木の部分になります。
個人的にはこの順観 逆観に非常な価値を見出すわけです。



299 :288:04/10/23 14:41:13 ID:fCMHbnhA
嘘をつき地獄へおつるものならば なき事作る釈迦いかがせん
(一休宗純)

300 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/23 15:30:17 ID:MOQB2SHy
>>297 :288 :04/10/23 14:33:02 ID:fCMHbnhA

> 柿ピーは、柿の種とピーナッツが一緒になっているから柿ピーであるのと同じ
> だけ、人生は、「苦」と「楽」が一緒になっているから人生なわけ。「俺の人生だけは
> 楽だけにしてくれ」と駄々を捏ねている奴の頭を張り飛ばして目を覚まさせるのが
> 仏教の教えだと思う。もし、釈尊が「この方法で苦が消えてなくなる」と何か特別な
> 秘法を持っているかのように思って引き寄せられたのなら、それは釈尊に騙されたんだよ。
>
> 「一切皆苦」は、釈尊が仕込んだゴキブリホイホイの餌にすぎんと思うよ。

あなたが、そう思っているのなら、そう思っていればいいだけなんじゃないの?
別に違うことを信じさせたいとは、私は思いません。
あなたは、自分のその考えに、他人をも同意させたいのですか?

(あなたは、自分のその考えに他人をも同意させたいという執着を持っているのですか?)


301 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/23 15:38:56 ID:nBjDq9Ez

>>298
> あほだら氏の指摘は バウ氏との議論が前提にあったわけですね。
結局議論は成立しませんでした。「カルトゾンビ」との対論の無益さを再確認しました。
> ただ一つ指摘しておくならば彼の12縁起の分類は彼が属す教団の
> 分類ではなくバウ氏個人の分類である事を申し添えておきます。
> 彼らは矛盾を糊塗するためにはどんなコジツケも有りです。
> ですから あほだら氏の指摘と私の認識に乖離があった事はいた仕方ない
> 事になります。
>
> >以上を心相続の流転としての縁起、迷いの生存のありかたを示す
> >「流転縁起」と私は理解しています
> これは実際この通りであると今まで認識していました、
> ただし、生と死に関してはその通り生まれること 死ぬ事と認識しています。
四禅五定への入出定も「結生」とされますし、事象の生起も「生」と表現されることも
あれば、ある状態・境涯の終滅を「死没」と表現されることもあります。
> ですからこの部分をもって私は胎生学的ではないだろうか思ったわけです。
> この点お詫び。
> 経典改竄なんでもあり木に竹を接ぐ oo 氏の本の中で唯一評価できる
> ooooooo にはちゃんと12縁起の順観 逆観が紹介されています。
> 木に竹を接ぐ 木の部分になります。
> 個人的にはこの順観 逆観に非常な価値を見出すわけです。
別にカルト本を持ち出さなくとも、順観・流転門、逆観・還滅門はまともな佛教入門書には
記載されている基礎教理であると思います。



302 :名無しさん@3周年:04/10/23 15:50:58 ID:fOgpt9HV
あほだらの無明は果てしなく深い。

303 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/23 15:54:03 ID:nBjDq9Ez
> ですからこの部分をもって私は胎生学的ではないだろうか思ったわけですhttp://www.bukkyosho.gr.jp/Bukkyo/Shop/ThisBook.asp?KanriNo=9-826-98070-6-001
のp149〜188あたりを精読されると妥当な縁起説理解が可能かと思います。

304 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/23 18:33:08 ID:MOQB2SHy
>>293
ぽこたん @キャップなし さん、こんにちは。

> 佐倉氏の論文は私も存じ上げています。
そうですか。余計なお世話でしたね。失礼しました。
takapさんが、あの手この手で、「初期経典では明らかに転生輪廻に言及」していたことを
立証しようとしている姿に、つい感動してしまったものですから。

> すばらしい見識をお持ちだと思いますし 私もかなり影響を受けました。
見識の内容自体素晴らしいことも、さることながら、
その表現形式も、とても素晴らしいと思っております。

必要最小限の引用を行い、そのページを読んだだけで、その根拠も結論も明らかになっている。
必要であれば、根拠の文脈を確認できるように、出典も明らかにされている。

出典だけ示して引用はせず「あとは勝手に調べろ」といった傲慢な姿勢は微塵もありません。
>「如来の法には、教師の[秘密の]にぎりこぶしはない」(『長阿含経』第二経の『遊行経』)
の教えそのものです。

> 僕が自分の意見をこのように発表するのは批判を受けるためです。
> 人間の知識はいつでも不完全ですから、直感や学習や経験で得たことを自他の批判によって、
> 繰り返し繰り返し再吟味し、洗練することが必要だ、と僕は思っています。
> そのためには自分が考えついたことを先ず語ってみなければなりません。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/bible02.html
といった姿勢が、いたるところで貫かれています。


305 :名無しさん@3周年:04/10/24 04:10:17 ID:mZZzRS7b
「スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する」
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50
みんな、もう、釈尊の言葉へ帰ろう。

比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、
心配や非泣を乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、聖なる道を得るため、
涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。
                              (念住経より)

苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
観法の咎めとならん 貴の咎めなり
               (仏史より)

306 :栗花 馨ファンクラブ:04/10/24 07:10:47 ID:asH23YQH
>ブッダは「死後にも魂のようなものとして自我が永遠に生残る」という宗教の独断も、
>「死後は自我は生残らない」という唯物論者の独断も、どちらも沈黙をもって否定しました。

沈黙を守って否定したのではなく、ぺらぺら言葉に出して論じている内は何も分かっていないという事でしかない。
そのものが言葉に出して論じる事、その者の本当に必要な思索には仏陀から見て
ズレがある。仏陀は何でも答えている。論じようとする言葉とその者の思考とその者の境地をトータルで
考えて説法する。


307 :名無しさん@3周年:04/10/24 08:22:26 ID:jHvEUMhw
>>306
それが瞑想などの実践を通して得た答えなら、あまりにも浅く、あまにりも薄すぎる。
下らん瞑想してるんだな。電波は瞑想や神秘体験をめったに語らないが、語らせば
そんなもんじゃないと思うぞ。ただ主観的なものを学者は語らないだけだと思う。

308 :名無しさん@3周年:04/10/24 09:19:39 ID:2NqpC2lP
あほだら電波の脳は仏教に耐えられなく情けなく壊れた。業病。

309 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 09:42:37 ID:RcqlmE4Y
知識と知恵は、違うものです。
如何に、知識量があろうとも、知恵の足りない人間は存在します。
-----
さて、知識の足りないものが知識あるものに教えを請い、
それを拒否される場合、大きく2つのケースに分けられると思います。

case1:
足し算・引き算しか知らない人間が、微分積分について教えを請い、
それを拒否されたとすれば、それは当然だと思います。
(×教えを請う者、 ○回答を拒否するもの)

case2:
掛け算を知っている人間が、割り算について教えを請い、
それを拒否されたとすれば、拒否した人はケチなだけだと思います。
(○教えを請う者、 ×回答を拒否するもの)

ただ、悲しいことに知識の無いものはどちらの理由で回答を拒否されたのかその時点では判断できません。
-----
まともな2択の質問に対するまともな回答は、
YES、NO、ノーコメント
の3つのうちのどれかです。
ただし、まともでない2択の質問に対するまともな回答には、
その「質問はまともでない」という回答もありえます。

無記は回答拒否ではなく、「ノーコメントと回答した」と等価だと考えます。
言うまでもなく、
・ノーコメントはYESではありません。
・ノーコメントはNOではありません。


310 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 10:52:30 ID:RcqlmE4Y
Web掲示板は、不完全なコミュニケーション手段です。
誤解や勘違いは避けることができないと思います。そして、
あくまでも言葉は《月をさす指》であって月そのものではない(「大智度論」巻9)。

悪意に基づく曲解は、許されるものではありませんが、
単なる早とちり、勘違いは、その事実を指摘すれば充分だと思います。

ある作家が次のようなことを言っています。

>匿名の後ろに身を潜めたとき、人間の徳性は大きく落ち込むことを人間知として心得ているからである。
>残念なことだが、闇夜にまぎれて投石する卑劣さは人間だれしも多少は持ち合わせている。
>だからこそ、自分の節度をきちんと維持するためには実名で通す必要があるのだ。
>私だって匿名に隠れれば、70パーセントOFFの情けない卑劣な人間に落ち込むことは保証できる。
>匿名にしてなおかつ節度をきちんと維持できる人も確実に存在するし、
>そうした人間的に立派な人々には最敬礼したくなる。

2chにおいて有意義な議論ができるかどうかは、投稿者の品性に大きく依存します。
『落ち着いた議論ができる』場所へ、議論の場を移すという選択肢も当然ありますが、
私としては、「このスレで、有意義な議論ができればいいな」と思っております。


311 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 10:54:15 ID:RcqlmE4Y
>>250 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 01:57:10 ID:fZQAh/vV
> > そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
> 「啓蒙活動」などした憶えもありませんしするつもりもありません。勝手に決めつけないこと。
> レッテルを貼られた上に義務を強制される謂われもない。
これは、阿呆陀羅經さんの勘違いです。

私は何も決め付けておりませんし、レッテルも貼っていません。
ましてや、義務の強制もしていません。

>>249
> そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
> >>140 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 09:25:41 ID:C7r4L7Ux
> > 不生不滅のアートマンやら霊魂やらへったくれやら・・・。テクストの記述からのこじつけ・牽強付会に
> > よる法の目をかいくぐった悪徳商法めいた見解が後を絶たないのは遺憾というか情けない眺めです。
> などと、なげいていても、泣き言としか思えません。

を落ち着いて、精読されると

◆私は単に、阿呆陀羅經さんの投稿( >>140 )は愚痴に過ぎない。

と、指摘しているだけだという妥当な理解が可能かと思います。


312 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 11:49:05 ID:xObH5a86
>>311
> >>250 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/22 01:57:10 ID:fZQAh/vV
> > > そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
> > 「啓蒙活動」などした憶えもありませんしするつもりもありません。勝手に決めつけないこと。
> > レッテルを貼られた上に義務を強制される謂われもない。
> これは、阿呆陀羅經さんの勘違いです。
> > 私は何も決め付けておりませんし、レッテルも貼っていません。
> ましてや、義務の強制もしていません。
論証なき決めつけをレッテル張りといいます。過去にあなたは何らかの論拠や根拠となる資料、
あるいはそれに準ずるものを提出しましたか?それを怠れば佐倉氏のHPの某氏を引き合いに
出すのは笑止ですね。私の「啓蒙活動」とやらの確たる根拠の挙証責任はあなたにあります。
それが出来なければ根拠なき決めつけでしょう。
> >>249
> > そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
> > >>140 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/20 09:25:41 ID:C7r4L7Ux
> > > 不生不滅のアートマンやら霊魂やらへったくれやら・・・。テクストの記述からのこじつけ・牽強付会に
> > > よる法の目をかいくぐった悪徳商法めいた見解が後を絶たないのは遺憾というか情けない眺めです。
> > などと、なげいていても、泣き言としか思えません。
> を落ち着いて、精読されると
> ◆私は単に、阿呆陀羅經さんの投稿( >>140 )は愚痴に過ぎない。
> と、指摘しているだけだという妥当な理解が可能かと思います。
前後一連のコンテクスト読解能力皆無の告白ですね。



313 :名無しさん@3周年:04/10/24 12:08:54 ID:2NqpC2lP
阿呆堕羅は都合悪いと摩り替えや誤魔化しで逃げる。

314 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 12:22:44 ID:xObH5a86
>>313
摩り替えや誤魔化の指摘をしているに過ぎない。

315 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 12:38:22 ID:RcqlmE4Y
>>312 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 11:49:05 ID:xObH5a86
> 論証なき決めつけをレッテル張りといいます。
はい、その通りです。

> 私の「啓蒙活動」とやらの確たる根拠の挙証責任はあなたにあります。
何を挙証しろといっているのですか?

私は、
> >>249
> > そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
こう書いたのです。落ち着いて、精読されると、
●あなたは啓蒙活動をしていない
と、指摘しているだけだという妥当な理解が可能かと思います。

これに対して、あなたは、
>>250
> 「啓蒙活動」などした憶えもありませんしするつもりもありません。
と言っているのですから、私たちの認識は完全に一致しています。

> それが出来なければ根拠なき決めつけでしょう。
『根拠なき決めつけ』とは、いったい何のことでしょうか?

> 前後一連のコンテクスト読解能力皆無の告白ですね。
はい。お恥ずかしいことに理解できないことを告白いたします。
私が、どんな『根拠なき決めつけ』をしたのか、どうぞご教授下さい。


316 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 14:08:15 ID:xObH5a86
>>315
> >>312 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 11:49:05 ID:xObH5a86
> > 論証なき決めつけをレッテル張りといいます。
> はい、その通りです。
> > 私の「啓蒙活動」とやらの確たる根拠の挙証責任はあなたにあります。
> 何を挙証しろといっているのですか?
そもそも行ってもいないしその義務もない「啓蒙活動」を「端折って」いるなどとの事実無根の
事柄をでっち上げたのはどちらさんでしょうね。
> 私は、
> > >>249
> > > そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
> こう書いたのです。落ち着いて、精読されると、
> ●あなたは啓蒙活動をしていない
> と、指摘しているだけだという妥当な理解が可能かと思います。
> これに対して、あなたは、
> > 「啓蒙活動」などした憶えもありませんしするつもりもありません。
> と言っているのですから、私たちの認識は完全に一致しています。
> > それが出来なければ根拠なき決めつけでしょう。
> 『根拠なき決めつけ』とは、いったい何のことでしょうか?
> > 前後一連のコンテクスト読解能力皆無の告白ですね。
> はい。お恥ずかしいことに理解できないことを告白いたします。
> 私が、どんな『根拠なき決めつけ』をしたのか、どうぞご教授下さい。
> 「眼光紙背」などという言葉とは無縁のようですね。
私の無我説とアートマン説との牽強付会解釈に関する一連の批判レスを前提とした
文脈での発言です。私は皮肉は言いますが泣き言は言わない主義です。
しかしまあ、こんな下らない無益な応答はこれまでにしたいものですし、そんなものに
かまけて付き合う義務もありません。時間の無駄です。

317 :名無しさん@3周年:04/10/24 15:46:44 ID:2NqpC2lP
阿呆だらが、また逃げた。

318 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 15:54:15 ID:xObH5a86
>>317
私は逃げんよ。カルト家畜じゃあるまいし。

319 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 16:28:09 ID:RcqlmE4Y
>>316
> そもそも行ってもいないしその義務もない「啓蒙活動」を「端折って」いるなどとの事実無根の
> 事柄をでっち上げたのはどちらさんでしょうね。

なるほど。阿呆陀羅經さんが、どのような誤解をされているのかようやくわかりました。
しかし、この程度のことで、「決め付け」「レッテル貼り」「でっち上げ」と誹謗されるのは遺憾です。

これは私の認識ですが、現代の日本において仏教といえば、
極楽、地獄、六道輪廻による生まれ変わりといったイメージが一般的でしょう。

【啓蒙活動】について
これに対して、原始仏教においては、霊魂は否定されているし、俗に言う輪廻転生など説かれていない
と公開の場で主張するとすれば、それを啓蒙活動と読んだとしても何の問題もないと考えます。

【端折って】について
そして私は、何かを根拠に基づいて主張する際には、
根拠を直接引用等で明示すべきで、文献を間接的に示すことですませるのは、一種の手抜きだと思っています。
直接引用無しの説明をみて、私がそれを「説明を端折っている」といっても非難されるいわれはないでしょう。

そして、わたしが、
> そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
と阿呆陀羅經さんに言ったとしても、
「阿呆陀羅經さんに啓蒙活動の義務がある」と決め付けたことにはならないと思いますが、いかがでしょうか?

> しかしまあ、こんな下らない無益な応答はこれまでにしたいものですし、
たしかに、「下らない」「無益」には同意しますが、誹謗されている身なので説明だけはさせてもらいます。

> そんなものにかまけて付き合う義務もありません。時間の無駄です。
阿呆陀羅經さんに付き合う義務が無いのは存じていますが、俗に言う「輪廻」に関し、
阿呆陀羅經さんが、否定しているのか、批判的見方をしているだけなのか、よくわからないので、
>>276 に対して回答いただければ、うれしく思います。


320 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 16:31:21 ID:RcqlmE4Y
>>319
訂正前:
それを啓蒙活動と読んだとしても何の問題もないと考えます。

訂正後:
それを啓蒙活動と呼んだとしても何の問題もないと考えます。


321 :仏凶:04/10/24 16:53:56 ID:GA2hX5tq
仏凶 仏凶 仏凶    大凶
仏凶 仏凶 仏凶    大凶
仏凶 仏凶 仏凶    大凶


322 :ぽこたん @キャップなし:04/10/24 17:27:05 ID:F3IhhMjw
途中失礼します。
>>319 無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage New! 04/10/24 16:28:09 ID:RcqlmE4Y

>そして私は、何かを根拠に基づいて主張する際には、
>根拠を直接引用等で明示すべきで、文献を間接的に示すことですませるのは、一種の手抜きだと思っています。
無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage 氏は知的な香りがぷんぷんするし あほだら氏は広大な読書量から来る明確な
認識がありどちらの指摘も価値があるように思えます。
あほだらさんは議論の相手によって細かく引用する場合もあるし、
(バウさんに提示した12縁起のように) 議論の相手が論書を手に取るようであれば
自分で読んで自分で答えを見つけなさいというスタンスなのでしょう。
「取」は煩悩の扱いになりますが、どんなもの(仕事 趣味 学問 宗教)でも執着せずに
ものになる事はなく人より 執着して執着してやっと人前に出せるものになる、
執着しなかったら人の役にたつものはできない。
自分で読んで判断しろという姿勢もありでいいんじゃないでしょうか
仏陀の宗教は究極のところで(執着)を捨てますが やはり取り掛かりは執着して
理解納得する手順が必要になると個人的には思っています。
まあ引用してもらえるなら それに越した事はありませんが。





323 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 18:02:44 ID:xObH5a86
>>319
> しかし、この程度のことで、「決め付け」「レッテル貼り」「でっち上げ」と誹謗されるのは遺憾です。
「この程度」という基準を委ねた憶えはありません。
> 極楽、地獄、六道輪廻による生まれ変わりといったイメージが一般的でしょう。
これを前提に原始佛教をするおつもりでしょうか。
> これに対して、原始仏教においては、霊魂は否定されているし、俗に言う輪廻転生など説かれていない
> と公開の場で主張するとすれば、それを啓蒙活動と読んだとしても何の問題もないと考えます。
一般的輪廻転生観に対する批判的見解は折々述べてきましたが、「否定」したことはありません。過去ログ読んで
ないでしょ。理由が成立しないなら「啓蒙活動」なる私の発言に対する概念規定は不成立ですね。
> 【端折って】について
> そして私は、何かを根拠に基づいて主張する際には、
> 根拠を直接引用等で明示すべきで、文献を間接的に示すことですませるのは、一種の手抜きだと思っています。
「思う」のは勝手ですが容易な調査すら忌避する人にそこまで入れ込む義理はありません。
> 直接引用無しの説明をみて、私がそれを「説明を端折っている」といっても非難されるいわれはないでしょう。
そういうあなたが何かを主張するときに典拠や論拠を提示したところを記憶しておりませんが。
> そして、わたしが、
> > そういった、啓蒙活動を端折っていながら、
> と阿呆陀羅經さんに言ったとしても、
> 「阿呆陀羅經さんに啓蒙活動の義務がある」と決め付けたことにはならないと思いますが、いかがでしょうか?
前提不成立では?
> 阿呆陀羅經さんに付き合う義務が無いのは存じていますが、俗に言う「輪廻」に関し、
> 阿呆陀羅經さんが、否定しているのか、批判的見方をしているだけなのか、よくわからないので、
> >>276 に対して回答いただければ、うれしく思います。
その種の議論は過去に盛んに為されましたので、過去ログを参照の上、発言されると非効率なやりとりを
避けられます。


324 :名無しさん@3周年:04/10/24 18:24:46 ID:2NqpC2lP
阿呆堕羅は零点。

325 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/24 18:57:30 ID:RcqlmE4Y
>>323 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 18:02:44 ID:xObH5a86
> > しかし、この程度のことで、「決め付け」「レッテル貼り」「でっち上げ」と誹謗されるのは遺憾です。
> 「この程度」という基準を委ねた憶えはありません。

了解。

>>249 におきまして、誤解の生じやすい表現を用いたことを、
阿呆陀羅經さんにお詫びすると同時に、
>>249 における最後の5行を撤回させて頂きます。
下らない無益な応答に付き合わせてしまい申し訳ありませんでした。
お互い時間の無駄でしたね。

また、原始仏教とは関係のないやり取りでスレ汚しをしてしまったことを
スレの皆様にお詫びいたします。


> 「思う」のは勝手ですが容易な調査すら忌避する人にそこまで入れ込む義理はありません。
勿論、あなたにそんな義理はありません。
ただ、このスレには発言者以外にも、たくさんのROMの参加者がいると思います。
あなたが「容易な調査」と思うものが誰にとっも「容易な調査」とは限らないことを
考慮していただけたらと思います。(勿論あなたにそんなことを考慮する義務はありません。)

ただ、私以外にも、ぽこたんさんのように、
> 自分で読んで判断しろという姿勢もありでいいんじゃないでしょうか
と、相手の姿勢を尊重しつつも、

> まあ引用してもらえるなら それに越した事はありませんが。
と思っている人間がいます。

(だからといって、あなたにどうこうしろと指図するつもりは全くありません。)


326 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :04/10/24 18:59:21 ID:86556pFp
僕の書き込みにレス(らしき?)ものをくれたかた、ありがとうございました。
あえてコメントは差し控えたいと思います。
さて、実は僕は幼児洗礼を受けたに過ぎない、カトリック教徒ですが、
最近仏教にも興味をもち、いろいろと(と、いっても非常に浅いですが)調べたところ、
どうも御釈迦さんの教え、つまり仏教の行き着く先は、
ニルヴァーナ、涅槃だと言うところまではわかりました。
ところで、このニルバーナ、涅槃とは、どういう状態のことをいうのでしょう?
釈迦は無記と称してあの世のことは語らなかったそうですが、
涅槃と言うのは、とどのつまり、この世における、自分の意識革命のことをいうのでしょうか?
それともこの世の先のことを言っているのでしょうか?
ここの人たちの見解をお聞きできればと思います。
あと、ここは仏教界の権威のようなお偉い先生方もおられるようですが、
あなた方は、仏教に接しておられて、この涅槃の境地に至れましたか?


327 :名無しさん@3周年:04/10/24 19:02:33 ID:QZnwcAcp
阿呆陀羅經さん論調は、真理探究型ではなくて、弁護士型。
真摯に真実を探究するためではなくて、議論に勝つためだけに議論している。
この種の論調でまくしてたる人物が真理に到達したためしはありません。
これは、一ROM者の感想ですから、レスは不要です。>阿呆陀羅經どの

328 :名無しさん@3周年:04/10/24 19:11:43 ID:pufve4qR
>327
おいらも激同、議論の為の議論など仏道には無用。

329 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/24 21:02:35 ID:ZipdTb1q
>>325無宗だ ◆4eP.G3wMrs さん
丁重なレス恐縮です。こちらこそ激越な表現を多用しましたことをお詫び申し上げ
ます。発言趣旨等の丁寧な摺り合わせと論拠の提示が出来れば有益な対論が成
立すると考えます。また気が向かれればレスなどお寄せ下さい。
>あなたが「容易な調査」と思うものが誰にとっも「容易な調査」とは限らないことを
>考慮していただけたらと思います。
今後留意いたします。只、入手しやすい文献に関しては出来れば確認していただき
たく思います。『成業論』は全文ではありませんが、http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406159642X/qid=1098618904/sr=1-4/ref=sr_1_10_4/249-9337134-8093964
で主要部分が読めます。もしよろしければhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1096019622/l100
においでになれば、輪廻問題などについてもより深い追究が出来るのではないかと考えます。

330 :名無しさん@3周年:04/10/24 21:12:06 ID:vsHJgwZM
>>297 一切皆苦は四法印ですよ。 四法印というのは仏教であるかないかの試金石です。
釈尊が一切皆苦を説かないというようなことは、誰がいってるんでしょう?
生が一回きりなんてのは、思いっきり断見で、仏教とはいいがたいです。


331 :実行委員長:04/10/24 21:18:54 ID:82vJp21T
止息経を、インタネット出したので、仏陀になって死ぬことができる。

332 :名無しさん@3周年:04/10/24 23:36:47 ID:7sy4eyUG
ちょいとお訊ねしたいのだが、仏教では精神の苦痛を取り除くために苦の原因を滅するとのこと。
精神的苦痛の根元がリアルな身体と関連しているばあいは、この仏教的方法は無力に近いと考えてよいのだろうか?
阿呆陀羅經さん、お願いします。

333 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/24 23:49:52 ID:jHvEUMhw
>>332
あなたはリアルな身体と関連して精神的苦痛があるのですか?
そしてその身体にはどのような原因があるのですか?
その精神的苦痛とはどういったものですか?

あなたの出来るだけの努力を払っても解決できないものですか?
そのことで生きるという意味において決定的に悩むことがありますか?
あなたの苦痛を回りは認識していますか?
認識しているとすればどの範囲においてですか?

あなたが理解している仏教的方法とは具体的になにを指すのですか?
あなたが理解している仏教でいう根源苦とリアルな身体と関連している苦痛
との間にはズレがありませんか?

もしあなたにそれらのリアルな身体と関連している苦痛がないとすれば
なぜそのような問いを発するのですか?

334 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/24 23:55:39 ID:YQ+t3feN
>>333
偽者登場ですね。
わたしのキャップも変更する必要があるようです。
もうしんどいから、余計なことはしないで欲しい。。。。。。。。。。。。。。

335 :名無しさん@3周年:04/10/25 00:33:41 ID:ZTn2cCeH
多重人格 THE分裂 とは原始仏教で起きるのでしょうか?

336 :阿呆陀羅經 ◆urKpy/ZiXA :04/10/25 07:34:53 ID:uB+Gji+R
私も面倒事防止にキャップ変更。

337 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/25 07:37:30 ID:uB+Gji+R
不具合が出たので修正。

338 :名無しさん@3周年:04/10/25 07:50:11 ID:8lDSNsxr
>>330

四法印てのは、三法印の亜流という位置づけでは?
そんなことより、>>297の疑問に正面から答えてやったら如何?
「人生は苦と楽のミックスで、一切が苦であるというのは間違い」と言っている。
それを論破せずに「仏教ではない」と斬り捨てるのは、あなたが「仏教が真理だ
から信じている」のではなくて、「昔からありがたいと信じられている仏教
は真理を説いているに違いない」と盲信している証拠。

釈迦だろうがイエスだろうが、間違っているものは間違い。

339 :ぽこたん @キャップなし:04/10/25 07:56:55 ID:QqLBcgkh
>>329 阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ 04/10/24 21:02:35 ID:ZipdTb1q

>今後留意いたします。只、入手しやすい文献に関しては出来れば確認していただき
>たく思います。『成業論』は全文ではありませんが、

まあなんですね 話を蒸し返すようでなんですが
某教団などは平気で引用と証して改竄したものを載せて 煩悩消滅の経典を
ご利益にすり替え 次の段階で教団への供養と称する金銭的利益を計って
おりました。
阿呆陀羅經氏始め電波氏の指摘によってその改竄が明らかになった経緯があります。
世間を欺き本来の仏陀の教法に泥をぬりながら我らこそは根本仏教であるとする
手合いが数多くいる事もROM される方々は頭の片隅にでも入れておいて頂ければ
幸いです。
仮に引用文が紹介されていたとしても一度は検証される事をお勧めします。
「便利なものは不便」だという言葉がありますが、阿呆陀羅經氏の姿勢はある意味
不親切に観える親切なのだと思います。

自分が漠然と理解していた12縁起のイメージが心相続と言うとは知りませんでした。
ただ若干捉え方に相違があるのは仕方ありませんね。



340 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/25 08:27:29 ID:XpYPA+cM
>>338
> 四法印てのは、三法印の亜流という位置づけでは?
亜流というよりは増広ではないかと思います。

> 「人生は苦と楽のミックスで、一切が苦であるというのは間違い」と言っている。
原始佛教における「苦」の概念規定を先にしておくと理解が早いでしょうね。苦痛苦悩より
「不如意」が原意に近いと思います。一切皆苦とは「一切は不如意」、もしくは「苦楽も不如
意」」と捉えれば誤解が少ないでしょう。
ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。壊れて消え去るのは、この
とおりである。世の成りゆくさまを見よ。                        『スッタニパータ』588偈
> それを論破せずに「仏教ではない」と斬り捨てるのは、あなたが「仏教が真理だ
> から信じている」のではなくて、「昔からありがたいと信じられている仏教
> は真理を説いているに違いない」と盲信している証拠。
原始佛教を語る以上、その主張の原意を確認する作業は必須となります。
> 釈迦だろうがイエスだろうが、間違っているものは間違い。


341 :けちゃっぷ:04/10/25 12:24:45 ID:NgxUiTHz
>338 一切が「苦」であるというのは、一切が「不如意」であり、コントロールできない・支配できないという意味でしょうね。
自分の肉体さえ不如意だから、走って転んだり、物忘れしたりする。

342 :名無しさん@3周年:04/10/25 13:12:11 ID:Jpv2hN87
四苦八苦で重要なのは五陰盛苦と求不得苦。
これに言い尽くされている。
あとのはわかりやすくて代表的なのを挙げているに過ぎん。

343 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/25 13:18:58 ID:jDIMSB49
「五取薀苦」のほうが表現として適切でしょう。

344 :ぽこたん @キャップなし:04/10/25 14:25:45 ID:QqLBcgkh
>>340 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 04/10/25 08:27:29 ID:XpYPA+cM
>原始佛教における「苦」の概念規定を先にしておくと理解が早いでしょうね。苦痛苦悩より
>「不如意」が原意に近いと思います。

苦はインドの言葉で dukkha といいます。ドウッカと発音していただいてよろしいのですが この語の後半
の「カ」というのは「虚空」という意味です。虚空は自由自在に手を動かしても妨げがないものです。
ところが、前半に「ドウッフ」とつくのはそれを妨げるとか、しにくくするという意味です
ですから「ドウッカ」というのは自由にならないこと 思い通りにならないことという意味です。
釈尊は老病死の「苦」の克服を願って出家した、といいましたが、老病死は思い通りにならない
事の代表です。
               奈良泰明著 原始仏典の世界より

私には子供がいる、財産がある、と(誇らしげに)おもいつつ 愚かな人は(それが失われないようにと)
悩む、しかし 既に自分が自分ではない。どうして子供や財産が自分のものであろうか。
               (ウダーナバァルガ)



345 :ぽこたん @キャップなし:04/10/25 14:36:10 ID:QqLBcgkh
なんじ愚かなるものよ
なんじは聖者の説くところをしらず
諸行はまことに常なることなし
生滅をもってその性となすゆえなり
生じたるものは、また必ず滅す。
その生滅のしずまれることこそ 楽し

雑阿含経 歓喜園
楽しいなったら 楽しいな 涅槃の楽 
              あ〜楽しい。
                       涅槃寂静

比丘たちよ、汝らはどう思うか 色(物質)は常なるものであろうか
それとも無常なるものであろうか」
「大徳よそれは無常である」
「では比丘達よ、無常なるものは それは苦であろうか、それとも楽であろうか」
「大徳よそれは苦である」
「では比丘達よ、無常であり、苦であるこの変易するものをもって、(こは我所なり。
 こは我なり。こは我体なり)となすことを得るであろうか」
「大徳よそれは否である。」
     
お釈迦さんは説法まで連想というか縁起。
                  我に金を女を与えよ。
        女はばばあになるし 金はすぐ使う。 ああ無常也 
                           
                          

346 :名無しさん@3周年:04/10/25 16:25:22 ID:Cf94pDM/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29

347 :ぽこたん @キャップなし:04/10/25 16:58:00 ID:QqLBcgkh
>>339 ぽこたん @キャップなし 04/10/25 07:56:55 ID:QqLBcgkh

>自分が漠然と理解していた12縁起のイメージが心相続と言うとは知りませんでした。
>ただ若干捉え方に相違があるのは仕方ありませんね。

自分が書いたものにまた書くのもなんだが 12縁起はもともと
-------------------------------------------------------------------------- 
「いくつかの古い経典の叙述がわたしどもに漏らしてくれる。
そのあのものは、無知ー取ー苦というわずか三支の縁起の系列を語っている。
またあるものは、無知ー愛ー取ー老死と、わずか四支の系列をもって説かれてある。
さらにあるものは六支の縁起を説き、またあるものは十支の系列を語っている。
(中略) 無知もしくは無明と老死もしくは苦を両端とし、それをつらねるに
愛もしくは取(著)の中項をもってするものであった。」

(増谷文雄著  仏教の思想1)

苦は渇愛 取 を縁として起きると簡単に考えていたのであって 生死に関しては
それはその通りであろうと思っていた。
自分は馬鹿だから生死があるから 胎生というのも間違いでは無いんじゃないかと思ったという
オチでした。
12縁起としてまとめられたのは 後になってからという見解もあるようです。




348 :名無しさん@3周年:04/10/25 19:34:32 ID:DtlyiEHa
489 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 21:45:11 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1097592303/原始佛教 その10
4>5>18>19>22>118>119>120>121>122>127>129
>130>141>153>154>155>159>160>161>162>163>189
>190>191>192>195>194>206>207>209
の栗花 馨関係のレス全てを削除願います。札付きの糞コテハンですし、
スレ進行と無関係な無関係&無意味な独白ばかりです。有り体に言って
スレの無駄遣い。サーバーの負担になるだけでしょう。
削除理由・詳細・その他:
掲示板・スレッドの趣旨とは違う投稿(レス・発言) 重複
連続投稿・コピー&ペースト など。



349 :名無しさん@3周年:04/10/25 23:02:27 ID:ytlAiRk5
212 :”削除”依頼板転載人@星猫 :04/10/21 21:27:21 ID:W+duxm7B
307 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:54:05 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1097592303/
の栗花 馨のレス全てを削除願います。札付きの糞コテハンですし、スレ進行と無関係な
無関係&無意味な独白ばかりです。有り体に言ってスレの無駄遣い。サーバーの負担になるだけでしょう。


308 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:56:44 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
栗花 馨のレスとともにそれにまつわる私のレスを削除していただいて結構です。栗花 馨を出来れば
アクセス禁止にしていただくと幸甚です。


309 :不動 ◆HpcRk2ELiM @削除明王 ★ :04/10/21 21:01:55 ID:???
>>307-308
無視。依頼不備のため受理せず。

#つーか、論外。
#ついでに一つ言っておきますと、アクセス規制なんて受け付けちゃいませんので。




350 :栗花 馨:04/10/25 23:26:11 ID:kYO/QLAr
こよなき幸せ
やさしいことばを語り
耐え忍び、
やさしいことばを語り、
やさしいことばを語り
いろいろな自分と異なった考え方の人に会い、
いろいろな自分と異なった考え方の人に会い、
適当な時に理法についての教えを聞くこと,
適当な時に理法についての教えを聞くこと



351 :栗花 馨:04/10/25 23:30:57 ID:kYO/QLAr
世俗の事柄に触れても
心が動揺せず、
心が動揺せず、
心が動揺せず、
心が動揺せず、
心が動揺せず、
心が動揺せず、
心が動揺せず、
憂いなく、汚れを離れ、安穏であること


352 :栗花 馨:04/10/25 23:42:44 ID:kYO/QLAr
こよなき幸せ こよなき幸せ こよなき幸せ こよなき幸せ

353 :栗花 馨:04/10/25 23:46:23 ID:kYO/QLAr
能力があり、実直で、
ことばはやさしく、柔和で、ことばはやさしく、柔和で、ことばはやさしく、柔和で、
ことばはやさしく、柔和で、ことばはやさしく、柔和で、ことばはやさしく、柔和で、
ことばはやさしく、柔和で、ことばはやさしく、柔和で、ことばはやさしく、柔和で、
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
「スッタニパータ」中村元訳

354 :栗花 馨:04/10/25 23:48:36 ID:kYO/QLAr
いろいろな自分と異なった考え方の人に会い、
心が動揺せず
やさしいことばを語り、
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。



355 :名無しさん@3周年:04/10/26 01:29:34 ID:dAQNy6qz
ちょいとお訊ねしたいのだが、仏教では精神の苦痛を取り除くために苦の原因を滅するとのこと。
精神的苦痛の根元がリアルな身体と関連しているばあいは、この仏教的方法は無力に近いと考えてよいのだろうか?
阿呆陀羅經さん、お願いします。

356 :しゃか:04/10/26 03:28:06 ID:CcSv126J
おまーらな、いくらそんな事考えたって同じ。

きもちいいーおまんこして寝ろ。

357 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/26 06:48:26 ID:sh8kvVB9
阿呆陀羅經さん、おはようございます。

紹介いただいた、
水野広元著 原始仏教 を読み始めました。
四十二章経(p21)がどんな位置付けの経典かはわかりませんが、

「しゅだおん」とか、「あらかん」とか、「びゃくしぶつ」とか
いったランク付けが、布施の功徳にはあるんだ。ふーん。

といった感じで、面白く読んでいます。
阿羅漢というのは、仏ではなく、仏弟子最高の聖者との位置付けなんですね。

http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?qt=%A4%B7%A4%E5%A4%C0%A4%AA%A4%F3&sm=1&pg=result_k.html&col=KO&sv=DC
しゅだおん しゆだをん 【▼須▼陀▼】 (最後のオンの字がでない!)
〔仏〕〔梵 srota-āpanna〕小乗における修行階位四果中の初果。三界の迷いを断ち、四諦(したい)を明白に認識した境地。預流(よる)。

http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?qt=%BB%CD%B2%CC&sm=1&pg=result_k.html&col=KO&sv=DC
しか ―くわ 1 2 【四果】
〔仏〕 小乗仏教において、修行によって得られる結果を分類したもの。
聖者の位に入った預流(よる)果、天界と人間界を往復する一来果、
流転することのなくなる不還(ふげん)果、完全な悟りを開く無学果(阿羅漢果)の総称。

http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?pg=ref_k.html&col=KO&P0=3&P1=0&P2=02210600
えんがく 0 【縁覚】
〔仏〕 仏の教えによらず、ひとりで悟りをひらき、それを他人に説こうとしない聖者。
声聞(しようもん)とともに二乗といい、小乗の修行者とする。独覚。辟支仏(びやくしぶつ)。


358 :名無しさん@3周年:04/10/26 08:33:31 ID:V93FuroH
仏教がもし、「目に見えるこの世の苦を滅する」ことだけを目標にしているのなら、
それはエピクテートスの哲学を一歩も出るものではないと思う。

諸々の存在のうち ある物はわれわれの権内にあるが ある物はわれわれの権内にない

意見や意欲や欲望や忌避 一言でいえばおよそ われわれの活動であるものは われわれの権内にあるが

肉体や財産や評判や官職 一言でいえばおよそ われわれの活動でないものは われわれの権内にない

そして われわれの権内にあるものは 本性上自由であり 妨げられず 邪魔されないものであるが

われわれの権内にないものは 脆い隷属的な 妨げられる 自分のものでないものである

そこで次のことを記憶しておくがいい もし本性上隷属的なものを 自分のものと思い
自分のものでないものを 自分のものと思うならば 君は邪魔され 悲しみ不安にされ
また神々や人々を非難するだろう

だがもし君のものだけを 君のものであると思い 君のものでないものを 事実そうであるように
自分のものでないものと思うならば 誰も君に決して強制はしないだろう
誰も君を妨げないだろう 君は誰をも非難せず 誰をもとがめ立てしないだろう
君は何ひとついやいやながらすることはなく 誰も君に害を加えず
君は敵を持たないだろう けだし君は何も害を受けないだろうから

359 :358:04/10/26 08:46:31 ID:V93FuroH
仏教の「一切皆苦」を、>>340のように「一切は不如意」という風に解釈するならば、
「苦」というのはエピクテートスが言う「われわれの権内にないもの」と同義で、
「それは自分のものではない」と執着せず無視せよ、という結論は同じになる。

ただ、仏教が言う「一切」は大げさだと思う。人間は頭をかくために腕を上げたり、昼飯
に何を食べようか財布と相談して決めることができる。「すべてが不如意」というのは
現状を正しく認識していない。この点では、エピクテートスの見方の方が妥当だと思う。

360 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 09:29:28 ID:v7eE2lJT
>>359
原始佛教における「一切」の範疇については過去に論じられたと思います。色・受・想・行・識の「五(取)薀」、
−「取」にご注意−認識機能たる眼・耳・鼻・舌・身・意の「六内処」、その対象の色・聲・香・味・触・法の「六外
処」が「一切」とされ>人間は頭をかくために腕を上げたり、
腕が上がり、且つ痒みが治まればいいのだが。
>昼飯 に何を食べようか財布と相談して決めることができる。
財布と相談しなければならないのが前提。

361 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 09:43:07 ID:v7eE2lJT
原始佛教における「一切」の範疇については過去に論じられたと思います。色・受・想・行・識の「五(取)薀」、
−「取」にご注意−認識機能たる眼・耳・鼻・舌・身・意の「六内処」、その対象の色・聲・香・味・触・法の「六外
処」が「一切」とされます。「」一切皆苦」とはそれらが「」自己の欲するままにならぬこと」「自己の希望に添わ
ぬこと」「思い通りにならぬこと」(中村元)「各々の欲望期待に添わぬこと」(宇井伯壽)「主観の不満足、・・・
求められる客観との不一致から生ずる心情」(赤沼智善)などとされています。

362 :358:04/10/26 09:49:30 ID:V93FuroH
>360

限定的ではあれ、「頭をかくために腕を上げよう」とすれば、健康人は腕が
あがり、頭をかくことでたいていの場合は痒みがおさまる。また、余程の
貧乏人でなければ、その辺にあるサラリーマン用のランチが高すぎて手が
届かないということもありません。

「もし、半身不随になったら」、「もし、破産して一文無しになったら」と
いう仮定を置けば、「腕が上がるのだろうか、腕が上がって頭をかいたとして
も痒みおさまるのだろうか」、ないし「財布と相談しないと今日はランチを
食えないのではないか」と不如意になるということなら、それは「杞憂」に
勝手に苦しんでいるだけのことで、「現実に起こっていないことを前提にして
それを苦にする」というのは、もはや精神的に健康とは言えないでしょう。

そういう人には、原始仏教の七面倒くさい理論を聞かせるよりも、抗うつ剤
などの投与が有効です。

363 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 09:56:47 ID:v7eE2lJT
>>362
誰しも−無論私も含めて−「一切皆苦」の前提の許容範囲中で日々生活を送ってますけどね。
ついでながら「一切行苦」という訳もありますのでご留意下さい。「諸行無常」の「行=サンカーラ」
と同じ原語です。


364 :358:04/10/26 10:07:05 ID:V93FuroH
>>363
その「許容範囲中で満足する」というで、エピテートスも仏教もひとくくりに
されると思います。「自分の思い通りにならないものを追っかけても苦の種に
なるだけだから、放置しておけ」という教えですよね。

私見ですが、仏教の論理展開にはあまりに飛躍がありすぎると思います。
阿呆陀羅經さんは否定されていますが、仏教の「解脱」というのを、輪廻転生
の主体を完全消滅させることだと信じている人が多い。

饅頭が食いたくてしようがないとします。さっそく今朝、買いにいって食べた。
美味かった。しかし、明日は食べられないかもしれない。あるいは、来世に貧乏
人に生まれたらもう饅頭は食えないかもしれない。それは「苦」だ。
(ここまでは、まあ許容範囲)

だから、
まず饅頭からの執着を離れるために、二度と口にしないことにしよう。また、
来世に饅頭が食いたいという執着が起こらないように、輪廻転生の種を断ち切って
しまおう。(これはすでに強迫観念ないし、神経症)

普通の人なら、以下のように考えて「許容範囲中」で欲望を処理するでしょう。
・饅頭が買える間は楽しもう。買えなくなったら諦めればいい
・饅頭が買えなくなっても、他にもっと美味いものが見つかるかもしれない


365 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/26 10:07:38 ID:oopfHFcV
>>355
私の偽者がした質問、あれは良くまとまったものです。
あなたは先ずあの質問に答えるべきでしょう。

366 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 10:11:21 ID:v7eE2lJT
「われわれの権内にあるもの」も畢竟、無常にして苦であり無我でありましょう。とはいえ、
エピクテートスは今手許にないので、突っ込んだ論議は不可能です。岩波文庫の『人生談義』
は品切れみたいで残念。中村元氏もブッダとエピクテートスなどのストアの哲人との共通点に
ついて言及されていましたね。

367 :358:04/10/26 10:16:06 ID:V93FuroH
>>366
私は以下のHPの記事を参考にしました。ご参考まで。
ttp://whoami.ddo.jp/Hepi/epi00.html

368 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 10:38:37 ID:v7eE2lJT
>>367
ありがとうございます。以前、鹿野治助氏著『エピクテートス―ストア哲学入門』(岩波新書)なる本を出張
先の休憩室で読み、興味を抱きました。有神論的前提はさておき、原始佛教と親和的な要素も認められ
るのではないかと考えました。

369 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 11:02:15 ID:v7eE2lJT
>>364
>
> その「許容範囲中で満足する」というで、エピテートスも仏教もひとくくりに
> されると思います。「自分の思い通りにならないものを追っかけても苦の種に
> なるだけだから、放置しておけ」という教えですよね。
足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、
高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。                 『スッタニパータ』144偈
>
> 私見ですが、仏教の論理展開にはあまりに飛躍がありすぎると思います。
> 阿呆陀羅經さんは否定されていますが、仏教の「解脱」というのを、輪廻転生
> の主体を完全消滅させることだと信じている人が多い。
原則的に「輪廻転生の主体」を説かず。「完全消滅」も説きませんね。おっしゃる「飛躍的な論理展開」が佛教本来の
ものであるか吟味していただきたく望みます。
> 饅頭が食いたくてしようがないとします。さっそく今朝、買いにいって食べた。
> 美味かった。しかし、明日は食べられないかもしれない。あるいは、来世に貧乏
> 人に生まれたらもう饅頭は食えないかもしれない。それは「苦」だ。
> (ここまでは、まあ許容範囲)
> 普通の人なら、以下のように考えて「許容範囲中」で欲望を処理するでしょう。
> ・饅頭が買える間は楽しもう。買えなくなったら諦めればいい
まあご縁がなかったということで・・・。
> ・饅頭が買えなくなっても、他にもっと美味いものが見つかるかもしれない
期待も探索もしませんが、ご縁があったら美味しく食すでしょう。


370 :名無しさん@3周年:04/10/26 11:04:44 ID:Cvc5TMFC
偽物? 分裂では診察されれば

阿呆堕羅とか電波とかその他
PHS

371 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/26 11:23:08 ID:oopfHFcV
比較思想などでよく原始仏教とエピクテートスとの対比がなされております。
比較思想の限界として、思想の表層だけの比較ではそれ以上考察できる素材を提示できない
ところにあります。

エピクテートスとの本質的な違いは原始仏教をかたるこのスレッドからは離れていますが、
それでも「苦の理解」についての相違は提示する必要があるでしょう。

「権内・権外」という観点は基本的に原始仏教にはありません。不如意という「苦の理解」として
権外を想定すのるは完全に間違いであるし、権内のようなものも想定しません。内外にわける
こと自体しないのです。

さて、原始仏教における「苦」とは単なる不如意ではなく、「苦・楽・不苦不落楽」を人間の感受
として捉えた上で、それを含めた人間存在が「苦である」といいます。快楽も苦のシステムの上で
成立しているわけです。一切のおこない、ありかたも苦のシステム上にあります。



372 :277男:04/10/26 11:29:33 ID:rM4ZfQ7t
>>370
なに人生を浪費しているんですか?

知る人は知るのですが、この時期しばらく死ぬほど忙しいので発言しません。
2chの質的低下にはもううんざりです。したらばのほうなら発言いたしましょう。

阿呆陀羅さん、電波さんお体をお大事に。

373 :名無しさん@3周年:04/10/26 11:52:48 ID:Cvc5TMFC
同一じゃん。
PHSとか回線とか・・ゎら

374 :358:04/10/26 12:33:34 ID:V93FuroH
>>371

エピクテートスは奴隷の生まれで、彼の主人はものすごい暴君だったようで、
ある時ふざけてエピクテートスの腕を捩じり上げて、とうとうへし折ってしまった
そうです。そういう場面でも、エピクテートスは抵抗せず、「ほら、言わん
こっちゃない、折れてしまいましたよ」と他人事のように言ったのみだった
そうです。

同じ場面において、もしも釈尊が同じ暴行を受けたとしても、やはり同じよう
に無抵抗を貫いたことでしょう。

そういう行動原理が同じであるということがまず第一に比較するべきで、「苦」
の解釈に「権内・権外」の区別があるとかないとかというのは二次的な問題だと
思いますが。それを細かく扱うことは、自分の身体に刺さっている矢の材質を
問うような問題ではないでしょうか。

375 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 15:38:34 ID:MAkhpH79
>>371
つまり、「一切」の事物事象は「権内・権外」に関わらず、「無常・苦・無我」にトレースされるというこ
とでしょうね。

376 :ぽこたん @キャップなし:04/10/26 16:29:14 ID:Vv6Cd+oy
>>371 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k New! 04/10/26 11:23:08 ID:oopfHFcV 
>快楽も苦のシステムの上で
>成立しているわけです。一切のおこない、ありかたも苦のシステム上にあります

>>363 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A New! 04/10/26 09:56:47 ID:v7eE2lJT
>ついでながら「一切行苦」という訳もありますのでご留意下さい。「諸行無常」の「行=サンカーラ」
>と同じ原語です。

諸行は縁起によって形成された現象世界を意味し、行は造られたものを意味するそうです。
仏教は苦を3苦に分類し 苦苦 壊苦 行苦
苦苦は意にそぐわないもともと苦であるような苦であり、
壊苦は現在は楽であるけれどもいずれは壊れなくてはならないから苦であり
行苦は縁起によって成り立つこの現象は生滅変化を免れないから所詮苦であることを意味する。
行苦は縁起所生のこの世界はすべからく苦であるということであって 一切皆苦(一切行苦 諸行苦)
広義には苦苦も壊苦もこの中に含まれる。

今議論されているのはこの中の苦苦 仏陀の宗教は観察の宗教でもありますから
観察によって認識を深める手順がいると思われます。
何しろ縁起を悟るのは空を悟ると同意でしょうから 体で認識するには修行がいると
言う事なのでしょう、
(人は辛苦の中に於いて楽心を生ずること重きを担うて肩を易うるが如し。故に知る楽なし)
 生実 巻六




377 :358:04/10/26 17:27:58 ID:V93FuroH
>376
ぽこたんさんは、仏教が完全に正しいことという前提をお持ちのようにお見受け
しますが、仏教に対する批判は一切ないのでしょうか。苦の分類にしたって、
既存の仏教教義に従って、カテゴリー分けしているだけ。そのカテゴリーがそも
そも正しいかどうかという批判がそもそも必要なのでは?

宗教ドグマへの批判なき「信」は、盲信以外の何ものでもないと思います。

378 :ぽこたん @キャップなし:04/10/26 17:40:37 ID:Vv6Cd+oy

>行苦は縁起によって成り立つこの現象は生滅変化を免れないから所詮苦であることを意味する。
>行苦は縁起所生のこの世界はすべからく苦であるということであって 一切皆苦(一切行苦 諸行苦)
>広義には苦苦も壊苦もこの中に含まれる。
なんといいますか 四聖諦に苦聖諦があるのはだてではなく システムとしての苦が認識できたら
それこそ賢聖の仲間入りなのでしょう。
大変なテーマです。



379 :けちゃっぷ:04/10/26 18:01:37 ID:LZj9Fw33
>355 乱れた生活習慣などから脳の状態がおかしくなり、ひきこもりになったりキレやすくなったりするような場合のこと?呼吸法や念仏・題目は、セロトニン神経を調整する効果もあるそうですね。

380 :名無しさん@3周年:04/10/26 18:05:01 ID:c9UEpqia
仏教って何故苦の話ばかりするんだろう。人生には楽しいことも沢山あるよ。
故意に苦を誇張しているみたいではないか。

国王の子に生まれ、快楽を極め尽くした釈迦が、門の外に出たとたんに「苦」を
覚ったというのは極めて不自然で軽薄。少なくとも、長い人生をかけて苦しみ抜いて
覚った本当の苦ではあるまい。若しそうであれば、苦の中に、そして苦があればこそ
喜びがあることも覚ったはずだ。

なんだか不幸を誇張して感じる、鬱病の症状とそっくり。

釈迦が、快楽の極致から、極端な苦を感じるに到った心理的経過をもっと説明して
欲しい。

人生には「思うようにならないこと」が多いが、その中に喜びもあるということは、
当時の生活者はみな覚っていた筈。

381 :ぽこたん @キャップなし:04/10/26 18:08:38 ID:Vv6Cd+oy
>>377 358 New! 04/10/26 17:27:58 ID:V93FuroH

>ぽこたんさんは、仏教が完全に正しいことという前提をお持ちのようにお見受け
>しますが、仏教に対する批判は一切ないのでしょうか。
あるなんてもんじゃ あーりません。
仏教の修行は気づきの世話というそうです。(四念住)
観察して自分で気づく宗教が
なんでここまでカルトがはこびる温床に変化したのか 知りたいと思う。
神頼みや教祖にすがる概念などこれっぽちもない。

是有るに依りて彼あり 是無き荷よりて彼なし
是生ずれば彼生じ   彼滅すれば彼滅す。

老病死に向かえば宗教だろうし 事業に向かえばマーケットの観察
自分の好きな言葉は 
「相場の神様は神頼みするやつを地獄に連れていく」
     観察と気づきはどこの世界でも必要な事でしょう。
              



382 :名無しさん@3周年:04/10/26 18:17:09 ID:K4KDihkW
>>379
けちゃっぷさんハケーン
キレやすい子供は食生活に問題があるとテレビで見た事がある。

383 :358:04/10/26 18:17:58 ID:V93FuroH
>>380
そうなんですよね。人それぞれに「苦」の中身が違うし、「一切皆苦」と
言われて頷いている隣の人は、全く違う「苦」をイメージして納得している
かもしれない。

これはキリスト教への批判になるのですが、某レスで「原罪」について議論
していたので、「では、あなたの言う原罪を日常体験として具体的に説明して
くれ」とお願いすると、途端に沈黙してしまうんですね。それも何回やっても
同じ結果。仏教の「苦」にしても、キリスト教の「原罪」にしても、上から
頭ごなしに押し付けられたのをオウム返しに口にしているだけで、実は本人には
何のことかわかっていない。また、本当に自分がわかっているのか考えもしない。

384 :名無しさん@3周年:04/10/26 19:05:46 ID:c9UEpqia
>>383
それは、創唱宗教(啓示宗教)全体に共通する病理ですね。創唱者や教祖の「観念」
が伝染しただけとしか思えない。「救い」「覚り」「愛」「幸福」「神」など、内容
空疎なスローガンを意味も判らず唱えているだけ。

釈迦もさかんに「真理を覚った」と言ってるが、その「真理」とは具体的に何かさ
っぱり判らない。

なお、釈迦は「苦行して修業した」そうだが、それは自分の「趣味」でやったこと。
強制されない「苦行」など「苦行」ではない。従って、本当の「苦」など覚れる
筈がない。


385 :けちゃっぷ:04/10/26 19:23:26 ID:LZj9Fw33
>384 ブッダは、当時インドで一般的だった苦行をやってみて、結局苦行でも覚れなかったんですよ。
すべてに原因があり、原因を消せば結果も消える。因縁によって成立してるからです。

386 :けちゃっぷ:04/10/26 19:26:57 ID:LZj9Fw33
苦の原因を消すことで苦を消すのは、ブッダが相談に来た人にアドバイスをする際のパターンです。苦悩がある人が相談に来るんだから、苦の話になるのは当然では?

387 :358:04/10/26 19:53:46 ID:c1EUsAGn
>>384
時代のギャップというのも無視できないでしょう。釈迦の時代の人々は、
生まれながらにカースト制で一生の運命が決まっていました。「自分は何者か」
と問うまでもなく、社会が決めてしまった。個人の自由意志など無に等しかった。
その反面、「自分は何者か」とか「自分は何のために生きているのか」という
問題に悩む必要がなかった。カースト制にがんじがらめに生きる人間の「苦」と、
自由であるが故の責任の重さにあえぐ人間の「苦」が同じわけがない。
食うや食わずの日々を送る人間の「苦」と、飽食の只中で、愛情への飢えから
過食に走らざるをえない人間の「苦」は全く別のものでしょう。

それをただ「古いから」とか「権威がありそうだから」という理由で、特定の
宗教に盲目的にすがるのは、「あなたガンかもしれないよ」と言われているのに、
病院で検査をするのが恐ろしいからと、トンプクを飲んで安心している人と同じ
だと思います。

388 :名無しさん@3周年:04/10/26 19:57:59 ID:kOUoIWbN
釈迦は、苦のない人々にも自ら布教したのではないですか。大量入信者が出ましたね。

苦もまた人生にとって必要なもの。苦があるからこそ、喜びがある。苦に直面してこそ
人間の成長があり、他人の苦も理解でき、思いやりも生じる。

苦の原因を消すことにより苦を逃れることは、人生における逃避ではありませんか。

苦の無くなった世界など、喜びもなく、まさに地獄でしょう。苦や煩悩は人間が生き
ていることの証拠。釈迦のアドバイスはあまり適切なものだったとは思えない。

389 :358:04/10/26 20:07:36 ID:c1EUsAGn
>>388

>苦もまた人生にとって必要なもの。苦があるからこそ、喜びがある。苦に直面してこそ
>人間の成長があり、他人の苦も理解でき、思いやりも生じる。

私見ですが、人間は3日に一回位、飯を口にできない状況の方が幸せだろうと
思います。「楽」の追求で飽食時代になってしまったから、何を食ってもおいしい
とも、感謝の気持ちもなくなってしまった。むしろ、何かのお勤めみたいに三食
食って、「美味くない」と愚痴っている。食べ残しは平気で捨てるし。

>釈迦のアドバイスはあまり適切なものだったとは思えない。

当時の人々には一番しっくりくる方便だったのかもしれませんね。現代においては、
ヒッキーやうつ病患者に位しか通用しない。時代の要請に答えられないからこそ、
ほとんどの人々から仏教は忘れられてしまった。方や、仏教にしがみついている人
を見ると、とても健康な精神の持ち主とはかけ離れているみたいだし....
(ちょっと暴言でスマソ >ALL)


390 :名無しさん@3周年:04/10/26 20:09:42 ID:2OFoyL7z
>>384>>388etc
あんたは前スレから名無しで一体何回同じ内容を書き込んでいるんだ?
「生活者」とか「宗教の開祖は精神異常」とか。


391 :名無しさん@3周年:04/10/26 20:12:00 ID:NPq1bZYu
307 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:54:05 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1097592303/
の栗花 馨のレス全てを削除願います。札付きの糞コテハンですし、スレ進行と無関係な
無関係&無意味な独白ばかりです。有り体に言ってスレの無駄遣い。サーバーの負担になるだけでしょう。


308 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/21 20:56:44 HOST:p9108-air01hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
栗花 馨のレスとともにそれにまつわる私のレスを削除していただいて結構です。栗花 馨を出来れば
アクセス禁止にしていただくと幸甚です。


309 :不動 ◆HpcRk2ELiM @削除明王 ★ :04/10/21 21:01:55 ID:???
>>307-308
無視。依頼不備のため受理せず。

#つーか、論外。
#ついでに一つ言っておきますと、アクセス規制なんて受け付けちゃいませんので。

392 :名無しさん@3周年:04/10/26 20:12:20 ID:2OFoyL7z
チェックしたら前スレどころじゃなかった。
同じ内容の書き込みをして、レスもらって、全然レス返してないじゃん。
んでまたほとぼりがさめた頃に同じ内容の書き込みって・・・
ある意味スゲェよ。

393 :名無しさん@3周年:04/10/26 20:14:32 ID:kOUoIWbN
>>390
同じ内容を何回も書き込んでいる人は、他にも居られると思うが(笑)。

宗教には繰り返しが必要。

394 :名無しさん@3周年:04/10/26 20:24:40 ID:2OFoyL7z
ブッダの教えは宗教じゃないとも繰り返し言われているがね。

395 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/26 20:41:41 ID:oopfHFcV
>>374
>同じ場面において、もしも釈尊が同じ暴行を受けたとしても、やはり同じよう 
>に無抵抗を貫いたことでしょう。 
>そういう行動原理が同じであるということがまず第一に比較するべきで

比較する価値は見出せません。なぜなら、釈尊在世における六師外道と呼ばれる人たち、
ウパニシャッドの哲人たち、林住期にある人たち、伝統哲学の各派のヨーギンたち、中国
の道士、ヨーロッパにおける錬金術師、東方正教会における静寂修道士、修験の道を究めた
人、ユダヤ教における修道士などすべてに該当するからです。

これらを全て一括りにして考えるべきなのでしょうか?違いますね。その特殊性を提示する
所から始まります。毒矢のたとえを出しておられますが、的を射ておりません。それどころか
二元論的相対論的な克服止揚的形態を示しているのに、これでは退化現象になってしまいます。

仏教は「一切皆苦」を妄信する宗教では有りません。正しく現実認識し、各自が見極めるように
その方途を示しているだけです。過去ログをもう少し丁寧にお読みください。釈尊の言葉が不合理
であれば切り捨てるというのがこのスレッドのスタンスです。宗教のように「信じる」ことを否定する
ことを前提にしております。

396 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/26 20:50:11 ID:oopfHFcV
原始仏教は宗教ではありません。現代の仏教とは全く関係のないものです。同一視されては
迷惑ですね。布教する価値も見出せませんし、価値観を主張して絶対真理として押し付ける
気もありません。

397 :358:04/10/26 21:00:09 ID:c1EUsAGn
>>395
プラグマティズムという観点では同じではありませんか。
ttp://homepage.mac.com/berdyaev/mm/prmnd/utyu/prmnd47.html
例えば、イエスは「右の頬を殴られたら左の頬を出せ」、「七たびを 七十倍するまで他人を許し
なさい」と命じ、その理由は言ってません。しかし、理由はどうであれ、暴力を振るう人間に
対して無抵抗を守ることで、

われをののし罵った、われを笑った、われを打ったと思う人には、怨みは鎮まらない。
怨みは怨みによって鎮まるものではない。
怨みをわすれてこそ、怨みは鎮まるのである。

という釈尊の理念が現実のものになるのです。まずは行動ありきで、理由は
後から何とでもついてくるのです。それに、いちいち理由を確認し、その「効能」
を確認して行動する人は本物ではないでしょう。その人は「無抵抗」を好んで
行動しているのではなくて、「無抵抗から得られる効能」を好んでいるだけだ
からです。どんな行動原理でも、究極では「我がそれを望むから為す」としか
言えなくなるでしょう。

398 :358:04/10/26 21:08:50 ID:c1EUsAGn
仏教の教えについて何も知らない人でも、生まれつき争いを好まず、暴力に
対して無抵抗を貫く人もいるでしょう。

そういう人は、「理由なく」行動することから、宗教的な説明や効用から
「利害のために」行動する一切の信者よりもより崇高なはずです。

399 :名無しさん@3周年:04/10/26 21:10:25 ID:AkHCVCtB
電波男さんは、原則論ではいいこと言いますね。文献学者には勿体無い。

カルト撲滅をよろしくお願いします。苦しんでいる人が沢山います。信者の家族も
さることながら、最大の犠牲者は信者自身です。

行政や司法、そして宗教学者も、カルトの実態に無知なのと、「信教の自由」の空疎
な観念に呪縛されて、お話になりません。

宗教学者は、カルト被害に対する社会的責任はどうするつもりなのでしょうか。

仏教系には有害なカルトは比較的少なく、神や霊を強調する神道系、キリスト教
系に多い気がします。

400 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/26 21:32:24 ID:sh8kvVB9
>>322
>>339
ぽこたんさん、こんにちは。
この度はいろいろと、
(言っている本人が何がいろいろなんだかわかっていませんが、)
まあ、とにかく、いろいろとありがとうございました。

さて、己の知識量の少なさも省みず、私は次のような仮説を立ててみました。

もしも仏教が宗教だとすれば、
仏教徒は自業自得が生死を越えて真実であると信仰している。
すなわち、自業があれば自得するがために輪廻し、自業が精算されれば解脱する。

この仮説をのんびり検証してみたいと思っています。
瞬殺ならぬ、速攻で否定される可能性も十分ありますけどw

まあ、とりあえずは、その辺を頭において、
水野広元著 原始仏教
を読み進めてみます。
このスレは、その読書ノート代わりに利用しようかなと。

ちょっとでもおかしな理解を書くと、すぐに突っ込みの入る非常に恵まれた
環境ではないかと期待しています。


401 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 21:32:42 ID:IS8bqF7/
>>399
> 宗教学者は、カルト被害に対する社会的責任はどうするつもりなのでしょうか。
オウムの提灯持をやった挙げ句頬被りを決め込んだニューアカ芸者の大先生がいましたな。
> 仏教系には有害なカルトは比較的少なく、
思いつくだけで、オウム(アーレフ)、阿含宗、とかの似而非原始佛教系、後は正宗系のカルトなど色々・・・。
>神や霊を強調する神道系、キリスト教系に多い気がします。
こちらは浜の真砂状態(苦笑)。


402 :名無しさん@3周年:04/10/26 21:43:06 ID:x3GwnXFr
>仏教系には有害なカルトは比較的少なく、神や霊を強調する神道系、キリスト教系に多い気がします。

仏教系は人を無害化しているように見えますが、
実は阿呆を作り出して洗脳する危険な装置になっています。
仏教で覚醒した人などどこにもいません。

403 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/26 21:49:39 ID:IS8bqF7/
>>400 無宗ださん、どうもです。単純な「自業自得」を原始佛教では採用いたしません。

「ゴータマよ、苦は自作なりや。」「カッサパよ、然らず。」「ゴータマよ、苦は他作なりや。」
「カッサパよ、然らず。」「ゴータマよ、苦は自作にして他作なりや。」「カッサパよ然らず。」
「ゴータマよ、苦は自作にあらず、他作にあらず、無因生なりや。」「カッサパよ然らず。」
「ゴータマよ苦は無なりや。」「カッサパよ、然らず。」「苦は無に非ず。苦は有なり。」(中略)
「カッサパよ、作す者と、受くる者とが同なりとする。さきより有るものには、「苦は自作で
ある」との説は、「常見」に陥る。カッサパよ、作者と受者とが異なるという受に征服せられ
てあるものには、「苦は他作である」との説は、「断見」に陥る。カッサパよ、タターガタはこ
れらの二辺を承認せずして、中によりて法を説くのである。即ち無明を縁として行あり。
行を縁として識あり。……乃至……かくのごとくにしてこの純大苦蘊の集起がある。しか
るに無明が残りなく離貪し滅することより、行の滅がある。行の滅より識の滅がある。…
…乃至……かくのごとくにして、この純大苦蘊の滅がある『サンユッタニカーヤ』12・17・2 





404 :名無しさん@3周年:04/10/26 22:42:08 ID:Cvc5TMFC
電波阿呆陀羅の自作自演荒らし。
臭い、痛い、浅い、薄い、
狭い、細い、汚い、低い、
おかしい、恥ずかしい。
此処までバレバレな情けないやつ。
うまくやってるつもりかWWWWW

405 :名無しさん@3周年:04/10/26 22:54:58 ID:pn9UrIVA
電波阿呆は「もしも俺がトンデモ発言をしてもこのふざけたHNに免じて追及しないでくれよ」
という守りの姿勢が共通。言いたい放題ですな。
しかし自分のプライドは傷つかないようにガードしている。
このゴミ貯めのようなBBSで、なぜそんなに「傍から見た自分の存在」に執着するのかと。

406 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/26 23:28:11 ID:sh8kvVB9
>>403
阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

>単純な「自業自得」を原始佛教では採用いたしません。
苦と業は別物ではないでしょうか?
自分の業を、人に押し付けること、
功徳を人に分け与えることはできないのではないでしょうか?

石が水に浮かないように。
油が水に沈まないように。

(相応部経典42.6 増谷文雄訳)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
参考。


407 :名無しさん@3周年:04/10/27 00:55:59 ID:U1zIRM6O
ちょいとお訊ねしたいのだが、仏教では精神の苦痛を取り除くために苦の原因を滅するとのこと。
精神的苦痛の根元がリアルな身体と関連しているばあいは、この仏教的方法は無力に近いと考えてよいのだろうか?
阿呆陀羅經さん、お願いします。
電波男さんとその偽物さんとやらには今のところ興味ありませんので。

408 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/10/27 02:47:09 ID:NR0HFUM+
久々に水野先生の『原始仏教』読み返してました。
以前読んだはずなのに、すっ飛ばしてる所がたくさんありましたね。
まぁでもこのスレの叩き台としては最適の本でしょうね。やはり良書です。
電波さんや阿呆陀羅さんは最低限この本を読んでる事を前提でのご発言でしょうね。

409 :名無しさん@3周年:04/10/27 06:15:55 ID:05r61yoz
「原始仏教」なんて言うと物事を正確に表したり
観察したりすることにならないから、原始的仏教とか原初的仏教に名称を改めなくては
ならないと思っている。

410 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/27 08:43:10 ID:aVfB2z81
>>406無宗ださん、
引用した経典は、苦などの果は因縁生起したもの(縁已生法)であると説いており、縁起説に摂して
います。「業報有りて而も作者無し」と説く経(雑阿含経「第一義空経」)もあります。



411 :栗花 馨:04/10/27 10:33:21 ID:BQniZih/
比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、
業果論者、
精進論者であった・・・

412 :栗花 馨:04/10/27 10:33:54 ID:BQniZih/
哲学倫理学は仏教を扱うことができる。
しかし、仏教は哲学倫理学ではない。
文献の吟味云々と哲学倫理学と仏教はイコールではない。

仏教は実践上で成立。心と宗教は人間の生活の中にある。




413 :栗花 馨:04/10/27 10:34:28 ID:BQniZih/
★何度も基本に帰りましょう(大切なおさらい)

★仏教には特定の教義はない
★仏陀は、思想ではない。
★釈迦に、文献学的方法やら思想史的方法やらでは永遠に出会うことない。
★推理にすぎない抽出、実践を欠いた論理は、
縁起や無我に反し根本的に錯誤で矛盾する。
★釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。

【「究極極微の一瞬間。」「arhat」】


414 :名無しさん@3周年:04/10/27 12:39:35 ID:SQkjCNVG
断見ですな。

415 :単、直:04/10/27 13:44:43 ID:McctQxt4
友人スレの1さんが何か急ぎでお願いが
もしよかったら皆さんの御知り合いスレにも告知
お願いできないでしょうか?↓

356 名前:1[] 投稿日:04/10/27 08:22:24 ID:5G13O49Y

イラクで再び日本人が捕らえられた、政府は情報の収集を急ぐよう指示された様だ、
そして、首相はイラクから撤退しない事を即座に表明した。、、、それはしかたない。
しかし、、
彼は小泉さんに危険な所に出てきた事を『すみません』と言う言葉で詫びていた
捕らえられた人物は間違いなく彼の発言から日本人である事は明白だ
何とかして助かって欲しい。
彼は、何処のどんな人物で、何をしてきた人物なのか、彼のヒューマニズムを即座に探してアルジャジーラアルアラービアヘから放送してもらう必要がある。

ネット上で、何か分かったら下記へ貼り込んで頂き、この文面をあちらこち貼り込んでください
ませんでしょうか

どうしたら良い世の中がくるんでしょう? その2
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1096018631/l50

アルジャジーラ、アルアラービヤへのネット上のアクセスは皆さんに掛かっている。
何とかして助かって欲しい。イラク、イスラムとも何とか友好を持ち続けたい、、、
皆で力を合わせて働きかけをして欲しい。 お願いします、、、



416 :名無しさん@3周年:04/10/27 16:24:50 ID:X7mHhL1n
http://panna.zive.net/bukkyo/bukkyo_bk01.html

大きな地震が現れるには、八つの原因、八つの条件がある。
■ この大地は水の上に安立し、水は風の上に安立し、風は虚空の上に存在するので、
大きな風が吹くとき、水が動揺し、その水が大地を動揺させる。
■ 神通力があり、 他人の心を支配する力のある修業者(沙門(しゃもん):バラモン
教以外の修業者、哲人)、またはバラモン(婆羅門:バラモン教の司祭者、インドの最
高位カースト)、あるいは、神通力・大いなる偉力のある神霊がいて、地の想いを僅か
に修し、水の想いを限りなく修したとき、このような大地震が起こる。
■ ボーディサッタ(さとりを開く前の仏陀)が トッシタ(都卒天:天上にあるすばらし
いところ)の身体から没して母胎に入るとき、このような大地震が起こる。
■ ボーディサッタが(母、マーヤーの)母胎から外に出るとき、このような大地震が起
こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が無上の完全なさとりを得たとき、このような大地
震が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が無上の法輪を回転するとき(説法を行い、教えを
広める)、このような大地震が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が寿命の素因を捨て去ったとき、このような大地震
が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が完全なニルヴァーナに入るとき、このような大地
震が起こる。

417 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/27 22:34:39 ID:d8WkPKQx
>>410
阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

> 引用した経典は、苦などの果は因縁生起したもの(縁已生法)であると説いており、縁起説に摂して
> います。「業報有りて而も作者無し」と説く経(雑阿含経「第一義空経」)もあります。
ごめんなさい。阿呆陀羅經さんが業について何をいいたいのか私の頭では理解できません。
引用されたお経は、

苦は自作であるとの説は魂の輪廻(常見)に陥る。
苦は他作であるとの説は唯物論(断見)に陥る。
苦は縁起により集起するのだから、自作、他作などと簡単に分類はできない。

と言っているのですよね?

>「業報有りて而も作者無し」と説く経(雑阿含経「第一義空経」)もあります。
本人は何も悪いことをしていないのに、報いだけあるということですか?
よくわかりませんが、頭の片隅に入れておきます。
ありがとうございました。


418 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/27 22:35:29 ID:d8WkPKQx
さて、私の仮説は次のようにバージョンアップしましたw

■仏教は輪廻を前提としており、十二縁起はそのメカニズムを説明している。

前に十二縁起について考えた時には、名色と有でひっかかったのですが、
名色=(六処-触-受-愛-取)=すべての苦しい人間存在=五取蘊
有には、四有というのがあるそうです。
四有
(しう、(sanskrit) catvaaro bhaavaH)
衆生が輪廻転生する過程の、一サイクルを4つに分けて説明するもの。倶舎論 などに説かれている。

1.死んでから次の生を受けるまでの期間である中有(ちゅうう、antaraa-bhava)
2.それぞれの世界に生を受ける瞬間を意味する生有(しょうう、upapatti-bhava)
3.生を受けてから死ぬまでの一生の期間である本有(ほんぬ、puurva-kaala-bhava)
4.死ぬ瞬間を意味する死有(しう、maraNa-bhava)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89

そして、誕生の三条件というものがあるそうです。
・ガンダルヴァが現前すること(ガンダルヴァとは中有の状態にある衆生のこと)
・父母が交合すること
・母の身体が受胎に適した状態にあること
森 章司 著『仏教的ものの見方』p183

縁起の有が、実は三有ではなく、死有から中有に輪廻することと考えるとすっきりと理解したつもりになれました。
そしてこの四有のサイクルを回しているのが当時のインドの業報輪廻の思想で、
善因善果悪因悪果の業報輪廻の思想を釈迦は検証することなく、取り入れたのではないでしょうか?


419 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/27 22:37:07 ID:d8WkPKQx
無明-行:無知ゆえに人は輪廻の因となる行為を行う。
行-識 :その行為は経験として記憶・蓄積されていく。
識-名色:経験や記憶が、人間を形づくる。
名色-(六処-触-受-愛-取):さて、その人間存在を細かく見てみよう。
六処 :人間には、世間を認識する器官、六処(眼、耳、鼻、舌、身、意)がある。
六処-触:六処があれば、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、思ったりすることができる。
触-受 :見たり聞いたりすれば、網膜に像を結んだり、鼓膜が振動し、その信号を脳で認識される。
受-愛 :脳で認識したものは、良いもの悪いもの分類され、良いと判断したものを渇愛するようになる
愛-取 :渇愛すれば、それに対する執着、我がものにしたいという欲求が生まれる。
取-有 :人の持つ執着、欲求により己の三界(欲界、色界、無色界)における居場所が決まり、
     執着を持って死ぬと人は死有から中有に赴く。
有-生 :中有に衆生がおる等、誕生の三条件がそろうと、人が誕生する。
生-老死:生あるものは、やがて老い、死する。

個人的には、結構納得の行く解釈です。(<自画自賛w)


420 :名無しさん@3周年:04/10/28 08:19:02 ID:7aHGVDnB
ちょいとお訊ねしたいのだが、仏教では精神の苦痛を取り除くために苦の原因を滅するとのこと。
精神的苦痛の根元がリアルな身体と関連しているばあいは、この仏教的方法は無力に近いと考えてよいのだろうか?
阿呆陀羅經さん、お願いします。
身体との関連が釈然としないもので。

421 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 08:53:48 ID:xPA6ar3O
>>417

> 苦は縁起により集起するのだから、自作、他作などと簡単に分類はできない。
「つまりは苦も衆縁和合」によって生じた「縁已生法」であり、「自作」「他作」という個別因やその作者の
実在ををそもそも承認していないと考えます。
> >「業報有りて而も作者無し」と説く経(雑阿含経「第一義空経」)もあります。
> 本人は何も悪いことをしていないのに、報いだけあるということですか?
「本人」なる個別の実体的主体は承認されておりません。
「無我説」を再確認して下さい。
> よくわかりませんが、頭の片隅に入れておきます。
> ありがとうございました。
>


422 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 09:11:39 ID:xPA6ar3O
>>418
> さて、私の仮説は次のようにバージョンアップしましたw
>
> ■仏教は輪廻を前提としており、十二縁起はそのメカニズムを説明している。
その「輪廻」が胎生的・あるいは生物学的なものを指すとは思っておりませんが。
> 前に十二縁起について考えた時には、名色と有でひっかかったのですが、
水野本は如何でしたか?
> 名色=(六処-触-受-愛-取)=すべての苦しい人間存在=五取蘊
一切の苦の根拠とな、る執着の対象としての人間存在=五取蘊
> 衆生が輪廻転生する過程の、一サイクルを4つに分けて説明するもの。倶舎論 などに説かれている。
以下に引用の諸説ははあくまで説一切有部などののアビダルマ説によって説かれたものであり、原始佛
教の文脈とは直接連結不可能な概念です。また、各部派のアビダルマ説が、現存のニカーヤ・アーガマ
に逆流している事実も見逃せません。
> 1.死んでから次の生を受けるまでの期間である中有(ちゅうう、antaraa-bhava)
これを説くのは説一切有部アビダルマのみであ他部派からの批判が集中します。
> 2.それぞれの世界に生を受ける瞬間を意味する生有(しょうう、upapatti-bhava)
> 3.生を受けてから死ぬまでの一生の期間である本有(ほんぬ、puurva-kaala-bhava)
> 4.死ぬ瞬間を意味する死有(しう、maraNa-bhava)
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89
> そして、誕生の三条件というものがあるそうです。
> ・ガンダルヴァが現前すること(ガンダルヴァとは中有の状態にある衆生のこと)
> ・父母が交合すること
> ・母の身体が受胎に適した状態にあること
> 森 章司 著『仏教的ものの見方』p183
> 縁起の有が、実は三有ではなく、死有から中有に輪廻することと考えるとすっきりと理解したつもりになれました。
> そしてこの四有のサイクルを回しているのが当時のインドの業報輪廻の思想で、
> 善因善果悪因悪果の業報輪廻の思想を釈迦は検証することなく、取り入れたのではないでしょうか?
「取り入れた」のはブッダではなく、各部派のアビダルマ論師たちなどでありましょう。また、インドの他学派との
論争の課程でそうした傾向が濃厚になったもいえます。

423 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 09:25:37 ID:xPA6ar3O
>>419
> 無明-行:無知ゆえに人は輪廻の因となる行為を行う。
> 行-識 :その行為は経験として記憶・蓄積されていく。
> 識-名色:経験や記憶が、人間を形づくる。
> 名色-(六処-触-受-愛-取):さて、その人間存在を細かく見てみよう。
> 六処 :人間には、世間を認識する器官、六処(眼、耳、鼻、舌、身、意)がある。
> 六処-触:六処があれば、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、思ったりすることができる。
> 触-受 :見たり聞いたりすれば、網膜に像を結んだり、鼓膜が振動し、その信号を脳で認識される。
> 受-愛 :脳で認識したものは、良いもの悪いもの分類され、良いと判断したものを渇愛するようになる
> 愛-取 :渇愛すれば、それに対する執着、我がものにしたいという欲求が生まれる。
> 取-有 :人の持つ執着、欲求により己の三界(欲界、色界、無色界)における居場所が決まり、
>      執着を持って死ぬと人は死有から中有に赴く。
> 有-生 :中有に衆生がおる等、誕生の三条件がそろうと、人が誕生する。
> 生-老死:生あるものは、やがて老い、死する。
>
> 個人的には、結構納得の行く解釈です。(<自画自賛w)
水野本のp149〜188あたりを精読されることをお勧めします。生物学的「外縁起」の取り扱いにも注目です。


424 :ぽこたん @キャップなし:04/10/28 11:04:56 ID:0Y53Zbev
>>422 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A New! 04/10/28 09:11:39 ID:xPA6ar3O
>その「輪廻」が胎生的・あるいは生物学的なものを指すとは思っておりませんが。

恒例の茶々入れです、
気にしないで下さい。 ませ。

聖なる弟子が、既に正しい眼を具足して、美事に見通した者となった時には、彼には
すでに絶滅し終息したる苦は多量にして、なお残れる苦はごく少ない。
それはらは、既に絶滅し終息したる苦の総量に比すれば、かぞえるほどのものでもなく
比べて言うべきものでもなく、その最小の一部ともいい難い。これが所謂「極七辺生」
というものである。
(「極七辺生」過去七世に渡って嘗めた苦)
相応部経典 五十六 四十九 雑阿含経 十六 三十四 

「四つのまことのことわりを
ありのままには見得ずして
長夜に生死を繰り返し
迷いの生をかさねたり
いまそのことわりを見るを得て
かの渇愛を断ちつくし
かの誘いは除かれて
もはや迷いの生はなからん」
相応部経典 五十六 二十一 雑阿含経十五 四十四



425 :ぽこたん @キャップなし:04/10/28 11:10:36 ID:0Y53Zbev
比丘達よ 我も また 汝らも 四つの聖諦を、しらず、通ぜざるによりて、
久しきにわたり流転し、輪廻してきたのである。その四つとはなんであろうか。
 相応部経典 五十六 二十一 雑阿含経 十五 四十四


426 :ぽこたん @キャップなし:04/10/28 11:32:27 ID:0Y53Zbev
仏陀が無記を通したのは 有名な話ですが
まあ実際は「無義」(んな議論は邪魔 有害 いらん)
だからだそうです。

〜あるいは(人は死後には存するにもあらず存せざるにもあらず)という。
では何ゆえに、そのような事を思惟しないほうがよいというのであろうか。
比丘達よ、そのようなことを思惟する事は、なんの利益ももたらさず、梵行の
出発点ともならず、また、厭離 離貪 滅尽 寂静 証智 等覚 涅槃に役立つ
ものでもない。
比丘達よ、汝らが思惟するときには、(こは苦なり)と思惟するがよい。
(こは苦の生起なり)と思惟するがよい。(こは苦の滅尽なり)と思惟するがよい。
また、(こは苦の滅尽にいたる道なり)と)思惟するがよい。
比丘達よ、それらのことを思惟することはよく利益をもたらし 〜。
相応部経典五十六 八 雑阿経 十六 二
四聖諦を思惟しなさいと 書いてある。 
ちなみに 苦を正しく認識する事を正見というみたいです。


427 :ぽこたん @キャップなし:04/10/28 11:54:39 ID:0Y53Zbev
 飲み諦 食い諦 ねむ諦 やり諦

「友サーリプッタよ、苦 苦と称せられるが、友よ、いったい苦とはなんであろうか」
「友よ、これらの三つが苦である。すなわち、苦苦性 行苦性 壊苦性である。友よ、
これら三つが苦である。」
「では友よ、それらの苦を知り尽くす道があるであろうか〜」〜
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの苦を知り尽くす道である。」
 相応部経典 三十八 十四 雑阿含経 十八 一
苦苦性(肉体的苦痛に原因する苦)
行苦性(行は還流の意にして、一切の無常転変なるによりて生ずる苦である。)
壊苦性(楽境の壊するによりて生ずる苦)
 苦を知り尽くすには八正道が必要であるとするのですから
 凡夫が表面的に苦苦性で騒ぐのは いたし方ない事なのでしょう。
 修行には動機付けがいるのでしょうから、形而上の議論をするより
 苦の議論の方が涅槃に役立つという事なのでしょうね。



428 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 14:02:57 ID:/ajg4iVf
>ぽこたん @キャップなしさん、
四禅五定などへの入出定も「結生」と呼ばれますし、事象の生起を「生」と表現されることも
あれば、ある状態・境涯の終熄が「死歿」と表現されることもあります。 ある原因によって
他の結果が生じることも「結生」といわれます。


429 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 14:11:21 ID:/ajg4iVf
>>426
>ぽこたん @キャップなしさん
興味をお持ちの論題に関しては、http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1096019622/l100
のほうが高度で突っ込んだ議論が可能かと考えます。ナンセンスな雑音も入らないと思いますし。


430 :名無しさん@3周年:04/10/28 22:34:16 ID:zVazVpVC
ちょいとお訊ねしたいのだが、仏教では精神の苦痛を取り除くために苦の原因を滅するとのこと。
精神的苦痛の根元がリアルな身体と関連しているばあいは、この仏教的方法は無力に近いと考えてよいのだろうか?
阿呆陀羅經さん、お願いします。

当然ですが、この議論の果てには外縁起の肯定が控えております。
荷が重いですか?

431 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 22:37:36 ID:p2BmO+2W
「リアル」の概念規定すら不明な粘着珍問に応答の義務無し。

432 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 22:41:37 ID:p2BmO+2W
>>430
> 当然ですが、この議論の果てには外縁起の肯定が控えております。
牽強付会の予告?肯定したいのであれば、それを明確に裏付ける教証を提出すべし。
今まで見たこと無いけどね。

433 :名無しさん@3周年:04/10/28 22:44:01 ID:zVazVpVC
なるほど。
でもまだ粘着問答はしておりませんが。

では質問を少しいじります。

ちょいとお訊ねしたいのだが、仏教では精神の苦痛を取り除くために苦の原因を滅するとのこと。
精神的苦痛の根元が身体と関連しているばあいは、この仏教的方法は無力に近いと考えてよいのだろうか?
阿呆陀羅經さん、お願いします。

これでよろしいかな?

434 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/28 22:44:18 ID:jihpncBj
>>430
>当然ですが、この議論の果てには外縁起の肯定が控えております。 
>荷が重いですか? 

やはりそうきましたか。。笑が止まりません。必死こいた割には外縁起の肯定。あははははは。
ご苦労さん。あんたがいる場所ではありませんよ。

435 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 22:46:02 ID:p2BmO+2W
>>433
そんな後出しじゃんけんや出し遅れの古証文に関わり合う義務も必要もない。

436 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/28 22:50:15 ID:jihpncBj
>>433
いじる?どこを?

437 :名無しさん@3周年:04/10/28 22:54:12 ID:zVazVpVC
>>435
リアルをとってみたんだけど。だめ?

438 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 22:55:34 ID:p2BmO+2W
>>433
> なるほど。
> でもまだ粘着問答はしておりませんが。
誰が問答などといいました?粘着珍問とは言いましたが。
荷が重い?教証や典拠の提示の重圧がかかるのは誰にでしょうね。

439 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 22:55:59 ID:p2BmO+2W
>>433
> なるほど。
> でもまだ粘着問答はしておりませんが。
誰が問答などといいました?粘着珍問とは言いましたが。
荷が重い?教証や典拠の提示の重圧がかかるのは誰にでしょうね。

440 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 22:56:54 ID:p2BmO+2W
重複レス失礼しました。

441 :名無しさん@3周年:04/10/28 22:59:23 ID:zVazVpVC
おっと、これは失礼。読み間違いです。
ところで、この手の話題には触れない方針ですか?
苦が身体と関連していることなんて、極一般的だとおもうんだけど。

442 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 23:01:16 ID:p2BmO+2W
>>441
>>435に付け加えることは何も無し。以上。


443 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:02:46 ID:zVazVpVC
なにをそんなに怖がっているのだかw
ま、いいけどね。

444 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:02:50 ID:TRjLzIn6
このスレは電波野郎2名を地獄に突き落としてカルマを清算してやるための
慈善スレの色合いを帯びてきました

445 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 23:05:13 ID:p2BmO+2W
>>443
梯子取られてるのにいい加減気づけばいいのに。論点捏造の虚偽屋さん。


446 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:07:31 ID:zVazVpVC
>>445
それそっくりお返ししましょう。揚げ足取りの似非論者さん。

447 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/28 23:08:26 ID:jihpncBj
>>443
本当にハクチじゃないの?もう一度引用してやろうか?

あなたはリアルな身体と関連して精神的苦痛があるのですか? 
そしてその身体にはどのような原因があるのですか? 
その精神的苦痛とはどういったものですか? 

あなたの出来るだけの努力を払っても解決できないものですか? 
そのことで生きるという意味において決定的に悩むことがありますか? 
あなたの苦痛を回りは認識していますか? 
認識しているとすればどの範囲においてですか? 

あなたが理解している仏教的方法とは具体的になにを指すのですか? 
あなたが理解している仏教でいう根源苦とリアルな身体と関連している苦痛 
との間にはズレがありませんか? 

もしあなたにそれらのリアルな身体と関連している苦痛がないとすれば 
なぜそのような問いを発するのですか? 

これに答えられなければ質問できないよ。怖いのか?この根性なし。

448 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 23:09:53 ID:p2BmO+2W
>>445
思惑通り詭弁論法に乗ってくれなかったのが余程悔しいと見える。


449 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/28 23:10:08 ID:jihpncBj
>>446
あんたに聞いてるんじゃないとか言って遁走するなよ。この腰抜け馬鹿め。

450 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:10:12 ID:zVazVpVC
ところであなたは本物さん?偽物さん?(爆

451 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/28 23:11:42 ID:jihpncBj
>>450
本物だけど、偽者の質問の仕方が良かったから使わせてもらっているだけ。
よく私のこと研究しているみたいだね。

それより、早く答えろ。

452 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:13:01 ID:Rh6aLQ8b
「精神的苦痛の根元が身体と関連している」ということは、
「身体の苦痛」のことを指している。身体の苦痛(vedanaa)が精神の苦痛を
引きおこすケースについて問われているのである。
この問題は前スレでも再三引用されてきたに「箭経」に言い尽くされている。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%AE%AD%E7%B5%8C&lr=

453 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:13:59 ID:zVazVpVC
>>451
いえいえ、電波男さんは怖いので遁走します。ばいばい。
あほだらさん、また今度遊んでくださいね。

454 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/28 23:23:24 ID:p2BmO+2W
>>453ID:zVazVpVC
> あほだらさん、また今度遊んでくださいね。
今回のような醜行醜態を二度と演じないと約束できるのならね。


455 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/10/28 23:24:30 ID:jihpncBj
>>452
心作用としての楽・苦・不苦不楽(三受)の感受(vedanA)と仏教でいう一切皆苦の「苦」と同一視される
傾向がありますが、全く別物であるというのが原始仏教からの変わらぬ見解です。

「苦」の説明のために感受における三受の内の「苦受」を使うことはあります。しかしそれは
比喩であり、それを越えることはできません。仏教で言う「苦を滅する」と言うのは三受を含め、
人間存在のありかたを言うのです。

456 :名無しさん@3周年:04/10/28 23:24:43 ID:zVazVpVC
>>452
箭経なんて言葉はこのスレで一回も出てきていない。
(わざわざパート1−10まで検索しちゃったじゃないか)
でも、ホームページのご紹介ありがとう。

457 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/10/29 02:43:27 ID:H/W7U6YB
まあでも ID:zVazVpVCさんの変な質問のおかげで、
電波男さんの>>455のコメントが出て来たのは僕にとって非常に有益でした。
原始仏教の文脈では「苦」と言うのは人間存在のありかたそのものを言うのですね。
「第2の矢を受けず」とは良く聞く文句ですね。


458 :名無しさん@3周年:04/10/29 04:15:46 ID:X0jRwiHp
頭の悪い自作自演

459 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/29 06:35:54 ID:iW0o47Vu
>>430 :名無しさん@3周年 :04/10/28 22:34:16 ID:zVazVpVC
> 当然ですが、この議論の果てには外縁起の肯定が控えております。
> 荷が重いですか?

業道輪廻転生を否定する、これで仏法者か
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_02_04.html

輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
http://page.freett.com/Libra0000/070.htm

(2) いのちの流れ(輪廻)
http://www2.tky.3web.ne.jp/~kuuki/hp/sisei/ronkou/21.html

まだ、深くは理解できていませんが、こんなのをざっと読むと、
業報輪廻による現世から来世への転生という考え方は分が悪そうです。
しかし、次のような考え方をすれば、勝ち組の筆頭はおそらく私です(笑)。
だから、いいのです。

-----------------
討論と違って議論には勝ち負けはありません。
あえて言えば議論から何がしかを得られた人が勝ち、何も得るものがなかった人が負けです。
ですから勝ち組の筆頭は途中で意見が変わった人であり、
最後まで自分の意見を貫き通した人は負け組なのです。

http://iwatam-server.dyndns.org/software/giron/giron/x856.html
議論のしかた より


460 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/29 06:36:35 ID:iW0o47Vu
>>421
> 「つまりは苦も衆縁和合」によって生じた「縁已生法」であり、「自作」「他作」という個別因やその作者の
> 実在ををそもそも承認していないと考えます。
たしかに「老い」を苦と感じるとすれば、それを「自作」か「他作」か論じるのは、
ナンセンスな気がします。

> 「本人」なる個別の実体的主体は承認されておりません。
私は、『「本人」なる個別の実体的主体』だと思いますし、
阿呆陀羅經さんも、『「本人」なる個別の実体的主体』でしょう。
身口意の行を行う『「本人」なる個別の実体的主体』は有るのではないでしょうか?

> 「無我説」を再確認して下さい。
現世と来世とで、同一性を保証する『「本人」なる個別の実体的主体』はない
という意味でしょうか?

しかし、生物学的(?)輪廻を想定せずに、
・布施の功徳
・不殺生戒
の根拠を、どこか別な場所に求めることは可能なのでしょうか?

> > 前に十二縁起について考えた時には、名色と有でひっかかったのですが、
> 水野本は如何でしたか?
> 水野本のp149〜188あたりを精読されることをお勧めします。生物学的「外縁起」の取り扱いにも注目です。
まだ、一読しただけなので、ぴんときていません。
精読した後、私の理解を書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


461 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/29 08:44:19 ID:Bv3z87qZ
>>460 無宗ださん、おはようございます。

> > 「本人」なる個別の実体的主体は承認されておりません。
> 私は、『「本人」なる個別の実体的主体』だと思いますし、
> 阿呆陀羅經さんも、『「本人」なる個別の実体的主体』でしょう。
衆縁和合した『仮我』としての自己や個人です。
> 身口意の行を行う『「本人」なる個別の実体的主体』は有るのではないでしょうか?
「何某が行うのかという問いは正しくない。」と説く経もあります。水野本の「第一義的無我相経」
の解説の件りを精読して下さい。
> > 「無我説」を再確認して下さい。
> 現世と来世とで、同一性を保証する『「本人」なる個別の実体的主体』はない
> という意味でしょうか?
「現世・来世」の語義把握を確認する必要がありそうです。死を基軸としない「過去・現在」と捉えないと
なんでもありの混乱状態に陥ります。「三世」も同様の意味で「過去・未来・現在」と把握して下さい。
> しかし、生物学的(?)輪廻を想定せずに、
> ・布施の功徳
> ・不殺生戒
> の根拠を、どこか別な場所に求めることは可能なのでしょうか?
「自浄其意(@七佛通誡偈)」のための必然的自律的行為として。
> > > 前に十二縁起について考えた時には、名色と有でひっかかったのですが、
> > 水野本は如何でしたか?
> > 水野本のp149〜188あたりを精読されることをお勧めします。生物学的「外縁起」の取り扱いにも注目です。
> まだ、一読しただけなので、ぴんときていません。
> 精読した後、私の理解を書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。



462 :ぽこたん @キャップなし:04/10/29 12:31:17 ID:Z4bcIuu0
>>429 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 04/10/28 14:11:21 ID:/ajg4iVf

どうも こんにちは
誘導有難うございます。
あほだらさんの 輪廻の見解をつっついて遊んでいるだけですんで
まあ気にしないでくださいませ。 へへへ
いやね 本音をいうと電波博士のハクチ認定証が欲しいんですよ あれが
電波氏に遊んでもらえそうなカルト脳がここんとこ 錆付いていますんで
困っています。
電波氏がオークションでハクチ認定証を造って売り出したら 速攻買いたいな。


463 :ぽこたん @キャップなし:04/10/29 12:44:57 ID:Z4bcIuu0
>>459 無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage New! 04/10/29 06:35:54 ID:iW0o47Vu
>輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
>http://page.freett.com/Libra0000/070.htm

なんか参考になりました 有難うございます。
(仮我)とかの扱いとかもそうですけど 人間て条件によって考え方も思考も
格段の違いを見せるし立場が違えばあれが同じ人間かと思える
ぐらい 言う事も違ってきますからして、仮に中有や 輪廻が
あったとしてもまったく違った世界を認識するようになるのではないかと
思います。
中有は六根六境ありませんし 生物学的転生があったとしても環境や
教育の違いで変わってしまう事になります。

狼に育てられた少女という実話がありましたが 結局人間にはなれなかった
みたいですね。なりかけたんだけど 動物のまんま死んだみたいです。
仏陀が無記 無義を通したわけが解るような気がします。
実際運用上は 形而上の思惟は無駄なことなのでしょうね。


464 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/29 13:11:02 ID:1R48DVYi
>>459
> しかし、次のような考え方をすれば、勝ち組の筆頭はおそらく私です(笑)。
> だから、いいのです。
一番「勝ち負け」に拘ってるのは恐らく無宗ださんでしょう。
> 討論と違って議論には勝ち負けはありません。
> あえて言えば議論から何がしかを得られた人が勝ち、何も得るものがなかった人が負けです。
> ですから勝ち組の筆頭は途中で意見が変わった人であり、
> 最後まで自分の意見を貫き通した人は負け組なのです。
吟味・テストに耐え得る仮説の提示に「勝ち組・負け組」の概念など凡そ無意味。



465 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 06:15:42 ID:a37jQJFF
>>421
> 水野本の「第一義的無我相経」の解説の件りを精読して下さい。
「原始仏教」(pp121-124)における無我相経に関する水野広元氏の主張を要約、整理する。

■無我相経:五蘊が無我であることを説いている経典。

■今日伝えられている種々の無我相経
・多くは世俗的な無我説
・第一義的な本来の無我説を伝えているものは1,2例しかない。

■世俗的立場の無我説
色は無我である。
若し色が我であるならば、この色は病ともならず、
また色について「わが色はかくあれ」とか、
「わが色はかくあること勿れ」とかいうことができるであろう。
然し色は無我である。
故に色は病にもなり、また色について「わが色はかくあれ」とか、
「わが色はかくあること勿れ」とかいうことができないのである。
(我は何事でも自由自在に支配し、生滅変化させることができる。
それができないという理由で、五蘊が無我であることを証明している。)

■有部の漢訳雑阿含にある無我相経
これが、第一義的な無我相経
我=本体的な固定不変のもの
無我=無常変化する現象的のもの
としている。


466 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 06:16:21 ID:a37jQJFF
(つづき)
■第一義的無我相経
若し色が我であるならば、この色には病苦の生ずることもなく、
また色について「かくあれ」とか、
「かくあること勿れ」とかいうことはできないであろう。
色は無我であるから、色に病苦が起ることもあり、
また色について「かくあれ」とか、
「かくあること勿れ」とかいうことができるのである。
(我である=すべては一定不変であるべきはず。
固定性のない無我であるから自由意志の存在が認められ、
逆境や不運も固定したものではない。)

■諸法無我の説
世の中は固定したものではない。
縁起説は、この無我説を基礎としている。

■無我の実践=無我行
仏教の実践理想はすべて無我行なるべきである。
涅槃の境地は、生死輪廻を超越している。
涅槃の境地=無我行の徹底したもの
仏教のさとり=無我を実現させること


467 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 06:29:08 ID:a37jQJFF
>>461 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/10/29 08:44:19 ID:Bv3z87qZ

> > しかし、生物学的(?)輪廻を想定せずに、
> > ・布施の功徳
> > ・不殺生戒
> > の根拠を、どこか別な場所に求めることは可能なのでしょうか?
> 「自浄其意(@七佛通誡偈)」のための必然的自律的行為として。

http://www.ne.jp/asahi/housenji/hp/bukkyou/bukkyou-1.html
【七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)】
諸悪莫作(しょあくまくさ)  衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)  自浄其意(じじょう ご い)  是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
「諸々の悪を為すことなく、もろもろの善を行い、自ら心を浄くせよ、是が諸仏の教えなり。」

-----

「自ら心を浄くせよ」は、
根拠無しで無条件で認めるべき命題である
という意味ですね。


468 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 08:03:10 ID:a37jQJFF
>>467
> 「自ら心を浄くせよ」は、
> 根拠無しで無条件で認めるべき命題である
> という意味ですね。

これは結局仏教は、『衆生悉有仏性』を前提としており、

●仏教は性善説である

という結論が得られる!?


469 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/30 08:11:24 ID:G27Pu2Ae
>>467
> 「自ら心を浄くせよ」は、
> 根拠無しで無条件で認めるべき命題である
> という意味ですね。
原文は「せよ」という命令・指示の文型ではありません。
これは正覚・涅槃に至るための必要不可欠条件でありましょう。


470 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/30 08:13:55 ID:G27Pu2Ae
>>468
> > 「自ら心を浄くせよ」は、
> > 根拠無しで無条件で認めるべき命題である
> > という意味ですね。
論点先取ですよ。
> これは結局仏教は、『衆生悉有仏性』を前提としており、
> ●仏教は性善説である
> という結論が得られる!?
いずれも原始佛教では問題とされていない事柄です。

471 :名無しさん@3周年:04/10/30 08:25:31 ID:9H9rXxQx
阿呆陀羅は本当に馬鹿だなぁ

472 :ぽこたん @キャップなし:04/10/30 08:45:47 ID:eIT9Pzq9
>>468 無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage New! 04/10/30 08:03:10 ID:a37jQJFF
>> 「自ら心を浄くせよ」は、
>> 根拠無しで無条件で認めるべき命題である

仏陀の宗教の根幹は縁起の法則に依る
時間軸に眼を向ければ原因という事になり空間的に視野を向ければ
存在が依っている対象になる六根 六境 「葦が依って立つ」例え。
根拠無しで認めよは観察の宗教である仏陀の四聖(姿勢)にそぐわない
それはカルトに向かう根源になる。
出発点はシステムとしての(苦)の解決にある。
システムとしての(苦)の解決に絡まないのであれば別段 (自ら心を浄くせよ)
は必要ないことになる。



473 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 13:46:58 ID:a37jQJFF
>>469
> 原文は「せよ」という命令・指示の文型ではありません。
> これは正覚・涅槃に至るための必要不可欠条件でありましょう。
原文は、どのような文型なのですか?
というか、日本語にするとどう表現するのが適当だと、
阿呆陀羅經さんは、考えているのでしょうか?
下記の第2案?


http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/syoaku.htm

諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教 
しょあくまくさ  しゅぜんぶぎょう  じじょうごい  ぜしょぶっきょう

【1案】
諸々の悪しきことをせず、
もろもろの善いことを実行しなさい。
そして、自ずからその意(こころ)を浄めていくこと。
これが諸佛の教えである。

【2案】
 ありとある悪を作さず
 ありとある善きことは
 身をもって行い
 おのれのこころをきよめん
 これ諸仏のみ教えなり


474 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 15:56:12 ID:a37jQJFF
>>472
ぽこたんさん、こんにちは。

>> 「自ら心を浄くせよ」は、
>> 根拠無しで無条件で認めるべき命題である
これは、書き方が挑発的でした。反省してます。
現在は、阿呆陀羅經氏の『必然的自律的行為として。』にて
言わんとしたことがなんとなくわかった気がします。

> 根拠無しで認めよは観察の宗教である仏陀の四聖(姿勢)にそぐわない
そうですね。四聖諦はもちろん尊いのでしょうけど、同様に仏陀の姿勢、
「あるがまま」を「あるがまま」にみる
という仏教的ものの見方は大切ですね。
(森 章司著『仏教的ものの見方』に、感化されました。)

----
道元禅師は「何かのためにする」ことがちっぽけで、空しいことに気がついた。

http://www.cable-net.ne.jp/user/terao-ji/teraB8.htm
A100,只管打坐(しかんたざ)その三
----
とか。
八正道は、「滅を実現せしむ」という目的は持ちますが、
同時に、八正道を歩むことにより、八正道を歩むこと自体が
目的になるのではないかと思います。(いい意味で)
すなわち、自然と悪は避け、善を為すようになる。
これをもって、阿呆陀羅經氏の『必然的自律的行為として。』
といったのかなあと。


475 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 16:05:07 ID:a37jQJFF
>>465-466
水野本の「第一義的無我相経」の解説は、
結局、無我に関しての話ではなく、諸行無常に関し語っているに過ぎない。

人間が自我を持つのは、目の前の焚き火の炎が存在するのと同様、
自明なことと思われるが、どちらの無我相経も、
人間の自我に関しては何も語っていない。


476 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/10/30 16:11:47 ID:a37jQJFF
>>470 :阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/10/30 08:13:55 ID:G27Pu2Ae
> >>468
> > > 「自ら心を浄くせよ」は、
> > > 根拠無しで無条件で認めるべき命題である
> > > という意味ですね。
> 論点先取ですよ。
誤解を招く表現で申し訳ない。私が自分の書いたことに勝手に自分で納得しただけです。

> > これは結局仏教は、『衆生悉有仏性』を前提としており、
> > ●仏教は性善説である
> > という結論が得られる!?
> いずれも原始佛教では問題とされていない事柄です。
そうなんですか。
でも、これも私が勝手に問題としている事柄なんで、あまり気にせんといて下さい。


477 :P-たん ◆PHymQETSmk :04/10/31 23:36:09 ID:uVcyVqlc
電波どん、阿呆陀羅經さん、おげんきそうでなによりです。それにベロさん、277男さんもお久しぶり。
数ヶ月宗教板をのぞいてなかったら10周目にはいってたんですね。ますますのご繁盛、御同慶の至りです(坊主みたい)。
> 395、396 あたりは電波さんの面目躍如という言明ですね。宗教という観点から、ご見解をぜひとも「所謂大乗」との
関係でのご高説を承りたいものです。

さて、『遊行経』の中にこんな一節があります(引用はSATから)。
T01n0001_p0014b26(00)||時。菴婆婆梨女取一小床於佛前坐。佛漸爲説法。示教利喜。施論.戒論.生天之論。
欲爲大患。穢汚不淨。上漏爲礙。出要爲上。爾時。世尊知彼女意柔軟和悦。蔭蓋微薄。易可開化。如諸佛法。
即爲彼女説苦聖諦。苦集.苦滅.苦出要諦。時。菴婆婆梨女信心清淨。譬如淨潔白氈易爲受色。即於座上
遠塵離垢。諸法法眼生。見法得法。決定正住。不墮惡道。成就無畏。
釈尊はアンバパーリーに最初は施戒生天を説いたのだけれども、彼女が煩悩が稀薄となり教化しやすくなったので四諦説を
説いたら彼女は法眼を生じた、というものです。前者の説がこれだけで説かれれば「輪廻転生」を前提として承認しているよ
うにも見えますし、後者の説がそれだけで説かれていれば、場合によっては「輪廻転生」は事実ではないという主張が含意さ
れているようにも見えます。ところがその二つの立場が並べて説かれていると「輪廻転生」が事実であるかどうかは無意味な
論点になってしまようにおもいます。その無意味なこと(はっきりいえばどうでよい概念を実体視すること)に縛られているのが
人間存在だし、それを滅するのを「苦を滅する」といっているのではないでしょうか。逆に仏典にでてくるからといってそんな観念
を前提にしちゃうと、あなたは地獄におちゃうよ〜、とか、だからあなたは癌になっちゃたのよ式のカルトがいくらでもできちゃいますね。


478 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/11/01 02:37:48 ID:JHXSMh0f
おおおっP-たんさん、お久しぶりです。いろいろとお世話になって大変感謝して
おります。さすがに上記の引用などは素晴らしいですね。

いろんな手だて(方便?)を使って「苦を滅する」と言う目的を達成させるのが
釈尊の教えなんですね。方便にこだわり過ぎると目的の方を忘れてしまいますね。
対機説法・次第説法ですし、面前に釈尊がいらしたんですからねぇ。

その方便が高度になり過ぎたのが所謂「大乗」ですかね?原始仏教は全く所謂「宗教」
と言うような感じがしないのですが、大乗になると所謂「宗教」そのもののように
感じます。このあたり同じ仏教の中で断絶があるのか繋がっているのか興味があります。

479 :名無しさん@3周年:04/11/01 05:58:34 ID:2XijS9y9
質問した者ではないのですが、私も疑問に思ったので返答として

>>あなたはリアルな身体と関連して精神的苦痛があるのですか?
自分、そして肉親、目にした他人を網羅して書きますが
仮に病の場合(これは本人ができる場合病に沿った、生活内容や、栄養、知識、
前向きな精神)があればカバーできる部分が在ると思います。
そしていまだ持って解明されていない人体の力と外部因子が絶妙に絡んだ場合
回復に可能性も在ると。
身体的に肉体的な決定的な欠損、或いは生まれながらのその場合はどうですか?
肉体という物理的なものの欠損はまだ現状では一般的に完治できない。
数百年後にはもしかしたらナノテクノロジー、DNAテクノロジーにより
自己の細胞から自分の欠損した部分の肉体及び臓器の培養により
現状よりは直る確立が格段に上がる可能性は在りますが、現状的にまだ遠いと
思います。その様な人の場合その部分についてはどうにもならない。
そうなるとどうアプローチをするかという場合、やはり精神の力と
発想の切り替え、価値観の転換しかないと思うのですが早計ですか?
しかしその切り替えができる人にせよ、その前の出来ていない人など
外部の健康な人間と比べるという価値観がある場合人に言えない
悶絶等があるのではないでしょうか?

>>そしてその身体にはどのような原因があるのですか?
上記参照
>>その精神的苦痛とはどういったものですか?
その内容は多分その個人、置かれた状況や性格、により同じような病状でも
分化されていると思いますが、
ある人は哀しみ、ある人は諦め、ある人は怒り。ある人は虚脱するのでは
ないでしょうか?しかしそれは全て表層での反応であり
真の内面での反応はいくつかに限定されされているように思います、「無念」
とか「絶望」とかにちかいのでは。しかしまたそれも真の姿ではなく
その奥にもう一歩「生きたい」という精神が存在すると考えます。
それゆえでの表層の反応だと考えます。

480 :名無しさん@3周年:04/11/01 06:00:51 ID:2XijS9y9
>>あなたの出来るだけの努力を払っても解決できないものですか?
それはその人間の状況や(これはきっても切れないもの)
支える人間や、或いは本人の中の信念、あるいは生きる執念、前向きな思考
またはその様な状況に導いてくれる、人、言葉、思い、が回りの環境
そしてそれに呼応する物を本人が持ってるかに、掛かってくるでしょう。
>>そのことで生きるという意味において決定的に悩むことがありますか?
>>あなたの苦痛を回りは認識していますか?
>>認識しているとすればどの範囲においてですか?

>>あなたが理解している仏教的方法とは具体的になにを指すのですか?
これは私にはわかりません
質問したご本人に答えてもらいたいところです。

>>あなたが理解している仏教でいう根源苦とリアルな身体と関連している苦痛
>>との間にはズレがありませんか?
仏教での苦は全て苦らしいですが「苦」ということを全て悪いような感じに
捉えてるのでしょうか?「人生は苦です」も結構ですがたくさんの補足が
必要なのではないでしょうか?苦があるからこそ「楽」もあり
苦か在るからこそ「生」がある。違いますか?
本当に絶望して気力さえ叩きのめされた人間は藁にもすがる思いで
宗教、思想、情、憐れみ、とにかく何位でもすがろうと思います
そんな時「此の世は苦です」などとしたり顔で言われた時どんな風に思うか
わかりますか?まるで自分が石になったかのように凍りつくように思います。
「苦」も結構ですが本当に人の心を救うのが目的と言うならば、
その人間の心の立つ瀬のあるものをお願いしたい物です。

481 :名無しさん@3周年:04/11/01 06:02:47 ID:2XijS9y9
>>もしあなたにそれらのリアルな身体と関連している苦痛がないとすれば
>>なぜそのような問いを発するのですか?
人間は自分のみならず、家族、親族 友人或いは他人に囲まれ生活し
その関係の中でいろんな物を垣間見ます。
その中で色々な心の様相が生まれます、その中で自分が何ともないから
他の人間がどういう状況で、どんな気持ちなのだろうと思わない人間の方が
おかしいでしょう?(大なり小なり)
生きていく上での過程的当然の疑問でしょう。
特に子供や思春期の場合は成長する上での当然の疑問のようにも思いますが
どうでしょう?

いやすいませんね、私も疑問に思ったのでつい書いてしまいました。

482 :名無しさん@3周年:04/11/01 06:37:31 ID:83SBDTaQ
苦は身体を持ってるから起こる。当然のことでしょう。

483 :名無しさん@3周年:04/11/01 06:44:31 ID:V8kW4Ioo
死んでからの苦もありますけどね。
でもそんなことを考えれば考えるほど現在の自分が苦しくなってしまいますから、
死後の結果も悪くなります。

484 :名無しさん@3周年:04/11/01 06:46:56 ID:V8kW4Ioo
死んだらスパッと死ぬ。
現在に未練や未清算の悪事を持たない、残さない。
生きるときは死後のことで悩んだりしない。

485 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/01 12:03:40 ID:qb8hu0gn
P-たんさん。
パンドラの箱また送っておいて下さい。私信終了。(笑)

えっと、その手の話は実におおですね。
難陀が出家しても色欲から解放されないでいると、釈尊がその神通力で天界に連れて行き、
地上では絶対に拝むことの出来ない美女天女を見せ

「難陀よ修行を完成させればこのような美女を支配できるのだぞ」

と誑かして修行にはげましました。動機は不純ではありますが、修行が進みそのような煩悩から
解放され当初の動機は綺麗さっぱり消え去りましたとさ。。。。


さて、某所で『存在の分析』の読書会を始めます。早速ご参加ください。滅尽定やサンスクリットも
平行して行う予定でおります。


486 :名無しさん@3周年:04/11/01 17:41:04 ID:DkZo7H5s
>483
死後の世界なんて、誰も証明できないでしょ。
存在、非存在にかかわる問題じゃないと思いますが。
生きている人間の苦の問題だと思うので、死後とか不確定要素が多いものは
ここでは扱わないほうが良いと思いますが。

487 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/11/01 17:49:47 ID:DpXoXojL
>>480さん。
仏教の方法では、「人生は苦である」と心底気付く所から、
本当の心の救い(平安な境地)への道が開けて来るのだと思いますよ。
その方法では無理なら仏教以外の方法を選ぶべきでしょう。

488 :Goたま:04/11/01 20:20:15 ID:PNPTdkg9
>宗教、思想、情、憐れみ、とにかく何位でもすがろうと思います
>そんな時「此の世は苦です」などとしたり顔で言われた時どんな風に思うか
>わかりますか?まるで自分が石になったかのように凍りつくように思います。
>「苦」も結構ですが本当に人の心を救うのが目的と言うならば、
>その人間の心の立つ瀬のあるものをお願いしたい物です。

私は気休めを語るものではない。
まずはっきりさせておかなければならないのは、
あなたが求めているのは真実であるか?それとも気休めであるか?ということだ。
もし気休めを求めるのであれば、書店にもそういう類の本はたくさんある。
坊さんたちや、教祖様たちもいろいろ言っている。そういうのを聞けばよろしかろう。

しかしあなたが厳然とした生の真実を求めるのであれば、あなたが最も聞きたくない
ことをも聞くという心の準備が、あなたになければいけない。
あなたにその用意はあるだろうか?

489 :名無しさん@3周年:04/11/02 03:57:58 ID:1ZX3NS04
自作自演のスレ

490 :名無しさん@3周年:04/11/02 10:44:07 ID:w8qx1U3f
「此の世は苦です」
これを聞いて、「この世界は苦痛に満ちている。自分は苦しくないが・・・」
と思っただろうか?とんでもない思いちがいである。
「苦」というのは他ならぬあなた自身のことである。
他に何が苦でありえようか。
「本当に絶望して気力さえ叩きのめされた人間」
「藁にもすがる思いで宗教、思想、情、憐れみ、とにかく何にでもすがろうとする」
「まるで自分が石になったかのように凍りつくように思う」
このこと自体が、その人の苦のありさまを語っているではないか。
あなたは苦しんでいる。しかしその苦しみには原因があって、それを取り除けば
苦しみの終焉、安らぎに至るというのがブッダの教えである。

491 :名無しさん@3周年:04/11/02 12:01:02 ID:/auG4RLj
「この世は苦である」というのは、現世に不満を持つ輩が「この世が苦である
という真理を知っている自分こそが偉いのだ」と価値観を逆転しているだけの話。
これもまた、ルサンチマンの一種にすぎない。

492 :名無しさん@3周年:04/11/02 12:09:57 ID:/auG4RLj
現代人にとっては「この世は倦怠(アンニュイ)である」の方がずっと
心にしっくり行くだろう。苦しんでもいないのに、苦しいふりをして
「この世は苦である」と心にもないことを口にして得意がるよりも、
「ああ、人生って退屈だ。俺の人生って一体何なんだろう?」と本音
で語ることから哲学は始まると思う。

「この世が苦である」ことを完全に知っている人は、こんなところに
カキコできる余裕などないさ。苦を感じることが高級な人間だと何か
勘違いしてやいないか。ズバリ言ってやろう。
「君たちは暇なのだ。その暇を苦と勘違いしているだけなのさ。」

493 :名無しさん@3周年:04/11/02 16:20:13 ID:w8qx1U3f
苦は誰でも感じることができる。
試しにあなたが安楽だと感じる姿勢で、七日間睡眠と食事以外の時間は
音を聞かず、声を出さず、目を開けず、身体をまったく動かさずにじっと
坐ってみなさい。

阿羅漢なら、まったく苦を感じることもなく、楽に住して坐り続けることが
できる。心身に苦の因を滅し尽くしているから、たとえ坐り続けても心身に
苦の結果が表れないのだ。

しかしあらゆる苦の因を溜め込んできた普通の人には無理だ。
やってみなさい。
その時はあなたは心と体の苦しみの何たるかを知ることができるだろう。
もちろんあなたは退屈するだろう。倦怠するだろう。
それこそはあなたの苦しみである。内に、外に、ひたすら心のおもむくまま
興味の対象を探し続けてきた心が、それを絶たれたのだから苦しむのは
当たり前だ。そしてそれがあなたの人生だ。あなたの生全体が、興味と満足
を求めて死ぬまでうろつき回るのだ。
その愚かさを見据える知性があるなら、その重荷を下ろしなさい。

494 :名無しさん@3周年:04/11/02 20:29:38 ID:rsb+nl/Q
はげしく盛り下がってますね。。。。

「苦」と漢訳したどこかの誰かのせいだ。。。。

495 :491:04/11/03 00:04:03 ID:b8uhS7+7
>>493

そういう発想がバカだって言ってるの。
自ら「苦」を作り出してどうするの。
未だ自分の身に降りかからない「苦」を恐れて、「苦」を感じなくなるように
「阿羅漢」を目指しているとしたら、キミは立派な狂人だ。
他人を愚かと言う前に、自らの愚かさに気がつけよ。

496 :491:04/11/03 00:06:36 ID:b8uhS7+7
キミは、普通の人間の何が不満なんだ。
普通に飽き足らない人間は、いつまでも悟れないぞ。
阿羅漢を「特別な人間」だと思い込んでいるから間違うんだ。
阿羅漢は、糞もするし屁もこく。ただ、キミのようにやたらとカッコ
つけたりしないだけだ。

497 :(・ω・):04/11/03 00:29:44 ID:7dikIFeR
低レベル。

498 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/03 11:53:41 ID:u0MHEJFE
私はこのスレは、
●釈尊が何を悟り、何を説いたのかに関し議論するスレ
だと思っています。
無学な私には、>>1 にある「佛教の原点を闡明できる良スレ」の「闡明」に意味がわかりません(汗)

だから、このスレの主な参加者は、「釈尊金口の教え」に興味のある人間であり、
必ずしも仏教信者ではないと考えています。
ですから、釈尊が『一切皆苦』と考えていたとしたら、
何故そう考えたかの仮説の積み重ねを検証することは意味があると思いますが、
いきなり他の考え方と比較したり、優劣を競うことには全く意味が無いと考えます。

人生を
>>288 :名無しさん@3周年 :04/10/23 08:24:39 ID:fCMHbnhA
> 実際には、「苦」と「楽」が交互に来ているだけ。
と、捉えるのは比較的素朴な人生の捉え方で、こういう人たちが悪い業をつくらないように
●布施の功徳、持戒、生天の法
が説かれたのだと考えます。
更に
・歓楽のわざわい
・出離の功徳
がわかるようになって、はじめて、
・やわらぎの心生じ、
・世をいとう心生じ、
・法をよろこぶ心の生じ
というようになり、ここまでが理解(必ずしも共感、納得までする必要はない)できて
はじめて、『一切皆苦』の意味がわかるようになるのではないかと思います。

したがって、ここまで理解できない人間に『一切皆苦』を理解させようとすることは、
四則演算も満足にできない人間に、微分積分をわかれというようなものではないでしょうか?


499 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/03 11:55:37 ID:u0MHEJFE
水野広元著「原始仏教」(pp20-21)における布施供養の功徳に関する要約、整理。

元来印度では、在家信者が出家者の経済生活を支持する風習があった。
『偉大な徳を具えた人に、食物や着物などを布施供養すれば、
供養したものは、それによって大きな功徳を得、来世は天国に生れて幸福な生活を送ることが出来る。
そして尊敬供養を受ける相手がすぐれた人であればある程、この布施供養の功徳は大きい。』
と、業報説を貴重として、一般に信ぜられていた。

四十二章経の中には、功徳の大きさに関し次のような記述がある。

   一人の善人 >  百人の普通人
五戒を守る人一人 >  千人の善人
 一人の須陀おん > 一万人の五戒を守る人
  斯陀含の聖者 > 百万人の須陀おん
  阿那含の聖者 > 千万人の斯陀含
  阿羅漢の聖者 > 一億人の阿那含
  一人の辟支仏 > 十億人の阿羅漢
一人の正覚者仏陀 > 百億人の辟支仏


500 :名無しさん@3周年:04/11/03 13:26:34 ID:zbcWPUa9
>>491
本当に絶望して気力さえ叩きのめされた人間は藁にもすがる思いで
宗教、思想、情、憐れみ、とにかく何にでもすがろうと思う。

あなたの考える「普通の人間」はそんなことは一切ないのだろうが。

しかし世間一般の人間は、病や老いに怯え、死に動揺する、普通の人間
である。あなたの考えるような人間ではない。
そのごく普通の人間が苦しみを乗り越える方法がブッダの教えだ。
この教えは、あなたの考える「糞もしない屁もしない阿羅漢」とは全く関係がない。

あなたは「屁もしない糞もしない境地」を求めいるのかもしれないし、
「この世は倦怠(アンニュイ)である」と言って得意がる哲学者を理想としている
のかもしれないが、ブッダの教えはそのどちらとも関係がないということは
はっきり知っておいた方がいい。

501 :名無しさん@3周年:04/11/03 13:43:36 ID:zbcWPUa9
「一切皆苦」をまったく理解できないというなら、試しに自分が最も安楽だと
感じる姿勢で、七日間睡眠と食事以外の時間は音を聞かず、声を出さず、
目を開けず、身体をまったく動かさずにじっと 坐ってみなさい。

如来・阿羅漢はそれを苦しむことなくできる。
マッジマ・ニカーヤ「小苦蘊経」を見てみなさい。
なぜできるかというと、「退屈する」「倦怠する」等を滅ぼしているからです。

普通の人は退屈する。心もあちらこちらへと猛烈にさまよいだす。
それは心の自然な性質です。
その性質に従って人間は生涯、あちらこちらへと興味のおもむくままに
満足の対象を探し回ります。たとえ一つの対象に満足しても、次から次に
退屈しないように、一瞬たりとも休むことなく欲求の充足を探し回ります。
それゆえ興味の対象が遮断された時、あるいは満足を得られないとき、
心は簡単に苦しみに陥ります。だから「一切皆苦」なのですが。

もはや心が欲求の対象を探し回ることをストップし、たった今・ここで充足する。
その練習が、ブッダの教える清浄の道です。

502 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/03 14:01:15 ID:u0MHEJFE
>>501 :名無しさん@3周年 :04/11/03 13:43:36 ID:zbcWPUa9
> 「一切皆苦」をまったく理解できないというなら、試しに自分が最も安楽だと
> 感じる姿勢で、七日間睡眠と食事以外の時間は音を聞かず、声を出さず、
> 目を開けず、身体をまったく動かさずにじっと 坐ってみなさい。
横から失礼します。

ある一定の行為を、ある一定時間続けると、苦を感じる
ということが、どうして
「一切皆苦」を理解することにつながるのでしょうか?

ある種の苦を理解(体感)することはできると思いますが、
「一切皆苦」を理解することとは違うのではないでしょうか?


503 :名無しさん@3周年:04/11/03 15:34:04 ID:zbcWPUa9
ある行為をすると満足します。
ある欲求を充足すると、心は満足します。
たとえば食事、娯楽、スポーツ、セックス、心と体と口においていろいろ
ありますが、何かの行為をすると、心は一見満足したかに見えます。

しかしその同じ行為をし続けると、それが今度は苦痛に変わります。
同じ映画を、繰り返し何十時間も見続けなければいけないとしたらどうですか?

心は一つの行為で満足しきることなく、次から次へと欲求の充足の対象を
探し求めます。それが得られなければ簡単に苦しみに陥ります。

では何も行為をしなければどうでしょうか。やってみなさい。
何も見ず、何も聞かず、何も味わず、何も動なければ、苦はないのでしょうか。
しかし心身に刻み込んできた苦を体験することになります。
じっと動かなければ安楽だと思いますか?
そこにおいては今まで溜め込んできた嫌悪、憎悪、退屈、倦怠、焦燥、
あらゆる心身の形成作用が出てくるのですが。

動いても動かなくても苦ならば、どうですか。

504 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/03 16:15:50 ID:u0MHEJFE
>>503 :名無しさん@3周年 :04/11/03 15:34:04 ID:zbcWPUa9
> 動いても動かなくても苦ならば、どうですか。
そうであれば、「一切皆苦」と言ってよい気がします。
が、

> ある行為をすると満足します。
これをどう解釈するのでしょうか?

> ある欲求を充足すると、心は満足します。
> たとえば食事、娯楽、スポーツ、セックス、心と体と口においていろいろ
> ありますが、何かの行為をすると、心は一見満足したかに見えます。
【1】一見、楽が存在するように感じるが、それは楽ではなく実は苦である。
と解釈するのか。

> しかしその同じ行為をし続けると、それが今度は苦痛に変わります。
【2】最初、楽が存在するとしても、時間経過と共に全ては苦に収束するから、最終的には苦だけが存在する。
と解釈するのでしょうか。


505 :ぽこたん @キャップなし:04/11/03 17:26:28 ID:UnjwReUh
>>498 無宗だ ◆4eP.G3wMrs sage New! 04/11/03 11:53:41 ID:u0MHEJFE
無宗だ さんこんにちは 引用元のホームページが何処かへ行ってしまった為 残念なのですが
興味深い経典がありましたので一応書いときます 漢訳を経ないパーリ語からの直訳だそうです。
四念住は一乗道と言われますが修行法としては 仏陀お得意の修行縁起の流れになるようです
アーナパーナサティ(呼吸瞑想)〜 サティパッターナ(四念住)〜七覚支〜明智(解脱)
一連の流れになるわけです。
四念住は気づきの確立 別名気づきの経典との云われがあるそうです。
阿那般那念経他
アーナパーナサティのサティは気づきの意味があります。
アーナパーナに16項目あります。字は違ってもだいたいこのラインです。
アーナーパーナサティ(呼吸瞑想)を実習し深めるなら、大きな効果と功徳が得られる
アーナーパーナサティ(呼吸瞑想)を実習し深めるなら、サティパッターナ(四念住)
を完成させます。
サティパッターナ(四念住)を実習し深めるなら七覚支(七つの覚醒の要因)を完成させます
七覚支を実習し深めるなら明智(完全な理解実践力)と解脱(完全な心の自由)を完成させます
アーナパーナサティ(呼吸瞑想)〜 サティパッターナ(四念住)〜七覚支〜明智(解脱)

506 :ぽこたん @キャップなし:04/11/03 17:27:40 ID:UnjwReUh
気づきの四つの確立
体(身)で体を観察する行に熱心に正しい理解と気づきをもって定まり、この世のあらゆる
欲望を苦悩をすてさります
感受で感受を観察する行に、熱心に正しい理解と気づきをもって定まり、この世のあらゆる
欲望と苦悩を捨て去ります
心で心を観察する行に、熱心に正しい理解と気づきをもってさだまり、この世のあらゆる
欲望と苦悩をすてさります。
心の対象(法)で心の対象を観察する行に、熱心に正しい理解と気づきをもって定まり
この世のあらゆる欲望と苦悩をすてさります。
《 体で体を観察する 感受で感受を観察する 心で心を観察する 心の対象(法)で心の対象を
観察する》
アーナパーナサティ スッタ 中部阿含経第118 パーリ語原典からの直訳
サティパッターナ スッタ  中部阿含経大10  パーリ語原典からの直訳

仏陀の場合は修行も縁起の流れになり 六根六境 法その他に対する観察を深め気づきを確立してく
一連の流れになるようです。

507 :491:04/11/03 20:44:33 ID:fEPIe35/
>>503

わかりやすい例で行きましょう。
暑い日にアイスクリームを食べるのは「楽」だとする。しかし、強制されて
立て続けに百個食えと言われたら、確かに「苦」に変わる。

ところが、苦しんでいるのを見て「かわいそうに」と感じた人が「もう、そこ
まででいいよ」と中止してくれたら、それは「楽」に早変わりする。

「苦」も「楽」の相対的なもので、今の水準から下がったら「苦」で、上がった
ら「楽」と感じるにすぎない。永遠に下がり続けるジェットコースターも、
上がり続けるのもないのと同じで、「苦」ばかり、「楽」ばかりというのもない。
「一切皆苦」は「一切皆楽」がないのと同じ理由で成立しない。

508 :p-たん ◆PHymQETSmk :04/11/03 21:07:54 ID:FRZK1mb5
>478 ベロさん、お元気ですか?
方便によらなければ何も明らかにされないし、解決されないのですが、一方で方便が方便であると
わからなければ、曲解誤解がいくらでも出てきます。さらに日本では、方便という言葉に「二義的」
「真実と比較したら劣る」という価値付けがされてしまったために(これはインドの upAya が含意する
意義からは逸脱する場合が多い)、極端な場合、方便が蔑称まがいに用いられることがありますね。
そういう次第で、ちょっとややこしい言葉です。

>485 電波ちゃん、具合はいかが?
わたしなんぞ、天女さんを好きなようにしていいといわれたら、そっちの方にどっぷりつかること、うけあいです。
六群比丘のようなところがありますもので(爆)。

>494
漢訳語と原語との食い違い、それと明治以後では漢訳語と現代語の食い違いから発生する
誤解はむちゃくちゃ多いですね。
ここ数日、一切行苦という場合の「苦」を現代国語の「苦」とごちゃまぜにしてたわごとしている
のもその一例ですね。

509 :名無しさん@3周年:04/11/03 23:22:49 ID:zbcWPUa9
>>508
一切皆苦の苦(ドゥッカ)の意味とは「思い通りにならない」ということです。
苦と楽が相対であるといっても、自分でコントロールできるものなのかということです。
快を感じるにせよ不快を感じるにせよそれらは自然な性質によって起こっており
自分ではどうすることもできません。

510 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/03 23:54:44 ID:u0MHEJFE
水野弘元著「仏教要語の基礎知識」pp151-153に一切行苦に関する記述がある。
勝手に要約すると、次のようになる。

■一切行苦(sabbe sankhara dukkha, duhkhah sarva-samskarah)
一切行苦とは、一切皆苦、諸行皆苦ともいう。
原始経典に現象法は無常であるから苦であるとされている。

【一切行苦は客観的真理か】
諸行無常・諸法無我は真理であると考えられるが、一切行苦の命題は無条件には受け入れられない。
現象界は苦だけでなく、楽もあれば不苦不楽もあることは事実である。

元来、苦には苦苦・壊苦・行苦の三苦があるとされる。
・苦苦とは肉体的感覚的の苦であって、痛覚神経を持つものなら誰でも感じる客観的苦である。
この苦を常に感ずることはないから一切行苦とはいえない。
・壊苦は破損損失などによって感ぜられる精神的な苦である。
世の中は逆行の苦もあれば順境の楽もあるから、この場合も一切行苦とはいえない。
・行苦は現象の法は苦であるということである。
迷いの生活は要するに苦であり、涅槃の状態のみが真の楽であるとされる。
したがって、一切行苦は迷いの凡夫にだけいえることであって、悟りの聖者にとっては現象は苦とならない。

【苦が説かれる意義】
宗教は現実の苦しみ悩みを脱して無苦安穏の理想の境地を得させるものである。
高い理想を持ったものには、現実は汚れの多い苦に満ちた不完全なものである。
そこに現実の不完全さを脱して理想に向かおうとする宗教意識や修行・努力が生ずる。
一切行苦は仏教の出発点であり、仏教の宗教性を示すものであることが知られるであろう。


511 :ぽこたん @キャップなし:04/11/04 08:49:28 ID:wDK/oZMi
>宗教は現実の苦しみ悩みを脱して無苦安穏の理想の境地を得させるものである。

苦しみ悩みとあるように 苦悩(煩悩) 
そのような訳もあるようです。

涅槃 (あらゆる苦悩が解消された完全な安らぎの心境)




512 :名無しさん@3周年:04/11/07 03:10:12 ID:goFqwZDK
あほだらさん最近見ないね。体調崩されたのかな?
リハビリ中だし、ご無理なさらないで下さいね。

513 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/11/07 07:26:32 ID:P3V3y3L/
>>512
ご心配いただいて恐縮です。身辺雑事や、書斎居室の模様替え&蔵書等の整理に忙殺されており
ました。長い間放置していたツケが回ってきたようなものです(苦笑)。


514 :名無しさん@3周年:04/11/07 22:00:33 ID:q0SSEL/p
>>513
床座施ですか。

515 :栗花 馨:04/11/08 23:20:43 ID:uZ6Us4Bq
ご心配いただいて恐縮です。身辺雑事や、書斎居室の模様替え&蔵書等の整理を指示して
ました。(微笑)。

決してバリヤフリー化なんぞはしていません(微笑)。



516 :栗花 馨:04/11/08 23:22:38 ID:uZ6Us4Bq
書き込みは短めにしましょう。(微笑)。

517 :名無しさん@3周年:04/11/09 07:01:07 ID:PJ+Q4Rrw
ここは栗花 馨ID:uZ6Us4Bqのような不可逆的知能破綻者が来るところではない。

518 :名無しさん@3周年:04/11/09 12:17:17 ID:ZEpIgBXd
栗花馨は数人以上いると思われ。

519 :名無しさん@3周年:04/11/09 12:52:54 ID:uf1eHuJD
>>518
吉外一匹見かけたら30匹はいるって計算?

520 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/09 22:41:05 ID:5lPSasjD
>>510 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/03 23:54:44 ID:u0MHEJFE
> 水野弘元著「仏教要語の基礎知識」pp151-153に一切行苦に関する記述がある。
> 勝手に要約すると、次のようになる。
更に、脳内変換すると

・一切行苦は真理とはいえない。
・しかし、一切行苦を真理とするのは仏教の出発点ある。
・このように真理とはいえないものを真理と主張するところが、仏教が宗教である所以である。

となります。
思わず、「なんだ、そりゃー」と叫んでしまいますが、
精読した方の反論キボンヌ。


521 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/09 22:42:13 ID:5lPSasjD
>>508 :p-たん ◆PHymQETSmk :04/11/03 21:07:54 ID:FRZK1mb5
> >494
> 漢訳語と原語との食い違い、それと明治以後では漢訳語と現代語の食い違いから発生する
> 誤解はむちゃくちゃ多いですね。
> ここ数日、一切行苦という場合の「苦」を現代国語の「苦」とごちゃまぜにしてたわごとしている
> のもその一例ですね。
「苦」は、簡単な漢字なのでわかった気になってしまうのが罠ですね。
議論の前には、用語に関する定義、前提条件の確認が不可欠ということですね。


http://www.j-theravada.net/kogi/kogi2.html
このページのような感じで、前振りをやったあとで、

>☆苦(Dukkha) は、こうした人間の満足が得られない世界のことを言っているのです。
>決して苦しみだけを言っているのではありませんが、常に変わっていくものに対して
>人間が求めるものは、求めた段階でもうその対象たる物や事、人は変化してしまっているので、
>追い求めた人間はいつも不満で、満足が得られない状態に置かれてしまうのです。
>満足が得られないから、苦しくなっていくのです。
とまとめれば、皆さん納得できるのでしょうか?

私としましては、
・歓楽のわざわい
とありますように、
歓楽は、楽のように思えるが、実はわざわい、すなわち苦である
という前提条件が成立する場合に、
一切行苦は真理として成立するんじゃないかと思っています。


522 :名無しさん@3周年:04/11/10 10:47:03 ID:hL2JkRHt
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=2542

講談社の原始仏典あと2票で復刊交渉達成です。ご協力お願いします。

523 :名無しさん@3周年:04/11/12 04:04:13 ID:1WNgp1nE
なんだか最近はここも静かになったね、これぞ涅槃寂静ってか。

524 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/11/14 01:44:17 ID:CM2WyVLT
阿呆陀羅さんが推奨してた絶版中の上記の講談社『原始仏典』の復刊リクエストが
100票集まり、出版社との復刊交渉が開始される予定だそうです。
僕も投票しましたが、ここをご覧の皆様の中にも投票された方がいらっしゃると
思います。ご協力ありがとう御座いました。復刊が実現するとうれしいですね。


525 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/14 09:22:44 ID:YDtWyDtw
http://www.niji.or.jp/home/yanto/dic/jikai.htm
大乗佛教の出家の戒律として十重禁戒があるとのことだが、

6.不説過罪戒(ふせつかざい) 
          他人の罪や過ちをあばかない

は原始仏教ではどんな扱いであったのだろうか?
本人が既に悔い改めているのだとすれば、
たしかに、「他人の罪や過ちをあばかない」に同意するが、
政治腐敗を目にすると、「他人の罪や過ちをあばく」ことこそ、
善という気がしてならない。


526 :栗花 馨:04/11/14 21:34:55 ID:3734Weif
ひだりデモ世代爺ハケ−ン

527 :名無しさん@3周年:04/11/15 18:10:55 ID:laPbkzho
>>526
栗花逝ってよし!

528 :名無しさん@3周年:04/11/16 17:24:58 ID:KYMZkg4P
>>527
> >>526
>逝ってよし!てゆうかもう逝ってるでしょ。脳味噌全廃、知能破綻の禁治産者の廃人でしょ。


529 :名無しさん@3周年:04/11/16 21:14:12 ID:g9arehz3
なんぼ唯識と言おうと、外界を否定できるわけないのだから、外縁起に言及することはいたって自然。
内縁起だけで楽を得ようとするという原始仏教ってのは未完成品なんだろうか。
現在では受け入れられない不完全な「思想」ってところか。

530 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/16 21:20:57 ID:QQbN6JEF
>>529
いいえ、違います。外界には言及しています。そのことと、外縁起
とはまた異なった意味を持ちます。

内縁起と外縁起について、もう一度よく読んで把握してください。
その前に、仏教は科学的に現象を分析しているわけではありません。
人間の生き方に言及するわけですから、その生き方に合理性を追求
できたとしても、それが科学と合致するとは限りません。

仏教はかなり合理的な側面がありますので、科学思想であると誤解
されやすいし、現に多くの人がそう思い込んでおります。そのことは
過去ログやhttp://homepage3.nifty.com/fhiso/から宗教会議室をお
読みください。

531 :名無しさん@3周年:04/11/16 21:41:53 ID:g9arehz3
>>530
>その生き方に合理性を追求できたとしても、それが科学と合致するとは限りません。

別に科学と合致していまいが構わないのですが、人間の生き方を追求するなら外界との関係をどうしてくれる、って思うわけです。
心の外からの刺激(肉体を含めて)に翻弄されるのが実際の私たちの姿なのでは?

532 :名無しさん@3周年:04/11/16 23:08:56 ID:+WIN1d+3
外そのものが問題ではなく、外との接触における刺激が問題なのである。
刺激の場が問題なのである。刺激において翻弄されるがままということが
問題なのである。外そのものが問題なのではない。

533 :名無しさん@3周年:04/11/16 23:29:08 ID:g9arehz3
>>532
問題の原因は外にも内にもあるでしょう。
外界をあえて度外視する理由がみえませんね。
まあ、原始仏教でも外界を度外視しているわけではないということですので、532さんの言うことは寝言に近いでしょう。

534 :名無しさん@3周年:04/11/16 23:40:36 ID:CB7ffzlf
よーするにだ!欲望おさえて、俗世間から目をそむけて
生きりゃ、苦しみはないということだろ
やたら難しくして商売すんな学者、仏教ヲタクども!
略してブッタク(W


535 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/16 23:47:49 ID:QQbN6JEF
>>533
いいえ、>>533さんが仏典に拠らずにそう考えてらっしゃるのなら、非常に鋭いです。聡明です。
原始仏教とそれを正しく受け継いだ思想ではそのように考えるのです。

外界は必ず存在するとしてそれを根拠にすることを釈尊は否定するのです。

536 :名無しさん@3周年:04/11/17 00:03:52 ID:KTfBn51C
>>535
>532さんが聡明、の間違いですね?
まあ、原始仏教でどう考えようと、お釈迦さんが否定しようと、外界を根拠の一つに数えないような思想は今となっては不自然ですね。
少なくとも人の生き方を追求するには不完全でしょう。

537 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/17 00:10:35 ID:jR1o+W4Q
>>536
申し訳ない、>>532さんの間違いでした。
外界をどう扱い取り込んでいくかには、実は少し深い思想があります。その思想こそ仏教思想の
特殊性であり、釈尊が他の思想とは異質な存在であった証なのです。その萌芽は仏教外にも
有りましたが。

過去スレで散々議論しましたが原始仏教は素朴実在論であって、外界は認識されて始めて詮議
できる対象となります。認識されないものは存在を主張できません。認識対象自体、〔認識の〕意味内容
として考えられ、外界自体に意味を付与しません。

538 :名無しさん@3周年:04/11/17 00:29:54 ID:KTfBn51C
>>537
認識の対象外のあらゆる外界の事象は無視ですか?
思いも寄らぬ方向から忍び寄る病魔にはどのように対処するのでしょう。
罹患した途端に病気は認識の対象になりますが、予防はできませんね。

539 :名無しさん@3周年:04/11/17 01:08:24 ID:KTfBn51C
まあ、予防のためには病気を予測するための認識が必要となりますから、この時点では認識外の外界は想定しなくても良いかも知れません。
しかし、病を予防するという発想は、認識から外れた場所での何らかの変化も仮定しなければ出てこないでしょう。


540 :名無しさん@3周年:04/11/17 01:22:02 ID:aGQMQCsQ
>>538
>思いも寄らぬ方向から忍び寄る病魔にはどのように対処するのでしょう。

健康診断や検査で、異常の傾向が認識されれば、予防が可能です。
またすでに認識された他人の病気の類推からも、予防できます。

そのような認識が一切不可能な「思いもよらぬ病魔」は、誰にも
予防できません。

541 :名無しさん@3周年:04/11/17 01:32:37 ID:KTfBn51C
>>540
そんな当たり前な回答は想定済みです。
>>539にも同じ内容が述べてあります。

542 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/11/17 02:59:47 ID:Uw3DDS07
外界は素朴に認識対象とするけれども、それにこだわったりするのではなく
それを認識する主体の心のありようを問題にしているのが釈尊でしょう。
外界の影響を受ける時点ですでに受け手の認識が問題となるのですから。

543 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/17 06:47:11 ID:zfrBQw7X
>>529-542
議論が空回りしていませんか?

>>529 さんに、
外縁起が役に立ち、内縁起では問題解決できない
具体例を挙げてもらい議論してはいかがでしょうか?

>>538
> 思いも寄らぬ方向から忍び寄る病魔にはどのように対処するのでしょう。
> 罹患した途端に病気は認識の対象になりますが、予防はできませんね。
これは、外縁起も内縁起も役に立たない例ですよね?

原始仏教では一切が認識の対象だと思っています。

------------------
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
(5)ブッダにとって「一切」とは

ブッダは、サーバッティという所に滞在していたとき、「一切」とはなにか、
次のように教えたと記述されています。

みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、眼と眼に見えるもの、
耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、
身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さらに彼を問い詰めると、
その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょうか。
何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
(サンユッタニカーヤ 33.1.3)


544 :名無しさん@3周年:04/11/17 10:49:33 ID:PUjw7MdK
確か原始佛教における「一切」とは、各個人にとって認識できている最大幅をもって一切
と呼称するのであって、当人に認識できてない部分は(それがあろうがなかろうが)含まな
いんじゃなかったっけ?
認識の射程圏はその人その人違うわけだし、現実問題、本人にとって認識できてないも
のは無いのと同じだわな。

例:
車に追突した女性が「見えなかった。気付かなかった。突然前に車があらわれた」と言い張る。
彼女にとって、認識できなかった前方の車は無かったのと同じ事。

また話が逸れそうになってる。
認識主体とその客体について、>>542のベロさんの意見が非常に簡潔で判りやすいと思われ。


545 :名無しさん@3周年:04/11/17 12:14:24 ID:ebuNdcAz
あほだら仏教徒たちへ
お前等はそうやってアタマデッカチになって行くんだ。
経典を収集してほくそえんでる香具師キモイぞ。

546 :けちゃっぷ:04/11/17 13:00:16 ID:MgATaJ3q
目的は苦悩の原因を断つこと。そのために、外界への認識を制御する。性欲を制御したい時には、「美人も一皮むけばクソ袋だ」と想う。しかし、普段から人間みんなクソ袋と思ってるわけじゃない。必要に応じて。

547 :名無しさん@3周年:04/11/17 13:22:14 ID:RZxKywY2
>>545
頭わるそ
嫌悪感や怒りの制御に疎い

548 :名無しさん@3周年:04/11/17 13:34:40 ID:TFfg/vHX
>>537
>過去スレで散々議論しましたが原始仏教は素朴実在論であって、外界は認識されて始めて詮議
>できる対象となります。

原始仏教が素朴実在論の立場をとっていることは、観念論の狂気を防止する
ために極めて好ましいことだと思います。

しかし、素朴実在論(存在論)としては、「眼・耳・鼻・舌・身」がすべて
であり、「意」は不用だと思われます。勿論、五感の知覚はすべて「意」に
連なりますが、「意」は観念であるので、再び観念論への道を開くことにな
ります。

電波男さんのご教示をお願いします。



549 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/17 14:26:41 ID:jR1o+W4Q
>>548
よろしければ、ハンドルをお願いいたします。

>しかし、素朴実在論(存在論)としては、「眼・耳・鼻・舌・身」がすべて 
>であり、「意」は不用だと思われます。勿論、五感の知覚はすべて「意」に 
>連なりますが、「意」は観念であるので、再び観念論への道を開くことにな 
>ります。 

これは当然の疑問だと思います。しかし原始仏教では目等五を存在として明確に
捉えているわけではありません。それらは肉体的感官としては考えないからです。

http://homepage3.nifty.com/fhiso/にて、これらの問題を含めた読書会を始めようとしているのですが、
忙殺されておりまして、不義理しております。できましたらそちらで深く追求したいと思います。

550 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/17 22:53:34 ID:zfrBQw7X
>>530 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/16 21:20:57 ID:QQbN6JEF
> 内縁起と外縁起について、もう一度よく読んで把握してください。


水野弘元著「原始仏教」(p136)

一般に外界の自然現象に関する縁起は、これを外縁起と呼び、
内界の精神現象に関する縁起は、これを内縁起と呼ぶこともある。
外縁起は複雑な内縁起をば理解し易からしめるために、
幼稚な人のために譬喩的に例説する場合に多く用いられるのであって、
縁起の説かれる本来の目的は、内縁起にあると云ってよい。

-----------------------
水野弘元著「仏教要語の基礎知識」p160 には、

縁起には一般的縁起(外縁起)と価値的縁起(内縁起)の二つがある。

との記述があり、同p163には、

四法印は両方の縁起に関係し、後で説く十二縁起や四諦説は価値縁起を説いたものである

と書かれている。

-----------------------
参考まで
だけど、この水野氏の解釈って一般的なのですか?


551 :p-たん ◆PHymQETSmk :04/11/17 23:09:26 ID:er/hUTnU
電車男と電波男を見間違えたσ(^^)でおます。電波殿がでてくるとここはにぎやかになりますね。

最近、車の中でS.Holmsシリーズのオーディオブックをよく聴いているのですが、今日きいていたThe Study of Scarlet
の中でホームズが天動説を知らないという話が出てまいりました。一つの殺人事件について大陽が地球を回っていようが
その逆であろうがまったく関係がない、とHolms君は主張しておりました。
仏教が「苦」の問題を中心テーマとしている以上、認識主体をはなれた外界について(すなわち外縁起について)、
どれだけ考察しようが問題の解決にはならないでしょうね。
一見したところ「認識主体をはなれた」外界の実在性を認め、その外界の対象によって認識が成立すると主張する
有部にしたところで、認識が成立するところをベースとした議論に終始しているのがそのよい例だと思います。
苦とそれからの解脱を語る議論(すなわち煩悩の断について語る場面)は、認識抜きには成立しません。



552 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/11/17 23:46:38 ID:Uw3DDS07
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
 もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。
 ──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。  
 もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。
 ──影がそのからだから離れないように。

これは『ダンマパダ』の最初の二句なんですが、やはり認識主体者の心作用を
抜きにしていくら仏教を語っても無意味なように思われます。そういう意味では
五感と心(意)を含めて「一切」と言うのはうなずけます。感覚を感受するのは
五感なんですが、それを苦・楽・不苦不楽と判断し、実際に苦悩しているのは
自分の「心」の作用だと思われます。

553 :名無しさん@3周年:04/11/17 23:47:43 ID:aj7tF2wB
みんな知識を活かしてる?

554 :栗花 馨:04/11/18 21:11:53 ID:HVgwpMDr
ちみよ、ちみは根本的に矛盾している。

555 :名無しさん@3周年:04/11/19 01:17:16 ID:wIW29Zoy
>>544
>例:
>車に追突した女性が「見えなかった。気付かなかった。突然前に車があらわれた」と言い張る。
>彼女にとって、認識できなかった前方の車は無かったのと同じ事。

しかし車はいた。
車の存在を予測するには交通規則を把握しておく必要がある。
規則を知れば、事故の確率は激減する。ルールとはそういったものだ。
認識の外の事象もまた、推測の対象となり、またこの推測自体が有益であることの好例である。
外縁起を交通規則に準えるのは言い過ぎだが、認識外の事象にも因果関係を認めることは
外界に翻弄される自身を理解し得心する上で内縁起と同様に有用である。

なお、認識外にあらゆる根拠を求めることができないことは当然であるが、外界の存在は経験から強く推察される。


556 :名無しさん@3周年:04/11/19 18:29:38 ID:WgtRly6f
しさん@3周年 04/11/19 17:12:51 ID:XchQ5Bsh
             /ヽ       /ヽ
            / ヽ      / ヽ
  ______ /U ヽ___/  ヽ
  | ____ /   U    :::::::::::U:\
  | |       // ___   \  ::::::::::::::|
  | |       |  |   |     U :::::::::::::|何このスレ・・・・・・・
  | |栗花 馨  |   |      ::::::U::::|
  | |       | ├―-┤ U.....:::::::::::::::::::/
  | |____ ヽ     .....:::::::::::::::::::::::<
  └___/ ̄ ̄      :::::::::::::::::::::::::|
  |\    |           :::::::::::::::::::::::|
  \ \  \___      ::::::



557 :名無しさん@3周年:04/11/20 00:11:01 ID:/vXJl2qy
>>「見えなかった。気付かなかった。突然前に車があらわれた」

見えないものが、突然あらわれる。突然のように見えるが、
世界の法則性を知っている人にとって
当たり前のことが起こっているにすぎない。
それが、ある人にとって全く見えないということがある。
見えない物に対して固定観念を持つことは好ましくないが、
見えない物が存在しないわけではないと思う。

558 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/20 10:42:45 ID:YZ823Edu
>>557
>見えない物に対して固定観念を持つことは好ましくないが、
>見えない物が存在しないわけではないと思う。

人間が五感からの刺激を脳で処理して、筋肉を動かす動物に過ぎないとすれば、
個人の営みは最終的に脳の電気信号に還元できるだろう。
だとすれば、

自分が五体満足な人間であるのか、
どこかの培養液の中の電極付きの脳なのか

判別は不可能なのではないだろうか?


559 :けちゃっぷ:04/11/20 11:55:51 ID:qXVjHjSf
感じること一つ一つが、色・受・想・行・識のどれにあたるのか、確認してみると、ダイレクトに「色だ」ってことはない気がします。しかし、同じように、ダイレクトに「想だ」ってのもありえない。

560 :けちゃっぷ:04/11/20 12:00:57 ID:qXVjHjSf
五薀のうちの1つを確認するには、他の4つをプロセスとして経て、そこから推測するしかない。「手を動かそう」という「行」は、「手(色)を動かそうと想った」という認識を受→想して、識と照合して確認する。

561 :けちゃっぷ:04/11/20 12:16:07 ID:qXVjHjSf
人間は色受想行識の5つの要素が仮に和合した現象。「昨日こう聞いた」という識を思い出して受・想。昨日のメモ(色)を見よう(行)、見て(受)文字から(想)記憶(識)をたぐって出力(受)から確認して(識)を上書き

562 :名無しさん@3周年:04/11/20 18:34:54 ID:qNMG8FaV
>>558
その判別は必要なのか?

563 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :04/11/20 19:51:57 ID:YZ823Edu
>>562 :名無しさん@3周年 :04/11/20 18:34:54 ID:qNMG8FaV
> その判別は必要なのか?
もし、判別できないのだとすれば、
外縁起と内縁起は、何を基準に区別できるのかなあ と?

形而上の問題、形而下の問題だと何となく線引きできそうな気がするが、
何が外縁起で、何が内縁起なのか、ようわからんなあ。
という単なるぼやきですw


564 :名無しさん@3周年:04/11/21 00:59:19 ID:Vmc5qrFd
>>563
>外縁起と内縁起は、何を基準に区別できるのかなあ と?

外界は経験の再生産性から推察されるにすぎない。
しかし感官による識別という現象は、外界そのものの存在を裏付けるものである。
精神活動の縁起である内縁起は、感官やその中枢の動きにも関連する。
これはすでに外縁起の一部である。

565 :名無しさん@3周年:04/11/24 20:28:40 ID:WVaXUOyu
原始仏典を数冊よんでみたところ、
御釈迦さんは普通に輪廻の事を説いてるように思えるのだが、
なぜここの人達は違う見解になるんですか?
あと以外に神のことも触れてるように思えるんだが、俺の読解力が無いのかな?

566 :名無しさん@3周年:04/11/24 21:10:58 ID:RT6hN19E
何だ?外縁起って・・・
そんな仏教用語知らないよ

567 :名無しさん@3周年:04/11/24 23:14:09 ID:YAw0avZp
何かについて話している・話題にしていることが、即その何かを教え(ダンマ)として
説いている、ということにはなりません。
パーリ仏典中には輪廻や神や悪魔や苦行が話題になることもあるかと思いますが、
それがはたして正しく涅槃に資する、最高の、無上の教えとして説いているかどうか、
よく読解するのがいいと思います。

568 :けちゃっぷ:04/11/25 01:30:59 ID:xlWLpn35
内縁起:六内処:眼・耳・鼻・舌・身・意の六根。外縁起:六外処:色・声・香・味・触の六境。以上を「十二処」と呼ぶ。これに眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識を加えて、「十八界」と呼ぶ。


569 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/25 10:12:42 ID:yMJB7vgD
>>568
違いますよ。十二処は【心のよりどころ】であり、内縁起です。

そこに部派仏教が

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識を加えることによって
眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根と
色境・声境・香境・味境・触境・法境の六境

と言う別の分類が出来ました。つまり外縁起も含めた十八界であり、
【あらゆるもの成立ちの元】であるとするのです。


570 :けちゃっぷ:04/11/25 12:36:59 ID:xlWLpn35
六識を「加えて」十八界とする、と言ったのは、歴史的流れの中で付け加えたことを言ったわけではないのですが、ややこしくなりましたね。

571 :けちゃっぷ:04/11/25 12:40:07 ID:xlWLpn35
六根=内縁起、六境=外縁起、という理解も、間違ってるんでしょうか?

572 :みかん:04/11/25 13:01:54 ID:bJ4czwBX
>>565 名無しさん@3周年 New! 04/11/24 20:28:40 ID:WVaXUOyu

仏陀は (厭離 離貪 滅尽 寂静 証智 等覚 涅槃)に
役立たない事は説かないそうです。
「比丘達よ 汝らはいかに思うか。私が手にとっているすこしばかりのシンパサーの葉と
この上のシンパサー林にあるそれといずれが多いであろうか」
「大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンパサーの葉は少なく、この上のシンパサー林
にあるそれは多うございます」
「比丘達よ、それと同じように、私が証知してしかも汝らに説かざるところは多くして、
               ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
説けるところは少ないのである。
比丘達よ、では何ゆえに、私は、それらを説かなかったのであろうか。比丘達よ、それは
役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離 離貪 滅尽 寂静 証智 等覚 涅槃にも
資することがない。、そのゆえに私は説かないのである。」
南伝 相応部 五十六 三十二  漢訳 十五 四五 
その上で四聖諦を説いたといわれている、
証知はしているが 涅槃に役に立たないのは説かないのだそうです。
また形而上の議論は思い込みの問題もあります。
個人的には勉強不足の折 輪廻 神 肯定派ですが、仏陀からすればその手の議論は意味が無いと
するのでしょう。


 


573 :栗花 馨:04/11/25 19:06:01 ID:A5kiZQgT
人間中心=自己中=シッタカ電波

一切万物=釈迦

574 :電波男闘呼:04/11/25 20:39:29 ID:PrLDwM5w
原始仏教の理念に近似しているのは、小乗よりも大乗のほうやで。

575 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/11/25 20:40:29 ID:yMJB7vgD
>>573
>人間中心=自己中=シッタカ電波 

あなたはひょっとして、私のことを万分の一も推定できずに煽っていたのですか?
今、お話している内容は、私の理解している仏教の千万分の一にも達していません。

でも今お話している処・界の本質でさえ、あなたは死んでも理解できないと思いますよ。
一般に広く知られている蘊・処・界の説明にはあまり出てきません。念のため。

576 :中田しずこ:04/11/26 03:05:45 ID:TtLT0Vp4
人間中心=自己中=シッタカ電波=自画自讃=実は借り物=屁理屈臭すぎ=自己完結

一切万物=釈迦


577 :名無しさん@3周年:04/11/26 08:51:33 ID:xwG/dGNc
↑廃人栗花変化

578 :縦溝 正史:04/11/28 16:51:13 ID:6FQja2h9
人間中心=自己中=シッタカ電波=自画自讃=実は借り物=屁理屈臭すぎ=自己完結

一切万物=釈迦


579 :名無しさん@3周年:04/11/28 18:45:58 ID:sw1Vmflg
↑廃人栗花細胞分裂

580 :栗花 馨:04/12/03 22:16:01 ID:zqmlUZuv
ちみはゼロ、零、何にも無い。割ってもゼロ、零。
おまけに割れ瓶、なにも残らない。ちみはそのまま零点なんだよ。

581 ::04/12/04 00:12:21 ID:97JlWSbm
アホって居るもんだすね。

582 :栗花 馨:04/12/04 00:18:29 ID:q+jStQ40
↑廃人電波変化



583 :栗花 馨:04/12/04 00:20:01 ID:q+jStQ40
印度人もびくーり、ちみは零。

584 ::04/12/04 01:23:53 ID:97JlWSbm
こら!栗オマイは早く病院いけ、栗しいんだろうが、人の迷惑考えろ。

585 :栗花 馨:04/12/04 02:51:49 ID:92b5KuFj
はらはじめフランスを教えす

586 :名無しさん@3周年:04/12/04 04:02:51 ID:S9B+V6DP
外界は認識されて始めて詮議
できる対象となります。認識されないものは存在を主張できません。認識対象自体、〔認識の〕意味内容
として考えられ、外界自体に意味を付与しません。

587 :けちゃっぷ:04/12/04 12:26:52 ID:Xu0H2LT2
>580 話逸れるけど、「0120」とかを「ゼロ・いち・に・ゼロ」と読むアナウンサーには違和感を感じます。日本語なら零(れい)だから「れい・いち・に・れい」か「ゼロ・ワン・トゥー・ゼロ」かに統一しろ!

588 :栗花 馨:04/12/04 15:58:58 ID:RddL39O6
起立・礼の「礼!」とまちがうからってアナウンスの講師は、いいます。
礼という言葉に反応する戦中世代がいるからだそうだ。

589 :栗花 馨:04/12/04 16:02:16 ID:RddL39O6
宗教団体やめるやつって釈迦に泣きつく。そして学者きどりになる。
でも建築業とかによろめき浸かる。実際をみると内容は成り立たっていない。


590 :栗花 馨:04/12/04 16:15:24 ID:RddL39O6
座頭市が騒音の中で敵を切る。
ちみは座頭市に一番最初切られてしまう。しかも、顔は映らない一瞬。

外界は認識されて始めて詮議
できる対象となります。認識されないものは存在を主張できません。認識対象自体、〔認識の〕意味内容
として考えられ、外界自体に意味を付与しません。




591 :けちゃっぷ:04/12/04 16:24:16 ID:Xu0H2LT2
>588 なるほど!

592 :栗花の母:04/12/04 23:00:48 ID:97JlWSbm
こら馨またこんなとこで、皆様にご迷惑をおかけしてさあ一緒にお花畑さいくぞ
皆さんこの子は不憫な子なんで許してください。

593 ::04/12/05 02:44:37 ID:Yf9dZnbC
お母さんも大変でしょうが、体にきおつけてね。

594 :栗花 馨:04/12/05 03:04:19 ID:n/WwdUz5
くやしかったんだね。ちみ・・・

595 ::04/12/05 09:51:29 ID:Yf9dZnbC
栗よ、どでもいいが、いい加減にお母さんの事も少しは考えてやれよ!
今まで、オマイのことでどれくらい肩身の狭い思いをしてきたか。

他人ながら母の愛の深さは頭がさがります。
栗のような奴も人の子なんです。

596 :栗花の母:04/12/06 20:24:06 ID:L9DJtdHr
ふびんなわが子をお許しください。

597 :名無しさん@3周年:04/12/07 12:06:00 ID:hmEAxYsT
>>594
> くやしかったんだね。ちみ・・・
憐れんで不憫がって悔しがったりする奴はまずおらんよ。それも栗花相手に(w

598 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/12/08 10:32:25 ID:WOLlXB0Z
約一人の基地外の巣窟になってますな(苦笑)。

599 :名無しさん@3周年:04/12/08 17:18:22 ID:smu1cQLC
阿呆陀羅は桐山靖雄氏を拝んでいたというあごん宗調査はどうよ。
阿呆陀羅は・・・

600 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/12/08 17:26:37 ID:QFtvGsx7
>599そんな汚物を拝んだことなんぞござんせん(嗤)。

601 :栗花 馨:04/12/08 18:10:42 ID:SNnhZUHQ
三善根ですよ三善根。


602 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/12/08 18:33:38 ID:QFtvGsx7
三善根(=無貪、無瞋、無痴)
阿含宗のごとき三毒全開の汚物カルトとは縁もゆかりもない概念です。

603 :暇人 :04/12/09 08:14:16 ID:rbPOlEbo
>>599
アホダラさんつぶしとしては幼稚、知識と教養のラベルを見れば、考えられない
はなし、桐山狂も焦ってるな。

604 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :04/12/09 11:52:20 ID:1algHdfK
>>603
おや、暇人さんとはお懐かしい。電波男さんとのやりとりの続きなど拝見したいところです。


605 :名無しさん@3周年:04/12/09 12:25:34 ID:uQSKafjx
阿呆堕羅って痛いな。

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